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2008/01/22

■節子への挽歌142:私の生き方を励ましてくれた人

久しく会っていないにもかかわらず、
そしてあまり交流がないにもかかわらず、
時間が止まったように、付き合っていた時の関係を保持し続けている人がいます。
高校時代のMYさんが、その一人です。

私は都立西高の出身です。
同窓生のメーリングリストや集まりがあり、かなり活発に行動していますが、
私自身はほとんど参加していません。
高校時代に限りませんが、過去への関心がほとんどないためです。
過去の自分、現在の自分と言ってもよいのですが、
自分をいつも変えていこうというのが、私の基本的な生き方でした。
最近は変える気力が弱まり、惰性で生きがちですが、
50代まではかなりドラスティックにその時々を捨ててきたつもりです。

それができたのは、節子という変わることのない拠り所があったからです。
変わることなく存在する確実なものがあれば、他のすべてがなくなっても怖くはありません。
節子がいればこそ、私には怖い物など一つもなかったのです。
会社を辞めたのも、価値観を変えたのも、節子がいればこそでした。
きっと大事なものも捨ててきてしまっているのでしょうが、
私には節子がいればそれで十分だったのです。

節子と結婚した時に、それまでの日記をすべて廃棄し、友人の住所録まで捨ててしまいました。
今から思えばばかげていますが、その時は新しい世界を創り出すのだという意気ごみがあったのです。
全く違った人生を送ってきた2人が、新たに新しい人生を創りだすためには、
できるだけ過去を軽くすることが大切だと考えていたわけです。
若い頃の私は、頭でしか考えない理想主義者だったのです。
今とは正反対です。まあ、今もその名残はあるでしょうが。

高校の友人で、節子が知っている人はおそらくいないでしょう。
つまり私たちにとっては、私の高校時代は存在しない時代なのです。
もっとも全くつながっていないわけではありません。
節子も名前だけは知っている人が3人いますが、その一人がMYさんです。

もらった年賀状への返信を読んでこう書いてきてくれました。

きっと君の話をよく聞いてくれて、君の生き方をはげましてくれる人だったのでしょう。
「生き方をはげましてくれる人」
そうか、節子は私の生き方をはげましてくれていたのだ。
とても納得できました。

この一言で、なぜか高校時代のことが突然思い起こされました。
MYさんとなぜこんなにも長く会うことがなかったのか。
急にたくさんの級友たちのことが思い出されました。
まるで、節子が級友たちを思い出させてくれたような気がします。
今年は少し、過去の世界にも出かけようかと思います。

節子の声は直接聞こえてきませんが、
こうやって今も節子は私を励ましてくれているのですね。
ありがとう。節子。

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