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2008/01/17

■もったいない文化の基本にある「いのちへの愛」

昨日の続きです。

岩田さんは木の話もしています。
木は土とつながっていてこそ木だというのです。
この机は木でできていると日本では言いますが、
英語ではその場合の木は、 tree ではなく、wood だというのです。
日本でも「木材」という言葉はありますが、普通は「木材でできた机」とは言いません。

法隆寺の宮大工だった西岡さんは、木材は1000年以上生きつづけていると言いました。
机の木もまた生きつづけている、そういう文化が日本にはありました。
机にも生命が宿っていたわけです。
ですからそう簡単には廃棄できませんでした。

「もったいない」という言葉は、そもそも仏教用語ですが、
「勿体(もったい)」は本来あるべき姿、つまり本来の価値だそうです。
本来の価値が活かされていないことが「もったいない」と言うことになります。
本来の価値とは、そのものの「いのち」です。

土から離れてなお生きている木。
そのいのちを守っているのは、それを活かしている人間です。
人間は、さまざまないのちを輝かす力を与えられた存在ではないかという気がします。
そのことは、同時に、さまざまないのちを奪う力を与えられたことでもあります。
与奪はコインの表裏ですから。

それぞれのもつ「いのち(価値)」を輝かす文化。
それがたぶん「もったいない」という文化の本質のような気がします。

最近、世界的に「もったいない」発想が広がり、「MOTTAINAI」は英語にもなりました。
とてもうれしいことですが、その基本にある「いのち」への愛こそが大切です。
それがなければ、環境問題も平和も、それこそが意味のないものになってしまうような気がします。
昨今の環境や平和への取り組みは、どうも「いのちを奪う」発想があるような気がしてなりません。

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