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2008年1月

2008/01/31

■節子への挽歌151:新潟からチューリップが届きました

節子
寒さは続いていますが、今日はとてもよい天気です。
私も少しずつですが、活動を再開しだしました。

今朝、新潟のKAさんからチューリップが届きました。
年末に富山の人が持ってきてくれたチューリップがなくなっていたところなので、
節子のまわりがまた一段と華やかになりました。

Tulip2_2

昔は富山県が切花出荷量では日本1と聞いていましたが、
最近は新潟市が球根も切花も出荷量日本1なのだそうです。
我が家の庭のチューリップは、最近、モグラに食べられてしまい、激減していますが、
今年はチューリップの花に囲まれて、節子もきっとご機嫌でしょうね

チューリップの花言葉は「愛」だそうです。
色によって、その愛もいろいろあるそうです。
贈られてきたのは、白、黄、桃色の3色です。
白は、「失われた愛」を意味するそうです。
次に黄色は、「正直・実らない恋」だそうです。
そして桃色、「愛の芽生え・誠実な愛」です。
占いもそうですが、こうした言葉は、当事者は自分なりに解釈して納得するものですが、
私にもとても納得できるものでした。
「失われた、実らない」など否定的な言葉がありますが、それぞれに私なりの解釈ができるのです。
花言葉や占い言葉は、人を元気にするものですね。

そういえば、一昨日、花かご会の人が、
みんなで房総に花摘みに行ったお土産にストックを持ってきてくれました。
節子は本当に花に囲まれている人ですね。
どうしてこんなに花が絶えないのか、とても不思議な気がします。

でも正直にいえば、「花より団子」ではなく「花より節子」です。
だれか節子を贈ってきてくれないものでしょうか。
毎朝、神仏に祈っていますが、まだ聞き届けてもらえません。
節子の細胞の一部を保存しておいて、クローン人間の技術ができた時に再生してもらうことを考えていなかったのを悔やんでいます。

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■素材メーカーの海外シフトとポーター仮説、または毒物混入餃子の遠因

「素材メーカー、海外シフト加速」という記事が朝日新聞に出ていました。

二酸化炭素の国内での排出削減を求められている素材メーカーが、海外生産を加速させようとしている。
どう考えてもおかしな話だと思いますが、これが昨今の環境問題への取り組みの実態です。
簡単にいえば、形を整えるために環境負荷を高めているということです。
最近のリサイクル問題(30年前までのリサイクルは違います)や排出権売買、静脈産業論なども、そうした動きの一つだと思います。
これに関しては、20年近く前に、「脱構築する企業経営」で、エントロピー視点からの問題提起をしたことがありますが、
その後の20年はそれとは全く反対の方向に進んでいるような気がします。

素材メーカーが海外にシフトすることが一概に悪いことではありません。
もし生産拠点が市場の近づくのであれば、環境負荷は低下します。
しかし動機が排出抑制投資や排出枠購入などのコストを回避しようというのであれば、
問題が出てきかねません。
排出抑制努力は緩和され、製品の移動に伴う環境負荷が高まることもあるでしょう。
排出権を企業単位に付与すれば、こうした立地による回避策は防止できます。

しかし、最大の問題は「コスト」から発想するか、「環境」から発想するか、です。
昨今の企業は。コストから発想することを基本にしています。
しかも、その「コスト」概念が、いかにも狭い視野でしか考えられていないのです。
問題が起きないはずがありませんが、それを支えているのは財界と政治です。

私は大企業こそが、環境問題に正面から取り組むのがよいと考えています。
1970年代後半、日本版マスキー法による自動車排ガス規制が技術革新を促し、燃費節約などを進め、
日本の自動車産業の国際競争力が高まったとされています。
戦略経営で有名な、マイケル・ポーターは、
「適切に設計された環境規制こそが産業を進化させる」と言っています。
私はこれを「ポーター仮説」と呼んでいますが、
企業の存在価値は、そうしたイノベーションを起こしていくことです。
欧州では、ファクター4などの動きで、それが具現化されています。

企業の経営発想の基本には「コスト」でなく、「価値」を置くべきです。
そのことは、私たち一人ひとりの生活においてもいえることです。
中国産餃子への毒物混入事件が発覚しましたが、
これもまた私たちの「コスト重視の暮らし方」が生み出したことかもしれません。
すべては私たちの生き方につながっているのです。

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■国民とは誰なのか

ガソリン税問題は、議論不在のまま進んでいます。
特徴的なのは、自民党も民主党も「国民のため」と言っています。
その時の「国民」とは一体だれなのでしょうか。
全国の知事が道路建設を要望しているということを盛んに話している自民党の伊吹幹事長にとっての「国民」は自治体の首長のようですが、民主党にとっての「国民」はだれでしょうか。
そう簡単に国民などという言葉を使うべきではないでしょう。
もし使うのであれば、しっかりと「民意」を調べるべきです。

かつて、あるいは今も、「住民参加」ということがよく言われました。
これほど無意味な言葉はありません。
私は講演の度に話していますが、「住民」は多様な価値観を持っていますから、どの価値観を持つ住民を参加させるかで、その中身は全く変ってしまいます。
ですから、個々のプロジェクトにおける「住民参加」とは政策に理由を与えるための手続きでしかありません。
しかし、だれでもが参加できる仕組みをつくれば話は変ってきます。
その場合は、参加する住民の参加を保証することが必要ですが、これが難しいわけです。
また、基本的には議会がそれを実現していたはずですが、それがなぜ機能障害を起こしているのかをもっと吟味することも必要です。

いずれにしろ、「住民」や「国民」という言葉は、無限の価値観を包含している概念ですから、ある価値決定を「国民のため」とは言えないはずです。
「国民のため」というのであれば、価値の押し付けではなく、「議論」することでしょう。
「国民のために議論する」というのであれば意味が通じますが、「国民のためにガソリン税を廃止する」「国民のために道路をつくる」という表現は、決して「国民のため」ではありえないのです。

テレビで政治家が「国民のため」などという発言を聞いていると、やはりまだ日本には「お上文化」が残っていると思えてなりません。

ちなみに、私は「社会のため」という理由づけの言葉もなかなか理解できません。
「社会」と言う言葉も、実に多義的で、危険な言葉のような気がします。

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2008/01/30

■節子への挽歌150:「亡くなった奥さんは喜ばないと思いますよ」

私を元気づけるために、さまざまな言葉をかけてもらってきました。
感謝しなければいけません。
しかし、何回か書いたように、悲しさや寂しさに打ちひしがれて人にはどんな言葉も逆効果になりがちですし、もし打ちひしがれない場合にはどんな言葉も心をすり抜けていきがちです。

しかし、自然に出てきた言葉であれば、逆にどんな言葉でも当事者の心に入ります。
感受性を高めている弱い人は、幼い子どもたちがそうであるように、また社会的弱者といわれる人たちの多くがそうであるように、言葉は表現ではなく、その心に反応するのです。
不遜な言い方かもしれませんが、私は節子との別れを体験して、初めて子どもたちやハンディキャップを持つ人の感受性が少しわかったような気がしています。

私が気になった言葉の一つに、
「亡くなった奥さんは喜ばないと思いますよ」
という言葉があります。
節子の気持ちは、夫である私のほうがわかっているという自負があるからか、私にはとても違和感のある言葉です。

40年以上、生活を共にしてきた私たち夫婦の間に、他の人が入り込める余地は皆無だと私は思っています。
間違っているかもしれませんが、そう思っています。
娘たちは、幸いにそのことをしっかりと認識しているようで、とても彼女たちに感謝しています。
彼女たちの声は、女房の声に近いのです。
そして私は、その声に違和感をもったことは一度もありません。
生活を共にするということは、きっとそういうことなのだろうと思います。
生活を共にする覚悟がないのであれば、結婚はすべきではありません。
男女の関係は、何も結婚だけではありませんから。

不条理に伴侶と別れるという状況に置かれて、「言葉」の意味がよくわかりました。
言葉が伝えることは、言葉で語られる内容ではなく、その言葉から見えてくる話し手の心です。
しかし哀しいかな、私たちはどうしても「言葉」の内容で発語し、受容しがちです。
そして自らの主観的な基準で、相手の心を解読し、反応してしまいます。
だから、相手の気持ちを忖度できずに、不快感さえ時に持ってしまうのです。
そうした時の自己嫌悪感もまた、大きいのですが、自然に感ずるのですから仕方がありません。
困ったものです。

ちなみに、私の今のすべての言動は、私の中に生きている節子との共創の結果なのです。
節子は今なお、私の内部で生き続けているのです。
節子が悲しむとしたら、おそらく私もまた悲しんでいるのです。

もしかしたらまた余計なことを書いてしまったかもしれません。
もう佐藤さんには声をかけられないな、と思われてしまいそうですね。
すみません。
でも、声をかけてくださった方の思いは、しっかりと受けとめていますので、お許しください。

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■なぜ野党は国民に呼びかけてこないのでしょうか

民主国家において政治を支えているのは国民です。
ですから政党は国民を向いていなければいけませんが、日本の政治において政党が国民のほうを向くのは選挙の時だけです。
しかしいうまでもなく、政党のパワーの源泉は国民なのです。
その認識が民主党には全く感じられません。
民主党にはそういう提案をしたこともありますが、1国民ではその声が届くはずもありません。私の努力不足でしょうが。

テロ特措法もガソリン税問題も、国民の多くは反対しています。
にもかかわらず自民党政府は、国民の意思に反して、自分たちの思いを無理やり通そうとしています。
十分な議論もなく、法案を可決するのは「無理やり」と言ってもいいでしょう。
反対する国民が多いにも関わらず、野党はその政府の暴走を止めることができません。
野党の責任を果たしていないと言ってもいいでしょう。
なぜ止められないのか、理由は明確です。
彼らもまた自民党政府と同じく、国民の方を向いていないからです。

国民に呼びかけて、その声を大きくしていけば、問題はもっと明らかになってくるはずですし、政治の場でも議論をせざるをえなくなるでしょう。
何よりも、こんな馬鹿げた「政治ごっこ」は止められるかもしれません。
国民の声は、いまはどこにも向けるところがありませんから、もし民主党なり野党が、国民集会を各地で開催したら多くの国民が参加するでしょう。
もちろん賛成論者も参加するでしょうが、それはむしろ好ましいことです。
大切なのはしっかりした議論がなされると共に、問題が見えてくることなのです。
しかし、国民に呼びかけようという野党はありません。
なぜでしょうか。
自分たちの味方は国民であることを忘れているからです。
もちろん与党も事情は全く同じです。

国民不在と言われていますが、まさに政治屋たちが内輪で権力闘争をしているような状況になっています。
もしかしたら、自民党と民主党の合意の元での演出なのかもしれません。

マスコミも、おかしいおかしいというだけで、行動を起こそうとはしていません。
みんなが見ているなかで、どんどんこうやって社会は壊れていくのかもしれません

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■道路になぜ駐車していけないのでしょうか

一昨日の朝日新聞にこんな記事が出ていました。

自宅で療養する末期がん患者などを支える訪問看護ステーションの車が、訪問先で駐車違反とされるケースが相次いでいる。千葉県松戸市の訪問看護師(52)は、今も憤りが収まらない。駐車監視員が導入された06年の11月、駐車違反で反則金1万5000円を支払った。
末期がん患者の状態が悪化していると連絡を受け、すぐ自宅に駆けつけた。1時間ほど様子をみて車に戻ると、違反の紙が張られていた。警察署で事情を説明しても取り合ってもらえなかった。
道路は昔はみんなの「生活空間」でした。
それがいつの頃から「自動車通路」になりました。
駐車禁止は「生活空間」と「自動車通路」の両方につながっていますので、悩ましいですが、ここで紹介されている事例をみなさんはどう考えるでしょうか。

私は道路上の駐車にはかなり寛容な発想をしています。
それもまた道路の機能の一つだと考えるからです。
商店街だとか駅前だとか、駐車設備があるところなどの長時間駐車は禁止すべきですが、それも事情によっては認めてもいいと思います。
ましてや、生活道路的な側面をもつ住宅地域の道路であれば、先ずはその地域の住民の生活が優先されるべきです。
「道路になぜ駐車していけないのか」
そのことが忘れられて、ともかく駐車は罰金だという社会は恐ろしいですね。

わが家も昨年は訪問看護ステーションや訪問医師の車に来てもらっていました。
ですから事情がよくわかります。
緊急で来てほしい時には、駐車場のことまで気にしていられません。
こうした話を聞くと、制度というものが、目的を忘れて私たちの生活を苦しめていることが見えてきます。
制度には必ず目的があります。
その目的を目先の目的ではなく、もっと大きな目的で考える姿勢がどんどんなくなってきているような気がします。

私たちがつくった制度や仕組みが、私たちの暮らしを壊し出していることに、そろそろ気づいて行くべきではないかと思います。
法も制度も、その運用には「人間の心」が入らなければいけません。

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2008/01/29

■節子への挽歌149:声に出すことの大切さ

時評のほうの記事に、何回か「言葉」の問題を書きました。
節子との別れ以来、言葉についていろいろと感ずることがありました。

節子がいなくなってからも、私はよく節子に話しかけています。
毎朝の祈り、寝るときの会話、真夜中の呼びかけ、1日に何度、あなたと話していることでしょうか。
節子、ちゃんと聴いていますか。
またか、と聞き流しているような気もしますが、まぁいいでしょう。

いずれも私は、声に出しています。
頭の中で話す内語と声に出す外語、さらには他の人に聴いてもらって反応してもらう会話、私はその3つは別のものだと思っています。
私は何かをやるときに、必ず声に出すことから始めます。
節子はそれをよく知ってくれていました。
節子がその言葉を聴いて反応してくれることで、私は行動へと向かえたことが少なくありません。
今は残念ながら反応はありませんが、声に出すことは続けています。

毎朝、般若心経をあげていますが、当然、声に出します。
私の母も、伴侶を亡くした後、毎日、般若心経をあげていました。
当時、私はあまり関心なく、一度も一緒にあげたことはありませんでしたが、節子をなくしてからやっと読経の意味が実感できました。
母への思いやりが足りなかったことを、今頃気づいているわけです。

声に出すこと、それだけでもとても精神が安定します。
独り言はかなり勇気が要りますが、読経は堂々とできますから、それだけで自らの心身を鎮める効果があります。
読経も供物も死者のためではなく、遺族のための仕組みかもしれません。
供養そのものが、そうかもしれません。
花より団子への私の考えは、間違っているかもしれません。
最近、そんな気もしてきました。

私の場合は、報告も節子の位牌や写真に向かって、声に出しています。
ですからわが家ではまだ、節子は実在しています。
節子の許可を得てから取り組むこともあります。
私にとっては、今もなお、節子が家族の大黒柱なのです。

声に出すことの意味はとても大きいです。
愛する人を亡くした人、別れてしまった人。
ぜひ声に出して話し合うことをお勧めします。
内語でではなく、外語で、つまり声に出して話すことで、意識はかなり変わります。

そうだよね、節子
もっとも家事に関しては、節子はいつもこう言っていました。
「あなたは口だけなのだから」

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■環境問題は暴力団と政財界、行政にとっての魅力的な市場

リサイクル問題の続きです。
先日のテレビで、横浜市長の中田さんが、
回収した資源ごみの渡し先もいろいろと付き合いの関係があって、
そう簡単ではないというような話をしていました。
分別してもらっても、結局は処理の段階では一緒になってしまうこともあると
環境先進自治体の職員の方から聞いたこともあります。

私は我孫子市に住んでいますが、ここもかつては分別の先鞭をきった自治体です。
今もかなりしっかりと行われているとおもいますが、
にもかかわらずごみの出し方の説明書を読むと、
たとえばプラスチックは一般ごみと容器プラスチックとは別々に出すようになっており、
いろいろな背景を感ずることもあります。
この世界はまだまだ見えてこない部分が少なくありません。

ある環境問題の集まりで、ごみ問題に関わろうとしていることを話したら、
交流会の時に、ある雰囲気を持った人がやってきて、
「それだけの覚悟があって取り組もうとしているのだろうな」と言われました。
彼は、命を張ってやってきたというのです。
気の弱い私などには、「おどし」にも思えたほどの迫力でした。

家電リサイクル法なども、それとは別の力が働いたようです。
本来、販売の段階で賦課すれば効果的だったはずの廃棄費用が
廃棄時に使用者が負担するという馬鹿げた仕組みになってしまいました。
財界と政界が本気でないことが明らかです。
それにそこには、ともかく使用量を増やそう(つまり先ずは買わせよう)という、
全くエコロジカルでない消費主義があります。
その発想を変えない限り、環境問題など解決するはずがありません。
流行の持続可能な成長の発想です。
暴力団と産業界・政界は、この問題ではたぶんつながっているような気がしてなりません。

環境問題を彼らから取り戻し、生活者の問題にしていく必要があります。
そのために、私たち一人ひとりができることをやれば、かなりのことができるはずです。
そんな思いで、私自身はささやかな生活の見直しに心がけています。

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2008/01/28

■節子への挽歌148:「賢明な人は生について考え、死については考えない」

「賢明な人は生について考え、死については考えない」
スピノザの言葉だそうです。
私が「賢明な人」だったことが証明されました。
しかし、最近、「死」のことを少し考え出しましたので、その「賢明さ」も危ないものになってきました。

私にとっては、「生」と「死」は全く別のものです。
死者は死を体験できず、死者は生を体験できません。
武士道では、死を意識して生きることが目指されますが、私には理解しがたいことです。
節子ががんになった時に、知り合いの医師から、「死に方の問題です」とアドバイスされた時には言葉が出ませんでした。
しかも彼は、統合医療の分野で活躍されている医師でした。
それ以来、統合医療にも関心を失いました。
その人は、その後、メールで何かできることはないかと言ってきてくださいました。
それに応えて相談のメールを出しましたが、なぜか音沙汰ありませんでした。
やはり彼は「生」には関心がなかったのかもしれません。
所詮、彼にとっての統合医療は「死の医学」だったのかもしれません。

「正法眼蔵」の公案に、「たき木はいとなる さらにかえりてたき木となるべきにあらず」というのがあります。
木は燃えて灰になる、しかし灰はもはや木にならず、そこにはつながりはない。
木と灰のつながりについては「前後際断せり」と切り捨てています。

