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2008/01/03

■節子への挽歌123:愛することと愛されること

節子
今日はジュネーブの矢野さんから手紙が来ました。
私のブログを読んで節子との別れを知ってくれたようです。
矢野さんには親父の葬儀の時にとてもお世話になりました。
覚えていますか。
私たちは、本当にいろいろな人たちにお世話になりながら、暮らしてきました。
そのお返しもきちんとしていかなければいけませんが、あなたがいなくなって、私ひとりでそれができるかどうかとても心配です。

矢野さんは、「こんなに愛されている奥様はお幸せだなと思いました」と書いてきてくれました。
そこで、メールでこう伝えました。
「こんなに愛する妻を持てたことが本当に幸せです」

愛されることと愛することとどちらが大切なのだろうか。
これは私の若い時の疑問の一つでした。
私の結論は、愛することにこそ意味がある、ということでした。
私は、学生の頃から、他動詞ではなく、自動詞が好きだったのです。

しかし、あなたに出会った時は、愛されることを求めていたかもしれません。
その少し前に私は見事に失恋していたからです。
失恋したのは私のせいです。
愛されることに意味を感じない人を愛し続けることは難しいことでしょうから。
その最初の恋人には、とても悪いことをしたと思っています。

あなたが最初から私を愛していたかどうかわかりませんが、交際を楽しんでいたことは間違いないでしょう。
公開しにくいものも含めて、スリルもドラマもありました。
毎回、ドキドキしたりワクワクしたりすることばかりでした。
なぜあれほど2人で会うことが楽しかったのでしょうか。
1人だとできないことが、2人だとなぜかお互いに補い合って、できてしまうのです。
不思議でした。
それで、もっとずっと一緒にいようと結婚でもしようかということになりました。
そしてきっと誰もまさかと思ううちに同棲してしまったのです。
あなたは、よくまあこんなに長く続いたねと時々言っていました。
あなたは長くは続かないと思っていたのでしょうか。

あなたと一緒になってから、愛されることと愛することは同じことだと気づきました。
いや、愛するということはすべてを許すことなのだと気づいたのです。
人の言動は常に多義的です。
相手を愛していれば、その人の言動はすべて「愛」の対象になるのです。
書き続けると、長くなりますので、今回はここでやめます。

私にとっての最愛の人は旅立ちましたが、いなくなったわけではありません。
節子は今なお、私の最愛の人であり、私のすべての「愛」の象徴です。
そしてたぶん、今なお、節子は私を愛してくれているでしょう。

矢野さんは、「お花の好きな奥様にアルプスのお花を見ていただけたら」と、アルプスの花のカレンダーを送ってきてくれました。

節子
あなたの周りの花の世界はまだまだ広がっていますよ。
あなたが花をとても愛していたからでしょう。
私もそれにお相伴させてもらっています。
ありがとう。

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コメント

読んでて涙が出ました。
素敵なラブレターですね。
これからも、節子さんあてにラプレターを書き続けてください。
夫婦の愛についての、最高の教科書のひとつだと思います。

投稿: 石本 | 2008/01/05 10:20

石本さん
ありがとうございます。

石本さんが最後のオープンサロンに持ってきてくれた花束を持っている節子の写真をこのブログにもリンクさせました。
あの頃の節子は一番輝いていたかもしれません。
これからは自分のやりたいことをやると思っていたはずです。
その直後、手術で入院することになり、
その時に、石本さんからファッショナブルなパジャマを創ることの申し出を辞退したことを、私たちは2人ともちょっと気にしていました。

石本さんには、いろいろと元気をもらいました。
ありがとうございました。

投稿: 佐藤修 | 2008/01/06 08:41

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