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2008/01/07

■節子への挽歌127:花より団子の続き

「花より団子」に関して書いたところ、追記したように、私のことではないかと涙の電話がありました。
その記事を読んで、そんな風に受け止められていたのかと涙が出てきてしまったのだそうです。
反省しました。
私もこのブログで善意の人たちを傷つけていたわけです。
伴侶がなくなったので特別だと思っている自分がいることに気づきました。
そんな気は全く無く、むしろ「当事者」の気持ちの複雑さを伝えたかったのですが、
心当たりのある人は不快になるでしょうね。
心から反省しました。
申し訳ありません。

その電話の主は、私たちの古い友人のKさんなのですが、
彼女にとっては、実は「花より団子」は特別の意味を持っていた言葉だったのです。
節子と一緒に花を見に旅行した時に、どうも節子が言った言葉のようで、
そこにはいろいろな思い出が込められていたのです。
いろいろと話を聞かせてもらいました。
Kさんには悪いことをしましたが、私の忘れていた節子を思い出させてくれました。

ところで、そのついでに、Kさんは私に、
昔、修さんに言われた言葉をもう一つ思い出したと言うのです。
会社の運動会の競技で一生懸命に走ってきたKさんに、
何で笑いながら走っていたのと言ったのだそうです。
一生懸命にがんばっている顔を笑い顔と見間違えてしまったわけです。

私は不躾な発言をよくします。
思ったことを何も考えずに口にしてしまうのです。
悪気はありませんが、それこそが一番始末におえないのです。
節子はそれをいつも気にしていました。
あなたは、いつも軽い気持ちで発言して、みんなを傷つけている、もっと気をつけないとだめよと言うのです。
節子自身が、それに慣れるまでだいぶかかったのでしょう。
誰かと一緒に会った後、よく、節子に注意されたことをKさんからの電話で思い出しました。
気をつけなければいけません。
でも、そういうことをちゃんと言ってくれるのは伴侶しかいません。

ところで、「花より団子」ですが、当事者以外、つまり今回の場合は、
伴侶を失った私以外の人にとっては、死者も遺族も同じなのではないかと気づきました。
そして、そう思ってもらえることこそが、当事者にとっては一番うれしいことではないかとも気づきました。
Kさんからの電話で、いろいろと考えての結論です。
理屈っぽいと思わないでください。
それに、あの時書いたように、「花よりこころ」であれば、花と団子の違いなど、瑣末な話なのです。
身勝手な解釈を反省しました。
自分の小賢しさがいやになります。

不快にさせてしまった方に深くお詫びいたします。

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