生死もそうです。生きるものはいつか死にますが、死者は生き返りません。
しかも身体と違って、生命はある時点から完全にこの世からは見えなくなります。
いや生きている時にも、見えていたわけではありませんので、何も変わっていないのかもしれませんが、身体には戻ってきません。
死と生は、まさに際断された別物だと思います。

死を意識して生きるとは、いつ死んでも悔いのないように、その時々の生をしっかりと生きることでしょう。
しかし、死を前提にしなければしっかりできないような生き方は私の性には合いません。
節子は、がん宣告を受けてからは、1日1日を充実させることに心がけました。
節子のおかげで、私も日々の生き方の大切さを教えられました。
しかし、節子は決して「死」を意識していたわけではありません。
ともかく「生」を輝かせたかったのです。
私が接する限り、節子は最後まで「生きる」ことを目指して、毎日を充実させていました。
凄絶な最後の1か月さえも、ひたすら生を目指しました。
その姿を私は忘れることはないでしょう。
見事でした。

その頃、ある事件がありました。
私の知人が生活苦に陥っていました。
まだ若いのですが、いろいろな不幸が重なったのです。
長らく会っていなかったのですが、何となく会わないと行けないような気がして会いに行きました。
話を聞いてとても複雑な気持ちになりました。
中途半端な応援は躊躇したのですが、帰宅して節子に話したら、なぜ何もしてやらなかったのかと言われました。
節子は彼には会ったことがないはずです。
節子の勧めもあって極めてささやかな応援をしてしまいました。
その数日後、メールが来ました。
そこに自殺がほのめかされていました。
実に生々しい内容のメールでした。

必死に生きようとしている節子と共にある私としては、言い知れぬ憤りを感じました。
生きようとする人の辛さを知っていたら、自殺することなど公言することはできないはずです。
彼もまた死にたくて死のうとしているわけではありませんが、軽々しく「死」を口に出してほしくないと思ったのです。
その時に思い出したのが、冒頭のスピノザの言葉です。
出典もわからず、不正確かもしれません。ネットで調べましたが見当たりません。

また長くなってしまいました。
そのわりにいつも書きたかったところまで辿りつきません。
困ったものです。

ところで問題の彼は、その後、再出発を決意し、
必ずいつか挨拶に来ると言ってくれています。

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■リサイクル論議よりも無駄遣いをやめるのがいいです

再生紙偽装問題を契機に、リサイクル是非論がまた議論され出しています。
私自身が、この種の問題に興味を持ったのは、
新聞に掲載された「一本のあきびんから」という山村硝子の広告でした。
そして山村硝子社長の山村徳太郎さんの同名の書籍「一本のあきびんから」を読んで感激し、
早速、西宮市に会いに行きました。
社長はご自分で直接、回収選別再生の工場や現場を案内してくれました。
残念ながら山村さんは、その後、急逝されてしまいました。
もし山村さんがご健在であれば、私の人生もちょっと違っていたかもしれません。

その前後に、廃プラスチック問題や容器のリサイクル(当時はむしろリユースのイメージでした)に関して、仕事としても調査をしていました。
日本でペットボトルが導入されようとして、ちょうどその時期でした。
最新の焼却場に取材に行ったりもしました。
当時の私の結論は、使用量を減少させることと効果的な焼却でした。
焼却炉は急速に改善され、高熱にも耐えられるようになっていました。
分別は消費者意識を変えるためには必要だと思いましたが、
環境負荷の面ではマイナスではないかと思っていました。
これに関しては、その後、いくつかの小論を書きましたが、
しっかりと調べたわけではなく、感覚論です。
しかし、環境ビジネスとか静脈産業という発想には、大きな違和感を持っていました。
今もその違和感は消えません。

リサイクル問題は、ほとんどの場合、全体像が明確にされませんし、
またどの範囲で考えるかも曖昧ですので、議論がなりたちません。
昨日もテレビで議論が行われていましたが、
前提を確認せずに議論するので、聴いているほうはどれが本当なのか分からないようになっています。
分別がいい、リサイクルはいい、という常識が広がっていますから、
その視点で考えがちですが、その常識も所詮はある前提の中での話です。
無条件で良い訳ではありませんが、無条件で良い悪いと言い切る人が多いのには驚きます。

この話は、書き出すと切が無いほど話したいことがあります。
一応、私も10年くらいはそれなりに調べてきましたし、問題意識は学生の頃から持ち続けています。
それでも何が良いかは分かりません。

しかし間違いなく言えることはあります。
それは資源の使用量を減らすことが大事だと言うことです。
これだけ無駄な紙を使いながら(たとえば新聞、行政が作る小冊子類)、何が再生紙だ、と思います。
その種の話はたくさんあります。
消費者も分別する前に、ペット容器の飲み物をやめるべきです。
ちょっと努力すれば、私たちの資源消費量は大幅に減らせるはずです。

まずはペットボトルを使うのを止めたらどうでしょう。
私は個人的には数年前からやめています。
自販機も使うのをやめて、かなりたちます。
あまり読むところがない新聞もやめたいのですが、これはまだ踏み切れずにいます。
家族の合意が得られれば、止めてもいいと思っているのですが。

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2008/01/27

■「夕張希望の杜」を応援することの幸せさ

CWSコモンズでも案内していますが、佐賀市長だった木下敏之さんが、「夕張希望の杜」を応援するためのメルマガを発行しています。
そのメルマガに、とてもいい話が載っていました。
お読みになった方もいると思いますが、一部を紹介させてもらいます。
書いているのは、大学病院を辞めて家族で夕張に移転した医師の永森さんです。
なぜ安定した生活を捨ててまで、夕張に移ったのかという質問への答に、次の歌詞で答えているのです。

そこがどこかが問題じゃない
そこに誰がいるかが大事だった
君のいるその場所が
僕の生きていく場所だ
どんなつらさも幸せに
かえながら生きてゆける  (槇原敬之 Anywhere)

そしてこう書いています。
こっちには僕を必要としてくれるスタッフや地域の人々がいます。
破綻した市のつぶれた医療機関を再生することはもちろん楽しいことばかりではないし、地域や組織がちゃんと先に進まないつらさもあります。
怒ったり、喜んだり、楽しかったり、悲しかったり。
でも、こんな経験のすべてをここで家族や仲間とシェアできる僕は幸せです。
みんな、ありがとう。

もしよかったら、みなさんもぜひ「夕張希望の杜」応援のために、このメルマガを申し込んでくれませんか。それだけで「夕張希望の杜」を応援することができるのです。
メルマガは次のサイトから申し込めます。
http://www.mag2.com/m/0000253983.html


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■節子への挽歌147:2人でハワイに行けた話

ちょっと重い話が続きましたので、少し軽い話を書きます。
節子と一緒に海外旅行に行ったのはハワイのキラウェア火山が最初でした。
と言っても、いわゆる観光旅行ではありません。
「サイエンス」と言う雑誌の懸賞論文に入選して招待されたのです。
その時の編集部の人から、節子へのお悔やみの手紙が来ました。
その人も、一緒にハワイに旅行したのです。

ハワイへの旅は私にとっても良い思い出になっています。
旅行への参加者を募集した際、名前を伏せて審査をしましたので、お2人に当選のお知らせをする時に、その住所を見て初めてお2人がご夫婦だったと知り驚いたのも懐かしい思い出です。
2人とも応募していたのですが、私は受賞の電話を会社で受けました。
まさか節子も入選するとは思ってもいませんでしたので、
自慢してやろうと帰宅したら、節子から先に言われてしまったことを思い出します。

その旅は、とても刺激的で、夜、ホテルで同行の火山の専門家による講義もありました。
みんなそれぞれの専門家で、専門性がないのは私たちだけでした。
その時ご一緒だった人たちとは、今も何人かお付き合いがあります。
一番若かったメンバーが、今売れっ子の茂木健一郎さんです。
節子はテレビで茂木さんを見る度に嬉しそうな顔をしていました。

節子が元気になったら、今度は家族でハワイにまた行こうと話していましたが、実現できませんでした。
「やれる時にやっておく」これは節子のモットーだったのですが、実現できなかったことがたくさんありすぎます。
みなさんも、もしやりたいことがあったら、早くやっておくことです。
「親孝行、したい時には親はない」というのは、伴侶にもまさにあてはまります。


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2008/01/26

■能動的な集中力と受動的な集中力

この数年、相撲を見ていて思うのは、日本人とモンゴル出身者との「集中力」の違いです。今場所も、両横綱は安心して見ていられますが、日本人の力士は何となく不安があります。
その違いは、集中力の圧倒的な差のように思います。

産業社会の行く末に強い懸念を抱いていたシュバイツァーは、産業社会における人間を「不自由で、不完全で、集中力がなく、病的に従属的で、全く受動的」であると指摘していました。
その正しさがいま、見事に証明されてきていると思います。

集中力は生命力に直結しています。
厳しい自然の中で身を守っていくには、集中力は欠かせません。
産業化が進み、豊かな物財と安全な環境が整備されるにつれて、集中力がなくても生きていけるようになったのは、好ましいことかもしれません。
その結果、私たちは集中力を低下させているのかもしれません。

集中力だけではなく、身体の感覚や機能も生きるためにはそう必要ではなくなってきました。
ヘッドフォンで外に向けた聴覚をスイッチオフして歩いている人も少なくありません。

しかし皮肉なことに、実は新しい危険が広がり、競争条件もある意味では過酷になってきました。
そうした中で、これまでとは全く異質の集中力を発揮している人が出始めました。
今回の株価の乱高下で、1日にして20数億円も利益を得たネットトレーダーがいます。
しかし、その集中力は生命力とは無縁なものでしょう。
シュバイツァーの発想で言えば、きっと「受動的な集中力」です。

さまざまな壁にぶつかっている産業社会に、新しい地平を開くのは、人間的な能動性であり、集中力です。
おそらくそれこそが「人間力」なのでしょう。
社会人基礎力とか受動的な集中力は、むしろ人間の根本を弱めていくような気がします。

それにしても、モンゴル出身の2人の集中力、あるいは生きる力には、感動すらします。
正月に朝青龍の帰国を許さなかった日本人に比べて、彼らのいのちは輝いています。

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■節子への挽歌146:湯島からの夕陽がとてもきれいです

節子
久しぶりに湯島のオフィスで夕方、仕事をしています。
1年ぶりでしょうか。いや、4年ぶりかもしれません。
節子が病気になってから、湯島のオフィスで夕方まで一人で仕事をすることはほとんどなくなりましたから。

オフィスから夕焼けがきれいに見えます。
節子と何度、この夕陽を一緒に見たことでしょうか。
最近は高層ビルが増えたため、見えにくくはなっていますが、ビルの向こうの夕焼けは美しい。
その美しさは、節子がいた頃は何となく甘い感じのロマンを感じさせてくれましたが、いまは寂しさをつのらせます。
同じ風景が、見る人によって、その時々によって、大きく変わるものです。

節子との最後の遠出の旅になった東尋坊の夕陽、
そしてその時お会いした、茂さんと川越さんの優しい笑顔を思い出します。
節子、あの2人は今も自殺予防のために活躍していますよ。
あの時の夕陽もすばらしかった。節子はとても喜んでいました。
私が茂さんたちに会えるなどとはあまり信じていなかったのかもしれませんが、とても感動的な出会いでした。
それもこれも、節子の応援で、全国のNPOを支援するコムケア活動をやっていたおかげです。
今もその仲間に、私は支えられています。
それに関しては、また書きましょう。
今日は夕陽の話です。

今日はめずらしく湯島のオフィスで仕事をしていますが、
言い換えれば、あなたがいない湯島で、やっと一人で過ごせるようになったということです。
誰かが来ている時には何ともないのですが、一人になると無性に節子のことが思い出されるのです。
このオフィスは節子と一緒に19年近く活動してきた空間です。
私たちの思い出がぎっしりと詰まっています。

壁に掛かっているリトグラフの「萌える季節」は、あなたが見つけてきてくれました。
2人ともとても気に入っていました。
それを見る度に、あなたの笑顔がその後ろに見えます。
あなたと一緒にいろいろな美術展にも行きました。
私はもう多分、美術展にも行くことはないでしょう。
あなたが隣にいないのであれば、行く意味がありません。

あなたの最後の仕事は、この部屋の改装でした。
その途中で、節子はオフィスには来られなくなってしまいました。
だから改装途中なのですが、そのままにしています。
あなたが自分で塗装するといって用意したペンキもそのままです。
いつかまた節子がふいに戻ってきて、仕上げてくれるかもしれませんから。

夕陽が沈んでしまいました。
夜は今も怖いです。
年甲斐もなくと笑われそうですが、本当に怖いです。

仕事の途中だったのですが、あなたへの挽歌を書きたくなってしまいました。

*これは昨日の6時前に書きましたが、ブログへのアップは1日遅れてしまいました。

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2008/01/25

■ガソリン暫定税廃止と道路建設の違い

相変わらずガソリン暫定税をどうするかの先行きが見えません。
問題は「ガソリン値下げ」か「道路整備」か、という問題になっているような気がします。
その違いをもっと整理して議論すべきだと思いますが、
最近のマスコミも政党もそういうことはやらないのが特徴です。
いずれも真剣に考えていないからでしょうが、
政治家は「争点」が、マスコミは「話題」があればいいのでしょう。
その視点からは、むしろ問題が整理されないほうが、価値があるのです。

違いのポイントは何でしょうか。
配分の面から言えば、ガソリンはかなり広範囲の国民に、道路は一部の国民に、直接的なメリットを与えます。
効果が実現する時期は、ガソリンは即時に、道路は少し先でしょう。
またそれによる効果の効率性でいえば、ガソリンはほぼそのすべてが直接効果につながりますが、
道路は途中でかなりの部分が誰かのポケットに入るでしょう。
道路建設賛成と運動している県議や政治家、業界団体なども含まれるでしょう。
かなり独断的な整理ですが、こうした整理に基づいて、
経済効果や合目的性評価などをもっと明らかにしてから議論すべきではないかと思います。

これは何もこの問題だけではありません。
テロ特措法も、郵政民営化も、最近の争点と言えるもののほとんどすべてが、
問題としての設定が極めて曖昧なような気がします。
極言すれば、誰も真剣に考えていないと言えるでしょう。
問題の構造を明らかにするべき国会は、むしろ曖昧なまま争点にしてしまうわけです。
おそらく明らかにしたら、自説を通せなくなるからではないかと勘繰りたくなります。

ともかく最近の政治は、問題の設定が粗雑過ぎる上に、細かすぎると思います。

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■節子への挽歌145:節子は私の所有財産だったのか

昨日の話を続けます。
先日、エーリッヒ・フロムの「生きるということ」に言及しました。
言葉の確認のつもりで書棚から引っ張り出したのですが、
もう一度読み直したくり、読み出したらなにやら身につまされる話で、
気分がちょっと沈み出してしまいました。
昨日の記事もその延長なのですが、自分がひどく自分勝手なのではないかという気がしてきました。
なぜそう思い出したか、その一端を今日は書きます。

フロムは、人が生きていく上で2つの基本的なライフスタイルがあるといいます。
財産や社会的地位や権力の所有にこだわる「持つ存在様式」(The Having Mode)と、
自分の能力を能動的に発揮し、生きる喜びを大切にする「在る存在様式」(The Being Mode)です。
フロムが警告しているのは、産業社会では「持つこと」が重視される結果、
さまざまな問題が生じるばかりか、社会そのものが危機にさらされるということです。
私が以前読んだ時に受けたのはそのメッセージで、それに大きな影響を受けたのですが、
今回読み直してみて、次の文章が心にグサッと突き刺さってしまいました。

(「持つ存在様式」の人にとって)もし持っているものが失われるとしたら、その時の私は何者なのだろうか。
挫折し、打ちしおれた、あわれむべき存在以外の何者でもない。
「挫折し、打ちしおれた、あわれむべき存在」。
まさにいまの私ではないか。
もしかしたら、私は節子を「所有」していたのではないか、と気づいたのです。

今の私の空しさは、愛する人と話せない寂しさではなく、
大切な財産である妻を失った喪失感ではないのか。
私は妻や家族を、自分の所有財産と考えていることはなかったか。
フロムの問いかけに、残念ながら胸を張ってそんなことはないと言いきれません。
ですから、きっと一遍上人の「さすれば人と共に住するもひとりなり」という心境になれないのかもしれません。
本来無一物」などの心境は、まだまだずっと先にありそうです。

何を辛気臭いことを考えているの、だから体育会系でない人は駄目なのよ、と節子に笑われそうですが、
私にとっては、かなり大きな問題なのです。
困ったものです。

まだこの話は続きます。

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2008/01/24

■節子への挽歌144:人は「老い、病み、死ぬ」もの

節子
今日はちょっと重い話です。

熊野純彦さん(東大准教授)は、その著者の中でこういう主旨のことを書いています。

人間は、身体として生きているかぎり、さまざまな欠如をかかえている。
それなのに、なぜか、身体が病んで、痛みに苦しみ、老い、やがて死んでゆくことを、
忘れはててしまっているように思われる。
この意味が最近よくわかってきました。
書き出すときりが無いのですが、もし私に才能があれば大論文が書けそうな気がしています。
私たちが生かされている深遠の意図が読み解けそうな気がしてきているのです。
もちろん読み解けるわけもなく、それは幻想でしかないのですが、
なにやらそうした生命や宇宙の神秘に近づけているような、奇妙な気がしています。
これも毎夜、節子と交信をしているおかげ、もしくは暗示かもしれません。

節子と異身同心で生きていた頃、私自身のいのちや思いの広がりは外に向かって開いていました。
節子の世界が、私の世界になった途端に、世界は無限に拡散し出します。
なぜなら節子は私との世界以外にもまた世界を持っており、私たちの世界の外延は無限に広がっていくからです。
ですから発想の方向はつねに発展だったのです。そこには無限ともいえる可能性、つまり希望がありました。
発達心理学の「人間は死ぬまで向上する」という言葉を、何の疑問もなく、言葉通りに信じていました。
歴史の進歩主義を否定しながら、個人においては生涯の進歩を信じていたわけです。
ですから私の生き方は、常に前にしか興味がなく、拡散的な楽天主義だったのです。

