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2008/01/03

■エコ・ウォーズと二酸化炭素排出権

この数年、新年の新聞ではいつも環境問題がとりあげられます。
にもかかわらず、私の生活スタイルはあまり変わっていないような気がします。
学生の頃から一応、環境問題には関心があり、それなりのエコライフに努めていますが、
年を取るにつれ、むしろ環境負荷を高めているような気もします。
若い頃はマイカー主義に反対していたのに、最近は自動車に乗るのに一切抵抗はありません。
運転免許までとってしまいました。
ゴミの分別はもちろんやっていますが、生ゴミのコンポスト化はやめてしまいましたし、
家を新築した時にソーラー発電も取り入れませんでした。
石鹸にこだわっていたのに、いまはあまりこだわりません。入浴剤まで使用しています。
今や世間の流れには逆行しているわけです。
反省しなければいけません。

しかし、最近の環境問題の取り上げ方にはどうも違和感があり、素直に対応できないのです。
それが良いとは思ってはいないのですが、
昔のように心身がエコライフに向かわなくなっているというのが正直のところです。
というよりも、エコライフって一体何なのかが見えなくなってきてしまったのです。

今朝の朝日新聞に、
「温室効果ガスの排出権取引の関連業務に、大手信託銀行が本腰を入れ始めた」
という記事が出ています。
環境さえも経済化されていく風潮には、以前から違和感がありましたが、
状況はますます私が思っているエコロジー思考とは違ったものに向かっているような気もします。
また、朝日新聞で元日から始まったシリーズ「環境元年」の第1部は、エコ・ウォーズですが、
エコロジーに「ウォーズ」などという言葉が出てくることにも違和感があります。

そもそも、戦争モデルを基本にしている最近の経済システムが、
環境問題への処方箋の中心になっているのが、どうしても共感できないのです。
いうまでもなく、エコロジーとエコノミーは、いずれも暮らしのためのものでした。
いずれの語源も、古典ギリシア語のオイコノミー(家政術)に由来するといいます。
エコロジーとエコノミーは双子の子どもなのです。

但し、性格は全く違います。
エコノミーは、価値観が一つのために戦いや競争を好みます。
エコロジーは、多様な価値観のもとに支え合いを楽しみます。
近代社会は、オイコノミーを思い切り前者に軸足を降ってしまったのです。
これはもしかしたらキリスト教と関係あるかもしれません。

1990年代にエコロジー発想の動きが強まってきた時に、
私はエコノミーの理念が変わるのではないかと期待しました。
しかし、その後の動きは逆でした。
エコロジーの理念が変わったのです。
そんな気がします。

エコの理念にとって、最も大事なのは戦わないことです。競争しないことです。
そして、経済もまた、そうしたエコ発想のモデルがあるような気がしてなりません。
多様な価値観のもとに支え合いを基本とした経済システムが模索されても良いのではないかと思います。
私自身は、個人的にはできるだけそう行動しようと思っています。

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