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2008/01/21

■医師の言葉の重さ

昨夜、NHKの認知症の番組を見ました。
私は昨年、妻を亡くし、それ以来、医療や病院の番組は見ることができずにいました。ですからこの番組も見る気にならなかったのですが、たまたまテレビをつけた時、画面で患者の家族が「医師は絶望させることしか言わない」と発言していたのが気になって、ついつい見てしまいました。
案の定、見ているうちに妻の闘病のことが思い出されました。
妻は認知症ではなく、胃がんでした。
医師はとても誠実に治療対応してくれました。
私たちは世間的に言えばかなり良い医師に恵まれたことは間違いありません。

にもかかわらず、私は病院にはかかりたくないと思うようになりました。
病気になっても、病院にかかることなく死を迎えたいと思うほどです。

「医師が絶望させることしか言わない」。
妻の場合は、必ずしもそうではありませんでしたが、病状が深刻だったこともあり、「希望が持てること」は言ってもらえませんでした。
医学的な論理からいえば、希望などなかったのでしょう。
しかし、希望がなくて病気と付き合えるか、というのが私の考えでした。
嘘でもいいから希望を与える言葉がほしいと何回思ったことでしょう。

回復の可能性が高い場合は、そんなことはないでしょうが、回復不能とされる場合は、医師の言葉は患者や家族には凶器のように突き刺さるのです。
「もう手の施しようがありません」
それが事実かもしれませんが、その言葉が患者にどれほどの恐怖感を与えることでしょうか。

医師の言葉は、本人が思っている以上にパワーを持っています。
番組で、認知症の人と家族の会の代表の方が、
「医師が病気を悪くすることさえある」
というような主旨の発言をしていましたが、全くその通りです。
まさに医師の言葉は暴力にもなるのです。

しかしそのことは逆に、医師の言葉は奇跡を起こす治癒力も持っていることでもあります。
医師から希望を感じさせられる言葉をかけてもらった時の、妻の笑顔とその後の元気を思い出します。
医師の言葉は、まさに薬よりも大きなパワーを持っているのかもしれません。

番組での問題提起とは全くずれたことを書いてしまいました。
番組では、認知症の問題を切り口に、医療とか介護、さらには社会のあり方に関して、さまざまな問題が提起されていました。
とてもいい番組で、心に響いた発言もありました。
久しぶりに、テレビでできることはいろいろあることを改めて実感しました。

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