しかし、節子がいなくなって、私の半身が削がれてしまってからは、発想が反転してしまいました。
忘れていた「老い」や「身体の限界」、そしてもちろん自らの「死」になまなましく気づいてしまったのです。
私の拠り所だった、インドラの網から自分が突然放り出されたような気もします。
そして発想が、発展から収束へと反転してしまったのです。
さらに、節子を通して広がっていた世界の幕が閉ざされることで、
私自身の世界もまた縮小基調に向かうような意識が強まっています。
そうなると、「不安」が生まれます。

節子がいなくなって初めて、私は「不安」に出会いました。
そして、「老い」とは不安なのだと知りました。
いや、不安こそが「老い」なのかもしれません。

節子にとても悪かったと反省していることがあります。
「身体が病んで、痛みに苦しみ、老い、やがて死んでゆく」という、当然のことさえも、
私には見えていなかったのではないかということです。
節子がそれを身体的に実感していたこと、そしてそれを私に伝えていたことも、
今にして思えば、思い当たります。
しかし、節子と私が離れ離れになることなど、あるはずがないという手前勝手な思いのもとに、
「絶対に治る」と確信し、私は「老い」も「不安」も見ないようにしていたのです。

しかし、人は「老い、病み、死ぬ」ものなのですね。
その現実は避けようもないのです。
「老い、病み、死ぬ」ことに、節子と一緒に立ち向かえないことが寂しいです。

続きはまた書きます。
この話はかなり長い話になりそうですから。

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■株価下落で消えた資金

昨日、「株価低下でなくなったお金はどこに行くのでしょうか」と書いたのですが、それが気になってきました。
本当にどこにいくのでしょうか。
私には「消えた年金」よりも、興味のある話です。

ツカサグループの代表の三又さんが、金融政策の変化で、一夜にして、1000億円の資産家から1000億円の債務者になってしまったとお話になっていましたが、川又さんご自身は何も変わらないのに、資産が借金になるというのはどういうことなのでしょうか。
川又さんにとっては実体は何も代わらないのに、プラマイ2000億円の資産の変化があったわけです。
もしそうなら、現代の資産とは一体何なのでしょうか。

もし私が1000万円の現金を株式投資していたとします。
それが今回の下落で、その投資対象株価が2割下落したとすると、私の貨幣財産は800万円に低下します。
その時点で、株式を売却し、現金化すれば、現金は200万円減ることになります。
しかし、そのまま株式市場に入れたままであれば、実際には何の変化も起きません。
所有財産が減少したなという気分になるくらいでしょう。
もっとも現金を財産といっていいかは判断の迷います。
高率なインフレが起これば、紙幣はただの紙切れになります。

現金には何の価値もありません。
現金は、価値を交換するための手段でしかありません。
最近はその手段でしかない現金(通貨)に価値を見出す人が圧倒的に多いために、「価格」と「価値」とが混同されがちです。
たとえば、「高価」なものほど「価値が高い」ということになりがちです。
価値が高いから高価なのではないのです。

経済学や経営学の世界では、企業価値とは株式の時価総額だと言われていましたが(今もそうでしょうが)、馬鹿げた議論です。価値とはそういうものではありません。
私はそういう議論が起きだした20年前ころから、そうしたキャッシュフローベースの企業価値論とレゾンデートルとしての企業価値論とを分けて考えることを話し続けてきましたが、全く空しい主張でしかありませんでした。
前者のために、どれほどの企業が本来的な企業価値を損なってきたことでしょう。

株価の乱高下がいかに大幅であろうと、全体としては損得は発生しません。売買の双方が納得して売買していますし、何か実物が動くわけではないからです。
ミクロ的に個人の投機行為としてみれば、たしかに損得は発生するでしょうが、それは損得が発生するからこそみんな投機するわけですから、本来、問題は全くないはずです。

株価の下落が引き起こす意味は何なのか。
これまでの常識の呪縛をはずして、考えて見ることが必要ではないかと思っています。


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2008/01/23

■生活を支える経済から生活を壊す経済へ

株価が大幅に下がっています。
私は株式投資には全く興味がなく、実際にも何もやっていないので、まさに対岸の火事なのです。
実体経済に影響を与えるといわれていますが、正直なところ、実はピンときていません。
経済がどんどんと金融化していることについていけていないわけです。
前に書いたこともありますが、そもそもテレビのニュースで、株価指標とか為替レートなどをなぜ報道するのかにも違和感がありました。
まさに国民を金融経済漬けしようとしているのではないかと不快な感じを持っています。
為替も株価も、私には無縁だと思っているというよりも、無縁になりたいと思っているのが正直のところです。
社会はすべてつなぎあっているのだから、無縁なはずはないのですが、そもそもお金でのつながりの輪からはできるだけ遠ざかりたいと思い続けています。

連日、マスコミは大騒ぎしていますが、株価の低下で損をした人のお金は、あまり生活のためのお金ではないでしょうから、無くなっても大きな問題は起こらないでしょう。
それに株価低下でなくなったお金はどこに行くのでしょうか。
どなたか教えてくれませんか。
私には、実体のない流動性が減少するので望ましいことだと思えてなりません。
株価がゼロになれば、名実共に企業は従業員のものになるかもしれません。
相変わらずめちゃくちゃの議論ですが、そもそも金融経済なるものこそ、めちゃくちゃな論理ではないかと私は思っています。

株価が下がって生活が困る人がいるのか。
最近は個人でデイトレードを仕事にしている人もいますし、FXなどという投機の仕組みもありますので、生活が破綻する人がいるかもしれませんが、私の偏った考えからすれば、そうした金融の世界に生活を委ねた時点で、すでにその人の生活は破綻していたのです。
お金がお金を生み出すなどという発想は、生活とか生きることとは程遠い世界です。

原油の値上がりもまた、金融経済の結果なのでしょうが、そのおかげでガソリンが高くなって大変だというのも、考えてみれば、国内では産出しない原油に依存する経済に移行した時に、覚悟しておくべきことだったのかもしれません。
同じように、食糧も海外への依存度を高めていますので、いつかきっとそのとがを受けることになるでしょう。

最近の経済は、生活を支えるのではなく生活を壊す仕組みになってしまっているような気がします

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■節子への挽歌143:また挽歌が届きました

節子
先日電話をくれたNKさんが挽歌を送ってきてくれました。
私が書けないでいるうちに、他の人がどんどん書いてくれますね。
プレッシャーですね。

Nさんは、「さとうせつこ」を頭にして、詠んでくれました
Photo_2
さ : さわやかな笑顔で、友を、もてなし
と : 東大寺から、ともに白髪が、生えるまで
う : 嬉しさや、悲しみを、乗り越えて
せ : 世界一の、伴侶として、母として、生き切った
つ : 連れ添いし、四十一年、追想に、耽れば
こ : 娘にも恵まれ、心豊かに、手賀沼に咲く、オンリーワンの、花となる「手賀沼に咲くオンリーワンの花」
花好きの節子には、これほどの賛辞はありませんね。
もし節子が元気だったら、どう受け止めるでしょうか。
恥ずかしいから載せないでと言うでしょうが、紹介してしまいました。

NKさんは、柳澤桂子さんのベストセラー「生きて死ぬ智慧」の一節を書いてきてくれました。
般若心経の解釈の一文です。

人間は粒子でできていて、宇宙の粒子と一続きになっている。
何の実体のない「空」になる智慧を身につければ、
永遠のいのちに目覚め、幸せに生きられる。
納得できますね。
問題は、私が幸せには今や興味を感じていないことです。
しかし、こうして友人たちが励ましてくれることこそ、幸せそのものなのでしょうね。
そういえば、TFさんも、佐藤さんは幸せなのをわかっていますか、
と手紙に書いてきましたが、よくわかっています。

みなさんに心から感謝しているのです。
もちろん節子にも、ですよ。

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2008/01/22

■警察民営化も進むのでしょうか

「暴力団同士の抗争に巻き込まれて市民3人が射殺された事件の実行役の1人に、求刑通り死刑が言い渡されたという記事が新聞に出ていました。
まあそれはそれでいいのですが、いつも気になるのは「暴力団」の存在がなぜ認められているのかということです。

暴力を国家が独占管理すること、これが国民国家の基本の一つです。
これに関してはこれまでも書いてきましたが、もしそうであれば国家以外が行う暴力は本来許されないはずです。
家庭内暴力も問題になっています。
にもかかわらず、たとえ俗称であろうとも「暴力団」の存在が許されるというのは理解しがたい話ですが、どうして問題にならないのでしょうか。
たとえば「殺人団」とか「恐喝団」と言うのであれば、そもそも存在が許されないでしょう。
「暴力」と「殺人」「恐喝」は、言葉の種類が違いますから、暴力団は存在できるのかもしれません。
しかし私には理解できない話です。

警察はなぜ暴力団の存在を許しているのでしょうか。
警察は、国家が承認している「暴力装置」の一つですが、自らの仲間だとでも思っているのでしょうか。
最近流行の「民営化」発想で、いつかは警察民営化の動きの中で、暴力団が警察業務を受託することもあるかもしれませんから、その受け皿として育てているのでしょうか。
まあ戦時においては、過去においてそうしたことは起こっていますから、あながちありえない話ではありません。
それに、日本の国民は民営化が好きですから、戦時でなくともそういうことは起こりえるでしょう。
クーデターを起こした小泉元首相なら、そんなことは朝飯前のことかもしれません。
また口がすべりました。すみません。

しかし、「暴力団」という言葉を使っている人は、どういう思いでその言葉を使っているのでしょうか。
おかしいと思わないのでしょうか。
私にはどうも理解できないことなのです。
まずは、その言葉を使うのをやめるべきだと思います。
もちろん、その実体もなくさなければいけません。

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■節子への挽歌142:私の生き方を励ましてくれた人

久しく会っていないにもかかわらず、
そしてあまり交流がないにもかかわらず、
時間が止まったように、付き合っていた時の関係を保持し続けている人がいます。
高校時代のMYさんが、その一人です。

私は都立西高の出身です。
同窓生のメーリングリストや集まりがあり、かなり活発に行動していますが、
私自身はほとんど参加していません。
高校時代に限りませんが、過去への関心がほとんどないためです。
過去の自分、現在の自分と言ってもよいのですが、
自分をいつも変えていこうというのが、私の基本的な生き方でした。
最近は変える気力が弱まり、惰性で生きがちですが、
50代まではかなりドラスティックにその時々を捨ててきたつもりです。

それができたのは、節子という変わることのない拠り所があったからです。
変わることなく存在する確実なものがあれば、他のすべてがなくなっても怖くはありません。
節子がいればこそ、私には怖い物など一つもなかったのです。
会社を辞めたのも、価値観を変えたのも、節子がいればこそでした。
きっと大事なものも捨ててきてしまっているのでしょうが、
私には節子がいればそれで十分だったのです。

節子と結婚した時に、それまでの日記をすべて廃棄し、友人の住所録まで捨ててしまいました。
今から思えばばかげていますが、その時は新しい世界を創り出すのだという意気ごみがあったのです。
全く違った人生を送ってきた2人が、新たに新しい人生を創りだすためには、
できるだけ過去を軽くすることが大切だと考えていたわけです。
若い頃の私は、頭でしか考えない理想主義者だったのです。
今とは正反対です。まあ、今もその名残はあるでしょうが。

高校の友人で、節子が知っている人はおそらくいないでしょう。
つまり私たちにとっては、私の高校時代は存在しない時代なのです。
もっとも全くつながっていないわけではありません。
節子も名前だけは知っている人が3人いますが、その一人がMYさんです。

もらった年賀状への返信を読んでこう書いてきてくれました。

きっと君の話をよく聞いてくれて、君の生き方をはげましてくれる人だったのでしょう。
「生き方をはげましてくれる人」
そうか、節子は私の生き方をはげましてくれていたのだ。
とても納得できました。

この一言で、なぜか高校時代のことが突然思い起こされました。
MYさんとなぜこんなにも長く会うことがなかったのか。
急にたくさんの級友たちのことが思い出されました。
まるで、節子が級友たちを思い出させてくれたような気がします。
今年は少し、過去の世界にも出かけようかと思います。

節子の声は直接聞こえてきませんが、
こうやって今も節子は私を励ましてくれているのですね。
ありがとう。節子。

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2008/01/21

■医師の言葉の重さ

昨夜、NHKの認知症の番組を見ました。
私は昨年、妻を亡くし、それ以来、医療や病院の番組は見ることができずにいました。ですからこの番組も見る気にならなかったのですが、たまたまテレビをつけた時、画面で患者の家族が「医師は絶望させることしか言わない」と発言していたのが気になって、ついつい見てしまいました。
案の定、見ているうちに妻の闘病のことが思い出されました。
妻は認知症ではなく、胃がんでした。
医師はとても誠実に治療対応してくれました。
私たちは世間的に言えばかなり良い医師に恵まれたことは間違いありません。

にもかかわらず、私は病院にはかかりたくないと思うようになりました。
病気になっても、病院にかかることなく死を迎えたいと思うほどです。

「医師が絶望させることしか言わない」。
妻の場合は、必ずしもそうではありませんでしたが、病状が深刻だったこともあり、「希望が持てること」は言ってもらえませんでした。
医学的な論理からいえば、希望などなかったのでしょう。
しかし、希望がなくて病気と付き合えるか、というのが私の考えでした。
嘘でもいいから希望を与える言葉がほしいと何回思ったことでしょう。

回復の可能性が高い場合は、そんなことはないでしょうが、回復不能とされる場合は、医師の言葉は患者や家族には凶器のように突き刺さるのです。
「もう手の施しようがありません」
それが事実かもしれませんが、その言葉が患者にどれほどの恐怖感を与えることでしょうか。

医師の言葉は、本人が思っている以上にパワーを持っています。
番組で、認知症の人と家族の会の代表の方が、
「医師が病気を悪くすることさえある」
というような主旨の発言をしていましたが、全くその通りです。
まさに医師の言葉は暴力にもなるのです。

しかしそのことは逆に、医師の言葉は奇跡を起こす治癒力も持っていることでもあります。
医師から希望を感じさせられる言葉をかけてもらった時の、妻の笑顔とその後の元気を思い出します。
医師の言葉は、まさに薬よりも大きなパワーを持っているのかもしれません。

番組での問題提起とは全くずれたことを書いてしまいました。
番組では、認知症の問題を切り口に、医療とか介護、さらには社会のあり方に関して、さまざまな問題が提起されていました。
とてもいい番組で、心に響いた発言もありました。
久しぶりに、テレビでできることはいろいろあることを改めて実感しました。

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■節子への挽歌141:「独り生まれて独り死す、生死の道こそかなしけれ」

伴侶との別れを体験した人は私だけではありません。
しかし、私のように、おろおろとしつづけ、めそめそと挽歌などを書き続けている人は多くはないようです。
みんな哀しさを乗り越えて、しゃんとしてやっているのです。
えっ、この人も、と知るたびに自分の駄目さ加減が恥ずかしくなります。

ある研究会でご一緒したMさんが手紙をくれました。

じつは、私もかつて妻をガンでなくしました。
周囲の人達は時間が薬だとか、肉体は無くなつても、霊魂は不滅だと聞かされました。
当時はそんな馬鹿なことがと申しておりました。
時間が経つにつれ皆さんのおっしゃるとおりに考え方が変わりました。
いまは、亡くなった妻と常に一緒です。
若い内から仏の道の学習も少々かじらせていただきました。

生ぜしもひとりなり、 死するも独りなり
さすれば人と共に住するもひとりなり
添い果つべき人なきゆえなり (一遍上人語録)
さぞお寂しくいらっしゃることと存じますが、
どうかご自愛のほどをひとえに祈りあげます。

Mさんにお会いした時から、どこかで気になる人だったのですが、
もしかしたら、どこかでつながっていたのかもしれないと思いました。

一遍上人は遊行僧ですが、私はまだこの気分にはなれません。
ですが、どんなに愛し合っていても、同時に死ぬことはできない。
人は、ひとりで生まれて、ひとりで死ぬ存在なのだというのは、真実です。
残念ながら、私には、その覚悟ができていなかったばかりでなく、
いまなおそれが受け入れられないのです。
この思想の根底には、「本来無一物」という考えがあるわけですが、
それを目指している私としては、Mさんがいうように、その道理を受け入れるべきなのでしょうね。

でも、もう少し時間がかかるかもしれません。
困ったものです。

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2008/01/20

■「エコ偽装」に見る企業の問題点

再生紙偽装事件は、企業にとって「エコ」とは一体何なのかを象徴している事件です。
企業にとって「環境問題」は解決に取り組むテーマではなく、
マーケティングに利用できる材料なのかもしれません。
「エコ偽装」などという言葉まで使われていますが、
産業界の環境問題への取り組みはまさに「偽」と思われても仕方がない状況です。

10年近く前、各社が環境報告書を競って出し始めた頃、
仕事で各社の環境経営担当役員の取材も含めて、いろいろと調査したことがあります。
その時の企業の対応姿勢にあまり「本気」を感じることができず、失望したことがあります。
その後、今度はユニバーサルデザイン(UD)が流行になり、
UD商品なるものが発売されたりした時には、
なんでこれがUDなのかと思うようなものが少なくありませんでした。
時代の課題や流行を、販売促進やイメージアップのために「浪費」している企業の多さには失望を禁じえません。
各社のCSR関係の報告書を見れば一目瞭然です。
エコも、UDも、CSRも、ともかくマーケティングのツールでしかないのでしょうか。

私自身は、昔から企業の環境問題への取り組みには疑心暗鬼です。
環境対策と称しながら、環境負荷を高めていることもありそうです。
再生紙の問題に関しても、もっと総合的に取り組むべきですし、
そもそも紙の使用量の削減こそに取り組むべきです。
産業のジレンマの中で、それは難しいでしょうが、
滋賀県の新江州株式会社のように、
包装資材の会社なのに会長が包装資材はできるだけ使わないようになどと言っている会社もあるのです。
環境問題への対応をいうのであれば、安直に言うべきではありません。
ましてや社会をごまかしてはいけません。

