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2008年2月

2008/02/29

■節子への挽歌180:過去こそ永遠に生き続けるもの

先日、「ひとは過去についても祈ることがある」と書きました。
今朝、読み直してみて、私の気持ちがどうもうまく書けていないことに気づきました。
「過去から始まる物語は、過去において完結してしまっている」と言ってしまっては、クラインの壺のように、出口が見つからなくなります。
クラインの壺とは、内部と外部との境界のない空間です。
それはちょっと違うのです。
それで少し補足します。

大切なことは、「過去は過ぎ去ることがない」ということです。
とりわけ現在と断ち切られた過去は、変えようがありませんから、そのままの形で永遠に生き続けるのです。
時間が解決するというのは、多くの場合、問題解決のための方便でしかありません。
自分に関する過去の多くは、決して「風化」などしません。
みなさんもそういうことってありませんか。
過去において完結してしまっているにもかかわらず、むしろ心の中でどんどんと大きくなっていくのです。
そういう意味では、節子は私の中ではいまや「永遠のいのち」を得ています。
それこそ不死の命と言っていいでしょう。
失うことでこそ得られる命というものもあるのです。

私の心身のなかには、節子と一緒に創りだしてきた「過去」がたくさんあります。
ある言葉、ある体験、ある風景、そうしたちょっとした刺激が、そうした「過去」を生き生きと思い出させることがあります。
それは私と節子以外には、絶対にわかりませんし、起こりえない感覚です。
突然に幸せな気分になったり、突然に涙が出たりするわけです。

その感覚は、過去に引きこもると言うようなものではありません。
むしろ過去と言うよりも現在を創りだしてくれるのですから、生きているのです。
「私が過去に生きる」というのではなく、「私のなかで過去が生きている」とでも言っていいでしょう。
繰り返しますが、未来に向かって育っているという意味で「生きている」のです。
そのため、まるで2つの世界を生きているような感覚になることもあります。
みんなと合わせながら、自分にしか実感できない「もうひとつの世界」にいる自分に気づくのは、疲れます。

その「もう一つの世界」では、節子はまだ生きているわけです。
にもかかわらず、その節子に会えないという苛立ちを時々感ずるのです。
節子にはたぶん見えているのに、なぜ私からは見えないのか。
どう考えてもフェアではありません。不条理としかいえません。

またわけのわからないことを書いてしまいました。
でも私にはとても素直に実感できる感覚なのです。

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■杉本栄子さんのご冥福を祈ります

新聞の訃報欄で、水俣の杉本栄子さんの訃報を知りました。
ちょうどテレビで原田正純さんの番組がさかんに予告されていたので、杉本さんのことを思い出していたところでした。
と言っても、私自身は杉本さんとは一度だけしかお会いしたことはありません。
お会いしたと言うよりも、ちょっとお話をしただけですが。
杉本さんの漁の船に乗せてもらえるチャンスがあったのですが、寝坊してしまい、チャンスを失してしまったのです。
きれいな水俣湾のきれいな漁場の前にある杉本さんの作業場で美味しいシラスをわけてもらいました。
とても美味しいシラスでした。

水俣病には大きな関心を持っていましたが、私の知識は新聞や雑誌での情報だけでした。
しかし、10年ほど前でしょうか、水俣を案内してもらえる機会に恵まれました。
案内してくれたのは水俣市の吉本哲郎さんです。
吉本さん(当時は水俣市の環境課長でしたでしょうか)の家に泊めてもらい、案内してもらいました。
それまで頭だけで考えていた環境問題は、吹っ飛んでしまいました。
吉本さんの見事な案内で、それまでの私の無機質な「知識」に生命を与えられたような気がしました。
その時の旅のおかげで、私の価値観や生き方は少しずつ変わりだしました。
吉本さんのおかげです。吉本さんにはとても感謝しています。

私にとっては、杉本さんは水俣病の物語のシンボリックな存在の一人でしたが、直接お会いした杉本さんは、まさに生活文化を感じさせる「土の人」でした。
実に生き生きしていました。
「これがあの杉本さんか」という感激よりも、これこそが現場なのだと言う感じでした。
事実は情報の中にではなく、現場にある、ということを、その時に教えられました。
私が水俣病に関してほんのちょっとだけライブに理解できるようになったのは、その時の旅のおかげです。

杉本さんは、水俣病第1次訴訟の原告になり、ご自身も患者認定されました。
水俣病資料館の語り部もされていました。
いつもメルマガを送ってくれる水俣病センター相思社の遠藤さんから、次のようなメールが届きました。

どれほど多くの人が、栄子さんの話を聞いて元気になり、生きる力を授かったか。
大げさな表現ではなく計り知れません。
栄子さんは多くの言葉を残してくれました。
「やっぱ悔しさとかいじめられたこつも、言わんばならんこつもあっとやもんなー。
市民の人たちや全国の人たちが、私たちの話しば聞いたっちゃ、
私たちの話が分かってもらえるのは苦労した人、壁にぶち当たっている人たちやもんな。
そん人たちは『アーこげんした生き方もあっとかいな』と、理解せられるばってんな。
何を求めてここまで私たちに会いに来てくれらっとか。
帰ってから、どげん使おうっちしとらっとやろかっち。
じゃばってん、聞きにくる人はですね、聞きにくる人は求めて来とらっとですから、聞かっとですよ」。
私たちはこれからは生きた栄子さんの言葉を聞くことはできませんが、遺されたその言葉を自分自身に活かしていくことが、栄子さんが私たちに残した課題だと思います。
かみしめたい言葉です。
水俣の教訓から学ぶことは本当にたくさんあります。

杉本さん
ありがとうございました。

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2008/02/28

■節子への挽歌179:チューリップが芽を出しはじめました

年末から2月まで、節子のまわりはたくさんのチューリップに囲まれていました。
今年は寒かったせいか、とても長く節子を飾っていてくれました。
節子が好きだった、近くのあけぼの公園もきっとチューリップが咲き出していることでしょう。
いつもなら節子と一緒に見に行くのですが、まだ行く気が出てきません。

