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2008/01/25

■ガソリン暫定税廃止と道路建設の違い

相変わらずガソリン暫定税をどうするかの先行きが見えません。
問題は「ガソリン値下げ」か「道路整備」か、という問題になっているような気がします。
その違いをもっと整理して議論すべきだと思いますが、
最近のマスコミも政党もそういうことはやらないのが特徴です。
いずれも真剣に考えていないからでしょうが、
政治家は「争点」が、マスコミは「話題」があればいいのでしょう。
その視点からは、むしろ問題が整理されないほうが、価値があるのです。

違いのポイントは何でしょうか。
配分の面から言えば、ガソリンはかなり広範囲の国民に、道路は一部の国民に、直接的なメリットを与えます。
効果が実現する時期は、ガソリンは即時に、道路は少し先でしょう。
またそれによる効果の効率性でいえば、ガソリンはほぼそのすべてが直接効果につながりますが、
道路は途中でかなりの部分が誰かのポケットに入るでしょう。
道路建設賛成と運動している県議や政治家、業界団体なども含まれるでしょう。
かなり独断的な整理ですが、こうした整理に基づいて、
経済効果や合目的性評価などをもっと明らかにしてから議論すべきではないかと思います。

これは何もこの問題だけではありません。
テロ特措法も、郵政民営化も、最近の争点と言えるもののほとんどすべてが、
問題としての設定が極めて曖昧なような気がします。
極言すれば、誰も真剣に考えていないと言えるでしょう。
問題の構造を明らかにするべき国会は、むしろ曖昧なまま争点にしてしまうわけです。
おそらく明らかにしたら、自説を通せなくなるからではないかと勘繰りたくなります。

ともかく最近の政治は、問題の設定が粗雑過ぎる上に、細かすぎると思います。

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