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2008/01/29

■節子への挽歌149:声に出すことの大切さ

時評のほうの記事に、何回か「言葉」の問題を書きました。
節子との別れ以来、言葉についていろいろと感ずることがありました。

節子がいなくなってからも、私はよく節子に話しかけています。
毎朝の祈り、寝るときの会話、真夜中の呼びかけ、1日に何度、あなたと話していることでしょうか。
節子、ちゃんと聴いていますか。
またか、と聞き流しているような気もしますが、まぁいいでしょう。

いずれも私は、声に出しています。
頭の中で話す内語と声に出す外語、さらには他の人に聴いてもらって反応してもらう会話、私はその3つは別のものだと思っています。
私は何かをやるときに、必ず声に出すことから始めます。
節子はそれをよく知ってくれていました。
節子がその言葉を聴いて反応してくれることで、私は行動へと向かえたことが少なくありません。
今は残念ながら反応はありませんが、声に出すことは続けています。

毎朝、般若心経をあげていますが、当然、声に出します。
私の母も、伴侶を亡くした後、毎日、般若心経をあげていました。
当時、私はあまり関心なく、一度も一緒にあげたことはありませんでしたが、節子をなくしてからやっと読経の意味が実感できました。
母への思いやりが足りなかったことを、今頃気づいているわけです。

声に出すこと、それだけでもとても精神が安定します。
独り言はかなり勇気が要りますが、読経は堂々とできますから、それだけで自らの心身を鎮める効果があります。
読経も供物も死者のためではなく、遺族のための仕組みかもしれません。
供養そのものが、そうかもしれません。
花より団子への私の考えは、間違っているかもしれません。
最近、そんな気もしてきました。

私の場合は、報告も節子の位牌や写真に向かって、声に出しています。
ですからわが家ではまだ、節子は実在しています。
節子の許可を得てから取り組むこともあります。
私にとっては、今もなお、節子が家族の大黒柱なのです。

声に出すことの意味はとても大きいです。
愛する人を亡くした人、別れてしまった人。
ぜひ声に出して話し合うことをお勧めします。
内語でではなく、外語で、つまり声に出して話すことで、意識はかなり変わります。

そうだよね、節子
もっとも家事に関しては、節子はいつもこう言っていました。
「あなたは口だけなのだから」

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