昨年、節子のところに献花に来てくださった人たちに、
最初の頃、チューリップの球根をさしあげていたのです(差し上げるのを忘れた人もいます。すみません)。
その球根が芽を出し始めたようです。
何人かの人から、チューリップが芽を出したと言われています。
わが家の庭にも同じものを植えていたので見てみたら、芽がでていました。
節子はチューリップになって、いろいろな人のところに戻ってくるかもしれません。

そういえば、昨年、南房総で節子が買ってきた花々も咲き出しそうです。
河津の桜もつぼみが和らいでいます。

節子、忙しくなりそうですね。
いろんなところに顔を出さないと駄目ですね。
私の夢にも出てきてくださいよ。

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■「必ずしも適切ではなかったと考えております」

「艦長である私に全体の責任はあると思います」
「問題がなかったとは思っておりません」
イージス艦「あたご」の艦長の記者会見での言葉です。
艦長が吉清さん宅に謝罪に行った時の物腰などから、艦長の誠実さは伝わってきますが、この言葉にはどうも違和感が残ります。

いずれも記者会見でよく聞く言葉のパターンです。
石破大臣が、事件当日に「あたご」の航海長を呼び寄せて防衛省内で事情聴取をしていたことが今日、判明した事に対して、「必ずしも適切ではなかったと考えております」と話していますが、これもよくあるパターンです。

いずれの発言にも「主体としての自分」が感じられません。
観察者の言葉です。
言葉には、発言者の立ち位置が明確に出てきます。
観察者は責任に背を向けています。

こうした言葉は、政治の世界だけではありません。
いまや自分自らさえも、観察者的に見てしまう生き方が広がっているように思います。
その象徴は、いまの福田首相かもしれません。

しかし、その一方で、社会の現場では当事者主権の動きが広がっています。
当事者が自ら動き出してきたのです。
お上依存の民としてではなく、自分の人生を生きるひとが増えています。

世界が二つに分かれ出しているような気がしてなりません。
バーチャルな世界とリアルな世界への方向です。
その跛行現象の先行きに大きな不安を感じます。
私自身は一応、後者に軸足を置いているのですが、前者の世界からのノイズは予想以上に大きいです。

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2008/02/27

■節子への挽歌178:「ひとは過去についても祈ることがある」

祈りは未来に向かっての行為でしょうか。
毎朝、節子の位牌の前で祈りながら、過去に向かって祈っている自分に気づくことがあります。
いまの私にとっては、むしろ祈りは過去へのものになっています。

祈りですから、ある希望を込めているわけですので、変わることのない過去への祈りは成り立たないいかもしれません。
しかし、あの時の節子が喜んでいてくれますようにとか、あの時の私の対応をゆるしてくれますようにとか、ついつい祈ってしまうのです。
節子に関して言えば、過去も現在も未来も、私のなかでは同じものになってしまっているのかもしれません。
そんな思いを持っている時に、こんな文章に出会いました。

ひとは過去についても祈ることがある。他者の死こそが、取り戻しようもなく、抹消不能で、決して現在に回収されることのない、真の「外傷」となるからである。外傷の深さは測りがたく、疼きは癒し難い。祈りが切迫したものとなるのは、過去こそが過ぎ去らず、回復不能であること、過ぎ去ったものこそが打ち消し難いことを、ひとが思い知る時である。(「癒しの原理」石井誠士)
10年以上前に読んだ本ですが、先日、何となく書棚にあるのに気づき読み出しました。
この本を読んでいるうちに、実は精神的にかなり不安定になってしまいました。
あまりに自分の心情に重なってくるからです。
それに、やはりまだ「死」について書かれている本は読むのが辛いのです。
心のどこかに、節子の死を受け入れていない自分がいるのです。

過去こそが過ぎ去らず、回復不能であることという言葉は心を突きます。
過ぎ去る過去もあるでしょうが、伴侶の死、愛するものの死は決して過ぎ去ることはありません。
むしろその過去の事実が、心の中で育ちだすような気がします。
まさに「外傷の深さは測りがたく、疼きは癒し難い」のですが、それだけではなく、その疼きが育ちだしてしまうのです。
もちろん育つのは悲しみだけではなく、喜びもあります。
節子と一緒に過ごした日々の楽しさが甦ることもあるのですが、しかし無残なことに、その喜びもまた確実に死によって突然閉ざされます。
人は誰も、そしていつも、死に向かってはいるものの、おそらく普段はそんなことは「意識的」には意識しないでしょう。
しかし、過去から始まる物語は、過去において完結してしまっているのです。
それに対処するには、祈りしかありません。

「ひとは過去についても祈ることがある」。
最近は、祈るという行為は過去に向けられているのかもしれないと思うようになりました。
未来はすでに過去において決められているのかもしれません。

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■ラルフ・ネーダーのコンシューマリズムは何だったのか

米国の消費者運動家ラルフ・ネーダーがまた大統領選に立候補すると表明したそうです。
彼が起こした1970年代のコンシューマリズムは、私の人生観に大きな影響を与えました。
当時、企業の経営スタッフをしていた関係で、その動きを整理しトップに報告したことがあるのですが、
その過程で「消費」という概念の持つ落とし穴に気づいたのです。
当時の彼の主張には共感していました。

そのネーダーはこの数年、毎回、大統領選に立候補しています。
彼の支持層は民主党と重なるため、
2000年の選挙では、接戦の末に敗れたゴア副大統領(当時)の敗因を作ったと批判されました。
彼がもし立候補しなかったら、ゴアが大統領になり、イラク侵略は起こらなかったかもしれません。
環境問題への対応も少し変わったかもしれません。
その時から私のネーダーやコンシューマリズムの評価は一変してしまいました。
歴史を創ることはまた歴史を壊すことですが、
壊すのは過去や現在ではなくて、未来なのだとやっと気づいたのです。

善意と悪意はコインの裏表です。
各論最適は時に全体にダメッジを与えることがあります。
コンシューマリズムの根底には、ホリスティックな発想があればこそ、
私は共感したのですが、どうもネーダーにはそれが欠落しているようです。
善意の乱立こそが、悪意の最大の味方であることを、ネーダーには気づいてほしいです。
善意の乱立が、善意を悪意に転化させることを、いま民主党予備選挙は示しています。
ヒラリーも、オバマも、相手を間違っているような気がします。
アメリカに限りません。
日本のいまの政治状況もまた、まさにそういうことを明確に示しています。

