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2008/01/13

■「なぜ時代は人の懸命な苦労に報いることができぬのか」

最近、届いた富士ゼロックスの社外誌「グラフィケーション」に、
結城登美雄さんが「列島を歩く」という地域ルポを連載しています。
結城さんは東北各地をフィールドワークしている民俗研究家です。
結城さんの書いたものには、いつも人間が感じられます。
私も、ローカルジャンクション21というNPOでご一緒していましたが、とても魅力的な方です。その魅力が、文章にいつも出てきます。

今回は、新潟県の山北町の話です。
何気なく読んでいたのですが、とても気になることが出てきました。
昭和15年に、その山北町を民俗学者宮本常一が訪問した時の話です。
初めて訪問したそこで宮本が最初に出会ったのは、炭を負った若者でした。
その記録が宮本の著書に残っています。結城さんは、それを紹介してくれています。

「若い男は親切で何くれと話してくれる。
昔の人と今の人とどちらが働きが激しかろうかと聞くと『そりゃア今だ』という。
何もかも不便なように仕向けられて、その上仕事は倍加だ。
炭焼きにしても4、5年前の倍近くは焼いていようが、一体それでは足りぬというのはどうしたことだと若い男はいう」。
働いても働いてもよくならぬ暮らし。
昔より今のほうが仕事に余裕がないと宮本に訴える若者。
なぜ時代は人の懸命な苦労に報いることができぬのか、と問う若者に宮本は答えることができない。
その後姿を見送りながら、宮本は次のように書いている。
「われわれに背負わされた苦難はわれわれ自身が排除するよりほか途はないのである」。
当時、日本は紀元2600年で沸いていました。私が生まれる一年前です。
しかし、なにやら現在につながっているような気がします。
違うのは、この若い人がまだ16歳だということです。
いまの16歳とは全く違う若者が、そこにいます。

その若い男がなぜ16歳だとわかったかといえば、それこそが感動的な話なのです。
結城さんが山北町の山村で若い人たちと話し合っていた時に、一人の青年からこうたずねられたのだそうです。
「4年前に亡くなった俺のじいさんが『昔、宮本常一とこの村で会って話をしたことがある』と言っていたけど、本当だろうか」。
それが契機になって、結城さんは、そのことが記録されている文献を見つけ出したのです。
当時、山北町で炭焼きをしていたのは一人だけだったのです。

山北町は今も自然とともにある暮らしや生業をまもっているようです、
だからこそ、こうした感動的な出会いがあったのでしょう。

しかし、私が話題にしたいのはそういうことではありません。
「なぜ時代は人の懸命な苦労に報いることができぬのか」
そして、
「昔より今のほうが仕事に余裕がない」のはなぜなのか。
当時は「戦時中」でした。そのせいかもしれません。
では今の時代はどうでしょうか。
仕事はますます余裕がなくなり、「懸命な苦労」も報われないために、「懸命な苦労」をする人が少なくなった。
そんな気がします。

ちなみに、結城さんの連載が載っている「グラフィケーション」は無料で購読できます。
ネットから申し込めますので、ご関心のある方は申し込まれるといいです。
私が愛読している数少ない雑誌の一つです。

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