なんでも「儲け」につなげてしまう姿勢こそ見直さないと、
企業そのものの未来も開けないのではないか。そんな気がします。
企業は社会の子です。その存立基盤は社会です。
その社会を揺るがしている環境問題は決してマーケティングの材料にすべきテーマではありません。

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■節子への挽歌140:どうして愛夫家という言葉はないのでしょうか

節子
威勢のいいべらんめえ調のNKさんを覚えていますか。
私の周りにいる人の中ではちょっと異色な人だったかもしれません。
そのNKさんも、公私共にいろいろドラマがありました。
年賀状をもらったので、節子のことを知らせました。
そうしたら1日かけて私のブログを読んでくれたようです。
佐藤さんのブログは一つずつが長いし、それに多すぎると言われてしまいました。
もちろんそれはいつものNKさんらしい言い方です。
本来的には、「こんなぐたぐたした文章など読んでられるか」というのがNKさんらしいのですが、
何時間もかけて読んでくれたのです。気が引けます。

NKさんの感想です。
佐藤さんがこんなに愛妻家とは思わなかった、人はこんなにも愛せるものなのだね、というのです。
同じ言葉は他の人からももらったことがありますが、
NKさんからのお褒めの言葉は格別に嬉しいものでした。
NKさんは決してお世辞は言わない人ですし、心の人なのです。
でも、なぜか「愛妻家」という言葉には違和感があるのです。

私は節子を愛していたのであって、妻を愛していたわけではありません。
たまたま妻が節子だったわけですが、妻としての節子ではなく、女性としての節子を愛していました。
ですから「愛妻家」と言われると、ちょっと違うような気がするのです。

なぜこんな理屈っぽいことをいうかというと、「愛妻家」という言葉はあるのに、
どうして「愛夫家」という言葉はないのかが、気になっているからです。
ちなみに、「愛犬家」という言葉はあります。
妻や犬は愛の対象になるが、夫は愛の対象にはならないのです。
不思議だと思いませんか。

そこで思い出したのが、昔、読んだエーリッヒ・フロムの「生きるということ」です。
うろ覚えだったのですが、思っていた通りの文章が見つかりました。

愛が持つ様式において経験される時、それは自分の<愛する>対象を拘束し、閉じ込め、あるいは支配することの意味を含む。
それは圧迫し、弱め、窒息させ、殺すことであって、生命を与えることではない。(72頁)
少しだけ補足すれば、フロムは、大切なのは「持つこと」ではなく「あること」だという主張の中で、こう書いています。
そして、彼は「持つこと」よりも「あること」が大切だといっているのです。
では、あることにおいて愛とは何なのか、
それに関してのフロムの主張は必ずしも明確ではありませんが、上記の反対を考えればいいでしょう。
対象を解放し、強め、生かすことです。
しかし、それもまた余計なお世話であり、私の趣味には合いません。

「愛する」という言葉そして行為は、極めて両義的で悩ましい問題なのです。
これについては、少しずつ書いていければと思っています。

節子にとって私は一体何だったのでしょうか。
愛の対象だったのでしょうか。

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2008/01/19

■「もはや経済一流ではない」

国会での太田経済財政相の経済演説が物議を起こしています。
そのひとつが「もはや日本は『経済は一流』と呼ばれるような状況ではなくなってしまった」という発言です。
その発言時、森、小泉、安倍元首相たちは笑いながら手を叩いていました。
自分たちの責任を全く感じていないことを露呈している風景でした。
太田さんはその後、「政治は何流ですか」というマスコミの質問に、「それは私の範疇外です」とこたえていましたが、政治は3流といわれて久しく、今やさらに政治は不在なので評価しようがないとしか言えないように思います。

「もはや経済一流ではない」ということですが、問題は評価基準です。
太田さんの演説の基調は、1940年代に始まったアメリカ資本主義的な成長力路線です。
OECDの中で一人当たりGDPは18位という言及もあります。
その成長志向経済が破綻に向かっていると私は思い続けていますので、
その分野で一流でなくなったことの意味をしっかりと考え、新たな経済政策を考えるべきだと思います。
つまり、かつて一人当たりGDP2位だったことの意味の吟味です。

日本が経済一流と言われた頃、私は会社にいて、まさに経済成長に寄与すべき仕事をしていましたし、
その後、バブルと言われる中で、経済的な贅沢の一端に触れて、
ちょっとおかしいなという不安もあって会社を辞めた人間です。

経済一流ということがもたらしたものは一体なんだったのでしょうか。
一部の人たちが贅沢三昧できる社会をつくりだすために、また経済一流を目指すのでしょうか。
経済を評価する基準を明確にしてほしいものです。
経済の目的は成長なのでしょうか。
経世済民、「世を經(おさ)め、民を濟(すく)う」という意味は過去のものなのでしょうか。
経済政策は、世や民のためのものではなく、お上やお金のためのものなのでしょうか。
成長は手段でしかありません。
経済成長しなければ、10年後の日本の社会は良くならないのでしょうか。
まさに経済に寄生している日本の政治が露呈しています。

かつて経済は、political economics と言われましたが、今
の日本の政治は、economical politics なのです。
経済の意味が大きく変わろうとしている歴史的時期にあるように思います。

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■節子への挽歌139:竹内まりやの「人生の扉」

論争相手の武田さんが、気が向いたら聴いてよ、といってCDを送ってきてくれました。
武田さんとの論争のテーマはいつも民主主義でしたが、
それを知っている節子は、いつも同じようなことを話していてよく飽きないわね、と言っていました。
武田さんは、このブログを読んでいて、私を心配してくれて、時々電話をくれるのですが、
以前と同じように、いつもまた民主主義論争になってしまうのです。

CDは竹内まりやでした。
竹内まりやは、私も一時とても好きでよく聴いていました。
武田さんは、最近話題の「人生の扉」の最後のフレーズがとても好きなのだそうです。
ご存知の方も少なくないと思いますが、今ならYOU TUBE でも聴けます

TFさんが好きなフレーズは

長い旅路の果てに 輝く何かが 誰にでもあるさ
です。
残念ながら、私には全くピンときません。
私の人生の先に輝く何かがあるとはとても思えないのです。
しかし、「果て」ではなく、「長い旅路のなか」であれば、よくわかります。
人生には必ず輝く何かがあるものだというのは、私の昔からの確信の一つでもあります。
私の場合、それは何だったのか、そして何時だったのか。
それは「節子と新しい人生を始めた頃の2年間」でした。
私は組織から自由になり、退職金で好き勝手なことをしていました。
節子は貯金がどんどん減って、ボーナスもなく、不安を感じながらも、
私と一緒に新しい世界を開くことにわくわくしていました。
それまで時々ずれることもあった、2人の人生観が重なったのです。
喜怒哀楽を共有する伴侶になれたのです。
この歌詞にある「輝く何か」とは違うものだと思いますが、私の人生の先が決まった2年間でした。
節子の人生も、そこで決まってしまっていたのかもしれません。

そして、その後、私たちの人生は信じられないほどの速さで過ぎました。
「人生の扉」にはこういうフレーズがあります。

信じられない 速さで 時は 過ぎ去ると 知ってしまったら
どんな 小さなことも 覚えていたいと 心が言ったよ
私は、このフレーズが心に深く入りました。
こんなに早く節子との別れがくると知っていたら、私も、「どんな小さなことも覚えていたい」と思ったでしょう。
私自身、あまりに生き急いだ気がしてなりません。
病気になってからの節子は、その私の生き方にはきっと不満だったはずです。
「いそがしいのにごめんね」と節子はよく言いました。
そのたびに、「いそがしくなんかないよ」と言っていましたが、
節子には私の生き方は「忙しく」見えたのです。
いえ、実際に忙しかったのでしょう。心を失っていたのかもしれません。

武田さんの好きなフレーズに続いて、英文の歌詞があります。
その最後は

But I still believe it's worth living
です。
まだその気分にはなれません。
武田さんは、そういう私の気分を察してくれているのでしょう。

久しぶりに竹内まりやを繰り返し聴きました。
人生は本当に哀しいですね。
価値があると信じなければ生きていけない人生とは一体何なのでしょうか。

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2008/01/18

■小沢たたきへの違和感とキャスターの定見

新テロ特措法の採決に参加しなかった小沢民主党党首が批判され、またそれに関する記者会見での発言も開き直りだと言われています。
私がもし小沢さんだったら、きっと同じことをするでしょう。
いずれにしろ瑣末な話だと思います。
マスコミは瑣末な話を大きくして先導するのが得意ですが、これもその一例のような気がします。
国会議員の最大の責務は国会議決への参加であり、ましてやこれほど重要な法案の議決に参加しないのは党首として問題だと言われますが、議決に参加しないこともまた意思表示の一つです。
法案に対する意志は既に明示されており、しかも2度も否決しています。
それに衆議院での議決は、ほとんど議論もなく、ともかく数の論理で可決するだけの話ですから、議決の意味は全くありません。数を背景にした暴力の発動でしかありません。
憲法に条文がある以上、正当な手続きではありますが、その精神からいえばいろいろと問題が有ることも否定できません。
法に反しなければいいというのは犯罪者の弁明でしかありません。
無駄な茶番劇に付き合う必要はないと私も思います。

むしろ、なぜこのやり方に反対の議員が採決をボイコットしなかったのか。ボイコットはともかく、なぜもっと再審議や異議申し立てが行われなかったかと言うことこそ、私は気になります。あれだけ異議申し立てしていた野党の人たちは一体何なのか、そういうことにこそ不信感を持ちます。
一番新しい国民の代表議員の反対にも関わらず暴力的に法案が可決される不条理こそ、問題にすべきです。

とまあ、以上の意見は論理的には破綻の多い感情論でしょうが、このところの小沢党首の言動は私の気分にはかなり合います。
念のために言えば、私は小沢さんの政策理念やビジョン、とりわけ国家観には反対です。民主党のマニフェストにも、こと憲法に関しては反対です。
にもかかわらず、他の政治家よりも親近感を感ずるのはなぜでしょうか。

まあ不器用に言動している小沢さんはともかく、気になるのはマスコミの報道姿勢です。
私は最近の古館さんの姿勢に共感を持っていますが、番組の画面構成やゲストの選択は古館さんの姿勢と必ずしも合っていないような気がします。
たとえば、先日、ガソリン税の報道の際に、暫定税率をやめると開かずの踏み切り工事が出来なくなるといわんばかりの解説画面が流れました。
さすがに古館さんはそれとなく皮肉を言っていましたが、古館さんの一言よりも画面編集によるメッセージのインパクトが強いはずです。
そういう意味で、最近の番組の作り方に安直さを感じます。
たぶんプロデューサーやディレクターに定見がないのでしょう。
したがって、大きな主張もないのです。
世間で問題になっていること世間の水準に合わせて面白おかしく、しかも無編集で話題提供しているように思えてなりません。

瑣末な話を取り上げるのもいいでしょうが、大切なのはそこに含意されるメッセージです。
最近の小沢民主党たたきの動きをみていて、日本のマスコミは権力や体制に絡め取られてしまったような気がしてなりません。
だからこそ、嫌われようと批判されようと、古館さんにがんばってほしいです。
降板させられるほどがんばってください。
小沢さんも古館さんも、小賢しさを感じさせないのが、私の好きな理由です。
もっとも古館さんが嫌いな人も多いでしょうね。
彼は「今様」ではありませんから。

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■節子への挽歌138:愛する人ともう会えないなどとは思いたくないのです

辛い話が続くのですが、今日は阪神大震災の話です。
もう13年も前の話ですが、被災者の方たちの時間はまだきっととまっていることでしょう。
昨日のNHKのニュースウォッチ9で、崩壊をまぬがれた酒屋さんが、
被災者たちがお互いに元気づけあう場として酒場を開き、それが今も続いていると話を紹介していました。
そこに、自宅が崩壊し、隣室で寝ていた娘さんを亡くした田中武雄さんが出てきました。
そしてこう言ったのです。

家に電話して娘が迎えに来てくれたらうれしいよ。

この言葉って、本当に真実味があります。
もう13年もたっているのに、心底きっとそう思っているのです。
そしてそれが非合理だとかありえない話だとか、田中さんはきっと思っていないだろうなという気がしました。
その後、田中さんは「会いたいよ」と言って涙を拭きました。
田中さんの気持ちがものすごくよくわかります。
もしかしたら迎えに来てくれると本当に思ってしまうのですよね、田中さん。
そしてともかく会いたいのですよね。
もう会えないなどとは思いたくないのですよね。
田中さん、よくわかります。
そんな思いから早く抜け出ろよ、と言う人もいますが、
余計なお世話だと言いたいですよね。

田中さんはその酒場の常連です。
なぜ常連になったか。
そこで声をあげてみんなの前で泣いたのだそうです。
そして、そこにいた同世代の仲間が、ともかく抱きしめたのだそうです。
悲しみを分かち合えたのです。
そのことで、田中さんは立ち直れたのだと言います。
だれも元気を出せよなどとは言わなかったでしょう。
出るわけもないし、出す必要もないのです。
泣く時は泣けばいい、そんな簡単なことすらわからない人がなんと多いことか。
そのことにこそ傷つけられます。

人を慰められるなどと思ってはいけないなと改めて思いました。
それほど傲慢なことはないのです。
田中さんはとても良い仲間を持っているなと思いました。

ちなみに私も良い友人に恵まれています。
昨日もNさんが電話をくれました。
決して元気を出せよ、などとは言いませんでした。
電話で声を聞けてうれしかったといってくれました。
私もうれしかったです。

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2008/01/17

■もったいない文化の基本にある「いのちへの愛」

昨日の続きです。

岩田さんは木の話もしています。
木は土とつながっていてこそ木だというのです。
この机は木でできていると日本では言いますが、
英語ではその場合の木は、 tree ではなく、wood だというのです。
日本でも「木材」という言葉はありますが、普通は「木材でできた机」とは言いません。

法隆寺の宮大工だった西岡さんは、木材は1000年以上生きつづけていると言いました。
机の木もまた生きつづけている、そういう文化が日本にはありました。
机にも生命が宿っていたわけです。
ですからそう簡単には廃棄できませんでした。

「もったいない」という言葉は、そもそも仏教用語ですが、
「勿体(もったい)」は本来あるべき姿、つまり本来の価値だそうです。
本来の価値が活かされていないことが「もったいない」と言うことになります。
本来の価値とは、そのものの「いのち」です。

土から離れてなお生きている木。
そのいのちを守っているのは、それを活かしている人間です。
人間は、さまざまないのちを輝かす力を与えられた存在ではないかという気がします。
そのことは、同時に、さまざまないのちを奪う力を与えられたことでもあります。
与奪はコインの表裏ですから。

それぞれのもつ「いのち(価値)」を輝かす文化。
それがたぶん「もったいない」という文化の本質のような気がします。

最近、世界的に「もったいない」発想が広がり、「MOTTAINAI」は英語にもなりました。
とてもうれしいことですが、その基本にある「いのち」への愛こそが大切です。
それがなければ、環境問題も平和も、それこそが意味のないものになってしまうような気がします。
昨今の環境や平和への取り組みは、どうも「いのちを奪う」発想があるような気がしてなりません。

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■節子への挽歌137:いいことは忘れてしまい、悔いは、月日がたつほど深くなる

節子 寒い日が続いています。
そちらには寒さ暑さはありますか。
それともそうしたことからは解放されているのですか。

昨日、電車の中で涙が出てしまいました。
「軍縮問題資料」という雑誌(節子も時々読んでいた雑誌です)の『ヒバクシャの「心の傷」は死ぬまで癒えない』という、被爆者の関千枝子さんの文章を読んだからです。
関さんは、あの日、病気で学校を休んだために生き残ったのですが、
ずっと「生き残りは何をなすべきか」を考えつづけてきたそうです。
そして、被爆40年目に、総ての級友の記録をまとめた『広島第二県女二年西組』を出版したのです。
もう20年以上前の話です。
その本のことを中心に「心の傷」の話を書いています。

節子にもぜひ読んでほしい小文ですが、私が涙が出てしまったのは、次の文章でした。

不思議なことに自分のした「いいこと」は忘れてしまうようである。
悔いはいつまでもまといつき、フラッシュバッグしてまた帰ってくる。
それに続けて、親友だった友人に対する悔いが語られていますが、それが極めて生々しく、今の私の心情に深く突き刺さるのです。
関さんはこう書いています。
当事者でない人には、なぜこんなことに私がこだわるのか、分からないかもしれない。しかし、あの無残なありさまで死んだ被爆者に、大事な友でありながら何一つ役に立つことができなかった自分。悔いは深い。そして、この悔いは、月日がたつほど深くなる。薄れることがない。
そこで不覚にも耐えられずに涙をこぼしてしまったのです。

被爆者の心の傷と私の心の傷を一緒にしてしまうのは間違いかもしれません。
しかし、この小論を読んでいて、何やら自分のことのような気がしてしまい、涙が出てしまったのです。
節子は決して無残なありさまで死んでいったわけではありません。
しかし、私には「無残さ」が残ってきています。
自分の家で、家族に看取られて幸せでしたねと言ってくださる人がいますが(昨日も献花に来てくださったTさんがそうお話しされました)、
日がたって私の脳裏で育っているのは、不条理な「無残さ」なのです。
そういってしまうと節子が浮かばれないような気がして、今も躊躇しながら書いているのですが、
関さんが書いているように、いいことは忘れてしまい、悔いは、月日がたつほど深くなるのです。
この辛さは、たぶん当事者でないと分からないでしょう。

私はこれまで、被爆者や薬害肝炎患者や拉致家族のみなさんの「心の傷」を、
全くといっていいほど理解できていなかったことに気づきました。

「心の傷」はやっかいなものです。
昨今の家族内の不幸な事件もまた、そうした心の傷とつながっているのかもしれません。
関さんの文章は涙だけではなく、私にたくさんの気づきも与えてくれました。
そうしたことを話し合えた節子がいないのが無性に寂しいです。
それで今日は、ブログに長々と書いてしまいました。
節子、話を聴いてくれてありがとう。