ネーダーにはかつてのように、変革の風を現実的に起こしてほしいものです。

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2008/02/26

■節子への挽歌177:黄色の花のエール

節子
近くのTさんの家の人が、庭になったみかんをたくさん持ってきてくれました。
例年であればジャムにして、Tさんにも差し上げるのですが、
節子がいない今年はジャム作りが出来ないかもしれません。
節子がせっかく育ててきた、近隣での物々交換の文化は引き継ぎたいと思うのですが、
「手づくり加工」のプロセスが入らないと単なる物々交換になってしまい、あんまり意味がありません。
娘たちが節子の文化を継承はしてくれるでしょうが、
節子がいないと、やはりいろいろな意味で残念なことが多いです。
あなたの見事さを改めて思い出しています。

ところで、みかんを持ってきてくれたのはOさんです。
Oさんからちょっとショッキングな話を聞きました。
嫁いで家を出ているTさんの娘さんの体調が、最近あまり良くないのだそうです。
あなたのお見舞いに来てくれたこともあるUさんです。
その話を聞いた娘たちが、花を贈って元気付けようと言い出しました。
何しろこのブログで「団子より花」と書いてしまった手前、私もやはりここは花を贈ろうと思ったわけです。
そこで一昨日、寒い強風の中を娘たちとちょっと遠くの岩田園まで花を買いに行きました。
あなたとよく出かけた花屋さんです。
節子が一緒でないのが嘘みたいな気がしました。

まだ季節的に早かったせいか、みんなの気にいる花がありませんでした。
そのためフラワーアレンジメントにしてもらうことにしました。
先日Oさんから教えてもらったように、元気を祈って、黄色を基調にしました。
娘たちが昨日、届けてくれました。

花を贈ろう、といって、寒い中を30分もかけて花を探してくれた娘たちがとても嬉しかったです。
節子にも花を買ってきました。
お墓にも献花台にも、写真の前にも花が満開です。
オンシジウムも良い香りを発しています。

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■広告入りの無料のルーズリーフ

最近、広告入りの無料のルーズリーフが大学で学生に配られているそうです。
費用は広告費でまかなわれる仕組みになっているそうで、
文房具代を節約できるため、学生の人気は高いそうです。
これを考案した人は、「ルーズリーフは無料でもらえるということがスタンダードになる時代にしたい」と言っているそうです。
みなさんはどう思われるでしょうか。

新聞でその記事を読んだ時には、こういう環境の中で育っていく学生はいったい何を学ぶのだろうかということでした。
昔から「ただより高いものはない」といいますが、その警句は今では通用しないようです。

大学で講義を聞きながらノートをとる時、いつもそこに書かれている企業広告を目にするわけです。
その効果はきっと大きいでしょう。
なにやら恐ろしさを感じます。
それに、学びの道具を無料で提供されるような状況はなにやらぞっとします。
そのうちに教科書も広告つきになるのでしょうか。
先生たちも企業ロゴのついたユニフォームで教えるようになるかもしれませんね。
スポーツやアートの世界は、いまやかなり経済の世界に取り組まれてしまっていると私には思えますが、
教育もそうなっていくのでしょうか。

私には、企業ロゴのたくさん入ったウェアを着て走るアスリートの感覚が理解できませんが、
人間を広告媒体にしてしまう企業の発想にも驚きを感じます。
どんな立派なスポーツ選手も、企業の広告塔であるかぎり、私には哀れな存在にしか見えません。
私がスポーツ嫌いだからそう思うのでしょうが、彼らは恥ずかしくないのでしょうか。
これは暴言でしょうね。
またみなさんから批判されそうですね。はい。

しかし、子どもたちが集まってくる学校という場は、
そういう意味では最高の企業広告の場なのかもしれません。
大学から始まって、さらに高校、小中学校と広がっていくのでしょうね。

いずれにしろ、広告をつけることで無料にするという発想に、なにかとても「いやなもの」を感じます。
しかし考えてみると、私自身もそうした「無料」のものをたくさん使っています。
このブログには広告はついていませんが、ニフティの提供する無料の仕組みを使っています。
私がよく使っているメーリングリストの多くは広告つきです。
フリーマガジンも時々読んでいます。

要するに、いまや私たちはかなりの部分を企業に養われているのです。
しかし、結局はそうした私たちが企業の利益の源泉なのです。
「飼われている可哀想な鶏」はアスリートだけではなく、私自身もそうなのです。
いやはや恥ずかしい話です。

人間が鳥インフルエンザにかかるようになったのは、
私たちが人間をやめつつあるからかもしれませんね。
これからは広告入りでない有料のものを出来るだけ使っていきたいと思います。
そういうものがあれば、ですが。

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2008/02/25

■節子への挽歌176:黄色い花はビタミン効果があります

節子
葬儀にも来てくれた若いOさんが、先週、湯島に花を持ってきてくれました。
黄色を基調としたかわいいフラワーアレンジメントです。
黄色はビタミン効果がありますから、節子さんに供えてくださいと言って、渡してくれました。
身体から自由になっても、やはりビタミンは必要なのでしょうか。

彼女はジュンと同い年です。
実家を遠く離れて、一人で仕事に取り組んでいます。
あなたがいなくなったとおろおろしている私とは大違いです。
節子がいなくなるまで気づかなかったのですが、
一人で生きている人たちのすごさに改めてこの頃、感心しています。

しかし、やはり一人だといろいろと心細いこともあるでしょう。
結婚すれば少なくとも一人ではなくなるのですが、それはそれでまた大変なのかもしれません。
気になるのは、最近の若い人たちが、私たちの娘たちもそうですが、結婚しようという意識を弱めていることです。
みんな強くなったのでしょうか。
きっと私たち世代の生き方が影響しているのでしょうね。
その意味では、私たち夫婦の生き方もあまり良くなかったのかもしれません。
なにしろ娘たちの結婚志向を育てられなかったわけですから。

結婚せずとも人生のパートナーを得ることは可能かもしれません。
しかし、節子を失って思うことは、やはり伴侶の存在の大きさです。
よく言われるように、「人」は2人で支えあって成り立ちます。
それが伴侶でなければいけないわけではないでしょうが、
私にはやはり伴侶とそれ以外のパートナーとは異質のように思います。
結婚している人たちが、その異質さに気づいているのかどうか疑問ですが。

