■節子への挽歌112:一人でお風呂に入るのがとても辛いです
最近、入浴するのが嫌いになりました。
浴室に一人でいるのが昔から好きではないのですが、
節子がいなくなってから、さらに入浴時間はさびしさがつのる時間になってしまいました。
節子
私たちはいつもお風呂は一緒でしたね。
だから私も退屈しませんでした。
会社時代の仕事が忙しい時は、お風呂での会話が一番の会話でした。
私の帰りが遅くても、節子は待っていてくれて、
お風呂のなかで私の話をいろいろと聞いてくれたし、
自分の話をしてくれたのを今も思い出します。
思い出すと言えば、2人で最初に一緒にお風呂に入ったことも覚えています。
結婚前に私の両親に引き合わせるために東京に来る前日、京都の旅館で泊まった時でしたね。
ちょっとスリルのある旅でした。
部屋続きのお風呂があり、そこに一緒に入ったような気がします。
あれは夢だったのでしょうか。
節子に確かめたい気もしますが、今となっては確かめようもありません。
結婚前に何回か旅行に行きましたが、一緒に入浴したのはたぶんその時だけでした。
もっとも一緒に入浴したにもかかわらず、その後は何もなかったのも不思議な話ではあります。
せいぜいが手をつないで寝たくらいでした。
一緒にいるだけで充分に幸せでした。
病気になってからも、いつも手をつないで寝ていましたが、
今は手をつなぐこともかなわず、いつもさびしく寝ています。
お風呂も嫌いですが、寝るのも嫌いになりました。
さびしさを実感するからです。
お風呂とベッドでいつも思うのは、
まだしばらく私はそちらには行けなさそうなので、節子に戻ってきてほしいということです。
何とかその方策はみつからないものか、そんなことを真剣に考えています。
馬鹿げていると自分でも思うのですが。
伴侶がいなくなってしまった男性は、そんなものなのです。
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