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2008/01/02

■節子への挽歌122:年末年始の彼岸旅行中なのかもしれません

昨夜はたくさんの夢を見ました。
なぜか昔の友人たちがたくさん出てきました。
節子は出てきませんでした。
せめて夢で会いたいと思い続けていますが、なかなか会えません。
9月以降、夢で、節子の顔を見た記憶が一度もありません。
しかし、実はいつも何となく節子の気配を感ずるのです。
私の顔に出会えないように、節子の顔に出会えないのは、ずっと一緒にいるからかもしれません。

しかし昨夜の夢は違いました。
節子との別れを昔の友人たちに伝えているのです。
夢を見た直後に目が覚めました。
複数の夢を見ていたのを思い出しながら、
その夢からの気づきを今日のブログに書こうと思っていました。
ところが、それからまた眠ってしまいました。
そして起きたら、書こうと思っていたことが思い出せないのです。
夢の後に目が覚めて、啓示を受けたこともまた夢だったのでしょうか。

夢はどこかで彼岸とつながっていると、私はずっと思っています。
夢の世界に入ってしまえれば、もしかしたら節子の世界に行けるかも知れません。
むかし読んだSFに、夢と現実が逆転してしまう小説がありました。
現実の世界から徐々に夢の世界へと意識や時間や生活が移行していくという話です。
人は多次元の複数の世界に住んでいる。
死は、その次元の軸足を移行するだけである。
もしそうであれば、節子は私より一足先に次元旅行を楽しんでいるだけなのかもしれません。

節子
もしかしたら、私の心身の半分は、昨年末からあなたのところにいってしまっているのかもしれないね。
そういえば、体も何となく軽いし、ふらふらするし、第一、気力が出てこない。
めまいもそのせいかもしれないね。
今年の年末年始は、私は彼岸旅行を楽しんでいるわけだ。
そう考えると奇妙に納得できますね。

そちらでの私は、節子と新年を楽しく迎えていますか。
3が日が過ぎたら、この世に送り返してくださいね。
それまでふらふらしています。
4日にはオフィスに行く予定なので、それまでには帰してください。

ちなみに、節子の旅立ちを知らない人たちから年賀状が届いたのが、昨夜の夢の原因だったのだろうと思います。
事実、夢で訃報を知らせたうちの2人は、昨日年賀状を受け取った古い友人でした。
しかし、そうした友人たちにあえて訃報を知らせる必要があるのかどうか。
節子のことを知っている人はともかく、それ以外の人には知らせる意味がないような気がしてきました。
年賀欠礼のお知らせは何のために行うのでしょうか。
せめて定型文での年賀欠礼の案内は考え直したほうがいいような気がします。


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