ところで、どうやって娘たちに結婚願望を持たせたらいいのでしょうか。
あなたも気にしていたことですが、私にとっては最大の難問です。
節子がいないのでとても心細いです。
黄色い花から元気をもらわないといけません。

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■移りゆく現実と動かない現実

一昨日の朝日新聞の「夕陽妄語」で、加藤周一さんが、小田実さんが入院の直前まで、ホメロスの叙事詩「イリアス」の翻訳に取り組んでいたと書いています。
先日亡くなった評論家の高杉一郎さんも晩年に古代ギリシアに強い関心を持っていたそうです。
加藤さんはこう書いています。

高杉一郎と小田実。この2人の同時代人には共通の特徴があった。移りゆく現実に敏感な反応と、動かない現実(たとえば人間の条件)に対する深い洞察。
2人の場合、後者がギリシア文化への関心になっていたというのです。

移りゆく現実と動かない現実。それは対照的に在るようで、実は相補的に在るのだろうと思います。
加藤さんは、ギリシアの古代のどこが現代の発展に役立つかと設問したうえで、ギリシア神話にしばしば現れる、神と人間の争いの構造は、組織と個人が相対する現在の社会的現実に似ているからだといいます。
東北アジアには、そうした「古代」がないが故に、彼らは古代ギリシアに向かわざるを得なかったとも書いています。
これには異論がありますが、その前の対立構造に関する指摘にはとても共感できます。

移りゆく現実と動かない現実。
後者があればこそ、時代の動きが相対化でき、見えてきます。
移りゆく現実に乗ってしまえば、現実は見えなくなってしまいます。
人と人との対立と組織と個人との対立が、これに重なってきます。
加藤さんの文章からは、この両者が対応しているようにも読みとれます。

つまり、移りゆく現実としての人と人との対立、動かない現実としての組織と個人との対立という構図です。
この場合の「組織」の意味が問題ですが、とても示唆に富んだ指摘です。
古代ギリシアにおける神々の組織に代わる新たなる組織、あるいは「神々」が、いままさに生まれようとしています。

ギリシア神話では、神々との戦いは常に人間の敗北です。
新しい戦いにおいては、人間は敗北が避けられるのでしょうか。
小田実がどう考えていたのか、とても興味があります。
イリアスが描くトロイ戦争は神々の代理戦争ですが、それもまた示唆的です。
結局、戦うのは組織ではなく人間なのです。
組織は決して戦いません。組織はどれも深くつながっているのです。
それを忘れてはいけません。

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2008/02/24

■節子への挽歌175:久しぶりの危うい話

久しぶりの「危うい話」シリーズです。

節子がまだ元気だった頃の、私の体験です。
私がこの世からいなくなった後のこの世を2回ほど歩いた記憶があります。
もしかしたら、夢かもしれないので、書くことをためらっていましたが、記憶が消えないうちに書いておくことにしました。

もう5年ほど前になります。
1回目は東京の湯島。私のオフィス近くの急な階段の上です。
一人の媼(おうな)と2人の童が、道端で遊んでいる風景に出会いました。
その時、なぜか周辺から現実感がなくなり、絵の中の風景のように見えたのです。
その3人の服装は、どうみても私が子どもの頃の時代のものでした。
声は聞こえませんでしたが、童(そういう表現がぴったりでした)たちはしゃがんだお媼(そういう表現がぴったりでした)の周りを回っていたような気がします。
私はそのまま通り過ぎたのですが、なぜかその風景が心に強く残りました。
あまりに昔風でしたし、現実感がなかったからです。
こう書いてしまうと何と言うことはない話なのですが、その時の感覚はとても不思議なものでした。

それから数週間して、ますます記憶が危ういのですが、大阪で同じ3人に出会ったのです。全く同じ服装でした。
しかし、その時は何も気にせずに、そのまま通り過ぎました。
そして数日たってから、そのことが急に思い出されました。
しかし、具体的な場所が思い出せないのです。
新大阪駅の近くだったような気がしますが、確かではありません。

なぜその時におかしいと思わなかったのでしょうか。
同じ服装の3人組が2か所にいるはずがないと、なぜ思わなかったのでしょうか。
そんなことを考えているうちに、突然、あれは私が死んだ後の風景だったという思いが浮かんだのです。
なぜそう思ったのかわかりませんが、そんな気がしたのです。
むしろ前世の風景と思うのが普通でしょうが、私にはなぜか来世で見える風景に思えたのです。
節子に、死んだ後の風景を見たよと話しましたが、またおかしな話をしているくらいにしか受け止めてもらえませんでした。
私自身も、夢だったかもしれないと思い出していましたので、あまり深くは話しませんでした。
考え出すと、さまざまな不安が私の心によぎってくるからです。

しかし、その啓示は、思ってもいなかった形で、私の身に起こってしまいました。
節子が旅立ってしまったのです。
呼ばれていたのは、私だったはずなのに。

またあの3人に会ったら、今度は声を掛けてみようと思っていますが、まだ会えずにいます。
会うべき人には必ず会うものだ、と私はずっと思って生きていますので、もし会うべき人たちであれば、きっといつか会えるでしょう。

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■そこのけそこのけイージス艦が通る

19日に起こったイージス艦衝突事故ではさまざまなことを考えさせられました。
事故発生後5日も経過するのに、吉清父子がまだ見つからないことはとても心痛みます。
奇跡が起きないものかと他人事ながら祈っています。

この事件が突きつけている問題はたくさんあります。
テロ対策上の問題や国防上の危機管理体制の問題も議論され出していますし、
防衛省の情報隠蔽体質も問題でしょう。大臣の統制力の問題もあるでしょう。
しかし私が一番感じたのは、民と官の意識のあまりにも大きな違いです。
まさに違う世界に住んでいる人たちを見ているような気がしました。
その溝はもはや埋められないところまで来ているような絶望感をもちました。
気持ちの往来が全くといっていいほど感じられません。