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2008/01/16

■水から引き上げた魚から魚の真実は見えてくるか

岩田慶治さんの「カミの人類学」に、こんな文章があります。

皿の上に乗った焼魚も魚の一だが、魚の立場からすれば、生き生きと水の中を泳ぐ魚だけが魚で、あとは魚ではない。
鳥も同じで、空飛ぶ鳥こそが鳥の一である。
つまり、生きた魚を考える時には水と切り離せないわけです。
ある魚が存在できるのは水があるからであって、水がなければ魚は自らの生命を持続できません。
さらにいえば、その水は特定の魚にだけつながっているわけではなく、たくさんの魚とつながっています。
こうやって考えを広げていくと、すべての生命はつながっていることになります。
ですから、人は自らの生命を勝手に断ち切ることはできないのです。
もちろん誰かの生命を断ち切ることも許されません。

ちなみに岩田さんがこの本で言っているのは、こういうことではなくて、
「一」という数字の意味を説いているのですが、この文章はさまざまなことを含意しています。
企業文化論にも通じますし、集合的無意識にも通じていきます。

生きた魚は水の中にしかいません。
水から引き上げた魚をいかに詳細に研究しても、魚の真実は見えてこないでしょう。

異常行動と思われる犯罪事件が報道されるたびに、岩田さんのこの文章を思い出します。
異常な行動を起こした当事者に、私たちは関心を向けがちですが、
むしろそうした行動を起こした社会にこそ関心を向けるべきでしょう。
外部から見ると異常に見えても、当事者にとってはきちんと理由があり、
決して異常なのではないのかもしれません。
そして、その社会は、実は自分自身の寄って立っている社会とつながっているのです。
だとしたら、自分が同じような「異常行動」をとらないとは限りません。
その恐ろしさにこそ、怯えるべきかもしれません。

異常事件ばかりを面白おかしく報道するテレビを見ていて、そんなことがとても気になって仕方がありません。
テレビ関係者は、私たちに異常行動をそそのかしているとしか思えません。
最近、私の気力が弱まっているから、そう感ずるのでしょうか。


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■節子への挽歌136:仕事を再開しようと思います

節子そちらでは「仕事」ってあるのですか。
あなたのことだから、何もしないでいることなどできないでしょうから、きっと何かをやっているのでしょうね。
昨日のつづきの「仕事」の話です。

「仕事」って何なのでしょうか。
これは若い頃からの私のテーマの一つでした。
仕事は本来、ワクワクするものであり、苦労し甲斐のあるものでなければいけないと思っていました。
最近ようやく私にもなじめる仕事観(ディーセントワーク論)がでてきましたが、
分業体制での作業は仕事とはいうべきではないというのが私の考えでした。
ですから、会社時代に仕事仲間に「やりたくない仕事ははっきり言ってほしい」と話していましたが、
会社を辞めてからその女性がやってきて、あの言葉は辛かったと告白してくれました。
私には思ってもいないことでしたが、そうやっていろいろな人に私は苦労をかけてきたのでしょうね。
その最大の被害者が節子、あなただったかもしれません。

昨日のNKさんは、連れ合いを亡くした後、仕事に生かされていると書いてきました。
確かに仕事に取り組んでいると寂しさや虚しさを忘れられます。
私も、いろいろな人たちから活動を始めるのがいいとアドバイスされています。
大学教授だったNMさんも、「佐藤さんにとって、今の仕事は志ですから」と仕事の再開を促してきました。
コムケア仲間のAさんは、みんな待ってますよ、と言ってきます。
「あなたはそういう言葉に弱いから」と、節子が笑いながらいっていたことが思い出されますが、「おだて」に乗るのは私の「長所」なのです。

そんなわけで、仕事を再開します。
応援してくださいね。今まで通り。

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2008/01/15

■「バレンボイム氏にパレスチナ市民権」

今日の朝日新聞の夕刊に、「バレンボイム氏にパレスチナ市民権」と言う記事が出ていました。

バレンボイムはイスラエル国籍のユダヤ人で、
アラブ人とイスラエル人の混成オーケストラを結成し、
危険を冒して実現した、感動的なラマラのコンサートが有名です。
その時の選曲が、ヒトラーが愛好したワグナーの作品だったことも話題でした。
私はエジプト在住の中野さんから教えてもらいました。
以前、このブログでも紹介しましたが、その記録のDVDは何回観ても涙が出ます。

そのバレンボイムが、パレスチナ自治政府から名誉の「市民権」が贈られたのです。
バレンボイムは、

「イスラエルとパレスチナの人々の運命はつながっている。
私が市民権を得られるのは、共存が可能だということを示している」
と述べたそうですが、とてもうれしいニュースです。
イラクもアフガンも、パレスチナも、いやなニュースが続いていますが、こうしたニュースもあるのです。

平和は戦いからは生まれません。
時に闘うことは必要でしょうが、武力で平和は得られないでしょう。
テロ特措法の呪縛から抜け出ることが必要だとつくづく思います。
パレスチナ市民権という仕組みも、問題がないわけではないでしょうが、
カントが提唱したように、みんなが世界市民意識を持てば、
国家間の戦争の呪縛から抜け出せるかもしれません。

久しぶりにうれしいニュースに出会えました。
音楽は武力に勝るパワーを持っていますね。

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■節子への挽歌135:やはり元気を与えてくれるには仕事なのでしょうか

節子
M市で市会議員をやっているNKさんからメールが来ました。
彼女も4年前に伴侶を見送りました。
彼女の活躍ぶりは私のところにもいろいろと伝わってくるほどです。
その彼女がこう書いてきました。

私的には、つまらない日々です。
大笑いすることがなくなり、楽屋落ちの冗談を交わす相手がいない空しさはやりようがありません。
そうなのです、日々がつまらなくなり、心から笑うことがなくなり、楽屋落ちの冗談が交わせないのです。
あまり気がついていなかったのですが、まさに私も同じ感じですね。
先日の言いようのない退屈さを思い出しました。
彼女は4年前に伴侶と別れていますから、私はまだまだその「つまらなさ」が高まっていくのでしょうか。
ちょっと気が重いですね。

彼女はこう続けています。

仕事に生かされているなとつくづく思います。
最近の彼女の潔い決断の背景には、「つまらなさ」からの脱出意識もあったのかもしれません。
たぶん本人は意識していないでしょうが。

仕事が彼女にパワーを与えている。
私もそうなっていくのでしょうか。
江藤さんのシナリオでなければ、そうなのでしょうね。

人にとって「仕事」とは何なのか。
こういう視点から考えてみると、仕事の本質が見えてくるような気がします。

節子
私も仕事を再開します。
これまでと同じように、支援してください。

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2008/01/14

■家族同士の死傷事件と家族のあり方

また徳島で4人家族同士の死傷事件が起こりました。
そうした事件が増えているのかどうか調べたことはありませんが、増えているような気がします。
私は数年前から、「大きな福祉」を理念に、さまざまなNPO活動に触れていますが、
それを通して感ずるのは、「家庭」の問題への取り組みが抜けているのではないかということです。

家族や家庭の問題への取り組みは、簡単ではありません。
DVや介護、難病、子育てなどといった課題からの取り組みも、もちろん家庭や家族につながっていますが、
そうした個別課題からのアプローチではなく、
むしろ家庭や家族問題を正面から見据えた取り組みが必要になってきているように思います。
「大きな福祉」の考えは、個別課題から発想するのではなく、
生活の基盤から発想しようということなのですが、
家族のあり方を根底から考え直すべき時期にきています。

日本の高度成長は、核家族化に支えられてきたように思います。
さらに加えて、女性の社会進出、あるいは生半可の男女共同参画思想がそれを応援してきました。
女性は社会に参画したのではなく、産業化や市場化に取り込まれただけではないかというのが私の考えです。
女性たちの多くが、男性と同じように、魂をお金や産業に売ったような気がしています。
それを主導したのもまた女性でした。
いつの時代も、裏切りは仲間から始まるのです。
この発想は30年前からの考えなのですが、賛同者はいませんでした。
しかし、最近ますますその感を強めています。
まあ、これは暴論でしょうから、みなさんのひんしゅくも買いそうです。

日本国憲法のもとでの民法の改定によって、明治時代以来の家制度は廃止され、
夫婦と子という個人関係が標準的な家族モデルとなりました。
そして、妻が家事や育児、さらには介護を分担し、
夫は後顧の憂いなく勤労者として全力を産業に投入するという、
まさに経済支援型の家族モデルができたのです。
夫を「主人」とする家父長意識や男女差別感が残存していたために、
基本的な問題は解決されないままでしたが、経済的には見事な成果を上げたというべきでしょう。

しかし、新たな問題も発生しました。
高度経済成長の中で、金銭経済志向が社会を覆うと共に、
産業界の労働力需要と人件費削減の要請が、主婦層の取り込みを過剰化してしまったのです。
そして、格差の拡大や非正規社員の増加が進み、経済を支える社会そのものの劣化が進んだのです。

家族同士の殺傷事件、自殺やメンタルヘルスの増大などは、そうしたことと無縁とは思えません。
いまようやく、地域社会や近隣関係への関心が高まり出していますが、
基本は家庭や家族のあり方なのではないかと思います。
家族とは一体何なのか、最近、妻を失って、改めて家族の意味をかみ締めています。

大切であるからこそ、きっと死傷事件が起こるのでしょうが、
なぜそういう不幸なことになるのか、自分の問題としてみんなが考えなければいけない問題です。
その問題から無縁な人はいないはずです。
少子化問題も介護問題も、教育改革も環境問題も、
すべてが家族や家庭からはじまっているような気がします。

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■節子への挽歌134:節子 新テロ特措法が成立してしまいました

節子
今日は反省です。

テレビの報道特集番組で、新テロ特措法の話がよく取り上げられています。
腹立たしさを超えて、虚しさというか哀しさがこみ上げてきますが、昨夜ベッドに入ってから、7年前にテロ特措法反対のデモに節子と一緒に参加したのを思い出しました。
節子は初めてのデモでしたが、その後も、ピースウォークに一緒に参加しましたね。
節子は政治への関心は高かったですね。
私の影響だと思いますが、私よりも過激なところもありました。
きっと女性の勘なのでしょうね。

テロ特措法が成立したのは2001年でした。
私たちが参加したデモは市民団体主催でしたが、労働組合関係者が多くて、いささかうんざりしたのを覚えています。
その後、娘に誘われて2人で参加したピースウォークは明るくてホッとしました。
今でも我が家の玄関には、その時のバッジが置かれています。

ピースウォークで一緒に歩いた千葉大学の小林正弥さんは著書「非戦の哲学」で、「2001年のテロ特措法によって、日本政府はルビコンを渡り出した」と書いています。
全く同感です。
以来、小泉さんによって日本の国政は踏みにじられ、軍事国家への道を一直線です。
ささやかではありますが、そうした動きに抗議の声をあげたことは自己満足でしかないとしても心が少しやすまります。
あなたはどうだったでしょうか。

もしかしたら新テロ特措法は廃案になると期待していたのに、成立してしまいました。
節子はきっと怒っているでしょうね、
まあ、自民党も民主党も好戦的な人たちが多いですから、いずれにしろ9条憲法は危機にさらされ続けるでしょうが、ルビコンを渡った後の歴史を反転させることはできるのでしょうか。
小林さんたちは、がんばっています。
私はその活動から完全に脱落してしまいましたが、節子がいないいま、もうどうでもいいかという気になっていました。
正直に言えば、あなたがいなくなった直後、隕石が衝突して地球が破壊されてしまったらいいのにとさえ思ったことがあります。
それほど節子のいない世界は、私には哀しい世界で、いっそすべてなくなったら節子も浮かばれるだろうなと不条理でおぞましい考えさえ抱いたことがあります。
罪深い話です。

戦争に向けて日本はまた一歩進んでしまいましたが、諦めてはいけない。
諦めることは戦争に荷担することになるでしょう。
節子と一緒にデモに参加したことを思い出して、自分の退嬰的な考えを反省しました。
平和に向けてやれることはたくさんある
昔書いた私のホームページの記事を読み直しました。
節子のおかげで、また活動に取り組むことができそうです。
ありがとう。

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2008/01/13

■節子への挽歌133:なぜこんなに退屈なのでしょうか

節子 きれいな花を楽しんでいますか。

今日は愚痴をこぼします。
今日1日、全くやることがなくて、時間を持て余しました。
おそらくこれほどの退屈さは、生まれて初めてです。
節子がいる時には、何もやることがなくても、あなたの隣にいるだけで退屈はしませんでした。
いえ、あなたが傍にいなくても、空を見ているだけでも、蟻を見ているだけでも、池の水面を見ているだけでも、私は退屈などしない人間でした。

もっとも、これまではそんな時間などあるはずもなく、なぜかいろいろやることがありました。
若い頃から、いつも「やるべき課題」を紙にリストしていましたが、それが10以下になることはありませんでした。
そのなかには、ほとんど家事は入っていませんでしたし、ビジネスもあまり含まれていませんでした。
あなたは食事の時間も惜しむほどやることがあるのね、と節子がいつも皮肉っていたのを思い出します。
一体何をやっていたのでしょうか。
そして、節子がいなくなったら、そうしたものがなぜ無くなってしまったのでしょうか。
不思議です。全く理解できません。

それに、あなたがいなくなってから、何をやっても退屈なのです。
本を読んでも、テレビを観ても、音楽を聴いても、ともかく満たされないのです。
30分ほどはいいのですが、持続できないのです。
どうして節子は横にいないのだろうか、こんなことをしていて何の意味があるのだろうか、と思ってしまうわけです。

「節子との交流」が、私の生活の大きな部分だったのでしょうか。
たしかに、よく夫婦喧嘩もしましたし、政治や社会問題に関する論争もしました。
でもそれだってそんなに長い時間だったわけではありません。

私が退屈することなどあるはずがないと思っていました。
やりたいことは山ほどあるし、やらなければいけないことも山ほどある。
でも、いざやろうと思うと、途端にやる気が出ずに、先延ばしし、結局、やることがなくて、退屈になるのです。
今日は、退屈である事の辛さを生まれて初めて体験しました、
そんなわけで、1日、あなたの部屋のこたつでぼーっとしていました。
それに来客も一人もないのです。
寂しい1日でした。
節子がいかに私に幸せを与えてくれていたのか、よくわかります。

みなさん、伴侶はいるだけでいいのです。わがままを言ってはいけません。
喧嘩する相手がいなくなると、それはもう寂しいですよ。
娘と喧嘩しても、その寂しさは決して埋まりません。

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■「なぜ時代は人の懸命な苦労に報いることができぬのか」

最近、届いた富士ゼロックスの社外誌「グラフィケーション」に、
結城登美雄さんが「列島を歩く」という地域ルポを連載しています。
結城さんは東北各地をフィールドワークしている民俗研究家です。
結城さんの書いたものには、いつも人間が感じられます。
私も、ローカルジャンクション21というNPOでご一緒していましたが、とても魅力的な方です。その魅力が、文章にいつも出てきます。

今回は、新潟県の山北町の話です。
何気なく読んでいたのですが、とても気になることが出てきました。
昭和15年に、その山北町を民俗学者宮本常一が訪問した時の話です。
初めて訪問したそこで宮本が最初に出会ったのは、炭を負った若者でした。
その記録が宮本の著書に残っています。結城さんは、それを紹介してくれています。

「若い男は親切で何くれと話してくれる。
昔の人と今の人とどちらが働きが激しかろうかと聞くと『そりゃア今だ』という。
何もかも不便なように仕向けられて、その上仕事は倍加だ。
炭焼きにしても4、5年前の倍近くは焼いていようが、一体それでは足りぬというのはどうしたことだと若い男はいう」。
働いても働いてもよくならぬ暮らし。
昔より今のほうが仕事に余裕がないと宮本に訴える若者。
なぜ時代は人の懸命な苦労に報いることができぬのか、と問う若者に宮本は答えることができない。
その後姿を見送りながら、宮本は次のように書いている。
「われわれに背負わされた苦難はわれわれ自身が排除するよりほか途はないのである」。
当時、日本は紀元2600年で沸いていました。私が生まれる一年前です。
しかし、なにやら現在につながっているような気がします。
違うのは、この若い人がまだ16歳だということです。
いまの16歳とは全く違う若者が、そこにいます。

その若い男がなぜ16歳だとわかったかといえば、それこそが感動的な話なのです。
結城さんが山北町の山村で若い人たちと話し合っていた時に、一人の青年からこうたずねられたのだそうです。
「4年前に亡くなった俺のじいさんが『昔、宮本常一とこの村で会って話をしたことがある』と言っていたけど、本当だろうか」。
それが契機になって、結城さんは、そのことが記録されている文献を見つけ出したのです。
当時、山北町で炭焼きをしていたのは一人だけだったのです。

山北町は今も自然とともにある暮らしや生業をまもっているようです、
だからこそ、こうした感動的な出会いがあったのでしょう。

しかし、私が話題にしたいのはそういうことではありません。
「なぜ時代は人の懸命な苦労に報いることができぬのか」
そして、
「昔より今のほうが仕事に余裕がない」のはなぜなのか。
当時は「戦時中」でした。そのせいかもしれません。
では今の時代はどうでしょうか。
仕事はますます余裕がなくなり、「懸命な苦労」も報われないために、「懸命な苦労」をする人が少なくなった。
そんな気がします。

ちなみに、結城さんの連載が載っている「グラフィケーション」は無料で購読できます。
ネットから申し込めますので、ご関心のある方は申し込まれるといいです。
私が愛読している数少ない雑誌の一つです。

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2008/01/12

■行き場のない投機資金はポトラッチしたらどうでしょう

サブプライム問題に端を発して、世界の投機資金が原油に向かい、原油価格が上昇し、それが今、私たちの生活を直撃しています。
投機資金が生活者の実体経済に影響を与えることは避けられないものかと思うのですが、まあ、両者は当然のことながらつながっていますから、仕方ない話なのでしょう。
それに最近の生活者は汗して働くのではなく、お金に稼がせることも始めているようですから、他人事で考えることはできなくなってきています。
身から出たさびなのです。
しかし、そうは言っても、投機資金を動かしているのは大金持ちたちが中心なのではないかと思います。
お金持ちたちの強欲さが、貧しい者たちの暮らしを苦しくしているのです。

