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2008/01/15

■節子への挽歌135:やはり元気を与えてくれるには仕事なのでしょうか

節子
M市で市会議員をやっているNKさんからメールが来ました。
彼女も4年前に伴侶を見送りました。
彼女の活躍ぶりは私のところにもいろいろと伝わってくるほどです。
その彼女がこう書いてきました。

私的には、つまらない日々です。
大笑いすることがなくなり、楽屋落ちの冗談を交わす相手がいない空しさはやりようがありません。
そうなのです、日々がつまらなくなり、心から笑うことがなくなり、楽屋落ちの冗談が交わせないのです。
あまり気がついていなかったのですが、まさに私も同じ感じですね。
先日の言いようのない退屈さを思い出しました。
彼女は4年前に伴侶と別れていますから、私はまだまだその「つまらなさ」が高まっていくのでしょうか。
ちょっと気が重いですね。

彼女はこう続けています。

仕事に生かされているなとつくづく思います。
最近の彼女の潔い決断の背景には、「つまらなさ」からの脱出意識もあったのかもしれません。
たぶん本人は意識していないでしょうが。

仕事が彼女にパワーを与えている。
私もそうなっていくのでしょうか。
江藤さんのシナリオでなければ、そうなのでしょうね。

人にとって「仕事」とは何なのか。
こういう視点から考えてみると、仕事の本質が見えてくるような気がします。

節子
私も仕事を再開します。
これまでと同じように、支援してください。

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