事故にあった吉清哲大さんは、毎年、ホームレスの支援団体に魚を届けていたといいます。
金は無いけど魚なら支援できると毎年数回、炊き出しに協力していたそうです。
その話を知った時、なぜか私は涙が出ました。
お金などなくても、できることはたくさんなるのです。
どうして神様は、こう言う人を守ってやらなかったのでしょうか。

哲大さんだけではありません。
同じ漁師町の仲間たちが、漁を休んで2人の捜索を懸命に続けているのにも感動しました。
新聞によれば、

現場まで往復6時間。5万~7万円に及ぶ燃料代は各自の負担だ。
しかも、いまは1年でも大切な漁期。
(中略)
漁港では毎夕、捜索を終えた船が戻るころに親族6人ほどが一列に並んで岸壁に立つ。
沖から戻った漁師たちに頭を下げる。22日夕も親族が「どうもありがとうございました」と声をそろえると、漁師たちは「心配いらねい。気にしなくていいっぺ」。
テレビで見た海岸での女性たちの祈りの情景も心に残りました。
事故が起きてから毎朝続けている「御法楽」という儀式だそうです。
その中の一人、雷(らい)孝子さん(74)は、
「うちの父ちゃん(夫)の時も、みんなずっと捜してくれたんだ」
と語っています。
10年前、夫の乗った船が衝突事故にあった時に、
漁師仲間が休漁して1週間、真冬の海で捜索を続けたのだそうです。
漁船による捜索で、形見のニット帽が回収されたといいます。

今回の事件の原因は、ただ一つ、
「そこのけそこのけイージス艦が通る」という自衛隊関係者を含む「官」の姿勢だと思いますが、
それとあまりにも対照的な「民」の世界のあたたかさを見せてもらいました。
そうした日本の民の文化が、官や公や金によって踏みにじられようとしていることがとても悲しいです。

イージス艦「あたご」がたくさんの漁船の存在を知りながら、直進して清徳丸を壊したことは、
最近の「お上」がやっていることを象徴しているのかもしれません。

吉清父子に奇跡が起こってくれますように。

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2008/02/23

■「横浜事件」に関する最高裁の姿勢への失望

戦時下最大の言論弾圧事件とされる「横浜事件」の再審は、最高裁での弁論が開かれずに、結局、上告が棄却され、有罪か無罪か判断せずに公判を打ち切る「免訴」とした1、2審判決が確定する見通しになったと今朝の新聞が報じています。
横浜事件に関しては、2審判決の時にこのブログでリーガルマインドの感じられない無機質さに昨今の司法の本質を見ると批判しましたが、それでも最高裁への一抹の期待が在りました。しかし、それも期待はずれだったようです。

冤罪論争や検察の暴挙が問題になっていますが、そうしたことの根っこがこの事件にあります。
この事件をしっかりと検証し議論することの意味はとても大きいように思いますが、最高裁はそう考えなかったわけです。
手続き的な正当性は吟味しても、当事者たちの人間的な思いには関心がないようです。
免訴になっても、補償はできるからというような話もでてきていますが、当事者にとってはお金の問題ではありません。
そうした当事者たちのいたみを、最近の司法界の人たちは考えもしないようです。
しかし、法の適用は論理の問題ではなく、倫理の問題なのではないかと思います。
倫理不在の論理の展開は責任回避でしかないからです。

司法への批判が高まっていますが、それに対してどうしてもっと司法界は立ち向かおうとしないのでしょうか。
司法改革を標榜している弁護士会から、もっと声が上がってこないのも不思議です。
弁護士は自分が関わらない事件には、口を閉ざすのがルールなのかもしれませんが。

この問題の意味を、私たちはもっとしっかりと考えなければいけないように思います。

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■節子への挽歌174:すきやきにとろろ昆布は合いません

節子
あなたもよく知っているリンカーンクラブの武田さんに会いました。
武田さんと私が論争になると、あなたはいつも武田さんの味方でした。
そのせいでもないでしょうが、あなたが旅立った朝、武田さんはわが家に駆けつけてくれたのです。
その後も、私のことをとても心配してくれてちょいちょい電話してくれています。

このブログも読んでくれているのです。
人の書いたものなど読まない武田さんにしてはめずらしいことです。
その感想を聞いたら節子は武田さんらしいねと言うでしょう。
「佐藤さんがこんなにも奥さんを愛していたとは思わなかった」。

先日、お寿司のことを書いたブログを読んで同情してくれたのか、お昼をご馳走してくれると言うのです。
ご馳走してくれたのはなんとすき焼き。
しかもうなぎも食べろと言うのです。
どうやら私に体力をつけさせようとしているのです。
わが家が貧乏なのを心配してくれたようですが、わが家は決して貧乏ではなく、たまたま今は現金がないだけなのです。
いやこれも誤解を呼びそうですね。
正確に言えば、私自身が「お金から自由な生き方」を目指しているだけの話なのです。
困ったものです。
うなぎは辞退しましたが、すき焼きのお肉は美味しかったです。

まあ、そんなことはどうでもいいのですが、武田さんは私に会うなり、「気が弱まってるね」というのです。
わかる人にはわかるようです。
しかし、これは肉やうなぎを食べていないからではなく、半身を削がれてしまっているためなのです。はい。

武田さんは、節子も知っているように、臨死体験やら死への直面やら実にドラマティックな体験をしています。
いまも亡くなった友人の気配を感ずることがあるのだそうです。
もしかしたら、私の未来も見えているのかもしれません。
だからこんなに心配してくれているのかもしれません。

武田さんは「とろろ昆布」を持参しました。
そして何とすき焼きにそれを入れたのです。
好きなのかと訊いたら好きでないというのです。
そして、「あなたはとろろ昆布さえあれば他のおかずはいらないと奥さんが言っていたよ」と言うのです。
節子、そんなことを言いましたか。
たしかに私はとろろ昆布が好きですが、どんなとろろ昆布でもいいわけではないのです。
困ったものです。
しかし、武田さんがそういうので、仕方なく私も食べてみました。
まあまあでしたが、きっと武田さんも私も二度とすき焼きにはとろろ昆布は入れないでしょう。

