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2008/01/11

■節子への挽歌131:幻の大寺 西大寺

節子 今日は佐保路の話です。
JR東海のテレビCMの「いまふたたびの奈良」で、「幻の大寺」西大寺が取り上げられています。
西大寺は、私たちにとっても「幻の寺」です。

私たちの愛は、東大寺から始まりましたが、西大寺には辿り着けませんでした。
節子がもう少し元気になったらゆっくり奈良を回ろうと話していましたが、実現できず、結局、西大寺は幻に終わったのです。

私たちは滋賀で結婚し、大津に1年半いました。
休日のたびに京都や奈良に行きました。
あなたは京都派、私は奈良派でしたが、どちらにもたくさんの思い出が詰まっています。
私たちだけに通じる言葉もいくつかあります。
たとえば、飛鳥大仏といえば、私たちにはすぐ伝わる思い出があります。
みんなには内緒ですが。

私は当時、佐保路が大好きでした。
法華寺の十一面観音にほれ込んでいたのです。
その観音が、節子を招き寄せたような気がしています。
小浜から奈良に通ずる「かんのん道」の、ど真ん中に位置する観音の里「高月町」で育った節子に出会えたのですから。
今は舗装され歩きやすくなっているでしょうが、当時の佐保路はまだぬかることもあり、雨の日は大変でした。
佐保路の先に西大寺がありました。
しかし、私たちは西大寺に辿り着いたことはありませんでした。
たしか一番歩いた時でも秋篠寺が最後だったような気がします。

東京に転居してから、京都や飛鳥には行きましたし、奈良にも行きましたが、佐保路を歩くことはありませんでした。
ですから私たちは西大寺にはついに辿り着かなかったわけです。
ですから、テレビの「幻の大寺」というナレーションが、心に突き刺さってくるのです。
私たちにとっても、幻の寺なのです。それも永遠に。

もう一度、2人で佐保路を歩きたかったです。
私一人では、もう歩くことはないでしょう。
法華寺の観音にももう会うことはないでしょう。
あまりに思い出がありすぎます。
思い出すだけでも辛くなります。

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