■「資源を過剰に使用」した結果としてのスタグフレーション
1970年代に世界を襲ったスタグフレーションの再来が危惧されています。
いや、もうすでに始まっているというべきでしょうか。
「スタグフレーション」とは、景気停滞(スタグネーション)と物価上昇(インフレージョン)の合成語で、
要するに「不況なのにインフレ」という状況です。
私がこの言葉に出会った1970年代のはじめ、企業で経営戦略スタッフとして仕事をしていた時です。
第1次オイルショックで、日本の社会が混乱していた頃です。
トイレットペーパーが入手しにくくなり、公衆トイレからトイレットペーパーが盗まれるという時代でした。
経営戦略につながる仕事をしていた私には重要なテーマでした。
そのため、石油や景気の行方に関するセミナーやフォーラムによく参加しましたが、
暖房が止められた寒い中で2日間もセミナーを受講した記憶があります。
みんな熱いコーヒーを飲みながら寒さをしのいでいたことを懐かしく思い出します。
その時に聞かされたのが、「スタグフレーション」という言葉でした。
うろ覚えですが、当時、聞かされたのは、
不況は一般に需要不足によって起こるが、
スタグフレーションは供給ネックが契機になるということでした。
1970年代初めのオイルショックが引き金だったのです。
うろ覚えだったので、ウィキペディで調べてみたら、こう書いてありました。
経済のダイナミズムから見れば、スタグフレーションは、経済上の資源を過剰に使用して経済成長した場合に、バランスをとるために発生する。とても納得できました。
「経済上の資源を過剰に使用」。
まさに現在の私たちの経済ではないかと思いました。
いま、国会ではガソリン税の暫定税率を継続するかどうかが問題になっています。
税負担の公平性およびその使途という点から、私は躊躇なく廃止すべきだと思いますが、
ガソリンが高くなったので自動車の利用を控えているという知人の話を聞くともっと税率を高めてもいいなとも思ってしまいます。
まぁ、これは問題が全く違うのですが、
「資源を過剰に使用」する経済のあり方は変えなければいけません。
それこそ今流行の「持続可能な経済」にも反します。
「資源を過剰に使用」した経済を支えているのは、私たちの生き方です。
そして、私たちの生き方もまた、「資源を過剰に使用」しています。
スタグフレーションはまた、格差社会にもつながっています。
インフレは、資源を過剰に使用する人たちにも、資源を過少にしか入手できない人たちにも同じように影響を与えます。
しかもその影響度は後者が圧倒的に強いのです。
一方、不況は格差を拡大する作用がありますから、後者の資源入手の困難度は高まります。
さらに、格差は資源の過剰消費に深くつながっているように思います。
スタグフレーションと格差社会、そして持続可能経済の欺瞞性が、すべてつながっているような気がしてなりません。
いずれにしろ、「資源を過剰に使用」する生き方は改めたいものです。
我が家のささやかな誇りの一つは、家族みんなが資源消費への節約意識が強いことです。
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