でも、節子の言葉をきちんと覚えていてくれて、わざわざ持ってきてくれるなどということは私にはとても出来ない話です。
武田さんのやさしさに感激しました。

人と悲しさを共有する仕方、ケアする仕方を気づかせてもらいました。
武田さんの会話力は問題がありますが、人間とは何かへの理解は深いです。まあ本人は気づいていないでしょうが。
美味しいすき焼きをご馳走になったために、今回の武田評はちょっと甘いですね。
人にご馳走になってはいけないことがよくわかります。はい。

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2008/02/22

■節子への挽歌173:やっと咲いたオンシジウム

オンシジウム。ラン科の花です。
娘がオンシジウムが好きで、いろんなオンシジウムを集めているそうです。
ちょっと珍しく、節子も好きだったオンシジウムのひとつが節子が旅立った直後につぼみを持ちました。
例年よりかなり早いので、娘が節子の位牌の前にその鉢を供えてくれました。
「お母さんの好きだったオンシジウムが、今年はこんなに早くつぼみを持ったよ」。

ところがいつになっても咲きません。
ずっとつぼみのままなのです。
別の鉢の違う種類のオンシジウムはその間に咲いて散ってしまいました。
そのつぼみは年を越しました。
あんなに早くつぼみをつけたのにどうしてなのでしょうか。
この話を先週、娘から聞きました。
私は、わが家にそんなにいろいろなオンシジウムがあるとは知りませんでした。

節子のおかげで、同じ名前の花でも、いろいろ種類があることを知りました。
知っている名前が多いほど、その世界は豊かになります。
言葉の多さと世界の豊かさはつながっているね、と節子が言っていたことを思い出します。
節子は、知らない言葉に出会うと手帳に書く癖がありました。
そのくせ覚えないのですが、節子の、その真摯な姿勢にはいつも感心していました。
私の大好きな節子の一面です。

そのオンシジウムがやっと咲きました。
つぼみができてから何と5か月。
もしかしたら節子が宿っていたのではないかと思ってしまいます。
節子は、花や鳥になってチョコチョコ戻ってくると言っていました。

そういえば、オンシジウムのつぼみが和らぎ出した頃、朝にシャッターを開けて、節子の位牌の前のロウソクに火を点けていたら、ドンという音がしました。
驚いて窓のほうを見たら、飛んできた小さな鳥がガラスにぶつかったのです。
幸いに鳥は元気に飛び去りました。

この2つのことは、たまたまの偶然かもしれません。
その日から、なぜか節子が夢に出てこなくなりました。
これもやはり偶然なのでしょうか。

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■異質な世界への感度の喪失

私が大学を卒業した年に制作された映画「3匹の侍」を久しぶりに観ました。
「7人の侍」のように、なぜこの映画は西部劇にならなかったのだろうかと思っていたのですが、侍とは農民だったということが基調にありすぎるために無理だったのだと気づきました。ちょっと自分勝手な解釈かもしれませんが。

あらすじはこうです。
ある村で代官の厳しい取立てで疲弊した百姓が、参勤交代で村を通る領主に直訴しようということになり、それを邪魔されないように代官の娘を人質に取ります。
百姓などの世界に触れたことの全くない娘は、そこで自分を犠牲にしても支えあっている百姓たちの世界を垣間見ます。食べるものがないのに、自分たちは食べずに人質の自分には食べ物を提供していることに気付くのです。
そしてそうした百姓たちを、自らの生命を賭してまで味方する武士に惹かれてしまうわけです。
結局、武士は捕らえられ、直訴を企てた百姓の代表たちは刺客によって殺されてしまいますが、武士は代官の娘によって助けられます。
まあ、こんなあらすじですが、百姓たちの現場に触れることで、生き方が変わってしまった代官の娘が、その後、どうなっていくのか気になります。

最近の情報社会では、さまざまな世界が自分の世界の中にいながらにして見ることができます。
北朝鮮のこともチェチェンのことも、六本木族のこともホームレスのことも、テレビが映像で見せてくれます。
私たちは、代官の娘と違って、もはや「そんな世界のことは知らなかった」とはいえなくなってしまっているのです。
しかし、あまりにさまざまなことを知りすぎてしまったために、逆に代官の娘ほどの感受性を失ってしまっているおそれもあります。
あまりにも違う世界は、もしかしたらテレビドラマの世界と同じにしか感じられなくなってしまっているのかもしれません。
そうでなければ、もっとみんなやさしくなっているはずです。

「3匹の侍」に戻ります。
百姓に味方していた侍たち、それが3匹の侍なのですが、彼らは殺された百姓たちが生命を賭けて書いた直訴状を見つけます。そして道端で参勤交代の行列を送っている百姓たちに、それを届け、だれか領主に直訴するように呼びかけます。
しかしだれもそれに応じるものは出てきません。
直訴すれば自らの生命を失いかねないからです。
そのうちに行列は通り過ぎてしまいます。

結局、代官は侍に殺されますが、その農村は何も変わりません。
最後に「結局、勝ったのは百姓だ」と侍たちに言わせた「7人の侍」とは違い、陰鬱な結末です。
2つの映画の製作時期の社会状況が影響しているようですが、この映画はまさに東京オリンピックの年、高度経済成長に向かいだした1964年の作品なのです。
ちなみに「7人の侍」は1954年、まだ戦後状況が残っていた時代の作品です。

感性の鋭い人には表面に現れていない時代の流れの先が感じられているのかもしれません。
いまの時代は、どう見えているのでしょうか。
最近の映画やテレビドラマを見るのがとても恐ろしい気がします。
いえ、事実恐ろしいです。

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2008/02/21

■節子への挽歌172:複雑な迷い

節子
さびしくしていませんか。
いつものように大きな声で笑っていますか。

毎朝、あなたの前で般若心経を唱えていますが、あなたもそちらで唱えていますか。

般若心経の後、あなたの友人や私の友人たちの祈りもしていますが、最近、ちょっと迷いがでてきています。
というのは、あなたはもしかしたら、早くみんなにも来てほしいと思っているかもしれないという思いが、私の意識の底にあるような気がしてきたからです。
ですから、節子に、みんなの幸せを一緒に祈ろうねと言いながらも、節子が早くこっちにこない、と呼んでいるかもしれないという気が時々するのです。
それに、みんなまだこっち側で幸せになろうね、と私が祈ることは、節子のほうにはいかないでという願いですから、節子への裏切りではないかという気もしてきたのです。

