■節子への挽歌128:60代は別れの始まりの世代ね
夢に節子が出てきました。
はっきりと出てきたのは、初めてです。
笑顔で「60代は別れの始まりの世代ね」と言ったのです。
目が覚めても、なぜかその言葉がはっきりと残っています。節子の笑顔もです。
その言葉がいったい何を意味するのか、
考え出したら頭が冴えてきてしまい、ねむれなくなってしまいました。
私たちの別れは決して特殊ではないので、元気を出しなさいということでしょうか。
実はこの1週間、私たちの共通の知人も含めて、何人かの訃報が入ってきました。
そのためちょっと元気をなくしてしまっている私に対する激励の言葉なのでしょうか。
人生はどこかで死に向かい出す意識が出てきます。
友人が、残された時間を意識するようになったので生き方を見直したいと言ってきましたが、
その気持ちは良くわかります。
私が広がり基調の意識から収束意識に変わり出したのは60代を超えてからですが、
それでもいつまでも続く人生という発想がどこかにあって、
時間を効果的に使わなければなどと考えがちでした。
しかし、節子との別れは、見事に私の価値観を変えました。
残り時間の問題ではなく、方向性の問題だと気づかされました。
このブログを読んで、よくコメントを下さるNさんは、さまざまな活動をされていますが、こう書いています。
一つひとつ作り出すというよりは、Nさんの誠実で真摯な生き方が伝わってきます。
一つひとつ、終わらせていくという感じでしょうか。
これは、私に欠けていることかもしれません。
これまでの暮らしを一つずつ終わらせていく生き方。
それは、これまでの自分との別れかもしれません。
「別れの始まり」とは、そういうことでしょうか。
父を送った時に、別れは出会いでもあるのだと思ったことがあります。
節子を送ってから、私の知らないたくさんの節子に出会いました。
節子とつながっている人たちとも出会いました。
「別れは出会い」。
60歳は還暦です。
暦が新しくなる、つまりは新しい人生の始まりです。
節子が健在であっても、私たちもまた古い私たちと別れて、新しい生き方に移ったでしょう。
「別れは始まり」なのかもしれません。
節子と一緒に、その新しい人生を生きたかったですが、
なぜか私たちは彼岸と此岸に分かれてしまいました。
それもまた、新しい出会いなのだと節子は言っているのでしょうか。
「別れの始まりが、ちょっと急激に起こっただけよ」と節子は言っているのかもしれません。
節子が言いそうなことです。
会えなくても、別れていても、私の心身には節子が充満しています。
その節子と一緒に創りだす、新しい私たちに出会えるのかもしれません。
この夢の続きを見たいものです。
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