そこで、ちょっと思いついたのがポトラッチです。
ポトラッチとは、北太平洋沿岸の北米インディアンにみられる贈答の儀式で、地位や財力を誇示するために、ある者が気前のよさを最大限に発揮して高価な贈り物をすると、贈られた者はさらにそれを上回る贈り物で返礼し互いに応酬を繰り返すのだそうです。
それがエスカレートして、挙句の果ては、みずからの全財産をみんなの前で燃やして蕩尽してしまうこともあったそうです。

この行為は、組織や社会、あるいは人間関係を維持していくためのさまざまな知恵を含意していますが、まぁ平たくいえば、誰かに何かもらうと借りができてしまい、上下関係が生まれるということを活用した、コミュニケーション行為なのです。
しかし、それは同時に、等価交換という静態的な経済活動とは違い、アンバランスを生み出すことでダイナミズムを生む社会の活性化の知恵でもありますし、また経済的な損失が総合的な利益を生むという平和の知恵でもあるのです。

現在、行き場を失っている巨額の投機資金を、貧しい人たちのためにポトラッチするとどうなるでしょうか。
いかに巨額とはいえ、地球上の貧しい人たちの数は膨大ですから、一人当たりにすればわずかでしょうし、配布の仕方が難しそうです。
それにそうした「配分」には必ず誰かが中間で利益を得るために、現場に到達する段階では半分以上がなくなっているでしょうし、新たな不正の温床にもなりかねません。

そこで提案なのですが、過剰な投機資金を集めて燃やしたらどうでしょうか。
お金持ちは損をするでしょうが、まあ、投機にまわすくらいのお金ですから、なくても困らないでしょう。
それになくなれば、投機で損をするとか得をするとかいう悩みから解放され、平穏な生活が訪れてくるかもしれません。
要するに過剰な資金は燃やすのが一番です。
燃やした場合の弊害は、若干の二酸化炭素が出るくらいでしょうか。
過剰流動性が解消されれば、経済は少しは落ち着くでしょう。

過剰流動性の原因の一つは、「原油価格高騰による原油売上げ収入の増加」から出てくる資金です。
そして、過剰流動性の結果の一つが、投機対象としての原油価格の高騰です。
どう考えても、これはおかしな話です。
しかし、こうした自己再帰的因果循環が、実体から独立してしまった昨今の金融経済の本質なのです。
以前も書いたように、こうした砂上の楼閣からはそろそろ転居したいものです。
そのためにも、お金から解放された生活を目指したいと思っています。

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■節子への挽歌132:「納得できる花がやっと見つかりました」

節子 また花が届き出し、あなたを囲い出しました。
節子は本当に花が好きなのですね。

岡山の友澤さんからの花にはこんな手紙が添えられていました。

寂しさに 空を仰げば 白梅の かたきつぼみに 浮かぶ湯河原

晩秋にお訪ねしました折は 旅先のこととて思うような花を見つけられず、心に秘めし花にてお参りさせていただきました。
節子様との、「あっ」と旅先で声をあげて喜んだ花があるのですが、季節的になかったのかもと、以来、花屋の店先に立つたび探しますが、私のイメージを組み合わせ、やっとお花をお送りできます。
節子様が愛されたお庭の片隅に植えていただければ幸いです。

同室の湖畔の宿に声上げし 花のイメージ 結び参らす

思いのこもった花ですね。
とてもさわやかで清楚な花です。
大事にしないといけませんね。
電話は苦手なので、手紙を書きますが、あなたと違って、手書きが不得手なので、パソコンで書いてしまいました。あなたならば、パソコンじゃ、心が伝わらないでしょうというでしょうが、心を込めて書いたので許してください。

しかし、「納得できる花」を探し続けてくれた友澤さんの気持ちには感激しました。
見習わなければいけません。
節子との別れ以来、ほんとうにたくさんのことに気づかされています。
あなたの友人たちに感謝しています。
これまでの私の生き方では気づかなかったことがたくさんあります。

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2008/01/11

■「松下電器」から「パナソニック」へ

松下電器産業が、社名を「パナソニック」に変えることになりました。
ブランド政策からいえば、むしろ遅すぎる決定かもしれません。
ビジネス戦略としては、成功することは間違いないでしょう。
でもそのニュースを知った時に、なぜか一抹の寂しさを感じました。

大坪社長は、記者会見でこう話されたそうです。
「世界の市場で事業展開するうえで、松下電器の名はローカルな印象がある」
たぶんそうなのでしょう。
でもなぜかその言葉に一抹の寂しさを感じます。

なぜ寂しいのか。
会社名がどんどん外来語になっていくことに何となく不安を感じます。
企業のアイデンティティや文化がますます見えなくなっていくことを懸念します。
もっとも私自身の個人企業も「コンセプトワークショップ」などというわけのわからない外来語を使っていますので、勝手な意見ではあるのですが。

社長の発言には「ローカル」に対するマイナスイメージを感じますが、これも残念です。
ローカルの誇りをもっと私たちは持つべきではないか、それこそが均質化が進んでいる世界の豊かさを担保するのではないかと考えている私としては、ちょっと残念な発言です。
「ローカル」の価値は、そこに立つものにしか実感できないのかもしれませんが、失われるべきものではないと思います。

しかし時代の流れには、松下にしても抗しきれないということなのでしょう。
論理的に考えれば、その方針には意を唱えるつもりは全くありませんが、ただ何となく寂しさがあります。
どうしてでしょうか。

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■節子への挽歌131:幻の大寺 西大寺

節子 今日は佐保路の話です。
JR東海のテレビCMの「いまふたたびの奈良」で、「幻の大寺」西大寺が取り上げられています。
西大寺は、私たちにとっても「幻の寺」です。

私たちの愛は、東大寺から始まりましたが、西大寺には辿り着けませんでした。
節子がもう少し元気になったらゆっくり奈良を回ろうと話していましたが、実現できず、結局、西大寺は幻に終わったのです。

私たちは滋賀で結婚し、大津に1年半いました。
休日のたびに京都や奈良に行きました。
あなたは京都派、私は奈良派でしたが、どちらにもたくさんの思い出が詰まっています。
私たちだけに通じる言葉もいくつかあります。
たとえば、飛鳥大仏といえば、私たちにはすぐ伝わる思い出があります。
みんなには内緒ですが。

私は当時、佐保路が大好きでした。
法華寺の十一面観音にほれ込んでいたのです。
その観音が、節子を招き寄せたような気がしています。
小浜から奈良に通ずる「かんのん道」の、ど真ん中に位置する観音の里「高月町」で育った節子に出会えたのですから。
今は舗装され歩きやすくなっているでしょうが、当時の佐保路はまだぬかることもあり、雨の日は大変でした。
佐保路の先に西大寺がありました。
しかし、私たちは西大寺に辿り着いたことはありませんでした。
たしか一番歩いた時でも秋篠寺が最後だったような気がします。

東京に転居してから、京都や飛鳥には行きましたし、奈良にも行きましたが、佐保路を歩くことはありませんでした。
ですから私たちは西大寺にはついに辿り着かなかったわけです。
ですから、テレビの「幻の大寺」というナレーションが、心に突き刺さってくるのです。
私たちにとっても、幻の寺なのです。それも永遠に。

もう一度、2人で佐保路を歩きたかったです。
私一人では、もう歩くことはないでしょう。
法華寺の観音にももう会うことはないでしょう。
あまりに思い出がありすぎます。
思い出すだけでも辛くなります。

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2008/01/10

■競技としての政治、価値としての政治

■競技としての政治、価値としての政治 (2008年1月10日)
新テロ対策特別措置法案が明日にでも成立することになりました。
結局、憲法59条の2/3条項で、多数党の政府の意思が貫かれることになります。
パワーポリティクスの象徴的な行為です。
参議院での議論は全く意味を持たなかったということになります。
せめて参議院での議論を踏まえて、再審議するのが、最低の義務だと思うのですが、参議院での議論が始まる前から、否決しても2/3条項で成立させると独裁的発言をしていた政府を抑えることはできなかったわけです。
民意と政治をつなぐマスコミは機能していなかったことになります。
「議論する政治」の死を感じます。
いろいろと議論されたことの意味は何だったのか、むなしさが残ります。
競技としての政治への関心は高まっても、価値としての政治への関心はこれでまた低下するのではないかと危惧します。

自民党も民主党も、選挙に勝つか負けるかで、すべてを考えているのではないかとさえ思えるのが昨今の政治です。
それを支えているのが、私たち国民です。
いまや政治は競技になってしまいました。

報道ステーションの古館さんの発言には、いつも共感を持ちますが、しかしその無力さにおいては、私のこのブログとたいした違いがないようにも思います。
たしかに影響力においては、比べようの無いほどの差があり、政治への影響力もあるでしょうが、今のところ古館さんが手応えを感ずるような結果は出てきていないような気がします。
次々と起こる事件や問題に対して、無機質な報道とは違った人間の視点からの評価はしていますが、それが大きな世論を起こすところには届いていません。
薬害肝炎事件はマスコミの後押しが効果を発揮したかもしれませんが、拉致問題も年金問題もイラクやアフガン問題も、独法改革もテロ問題も、うやむやのまま既定の方向に進んでいるように思います。
古館さんの情念があれば、この閉塞状況を打開できると思うのですが、その仕組みを創った途端に、報道の中立性とか何とかという批判が起こって、番組自体が影響を受けるのでしょうね。
報道に中立性などあろうはずがないのですが、すべてが虚構の論理の上に立っている情報社会は、気がつけば恐るべき管理社会なのかもしれません。

新テロ対策特別措置法案成立の報道にはとてもやりきれない気がします。
予想されていたことではありますが、どこかで新しい風が吹くことを期待していました。
期待するだけではだめなことはよくわかっているのですが。

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■節子への挽歌130:寝室があったかくて、明るいのは節子のせいですか

節子
相変わらず明け方に目が覚めてしまいます。
今までよりも就寝時間が早くなったからかもしれませんが、いつも5時頃から6時頃までは目が冴えてしまうのです。
そこで最近気づいたことがあります。

今年の冬は寒いのか暖かなのかわかりませんが、私の実感では寝室が例年よりあったかいのです。
節子がいなくなって、これまでよりは寒いはずなのですが、空気がとてもあたたかい気がします。
もしかしたら寝室に節子が充満しているのかもしれませんね。
節子、そうなのですか。
一人寝の寒さを感じないのです。とても不思議なのですが。

それに、昨夜気づいたのですが、日の出前なのに何となく部屋が明るい気がします。
いままでもそうだったのでしょうか。
LED発光の時計があるので、寝室はいつも真っ暗ではないのですが、今までもこんなに明るかったでしょうか。

枕もとに節子の写真がありますが、その暗闇の中で見ると美人に見えます。
あなたがちょうどいい明るさと空気のあたたかさをつくっているのかなと昨夜気がつきました。

節子がいなくなってからもう130日目なのですが(この挽歌のナンバーがその日数です)、まだあなたがいないことが実感できずにいます。
あなたはわが家のいたるところにまだいるような気がしてなりません。
未練がましいとか願望とかではなくて、そう実感するのです。

節子 ありがとう。
この冬は、風邪をひかずにすみそうです。
寒い冬になると思いこんでいましたが、決してそうはならないようです。

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2008/01/09

■対立の時代の様相

党首討論を見ていました。
内容は物足りませんでしたが、初めて最後まで見ていられました。
日本の国政は、大連立か対立かで大議論がありました。
大連立の話を聞いた時に、とても意外でしたが、同時にとても納得できました。
しかし世論は、連立ではなく、対立を求めました。
そういえば、北朝鮮の拉致問題でも多くの人は対話ではなく圧力、つまり対立を求めているように思います。
政治の世界では、いまは「対立の時代」なのでしょうか。

ナチスドイツの法学理論を支えた一人が、カール・シュミットでした。
彼は「友敵理論」で有名なパワーポリティックス論者です。
政治の本質は「敵と味方の識別」だとし、味方の政策をともかく通すことを重視しました。
政治とは、異質の人たちが協力して合意形成していくことという考えもありますから、パワーポリティックスだけが政治ではありません。
しかし、昨今の日本の国民、つまり私たちは、どうも敵味方になっての対立思考が好きになっているようです。
これも何だか危険なシグナルのような気がします。

このブログに対しても、「佐藤さんは二元論や敵味方に分けて議論するのが好きですね」と批判されたことがあります。
私自身は二元論も敵味方論も克服すべきことだとずっと思っていますので、そういう批判を受けたときにはショックでしたが、読者がそう受け止めるのであれば、きっとそうなのでしょう。
その指摘以来、少しは意識しているのですが、自分ではなかなか見えてこないものです。

対立からは何も生まれない、という体験から、私は「共創」という姿勢を基本において、これまで活動してきました。
共創においては、敵味方や対立は決して否定すべきものではありませんが、克服すべきものです。
生き方においても、それを15年以上続けてきていますが、思わぬ誤解から嫌われたこともあれば、忌避されたこともあります。
しかし、それはまあ仕方がないことだと、自分では納得しています。

刺客が登場したり、ねじれ現象を活かさずに相変わらず力任せに法案を成立させたりことしか考えないような数の論理を優先させたりする政治は、まさに敵味方の戦争モデル政治です。
敵味方の争いになったので、政治が面白くなってきたと言う人もいるでしょうが、政治の目的は、戦いではなく、「みんなの幸福の実現」です。
しかし、どうもそう思っていない人が多いように思います。

ちなみに、司法も経済も、その目的は「みんなの幸福の実現」だと思うのですが、なぜかそうはなっていないような気がします。
まさに今は「対立の時代」なのかもしれません。

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■節子への挽歌129:行動が節子に似てきました

節子
夫が彼岸で節子さんに会っているかもしれないと、あなたも知っているSSさんがメールで書いてきました。
あなたの同級生だったAさんのパートナーも少し前にそちらに逝ったそうです。
でも、あなたは面識がないから見分けられないかもしれませんね。
私が逝ったら、きちんと出迎えに来てくださいね。

ところで、最近、気がついたことがあります。
私の生活行動の一部が、節子にかなり似てきたのです。
あまり具体的に書くのは、あなたのプライバシーに関わるのでやめますが、
時々、あれ、これって節子がやっていたのと同じではないかと思うことがあるのです。

夫婦は似てくるといわれますが、似ないこともありますね。
朝、私は冷たい水で顔を洗いますが、あなたは温水でないとだめでした。
廊下やトイレの埃が嫌いでしたが、私は気になりませんでした。
飲み物は一気に飲めずに、少しずつ飲んでいました。私は一気飲みでした。
包装紙は無駄にせずに残していましたが、私はそもそも開ける段階で破っていました。
テレビを観ていても、何もしないともったいないと、いつも「ながら族」でした。
テレビよりもラジオが好きで、よく聴いていました。
騒がしいタレントや服を脱いだタレントが嫌いで、出てくると嫌がりました。
たとえばこんなことが私とあなたの違いでした。ほんの一部ですが。

ところが最近の私は、なぜかあなたと同じになっているのです。
まぁ、いずれもたいしたことではないのですが、最近の私はどうも節子に引っ張られている気がします。
私の中にいる節子が、そうしているのでしょうか。
そういえば、最近、物忘れも多くなったし、なんだか頭も悪くなったような気がします。
いやはや困ったものです。
性格が悪くなってきたのも、私の中に節子が入ってきたからかもしれませんね。
いや、良くなってきたのでしょうか。
明らかに少し変わってきたような気がします。

良いこともあります。
家事を少しするようになりました。
節子と同じように、うまく手を抜くことも含めてです。はい。
だんだん「節子化」しているのが心配です。

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2008/01/08

■福岡の3児死亡飲酒運転事件の判決への疑問

会社時代に新たに異動した部署の上司から言われた言葉で、今でも覚えていることがあります。
「法学部出身者は、限られた前提要素に基づいて、論理的に考えて結論を出すが、前提となる要素の是非や前提要素以外の事情を考えない傾向がある」。
その人は経済学部出身でしたが、部下の多くは法学部出身でした。
私も法学部出身でしたので、予め注意してくれたのだろうと思いました。
奇妙に心に残ったのは、私が思っていたことと重なっていたからです。
もっとも私自身は、法学部に限らず経済学部のスキームもそうではないかと思っていましたが。いや、近代科学の発想はすべてそうだと思います。
それがよいこともありますが、その限界はしっかりと認識しておくことが大切です。

今日、福岡の3児死亡飲酒運転事件の地裁判決がでました。
注目されていた危険運転致死傷罪の成立はやはり認められませんでした。
法論理的には妥当なのかもしれませんが、法の精神(リーガルマインド)には沿っていないような気がします。
40年前の上司の言葉を思い出しました。
もしこの事件が、裁判員制度の対象になっていたらどうでしょうか。
そんなことも考えました。

この裁判では、「アルコールの影響により正常な運転が困難な状態」だったかどうかが争点だったわけですが、「正常な運転」「困難な状態」などというのは論理的な言葉ではありません。
判決では、「スナックから事故現場まで蛇行運転や居眠り運転をせず、衝突事故も起こさなかった」「事故直前、被害者の車を発見して急ブレーキをかけ、ハンドルを切った」ことなどを重視して、困難な状態ではなかったということになったそうですが、馬鹿げた議論だと思います。
もしそれが法論理的に妥当なのであれば、馬も鹿にできるでしょう。
と考えてしまうのは、やはり法律を知らない者の暴論なのかもしれません。
しかし、どう考えても、この論理展開にはリーガルマインドも価値理念も感じられません。
出来の悪い電算機の出す論理展開のような気がしてなりません。
誠実に論理展開をしたのでしょうが、前提として入れ込む要素に問題があるような気がします。
やはり暴論でしょうかね。
私はとても裁判員にはなれそうもありません。

罰の重さはともかく、こういう事件にすら危険運転致死傷罪が適用できないことが不思議です。
何のための立法だったのでしょうか。
何のための裁判なのでしょうか。

念のために言えば、重罰を科すべきだと言っているのではありません。
裁判や法律の意味や信頼性のことを言っているのです。

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■節子への挽歌128:60代は別れの始まりの世代ね

夢に節子が出てきました。
はっきりと出てきたのは、初めてです。
笑顔で「60代は別れの始まりの世代ね」と言ったのです。
目が覚めても、なぜかその言葉がはっきりと残っています。節子の笑顔もです。
その言葉がいったい何を意味するのか、
考え出したら頭が冴えてきてしまい、ねむれなくなってしまいました。