なんとまあ、おかしなことを考えていることかと笑われそうですが、毎朝の節子の前での祈りの時には、そんなことがとてもリアルに感じられるのです。
もっとおかしなことをいえば、写真の節子の顔も毎日、表情が違うような気さえするのです。
気のせいか、最近、節子のしわが増えてきました。
単に写真が古くなっただけかもしれませんが、そう思わないところが愛する人を失った人間の気持ちなのです。
まあ、「論理的」でないのです。
しかし、人の「いのち」が生まれたり、消えたりすることそのものが、そもそも「論理的」ではないのですから、そんな気持ちが起こっても当然でしょう。

そんな複雑な思いを持ちながら、毎日、いろいろな人の名前を思い出しながら、それぞれの平安を祈っています。
しかし、人の「平安」って何なのでしょうか。
きっとそれは大きな意味での自然のなかで、流れるように生きることなのでしょう。
振り返ってみると、私は素直に生きてきたつもりが、むしろ流れに棹差し、平安を破るような生き方だったかもしれません。
そのことは、このブログの時評編を読むと一目瞭然です。
節子のおかげで、人の平安とは何かに気づき出しましたが、ちょっと遅かったかもしれません。
その気づきを褒めてくれる節子がいないのが、とても寂しいです。
褒めてもらえないと考えはなかなか現実につながらないのです。はい。

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■「私たちの子どもたちの世代は、私たちよりも幸せになるでしょうか」

先週、茨城NPOフォーラム2008でお話をさせてもらいました。
冒頭、いつも繰り返している質問をさせてもらいました。
「私たちの子どもたちの世代は、私たちよりも幸せになるでしょうか」
100人近い方が参加されていましたが、ほとんど手は上がりませんでした。
いつも体験することですが、年々、手の上がり方が少なくなってきています。
寂しいことです。
社会はあまり良い方向には向いていないのかもしれません。

「軍縮問題資料」3月号の対談で、辻井喬さんと澤地久枝さんがこんな会話をしています。

澤地 亡くなった鶴見和子さんにしても、希望を捨てちゃいけない、と言っておられたけれども、「もう日本はダメよ。私は死ぬからいいけど」っておっしゃってましたよ。
辻井 それを言うのは我慢して、我慢して・・・待て待て、それを言ってしまったらおしまいよ、と。責任はこっちにもあるんだから、と言って、何とか留まることにしているんですけど。
澤地 はい、私もやはりお役目だから、話すのが好きでもないし得手でもないけれど行って話をしますね。絶望を語るわけにはいかないから、何とかやっぱりみんなで一緒にやって行きましょう、って話をする。でもたいていその夜は落ち込みます。
社会の劣化の基本にあるのは、コモンズの喪失ではないかと思っています。
それが、私が共創型のまちづくりに取り組んだり、共創型支えあいの輪づくりに取り組んだりしている理由なのですが、この20年、むしろ社会の劣化、コモンズの崩壊はさらに進行しているような気がして、滅入ることが少なくありません。
たしかに現場では、新しいコモンズの動きはありますが、それと社会全体とのつながりがなかなか生まれないのです。
現場の地道な活動が、いつか社会を大きく変えていくしかないのかもしれません。

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2008/02/20

■節子への挽歌171:腰が抜けるほど大笑いしていた節子

娘たちとテレビを見ていると、お母さんはこう言うだろうね、とか、お母さんに見せたいね、と誰ともなくいうことが少なくありません。
節子も私も、そうテレビは見なかったと思いますが、体調がすぐれなくなってからは節子はテレビを見る時間が増えました。
なんでこんな馬鹿げた番組が多いのだろうと怒りながらも、その馬鹿げた番組が気にいることもありました。
笑うことが免疫力を高めるというので、私たちは笑える番組をできるだけ見ていましたが、気持ち良く笑える番組は、残念ながら今のテレビでは少ないようです。

テレビではありませんが、夫婦の会話や家族の会話で節子は笑うことが多かったように思います。
それもまさに腰を抜かさんばかりに大笑いし、私に支えられて転倒を避けると言うような場面も少なくありませんでした。
節子はおかしい話を聞くと、本当に「腹をかかえて笑い」立っていられなくなるのです。
私は、そんな節子が大好きでした。
節子の笑いの素の多くは、家族の話でした。
我が家の家族は、みんなちょっと常識はずれのところがあって、笑いのつぼも変っているのかもしれません。
いや正確に言えば、私と節子だけが、変っていたのかもしれません。

節子がいなくなってから、わが家では節子のような「底抜けの笑い」はなくなってしまったような気がします。
少なくとも私は、底抜けには笑えなくなりました。
にもかかわらず、笑うことがあるといつもなぜか節子の笑い顔を思い出します。
節子の泣き顔も魅力的でしたが、節子の笑い顔は本当に私には魅力的でした。
その笑い顔、泣き顔にもう出会えないのがまだ信じられません。
またわが家に、節子がいたころの笑い声が戻ってくるのでしょうか。
戻ってきてほしいと思いますが、無理かもしれませんね。

みなさんも、思い切り笑える時に笑っておくのがいいです。
泣ける時にも、です。
一人になると、笑うのも泣くのも、底が抜けなくなりますから。

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■伊奈輝三さんの生きざま

昨日、記事を書いた後、なにか感動的な話を最近見聞していないか考えてみました。
そういえばと思って、探し出したのが日曜日の朝日新聞の「ひと」欄にでていたINAX名誉会長の伊奈輝三さんの話です。
伊奈さんは伊奈製陶からINAXへの社名変更を推進し、事業戦略や企業文化そのものを大きく変えた社長でした。
私が東レ時代にCIに取り組んでいたのと同じ時期に展開していましたが、その取り組みは見事でした。
私は会社を辞めた後、3か月、朝日ニュースターというCSテレビで、経営者にインタビューする番組をやったことがあります。
経営者10名ほどに会いましたが、一番感銘を受けたのが伊奈さんでした。
どこに感銘を受けたかというと、その生き方と考え方でした。
とても大企業の社長とは思えない、心の余裕がありました。
CWSコモンズで一度書いたことがありますが、私が犬を飼い出した時に、年賀状で「息子ができました、但し犬ですが」と書いたら、電話で「ほんとに犬なの」と訊いてきたことを思い出します。
そんな人でした。

