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2008/01/05

■「犬という語は、狼なる語が存在しなければ、狼をも指すだろう」

「犬という語は、狼なる語が存在しなければ、狼をも指すだろう」とソシュールは言ったそうです。
近代科学の起点が「分ける」ことだったことをこれほど明確に示している言葉はないように思います。
もっとも、言葉が実体を具現化させることは、なにも近代科学に始まったわけではありません。
人間の歴史は言葉で始まったのかもしれません。

昨日、言葉の力のようなことを書きましたが、日本は言霊の国とよくいわれます。
しかし、おそらく言霊信仰は日本だけの話ではないでしょう。
むしろ「言霊」という言葉を生み出したことによって、
日本ではそのことが強く意識されただけのことではないかと思います。
もしそうであれば、改めて言葉の力を感じます。
言葉が文化を創りだし、人々の意識を決めていくわけです。

国民意識を形成し、国家のアイデンティティを創り出すために、
「国語」は重要な役割を果たしてきました。
各地の言語はおそらく連続的ですから、どこで区切るか、
たとえばどこまでを方言として位置づけるかで、国家の範囲も変わっていきかねません。
そうした最大の統治要素、社会の基盤要素である言語を、
私たちはおろそかにしていることを、正月のテレビを見ていて痛感しました。
社会が崩れ出し、心のつながりが薄れ、
国家のアイデンティティが損なわれても仕方がないように思います。
教育改革や愛国心論議よりも、国語のあり方を見直すことが先決課題ではないかと思うようになりました。
あまりにもなじめない言葉が多すぎることのひがみかもしれませんが。

今年は、私自身、言葉を大事にしていきたいと思います。

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