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2008/01/14

■家族同士の死傷事件と家族のあり方

また徳島で4人家族同士の死傷事件が起こりました。
そうした事件が増えているのかどうか調べたことはありませんが、増えているような気がします。
私は数年前から、「大きな福祉」を理念に、さまざまなNPO活動に触れていますが、
それを通して感ずるのは、「家庭」の問題への取り組みが抜けているのではないかということです。

家族や家庭の問題への取り組みは、簡単ではありません。
DVや介護、難病、子育てなどといった課題からの取り組みも、もちろん家庭や家族につながっていますが、
そうした個別課題からのアプローチではなく、
むしろ家庭や家族問題を正面から見据えた取り組みが必要になってきているように思います。
「大きな福祉」の考えは、個別課題から発想するのではなく、
生活の基盤から発想しようということなのですが、
家族のあり方を根底から考え直すべき時期にきています。

日本の高度成長は、核家族化に支えられてきたように思います。
さらに加えて、女性の社会進出、あるいは生半可の男女共同参画思想がそれを応援してきました。
女性は社会に参画したのではなく、産業化や市場化に取り込まれただけではないかというのが私の考えです。
女性たちの多くが、男性と同じように、魂をお金や産業に売ったような気がしています。
それを主導したのもまた女性でした。
いつの時代も、裏切りは仲間から始まるのです。
この発想は30年前からの考えなのですが、賛同者はいませんでした。
しかし、最近ますますその感を強めています。
まあ、これは暴論でしょうから、みなさんのひんしゅくも買いそうです。

日本国憲法のもとでの民法の改定によって、明治時代以来の家制度は廃止され、
夫婦と子という個人関係が標準的な家族モデルとなりました。
そして、妻が家事や育児、さらには介護を分担し、
夫は後顧の憂いなく勤労者として全力を産業に投入するという、
まさに経済支援型の家族モデルができたのです。
夫を「主人」とする家父長意識や男女差別感が残存していたために、
基本的な問題は解決されないままでしたが、経済的には見事な成果を上げたというべきでしょう。

しかし、新たな問題も発生しました。
高度経済成長の中で、金銭経済志向が社会を覆うと共に、
産業界の労働力需要と人件費削減の要請が、主婦層の取り込みを過剰化してしまったのです。
そして、格差の拡大や非正規社員の増加が進み、経済を支える社会そのものの劣化が進んだのです。

家族同士の殺傷事件、自殺やメンタルヘルスの増大などは、そうしたことと無縁とは思えません。
いまようやく、地域社会や近隣関係への関心が高まり出していますが、
基本は家庭や家族のあり方なのではないかと思います。
家族とは一体何なのか、最近、妻を失って、改めて家族の意味をかみ締めています。

大切であるからこそ、きっと死傷事件が起こるのでしょうが、
なぜそういう不幸なことになるのか、自分の問題としてみんなが考えなければいけない問題です。
その問題から無縁な人はいないはずです。
少子化問題も介護問題も、教育改革も環境問題も、
すべてが家族や家庭からはじまっているような気がします。

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