私たちの別れは決して特殊ではないので、元気を出しなさいということでしょうか。
実はこの1週間、私たちの共通の知人も含めて、何人かの訃報が入ってきました。
そのためちょっと元気をなくしてしまっている私に対する激励の言葉なのでしょうか。

人生はどこかで死に向かい出す意識が出てきます。
友人が、残された時間を意識するようになったので生き方を見直したいと言ってきましたが、
その気持ちは良くわかります。
私が広がり基調の意識から収束意識に変わり出したのは60代を超えてからですが、
それでもいつまでも続く人生という発想がどこかにあって、
時間を効果的に使わなければなどと考えがちでした。
しかし、節子との別れは、見事に私の価値観を変えました。
残り時間の問題ではなく、方向性の問題だと気づかされました。

このブログを読んで、よくコメントを下さるNさんは、さまざまな活動をされていますが、こう書いています。

一つひとつ作り出すというよりは、
一つひとつ、終わらせていくという感じでしょうか。
Nさんの誠実で真摯な生き方が伝わってきます。
これは、私に欠けていることかもしれません。

これまでの暮らしを一つずつ終わらせていく生き方。
それは、これまでの自分との別れかもしれません。
「別れの始まり」とは、そういうことでしょうか。

父を送った時に、別れは出会いでもあるのだと思ったことがあります。
節子を送ってから、私の知らないたくさんの節子に出会いました。
節子とつながっている人たちとも出会いました。
「別れは出会い」。

60歳は還暦です。
暦が新しくなる、つまりは新しい人生の始まりです。
節子が健在であっても、私たちもまた古い私たちと別れて、新しい生き方に移ったでしょう。
「別れは始まり」なのかもしれません。
節子と一緒に、その新しい人生を生きたかったですが、
なぜか私たちは彼岸と此岸に分かれてしまいました。
それもまた、新しい出会いなのだと節子は言っているのでしょうか。
「別れの始まりが、ちょっと急激に起こっただけよ」と節子は言っているのかもしれません。
節子が言いそうなことです。

会えなくても、別れていても、私の心身には節子が充満しています。
その節子と一緒に創りだす、新しい私たちに出会えるのかもしれません。
この夢の続きを見たいものです。

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2008/01/07

■「資源を過剰に使用」した結果としてのスタグフレーション

1970年代に世界を襲ったスタグフレーションの再来が危惧されています。
いや、もうすでに始まっているというべきでしょうか。
「スタグフレーション」とは、景気停滞(スタグネーション)と物価上昇(インフレージョン)の合成語で、
要するに「不況なのにインフレ」という状況です。

私がこの言葉に出会った1970年代のはじめ、企業で経営戦略スタッフとして仕事をしていた時です。
第1次オイルショックで、日本の社会が混乱していた頃です。
トイレットペーパーが入手しにくくなり、公衆トイレからトイレットペーパーが盗まれるという時代でした。
経営戦略につながる仕事をしていた私には重要なテーマでした。
そのため、石油や景気の行方に関するセミナーやフォーラムによく参加しましたが、
暖房が止められた寒い中で2日間もセミナーを受講した記憶があります。
みんな熱いコーヒーを飲みながら寒さをしのいでいたことを懐かしく思い出します。

その時に聞かされたのが、「スタグフレーション」という言葉でした。
うろ覚えですが、当時、聞かされたのは、
不況は一般に需要不足によって起こるが、
スタグフレーションは供給ネックが契機になるということでした。
1970年代初めのオイルショックが引き金だったのです。
うろ覚えだったので、ウィキペディで調べてみたら、こう書いてありました。

経済のダイナミズムから見れば、スタグフレーションは、経済上の資源を過剰に使用して経済成長した場合に、バランスをとるために発生する。
とても納得できました。
「経済上の資源を過剰に使用」。
まさに現在の私たちの経済ではないかと思いました。

いま、国会ではガソリン税の暫定税率を継続するかどうかが問題になっています。
税負担の公平性およびその使途という点から、私は躊躇なく廃止すべきだと思いますが、
ガソリンが高くなったので自動車の利用を控えているという知人の話を聞くともっと税率を高めてもいいなとも思ってしまいます。
まぁ、これは問題が全く違うのですが、
「資源を過剰に使用」する経済のあり方は変えなければいけません。
それこそ今流行の「持続可能な経済」にも反します。

「資源を過剰に使用」した経済を支えているのは、私たちの生き方です。
そして、私たちの生き方もまた、「資源を過剰に使用」しています。

スタグフレーションはまた、格差社会にもつながっています。
インフレは、資源を過剰に使用する人たちにも、資源を過少にしか入手できない人たちにも同じように影響を与えます。
しかもその影響度は後者が圧倒的に強いのです。
一方、不況は格差を拡大する作用がありますから、後者の資源入手の困難度は高まります。
さらに、格差は資源の過剰消費に深くつながっているように思います。
スタグフレーションと格差社会、そして持続可能経済の欺瞞性が、すべてつながっているような気がしてなりません。

いずれにしろ、「資源を過剰に使用」する生き方は改めたいものです。
我が家のささやかな誇りの一つは、家族みんなが資源消費への節約意識が強いことです。

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■節子への挽歌127:花より団子の続き

「花より団子」に関して書いたところ、追記したように、私のことではないかと涙の電話がありました。
その記事を読んで、そんな風に受け止められていたのかと涙が出てきてしまったのだそうです。
反省しました。
私もこのブログで善意の人たちを傷つけていたわけです。
伴侶がなくなったので特別だと思っている自分がいることに気づきました。
そんな気は全く無く、むしろ「当事者」の気持ちの複雑さを伝えたかったのですが、
心当たりのある人は不快になるでしょうね。
心から反省しました。
申し訳ありません。

その電話の主は、私たちの古い友人のKさんなのですが、
彼女にとっては、実は「花より団子」は特別の意味を持っていた言葉だったのです。
節子と一緒に花を見に旅行した時に、どうも節子が言った言葉のようで、
そこにはいろいろな思い出が込められていたのです。
いろいろと話を聞かせてもらいました。
Kさんには悪いことをしましたが、私の忘れていた節子を思い出させてくれました。

ところで、そのついでに、Kさんは私に、
昔、修さんに言われた言葉をもう一つ思い出したと言うのです。
会社の運動会の競技で一生懸命に走ってきたKさんに、
何で笑いながら走っていたのと言ったのだそうです。
一生懸命にがんばっている顔を笑い顔と見間違えてしまったわけです。

私は不躾な発言をよくします。
思ったことを何も考えずに口にしてしまうのです。
悪気はありませんが、それこそが一番始末におえないのです。
節子はそれをいつも気にしていました。
あなたは、いつも軽い気持ちで発言して、みんなを傷つけている、もっと気をつけないとだめよと言うのです。
節子自身が、それに慣れるまでだいぶかかったのでしょう。
誰かと一緒に会った後、よく、節子に注意されたことをKさんからの電話で思い出しました。
気をつけなければいけません。
でも、そういうことをちゃんと言ってくれるのは伴侶しかいません。

ところで、「花より団子」ですが、当事者以外、つまり今回の場合は、
伴侶を失った私以外の人にとっては、死者も遺族も同じなのではないかと気づきました。
そして、そう思ってもらえることこそが、当事者にとっては一番うれしいことではないかとも気づきました。
Kさんからの電話で、いろいろと考えての結論です。
理屈っぽいと思わないでください。
それに、あの時書いたように、「花よりこころ」であれば、花と団子の違いなど、瑣末な話なのです。
身勝手な解釈を反省しました。
自分の小賢しさがいやになります。

不快にさせてしまった方に深くお詫びいたします。

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2008/01/06

■環境問題は農業問題

環境問題が毎日のようにテレビで取り上げられるので驚いています。
どうしたことなのでしょうか。
40年以上前から、一応、エコロジストを自称していた私としては、
いささかの疑心暗鬼はありますが、とても歓迎すべきことだと思います。

ところで、さまざまな議論がありますが、
もし国政として本当に環境問題に取り組むのであれば、
私たち国民の生き方を考え直すことが必要ではないかと思います。
特に、生き方の基本、食を考え直すべきです。

以前書きましたが、海外から輸入してまで水を飲む必要は日本にはありませんし、
世界各国から野菜や食材を輸入してそれを浪費するような生活から抜け出るべきです。
他にも個人でできることはたくさんあります。
改めて環境NPOに寄付するのもいいでしょうが、
地産地消に心がけ、高くても近くで産出した食材を選ぶほうが効果的なように思います。

環境問題は農業問題です。
農業は私たちの生き方に深くつながっています。
日本の農業政策は、これまでずっと産業政策として発想されてきているように思いますが、
本来は私たちの生き方から考えられるべきだろうと思います。
1999年に農業基本法が大きく見直され、食料・農業・農村基本法へと移りましたが、
残念ながら産業政策という立脚点は変わりませんでした。
当時、私はある町の総合計画策定に関わっていましたが、
そこで農業に対するパラダイム転換を働きかけて、少しだけ理念を埋め込ませてもらいました。
しかし市町村合併で、残念ながら発展はさせられませんでした。

農業政策は国家や自治体の行政府の方針転換が必要ですから、そう簡単なことではありません。
しかし、私たち生活者がどういう食材を選ぶかは、私たちが主体的にできることです。
まずはそこから始めることが、私にとっての最近のエコライフです。

それにしても、日本の食材の生産者にとっての価格は安すぎます。
食材は、工業製品の価格体系とは全く違うことを消費者はもっとしっかりと認識すべきだと思います。

食育の出発点は、そこになければいけません。
産業政策としての食育には大きな違和感があります。

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■節子への挽歌126:自分流の生き方と常識にあった生き方

一昨日、オスカー・ピーターソンのことを書きましたが、
オスカー・ピーターソン絡みの話題はもう一つあるのです。

実は昨年の秋、節子のことを知った小学校の同窓生が、長い手紙をくれました。
そこに昔、私が送った結婚通知状の文章の断片が書かれていました。
私は過去のことにほとんど興味のない人間です。
節子も似たところがありました。
でも70歳を過ぎたら、縁側で2人で思い出話をしようという暗黙の了解がありました。
ですからそのための材料はお互いに意識的に残していました。
ですが、整理が悪いので、それらがどこにあるか分かりません。
以前書いた私の「詩集」もそうですが、私たちの「結婚通知状」もその一つです。
ちょっと探してみましたが、出てきませんでした。
それで、その時は書くのをやめていました。
そのうち出てくるだろうと思ったからです。

実は、その結婚通知にもオスカー・ピーターソンが出てくるのです。
どう書いたのか思い出せないのですが、書いたことは間違いありません。
でも、今日は、その手紙の内容のことではありません。
それはまた手紙が出てきたら書くことにします。
今日のメッセージは、結婚通知状も含めた、いろいろな通知文の話です。

私は、いつも「定型文」が苦手でした。
結婚通知も、思い切り、私のスタイルでした。
先日書いたように年賀欠礼も定型文ではありませんでしたし、私の退社報告も長々とわたくし的に書きました。
しかし、時には定型的なルールや常識に則ることが必要な時もあります。
実はそういう手紙は、節子の担当でした。
どうしても私が書かなければいけない時には、節子に聞きながら書いて添削してもらいました。
冠婚葬祭などに行く時の挨拶も、節子に教えてもらっていました。
私が我流に挨拶すると、時に危ういからです。

もっとも節子もさほど常識があったわけではありませんが、まぁ私よりは少しだけ上でした。
全くの定型文ではなく、ちょっと心を入れた普通の文章が節子は得意でした。
そうした分野では、節子は私にとっては、まさに先生でした。

私は、基本的なところで判断を間違うことが多く、常識も欠落しています。
一種の発達障害かもしれません。
単なる馬鹿なのかもしれません。
その私が何とかやってこられたのは、節子のおかげです。
その先生がもういないので、これから世間の付き合いができるかどうか、いささか心配です。
失礼なことが起こったら、どうかはっきりと言ってください。
節子がいないこれからは、すべての人が先生です。

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2008/01/05

■「犬という語は、狼なる語が存在しなければ、狼をも指すだろう」

「犬という語は、狼なる語が存在しなければ、狼をも指すだろう」とソシュールは言ったそうです。
近代科学の起点が「分ける」ことだったことをこれほど明確に示している言葉はないように思います。
もっとも、言葉が実体を具現化させることは、なにも近代科学に始まったわけではありません。
人間の歴史は言葉で始まったのかもしれません。

昨日、言葉の力のようなことを書きましたが、日本は言霊の国とよくいわれます。
しかし、おそらく言霊信仰は日本だけの話ではないでしょう。
むしろ「言霊」という言葉を生み出したことによって、
日本ではそのことが強く意識されただけのことではないかと思います。
もしそうであれば、改めて言葉の力を感じます。
言葉が文化を創りだし、人々の意識を決めていくわけです。

国民意識を形成し、国家のアイデンティティを創り出すために、
「国語」は重要な役割を果たしてきました。
各地の言語はおそらく連続的ですから、どこで区切るか、
たとえばどこまでを方言として位置づけるかで、国家の範囲も変わっていきかねません。
そうした最大の統治要素、社会の基盤要素である言語を、
私たちはおろそかにしていることを、正月のテレビを見ていて痛感しました。
社会が崩れ出し、心のつながりが薄れ、
国家のアイデンティティが損なわれても仕方がないように思います。
教育改革や愛国心論議よりも、国語のあり方を見直すことが先決課題ではないかと思うようになりました。
あまりにもなじめない言葉が多すぎることのひがみかもしれませんが。

今年は、私自身、言葉を大事にしていきたいと思います。

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■節子への挽歌125:小林教授夫妻が心配して会いに来てくれました

節子 昨日はオフィスに行きました。
このブログ(時評編)に4日の午後は湯島のオフィスにいますと書いたからです。
でもまあ、だれも来ないだろうと思っていたら、思いもかけない人が来ました。
あなたも知っている、そして「とても良いご夫婦ね」と言っていた、早大の小林教授ご夫妻です。
年末に私のホームページを読んで、あなたのことを知り、私のことが心配になったのだそうです。

小林さんの頭にまず浮かんだのが、江藤淳さんのこと。
江藤淳さんといえば、奥さんが亡くなった半年後に自らの生命を絶った方です。
テレビで、それを知った時には私も衝撃を受けました。
小林さんと江藤さんとは東工大時代の同僚だったのだそうです。

小林さんは、あなたも知っているように、数年前の大手術の後遺症で歩行もご不自由ですし、言語障害も残ってしまいました。
そのため、奥様がいつもご一緒で、一度、オープンサロンに来てくれた時のお2人のご様子は、実に心温まるものでした。
今回もあの時と全く同じでした。
話していて、何だか私の横に節子がいるような気が何回もしました。

しかも小林さんは昨年末から体調が悪かったのだそうですが、
今日はあたたかな好天だったので、奥様に頼んで一緒に来てくださったのです。
小林さんのお気持ちがとてもうれしくて、たくさんの元気をもらえました。

江藤さんのことは忘れていましたが、江藤さんの気持ちはよくわかります。
愛する伴侶がいない人生を続けていくためには、よほどの元気がなければいけません。
幸いに私はたくさんの人たちから元気をもらっていますので、
たぶん(としかいえませんが)もう少しは大丈夫でしょう。

そういえば、今日、近くの中村ご夫妻にもお会いしました。
いつでもお茶を飲みに来てくださいといわれました。
節子と一緒にお茶を飲みに行きたかったなと思いますが、みんな本当に元気づけてくれます。

人を元気にするのは、やはり人なのです。
人のつながりがどんなに大事なものか、改めて痛感しています。
忙しさのあまり、人のつながりが軽んじられがちなことが、
今の時代の元気を削いでいるのかもしれません。

小林さんや中村さんのような、仲の良いあたたかな夫婦と話していると、
節子も隣に一緒にいるような気がして元気がもらえます。
私たちも、みんなに負けずに仲がよかったものね。
早くまた一緒になりたいです。
でも小林さんを心配させてはいけないので、もうしばらくは現世で元気を続けます。
あなたもそちらで元気でいてください。
必ず会いに行きますから。

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2008/01/04

■「戦略」という言葉

このブログの読者からメールをもらうことも少なくありません。
情報の発信は、まさに情報の受信とつながっています。
昨日のエコ・ウォーズの記事に関して、こんなメールをいただきました。
ブログを読んでいる人には、誰かがわかってしまいかねませんが、引用してしまいます。

本来無一物を書いていただいた老師とお話しするとき、つい経営戦略などという言葉を使い、戦略なんていう言葉を使うようではだめだと、よく叱られました。30年前で、私も若く、一生懸命弁解に努めていましたが、「戦いはいかん!」で、終わりでした。私たちは、安易に、外来語や比喩語を使いますが、言葉を創る努力、言葉を考える努力をしなければならないのではと、反省しています。言葉を考えるのではなく、言葉で考えてしまうので、つい、うわすべりになってしまいます。
「言葉を創る努力、言葉を考える努力」
心にグサッと響きます。
私自身、その姿勢が最近、希薄になっていることが気になっています。
言葉を使わずに、言葉に使われている自分に時々出会うのです。

毎朝、般若心経と光明真言を唱えだしてから4か月たちます。
時々、真言の力を実感したいという不心得な思いが心をよぎりますが、その度に、

「声発して虚しからず、必らず物の名を表するを号して字という。名は必らず体を招く。これを実相と名づく」
という空海の言葉を思い出します。
聞きかじりなので、いい加減な理解なのですが、声明が異次元の宇宙につなげるメディアだと思っているのです。
声に出すことの意味は大きいような気がします。

ところで、「戦略」という言葉です。
ハートフル・ソサエティの著者の一条真也さんが、その著書で

「経営戦略」という言葉の産みの親はドラッカーだとされている。
と書いています。
しかし、ドラッカー自身、軍事的色彩が濃い「戦略」という言葉が好きになれなかったそうです。
私自身は、この言葉を使い出したところに、大きな分岐があったような気がします。

一条さんは、ドラッカー経営学の体現者ですが、同時に日本文化の共感者でもあり、
大和言葉を大事にしていますし、自らの思いを込めた造語も少なくありません。
戦略も大和言葉に置き換えることもあるそうです。

