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2008/01/21

■節子への挽歌141:「独り生まれて独り死す、生死の道こそかなしけれ」

伴侶との別れを体験した人は私だけではありません。
しかし、私のように、おろおろとしつづけ、めそめそと挽歌などを書き続けている人は多くはないようです。
みんな哀しさを乗り越えて、しゃんとしてやっているのです。
えっ、この人も、と知るたびに自分の駄目さ加減が恥ずかしくなります。

ある研究会でご一緒したMさんが手紙をくれました。

じつは、私もかつて妻をガンでなくしました。
周囲の人達は時間が薬だとか、肉体は無くなつても、霊魂は不滅だと聞かされました。
当時はそんな馬鹿なことがと申しておりました。
時間が経つにつれ皆さんのおっしゃるとおりに考え方が変わりました。
いまは、亡くなった妻と常に一緒です。
若い内から仏の道の学習も少々かじらせていただきました。

生ぜしもひとりなり、 死するも独りなり
さすれば人と共に住するもひとりなり
添い果つべき人なきゆえなり (一遍上人語録)
さぞお寂しくいらっしゃることと存じますが、
どうかご自愛のほどをひとえに祈りあげます。

Mさんにお会いした時から、どこかで気になる人だったのですが、
もしかしたら、どこかでつながっていたのかもしれないと思いました。

一遍上人は遊行僧ですが、私はまだこの気分にはなれません。
ですが、どんなに愛し合っていても、同時に死ぬことはできない。
人は、ひとりで生まれて、ひとりで死ぬ存在なのだというのは、真実です。
残念ながら、私には、その覚悟ができていなかったばかりでなく、
いまなおそれが受け入れられないのです。
この思想の根底には、「本来無一物」という考えがあるわけですが、
それを目指している私としては、Mさんがいうように、その道理を受け入れるべきなのでしょうね。

でも、もう少し時間がかかるかもしれません。
困ったものです。

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