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2008/01/08

■福岡の3児死亡飲酒運転事件の判決への疑問

会社時代に新たに異動した部署の上司から言われた言葉で、今でも覚えていることがあります。
「法学部出身者は、限られた前提要素に基づいて、論理的に考えて結論を出すが、前提となる要素の是非や前提要素以外の事情を考えない傾向がある」。
その人は経済学部出身でしたが、部下の多くは法学部出身でした。
私も法学部出身でしたので、予め注意してくれたのだろうと思いました。
奇妙に心に残ったのは、私が思っていたことと重なっていたからです。
もっとも私自身は、法学部に限らず経済学部のスキームもそうではないかと思っていましたが。いや、近代科学の発想はすべてそうだと思います。
それがよいこともありますが、その限界はしっかりと認識しておくことが大切です。

今日、福岡の3児死亡飲酒運転事件の地裁判決がでました。
注目されていた危険運転致死傷罪の成立はやはり認められませんでした。
法論理的には妥当なのかもしれませんが、法の精神(リーガルマインド)には沿っていないような気がします。
40年前の上司の言葉を思い出しました。
もしこの事件が、裁判員制度の対象になっていたらどうでしょうか。
そんなことも考えました。

この裁判では、「アルコールの影響により正常な運転が困難な状態」だったかどうかが争点だったわけですが、「正常な運転」「困難な状態」などというのは論理的な言葉ではありません。
判決では、「スナックから事故現場まで蛇行運転や居眠り運転をせず、衝突事故も起こさなかった」「事故直前、被害者の車を発見して急ブレーキをかけ、ハンドルを切った」ことなどを重視して、困難な状態ではなかったということになったそうですが、馬鹿げた議論だと思います。
もしそれが法論理的に妥当なのであれば、馬も鹿にできるでしょう。
と考えてしまうのは、やはり法律を知らない者の暴論なのかもしれません。
しかし、どう考えても、この論理展開にはリーガルマインドも価値理念も感じられません。
出来の悪い電算機の出す論理展開のような気がしてなりません。
誠実に論理展開をしたのでしょうが、前提として入れ込む要素に問題があるような気がします。
やはり暴論でしょうかね。
私はとても裁判員にはなれそうもありません。

罰の重さはともかく、こういう事件にすら危険運転致死傷罪が適用できないことが不思議です。
何のための立法だったのでしょうか。
何のための裁判なのでしょうか。

念のために言えば、重罰を科すべきだと言っているのではありません。
裁判や法律の意味や信頼性のことを言っているのです。

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