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2008/01/20

■「エコ偽装」に見る企業の問題点

再生紙偽装事件は、企業にとって「エコ」とは一体何なのかを象徴している事件です。
企業にとって「環境問題」は解決に取り組むテーマではなく、
マーケティングに利用できる材料なのかもしれません。
「エコ偽装」などという言葉まで使われていますが、
産業界の環境問題への取り組みはまさに「偽」と思われても仕方がない状況です。

10年近く前、各社が環境報告書を競って出し始めた頃、
仕事で各社の環境経営担当役員の取材も含めて、いろいろと調査したことがあります。
その時の企業の対応姿勢にあまり「本気」を感じることができず、失望したことがあります。
その後、今度はユニバーサルデザイン(UD)が流行になり、
UD商品なるものが発売されたりした時には、
なんでこれがUDなのかと思うようなものが少なくありませんでした。
時代の課題や流行を、販売促進やイメージアップのために「浪費」している企業の多さには失望を禁じえません。
各社のCSR関係の報告書を見れば一目瞭然です。
エコも、UDも、CSRも、ともかくマーケティングのツールでしかないのでしょうか。

私自身は、昔から企業の環境問題への取り組みには疑心暗鬼です。
環境対策と称しながら、環境負荷を高めていることもありそうです。
再生紙の問題に関しても、もっと総合的に取り組むべきですし、
そもそも紙の使用量の削減こそに取り組むべきです。
産業のジレンマの中で、それは難しいでしょうが、
滋賀県の新江州株式会社のように、
包装資材の会社なのに会長が包装資材はできるだけ使わないようになどと言っている会社もあるのです。
環境問題への対応をいうのであれば、安直に言うべきではありません。
ましてや社会をごまかしてはいけません。

なんでも「儲け」につなげてしまう姿勢こそ見直さないと、
企業そのものの未来も開けないのではないか。そんな気がします。
企業は社会の子です。その存立基盤は社会です。
その社会を揺るがしている環境問題は決してマーケティングの材料にすべきテーマではありません。

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