日本構想学会で、戦略研究会なるものが発足しました。
私はメンバーではありませんが、周辺関係者として研究会のディスカッションには参加できることになっています。
ずっと気になっていた「戦略」について、改めて考えてみようと思っています。


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■節子への挽歌124:オスカー・ピーターソンと幸せの水準

1日に、40年前の話を書きましたが、その続きです。それぞれが実家に帰って両親を説得した時の話です。
実家に帰って両親を説得する材料として、私はプロポーズの言葉をテープに録音しました。
節子はそれを両親に聴かせたのですが、東京の者はおかしなことをすると、それはむしろ逆効果になってしまい、心配した節子の両親が私に会いに来ることになりました。
その話はまたいつか書きます。

そのテープにはバックミュージックを流しました。
曲はオスカー・ピーターソンのカナダ組曲。
オスカー・ピーターソンはカナダのジャズピアニストで、その代表作、カナダ組曲が、当時の私のお気に入りでした。

そのオスカー・ピーターソンも、昨年12月23日に亡くなりました。
彼の演奏は、聴く人を幸せにすると言われたものでした。
節子は、カナダに行きたいといつも言っていましたが、それはこの曲のサブリミナルな効果のせいだったかもしれません。
カナダ組曲はほんとうにカナダの幸せを感じさせてくれます。

久しぶりにカナダ組曲を聴きたくなりましたが、あいにく、手元にレコードがありません。
CDを入手することにしましたが、最近は貧乏なので近くの図書館から借りることにしました。
ところが貸出し中でした。
カナダ組曲ファンが我孫子にもいるのだと思ったら、幸せな気分になりました。

娘から聴いた話ですが、あるテレビタレントは幸せの水準が低く設定された育ちをしているので、何でも幸せに感じられるのだそうです。
最近の私もそうなりだしています。
価値観を変えると、人は本当に幸せになれますね。

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2008/01/03

■エコ・ウォーズと二酸化炭素排出権

この数年、新年の新聞ではいつも環境問題がとりあげられます。
にもかかわらず、私の生活スタイルはあまり変わっていないような気がします。
学生の頃から一応、環境問題には関心があり、それなりのエコライフに努めていますが、
年を取るにつれ、むしろ環境負荷を高めているような気もします。
若い頃はマイカー主義に反対していたのに、最近は自動車に乗るのに一切抵抗はありません。
運転免許までとってしまいました。
ゴミの分別はもちろんやっていますが、生ゴミのコンポスト化はやめてしまいましたし、
家を新築した時にソーラー発電も取り入れませんでした。
石鹸にこだわっていたのに、いまはあまりこだわりません。入浴剤まで使用しています。
今や世間の流れには逆行しているわけです。
反省しなければいけません。

しかし、最近の環境問題の取り上げ方にはどうも違和感があり、素直に対応できないのです。
それが良いとは思ってはいないのですが、
昔のように心身がエコライフに向かわなくなっているというのが正直のところです。
というよりも、エコライフって一体何なのかが見えなくなってきてしまったのです。

今朝の朝日新聞に、
「温室効果ガスの排出権取引の関連業務に、大手信託銀行が本腰を入れ始めた」
という記事が出ています。
環境さえも経済化されていく風潮には、以前から違和感がありましたが、
状況はますます私が思っているエコロジー思考とは違ったものに向かっているような気もします。
また、朝日新聞で元日から始まったシリーズ「環境元年」の第1部は、エコ・ウォーズですが、
エコロジーに「ウォーズ」などという言葉が出てくることにも違和感があります。

そもそも、戦争モデルを基本にしている最近の経済システムが、
環境問題への処方箋の中心になっているのが、どうしても共感できないのです。
いうまでもなく、エコロジーとエコノミーは、いずれも暮らしのためのものでした。
いずれの語源も、古典ギリシア語のオイコノミー(家政術)に由来するといいます。
エコロジーとエコノミーは双子の子どもなのです。

但し、性格は全く違います。
エコノミーは、価値観が一つのために戦いや競争を好みます。
エコロジーは、多様な価値観のもとに支え合いを楽しみます。
近代社会は、オイコノミーを思い切り前者に軸足を降ってしまったのです。
これはもしかしたらキリスト教と関係あるかもしれません。

1990年代にエコロジー発想の動きが強まってきた時に、
私はエコノミーの理念が変わるのではないかと期待しました。
しかし、その後の動きは逆でした。
エコロジーの理念が変わったのです。
そんな気がします。

エコの理念にとって、最も大事なのは戦わないことです。競争しないことです。
そして、経済もまた、そうしたエコ発想のモデルがあるような気がしてなりません。
多様な価値観のもとに支え合いを基本とした経済システムが模索されても良いのではないかと思います。
私自身は、個人的にはできるだけそう行動しようと思っています。

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■節子への挽歌123:愛することと愛されること

節子
今日はジュネーブの矢野さんから手紙が来ました。
私のブログを読んで節子との別れを知ってくれたようです。
矢野さんには親父の葬儀の時にとてもお世話になりました。
覚えていますか。
私たちは、本当にいろいろな人たちにお世話になりながら、暮らしてきました。
そのお返しもきちんとしていかなければいけませんが、あなたがいなくなって、私ひとりでそれができるかどうかとても心配です。

矢野さんは、「こんなに愛されている奥様はお幸せだなと思いました」と書いてきてくれました。
そこで、メールでこう伝えました。
「こんなに愛する妻を持てたことが本当に幸せです」

愛されることと愛することとどちらが大切なのだろうか。
これは私の若い時の疑問の一つでした。
私の結論は、愛することにこそ意味がある、ということでした。
私は、学生の頃から、他動詞ではなく、自動詞が好きだったのです。

しかし、あなたに出会った時は、愛されることを求めていたかもしれません。
その少し前に私は見事に失恋していたからです。
失恋したのは私のせいです。
愛されることに意味を感じない人を愛し続けることは難しいことでしょうから。
その最初の恋人には、とても悪いことをしたと思っています。

あなたが最初から私を愛していたかどうかわかりませんが、交際を楽しんでいたことは間違いないでしょう。
公開しにくいものも含めて、スリルもドラマもありました。
毎回、ドキドキしたりワクワクしたりすることばかりでした。
なぜあれほど2人で会うことが楽しかったのでしょうか。
1人だとできないことが、2人だとなぜかお互いに補い合って、できてしまうのです。
不思議でした。
それで、もっとずっと一緒にいようと結婚でもしようかということになりました。
そしてきっと誰もまさかと思ううちに同棲してしまったのです。
あなたは、よくまあこんなに長く続いたねと時々言っていました。
あなたは長くは続かないと思っていたのでしょうか。

あなたと一緒になってから、愛されることと愛することは同じことだと気づきました。
いや、愛するということはすべてを許すことなのだと気づいたのです。
人の言動は常に多義的です。
相手を愛していれば、その人の言動はすべて「愛」の対象になるのです。
書き続けると、長くなりますので、今回はここでやめます。

私にとっての最愛の人は旅立ちましたが、いなくなったわけではありません。
節子は今なお、私の最愛の人であり、私のすべての「愛」の象徴です。
そしてたぶん、今なお、節子は私を愛してくれているでしょう。

矢野さんは、「お花の好きな奥様にアルプスのお花を見ていただけたら」と、アルプスの花のカレンダーを送ってきてくれました。

節子
あなたの周りの花の世界はまだまだ広がっていますよ。
あなたが花をとても愛していたからでしょう。
私もそれにお相伴させてもらっています。
ありがとう。

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2008/01/02

■節子への挽歌122:年末年始の彼岸旅行中なのかもしれません

昨夜はたくさんの夢を見ました。
なぜか昔の友人たちがたくさん出てきました。
節子は出てきませんでした。
せめて夢で会いたいと思い続けていますが、なかなか会えません。
9月以降、夢で、節子の顔を見た記憶が一度もありません。
しかし、実はいつも何となく節子の気配を感ずるのです。
私の顔に出会えないように、節子の顔に出会えないのは、ずっと一緒にいるからかもしれません。

しかし昨夜の夢は違いました。
節子との別れを昔の友人たちに伝えているのです。
夢を見た直後に目が覚めました。
複数の夢を見ていたのを思い出しながら、
その夢からの気づきを今日のブログに書こうと思っていました。
ところが、それからまた眠ってしまいました。
そして起きたら、書こうと思っていたことが思い出せないのです。
夢の後に目が覚めて、啓示を受けたこともまた夢だったのでしょうか。

夢はどこかで彼岸とつながっていると、私はずっと思っています。
夢の世界に入ってしまえれば、もしかしたら節子の世界に行けるかも知れません。
むかし読んだSFに、夢と現実が逆転してしまう小説がありました。
現実の世界から徐々に夢の世界へと意識や時間や生活が移行していくという話です。
人は多次元の複数の世界に住んでいる。
死は、その次元の軸足を移行するだけである。
もしそうであれば、節子は私より一足先に次元旅行を楽しんでいるだけなのかもしれません。

節子
もしかしたら、私の心身の半分は、昨年末からあなたのところにいってしまっているのかもしれないね。
そういえば、体も何となく軽いし、ふらふらするし、第一、気力が出てこない。
めまいもそのせいかもしれないね。
今年の年末年始は、私は彼岸旅行を楽しんでいるわけだ。
そう考えると奇妙に納得できますね。

そちらでの私は、節子と新年を楽しく迎えていますか。
3が日が過ぎたら、この世に送り返してくださいね。
それまでふらふらしています。
4日にはオフィスに行く予定なので、それまでには帰してください。

ちなみに、節子の旅立ちを知らない人たちから年賀状が届いたのが、昨夜の夢の原因だったのだろうと思います。
事実、夢で訃報を知らせたうちの2人は、昨日年賀状を受け取った古い友人でした。
しかし、そうした友人たちにあえて訃報を知らせる必要があるのかどうか。
節子のことを知っている人はともかく、それ以外の人には知らせる意味がないような気がしてきました。
年賀欠礼のお知らせは何のために行うのでしょうか。
せめて定型文での年賀欠礼の案内は考え直したほうがいいような気がします。


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■グラディオ作戦

このブログへのトラックバックで、「グラディオ作戦」なるものを知りました。
9.11事件に関連して、盛んに出回っている言葉のようですが、知りませんでした。

グラディオ作戦(Operation Gladio)をネットで調べてみてもよくわからないのですが、
あるサイトによると、
西欧の謀略機関が操る、自国民に向けたテロリズムとペテンという何十年も続いている秘密作戦なのだそうです。
その本質は、次の言葉に象徴されているといいます。

「民間人を、人々を、女性を、子供を、無辜の人々を、あらゆる政治的ゲームとは縁もない、名も無き人々を攻撃しなければならない。理由はきわめて単純だ。一般大衆を、より大いなる安全を求めて、国家を頼らせるようにする為だ」
これはトラックバックされたサイトの記事です。
イラクに関連させて書いているサイトもありますし、テロ謀略史としてまとめたサイトもあります。

ところが、週刊金曜日のサイトの金曜アンテナ(2007年12月21日)に次のような内容の記事があります。原文はぜひそのサイトを見てください。
http://www.kinyobi.co.jp/pages/vol683/antena

イタリアのコシガ元大統領が、「9・11」事件は「米国政府の内部犯行だ」と発言し、注目を集めている。
コシガ元大統領は1992年に辞職をしたが、きっかけは当時のアンドレオッティ首相が、
米国とNATOが操っていた謀略活動「グラディオ作戦」の存在を暴露したため。
この作戦は80年に起きたボローニア駅爆破事件を典型として「極左テロ」に見せかけながら、
米CIAなどの諜報機関がイタリアの右翼集団を使い、
反共の「強力な指導者」を国民が求めるようにし向けるための秘密工作で、
それに自身も関与した事実を認めての辞任だった。

グラディオ作戦という名前はともかく、こうした謀略活動は歴史の中にはたくさんあります。
事件発生当時には信じられないことなのでしょうが、後から考えれば極めて納得できるのです。

なぜそれが見えないかといえば、それは、そんなことはありえない、という思考の呪縛のためです。
9.11事件は、その典型例かもしれません。
昨年末のブット元首相の暗殺事件も奇妙な事実がいろいろと見え出してきていますが、
こうした事件は私たちの周りにたくさんあるのかもしれません。

それは何も、暗殺事件やテロ事件に限るわけではありません。
もっと広範囲に、グラディオ(剣)の刃先は向けられているのです。
強いものに巻かれる生き方から、今年はもっともっと自由になろうと思っています。

ちなみに、最近のテレビ番組の状況も、もしかしたらこうしたことと無縁ではないかもしれません。

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2008/01/01

■教育基本法よりもテレビのあり方を考えたらどうでしょうか

年末年始を、体調も災いして無為に過ごしています。
体調不良で自宅にいると外部との接点はテレビになります。
これほどテレビの前にいたことはありません。

年末年始にはニュース番組はほとんどなくなり、お笑い番組と歌番組ばかりで占められることを知りました。
しかし、お笑い番組と歌番組も、一昔前のものとは全く違っており、お笑いも歌も実に中途半端で、笑えないお笑いや聴けない歌が多すぎるように思います。
こういう番組に囲まれていると一体どんな人間になってしまうのか、恐ろしささえ感じてしまいました。
教育基本法がどうのこうのという以上に、大きな問題がここにあると思えてなりません。
今のテレビ状況を変えずして、学校をいくらいじってもだめでしょう。
敵は意外なところにいるのではないかと思い知らされました。

わが家は喪中なので、門松も祝の膳もありません。
しかし世間はおめでとう一色です。
それが悪いわけではないのですが、年の始まりには、もう少し時代を見据えて自分たちの生き方を考えるような番組があってもいいような気がします。
それが全くといっていいほど無いことにも驚きました。
「めでたい」ということはただ笑えばいいということではないでしょう。

それにしても、昨夜の紅白を見ていて、こんな番組を作るNHKになぜ毎月受信料を払わなければいけないのかと不思議に思いました。
ほぼ強制的に受信料を取るのであれば、当然、その使途は詳細に公開すべきだろうと思います。

テレビ界の人たちはどう思っているのでしょうか。

ちなみに新聞も年々内容がなくなってきたような気がします。
日本はどんどん非情報化革命が進

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■節子への挽歌121:節子のいないお正月

千葉はとても穏やかな年明けでした。
昨日からちょっと体調を壊したために、自宅で静かに過ごしています。
節子と一緒に暮らすようになってから2回目の、別れて過ごす正月です。

私たちは籍を入れる前に一緒に暮らし始めました。
12月に貸家をかりての「神田川的生活」を始めたのです。
そして正月は、それぞれの自宅に帰って、自分の親の許可をとってくることにしました。同棲を始めてから親に報告に行ったわけです。
節子は大反対でしたが、決めたら誰が何と言おうと決行するのが、当時の私の生き方でした。
きっと有無を言わさずに節子に押し付けたのでしょう。
当時、私は、思い切り自分流で生きていました。

結果は2人とも完全に失敗で、両方とも親の大反対を受けてしまいました。
反対されてもすでに既成事実(単に同棲だけでしたが)はできているので、イニシアティブは私たちにあります。
いつの時代も、行動が最高の計画です。
もし愛する人ができたら、考えることなく行動すべきです。
そして行動したら、最後まで責任を取るべきです。
それが「愛」だと、私は思っています。

で、少し時間はかかりましたが、両方とも私たちの結婚を認めることになったわけです。
そして結局、両方の両親とも、とても喜んでくれることになりました。
私たち夫婦にとっての最大の親孝行は、たぶんお互いに最高の伴侶を見つけたことだと思います。

親から反対されようと私たちはめげることなく、生き方は変えませんでした。
私はそれ以前からもそういう生き方でしたが、節子も意外とそうだったのです。
あまり表面には出しませんでしたが、強い自己主張のある女性でした。
まぁ頑固だったということなのですが。
しかし、親(親族みんな)の反対を押し切っての結婚だったので、節子はどんなことがあっても親元には愚痴をこぼすことはありませんでした。
節子は自分で決めたことは徹底して守るタイプでした。
その決意も完璧に行われましたので、私の欠点は節子の両親には全く伝わらずに封印されたわけです。
ですから私は理想の婿になれたのかもしれません。

私たちが、世間の常識の呪縛に縛られることなく、自分たちの夫婦スタイルを一緒に創りだす生き方になった原点が、この時にあります。
意気消沈して帰ってきた者「同士」が「同志」になったのです。
節子は泣きながら、結婚するが親不孝は絶対にしたくないといいました。
そうした節子を、私は絶対に守ろうと思いました。
そして神田川的生活が本当に始まったのです。

その時、私が持っていた貯金は8万円でした。
節子の貯金がそれより数倍多かったのは間違いありませんが、いくらだったか覚えていません。私のはあまりの少なさに記憶していますが。
そのため半年くらいは、まさに6畳一間に近い生活をしたわけです。
タンスもなく、ミカンの空き箱も利用しました。
その冬も寒かったです。
暖房器具もあまりなかったような気もします。
お互いに身体を暖めあうように一緒に寝ました。
しかし、いま思い出すと、その頃が一番楽しかったのかもしれません。

あれから40年以上がたちました。
当時に比べると夢のような大きな家とたくさんの家財に囲まれています。
しかし肝心の節子がいません。
人間にとって、何が一番大切か。
そのことを改めて思い知らされています。
家も家財も、節子がいなくなってしまった今は、私には無用の長物でしかありません。
そうしたものが多ければ多いほど悲しさはつのるのです。
そのことに、もっと早く気づくべきでした。

この40年はいったい何だったのか。
本当に夢幻のような気がします。
40回以上も新年を一緒に過ごしたことがどうも実感できません。
そして、なぜ今年は節子がいないのか。
別れていても、いつも一心同体なのだと思えるようになってきましたが、
それでも話し相手がいない元日はとてもさびしくて元気が出ません。

今年は元気なことから書き出そうと思っていましたが、体調不良のせいで結局また暗くなってしまいました。
娘がスターバックスの美味しい珈琲を買ってきてくれて、いれてくれました。
少し元気が出ましたが、節子がいないさびしさは埋まりようがありません。

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