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2008/01/31

■国民とは誰なのか

ガソリン税問題は、議論不在のまま進んでいます。
特徴的なのは、自民党も民主党も「国民のため」と言っています。
その時の「国民」とは一体だれなのでしょうか。
全国の知事が道路建設を要望しているということを盛んに話している自民党の伊吹幹事長にとっての「国民」は自治体の首長のようですが、民主党にとっての「国民」はだれでしょうか。
そう簡単に国民などという言葉を使うべきではないでしょう。
もし使うのであれば、しっかりと「民意」を調べるべきです。

かつて、あるいは今も、「住民参加」ということがよく言われました。
これほど無意味な言葉はありません。
私は講演の度に話していますが、「住民」は多様な価値観を持っていますから、どの価値観を持つ住民を参加させるかで、その中身は全く変ってしまいます。
ですから、個々のプロジェクトにおける「住民参加」とは政策に理由を与えるための手続きでしかありません。
しかし、だれでもが参加できる仕組みをつくれば話は変ってきます。
その場合は、参加する住民の参加を保証することが必要ですが、これが難しいわけです。
また、基本的には議会がそれを実現していたはずですが、それがなぜ機能障害を起こしているのかをもっと吟味することも必要です。

いずれにしろ、「住民」や「国民」という言葉は、無限の価値観を包含している概念ですから、ある価値決定を「国民のため」とは言えないはずです。
「国民のため」というのであれば、価値の押し付けではなく、「議論」することでしょう。
「国民のために議論する」というのであれば意味が通じますが、「国民のためにガソリン税を廃止する」「国民のために道路をつくる」という表現は、決して「国民のため」ではありえないのです。

テレビで政治家が「国民のため」などという発言を聞いていると、やはりまだ日本には「お上文化」が残っていると思えてなりません。

ちなみに、私は「社会のため」という理由づけの言葉もなかなか理解できません。
「社会」と言う言葉も、実に多義的で、危険な言葉のような気がします。

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