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2008/01/24

■株価下落で消えた資金

昨日、「株価低下でなくなったお金はどこに行くのでしょうか」と書いたのですが、それが気になってきました。
本当にどこにいくのでしょうか。
私には「消えた年金」よりも、興味のある話です。

ツカサグループの代表の三又さんが、金融政策の変化で、一夜にして、1000億円の資産家から1000億円の債務者になってしまったとお話になっていましたが、川又さんご自身は何も変わらないのに、資産が借金になるというのはどういうことなのでしょうか。
川又さんにとっては実体は何も代わらないのに、プラマイ2000億円の資産の変化があったわけです。
もしそうなら、現代の資産とは一体何なのでしょうか。

もし私が1000万円の現金を株式投資していたとします。
それが今回の下落で、その投資対象株価が2割下落したとすると、私の貨幣財産は800万円に低下します。
その時点で、株式を売却し、現金化すれば、現金は200万円減ることになります。
しかし、そのまま株式市場に入れたままであれば、実際には何の変化も起きません。
所有財産が減少したなという気分になるくらいでしょう。
もっとも現金を財産といっていいかは判断の迷います。
高率なインフレが起これば、紙幣はただの紙切れになります。

現金には何の価値もありません。
現金は、価値を交換するための手段でしかありません。
最近はその手段でしかない現金(通貨)に価値を見出す人が圧倒的に多いために、「価格」と「価値」とが混同されがちです。
たとえば、「高価」なものほど「価値が高い」ということになりがちです。
価値が高いから高価なのではないのです。

経済学や経営学の世界では、企業価値とは株式の時価総額だと言われていましたが(今もそうでしょうが)、馬鹿げた議論です。価値とはそういうものではありません。
私はそういう議論が起きだした20年前ころから、そうしたキャッシュフローベースの企業価値論とレゾンデートルとしての企業価値論とを分けて考えることを話し続けてきましたが、全く空しい主張でしかありませんでした。
前者のために、どれほどの企業が本来的な企業価値を損なってきたことでしょう。

株価の乱高下がいかに大幅であろうと、全体としては損得は発生しません。売買の双方が納得して売買していますし、何か実物が動くわけではないからです。
ミクロ的に個人の投機行為としてみれば、たしかに損得は発生するでしょうが、それは損得が発生するからこそみんな投機するわけですから、本来、問題は全くないはずです。

株価の下落が引き起こす意味は何なのか。
これまでの常識の呪縛をはずして、考えて見ることが必要ではないかと思っています。


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