■対立の時代の様相
党首討論を見ていました。
内容は物足りませんでしたが、初めて最後まで見ていられました。
日本の国政は、大連立か対立かで大議論がありました。
大連立の話を聞いた時に、とても意外でしたが、同時にとても納得できました。
しかし世論は、連立ではなく、対立を求めました。
そういえば、北朝鮮の拉致問題でも多くの人は対話ではなく圧力、つまり対立を求めているように思います。
政治の世界では、いまは「対立の時代」なのでしょうか。
ナチスドイツの法学理論を支えた一人が、カール・シュミットでした。
彼は「友敵理論」で有名なパワーポリティックス論者です。
政治の本質は「敵と味方の識別」だとし、味方の政策をともかく通すことを重視しました。
政治とは、異質の人たちが協力して合意形成していくことという考えもありますから、パワーポリティックスだけが政治ではありません。
しかし、昨今の日本の国民、つまり私たちは、どうも敵味方になっての対立思考が好きになっているようです。
これも何だか危険なシグナルのような気がします。
このブログに対しても、「佐藤さんは二元論や敵味方に分けて議論するのが好きですね」と批判されたことがあります。
私自身は二元論も敵味方論も克服すべきことだとずっと思っていますので、そういう批判を受けたときにはショックでしたが、読者がそう受け止めるのであれば、きっとそうなのでしょう。
その指摘以来、少しは意識しているのですが、自分ではなかなか見えてこないものです。
対立からは何も生まれない、という体験から、私は「共創」という姿勢を基本において、これまで活動してきました。
共創においては、敵味方や対立は決して否定すべきものではありませんが、克服すべきものです。
生き方においても、それを15年以上続けてきていますが、思わぬ誤解から嫌われたこともあれば、忌避されたこともあります。
しかし、それはまあ仕方がないことだと、自分では納得しています。
刺客が登場したり、ねじれ現象を活かさずに相変わらず力任せに法案を成立させたりことしか考えないような数の論理を優先させたりする政治は、まさに敵味方の戦争モデル政治です。
敵味方の争いになったので、政治が面白くなってきたと言う人もいるでしょうが、政治の目的は、戦いではなく、「みんなの幸福の実現」です。
しかし、どうもそう思っていない人が多いように思います。
ちなみに、司法も経済も、その目的は「みんなの幸福の実現」だと思うのですが、なぜかそうはなっていないような気がします。
まさに今は「対立の時代」なのかもしれません。
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