その伊奈さんが、いま、地元の常滑市に開港した中部国際空港で案内ボランティアをやっているということが、「ひと」欄で紹介されていました。
学生や主婦などとまじって面接まで受けて、案内ボランティアとして受け入れられ、3年前からやっているのだそうです。
昨年秋には、すべての公職を返上し、偉い人扱いの一切ない、ボランティアを楽しんでいるそうです。
伊奈さんであれば、正真正銘、そうだろうなと納得できます。
海外旅行から帰ってきた昔の知人に会って、驚かれることもあったそうです。

ボランティア仲間の元会社員の人は、その記事の中でこう言っています。
「肩書や地位にしがみついていては、ボランティアはできない。うちの社長じゃ無理」。

社長の謝罪風景ばかり見ている昨今、私にはとても気持ちが明るくなる話でした。
こういう人にこそ、企業の経営を任せたいものです。

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2008/02/19

■節子への挽歌170:1年前は花畑に行きましたね

節子
寒い中にも春を感ずるようになってきました。

昨年の今日は、家族で南房総にドライブ旅行に出かけた日です。
節子の好きな花いっぱいの南房総でした。
節子は歩行も辛かったと思いますが、好きな花を買ったり、イルカのショーを見たり、家族によくつきあってくれました。
来年も来ようと思っていたのに、私にとっては予想外の展開でした。
まさかこんなに早くあなたがいなくなってしまうとは誰も思ってもいませんでした。
節子がいつも笑顔で私たちに接してくれていたので、節子の本当の辛さをわかっていなかったと反省をしています。
鴨川シーワールドでは、車椅子を借りようかといいながら、結局歩かせた記憶もあります。
私には車椅子の節子がどうしてもイメージできず、きっとあなたに無理をさせてしまったのでしょうね。
でも、ゆっくりとみんなで歩いたあの時のことは、いまでもしっかりと覚えています。

とても残念でしたが、あれが家族での最後の旅行になってしまいました。
あの時の節子のことを思うと胸がつまります。
あの旅行の写真は、その後、見る気がしません。

テレビで南房総の花畑が出ると、今でも私は思わず目をそらしてしまいます。
あまりに節子の思い出が強いからです。
節子と一緒には、もうあの花畑には行けないと思うと胸が痛みます。
だらしない話ですが、また涙が出てきてしまいました。
どうしてこうも毎日涙がでてくるのでしょうか。
あなたには本当にもう会えないのでしょうか。
会いたくて仕方がありません。

いつもはそれなりに平常心を維持できるようになったのですが、こうしてあなたの具体的な姿を思い出すと嗚咽したくなるほど気持ちが高ぶるのです。
あなたをどれほど愛していたか、いまさらながら思い知らされています。
なんでこんなに愛してしまったのでしょうか。
困ったものです。

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■ちょっといい話を創る生き方が大事ですね

妻への挽歌をいつも読んでくださっている方が、先日の「小さな不要のもの」を読んでメールをくれました。

このお話に感動しました。すばらしい方がいらっしゃりますね。人間嫌いといいつつ、やはり人恋しくなるのは、こんな人が本当はいっぱいいらっしゃるからなのです。でも社会としては、多くはないのでしょうか。
そしてこんなことも書いてくださいました。
スーパー等で買い物をするとき、賞味期限の近いものから買いますとおっしゃった女性がいます。すぐに食べられるのだから、期限切れになりそうなものから買えば、その他のものの捨てられる可能性が低くなり、環境にもやさしいし、ムダも(社会の!)省けるからと。子供は、古いものを買うことを不思議がりましたが、今はなんだか尊敬してくれているようですと、とても嬉しそうにおっしゃっていました。
考えてみれば当たり前のことですが、なかなか実践されていません。ぜひ、佐藤さんのプログ等で、こんな感動を多くの人に伝えてください。怠惰な私も、すこし前進できそうですから。
たまたまこのようなことを時評版にかいたところなのですが、我が家では残念ながら娘たちの尊敬は受けられませんでした。すぐに使うものに関しては、そうしているようですが、保存するものに関しては保存期間が多いほうが逆に無駄にならないというのです。確かに、一概に言える話ではありませんが、この発想は大事にしたいものです。

こうした「ちょっといい話」はいろいろあるのでしょうね。
テレビや新聞は、こうした話をもっとどんどん広げていってほしいものです。
そういえば、このブログも、以前ある人から、いつも悪い話ばかりではなく、楽しい話やうれしい話も書いてほしいとアドバイスをもらったことがありました。
私自身も、少し話題をいい話に向けないといけませんね。
もし見つからなかったら、自分で創ればいいのです。
他人事ではありませんでした。
創れるように生き方を変えなければいけません。

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2008/02/18

■節子への挽歌169:生命を所有していた節子、身体を所有していた節子

熊野純彦さんの「レヴィナス入門」を読んでいたら、こんな文章に出会いました。
レヴィナスはナチス政権下に生きたユダヤ人です。偶然にも生き残ったのですが。

親しかっただれもかれもいなくなってしまってなお、世界はありうるのか。そうであるなら、世界の存在そのものが無意味ではないだろうか。(中略)
中心を喪失し、意味を剥落させた世界が、なおも存在する。存在し続けている。そのとき、たんに「ある」ことが、どこか底知れない恐怖となるのではないか。
難しい文章ですが、とても共感できます。
熊野さんの「差異と隔たり」(岩波書店)も並行して読んでいますが、奇妙に心惹かれるメッセージが多いのです。
節子との別れを体験する前であれば、熊野さんの本は単に理屈だけの本と受け止めたでしょうが、いまはとても素直に実感できます。

同じ本に、ヒトラードイツが滅んだ後の風景に関して、こんな記述があります。

物理的に破壊された世界、砲弾によって挟まれた街並みはやがて修復される。修復された街並みは無数の死を隠し、穿たれた不在を見えなくさせる。世界内では「あらゆる涙が乾いてゆく」。空恐ろしいのは、そのことである。
気持ちが痛いほど伝わってきます。
人の死とはいったい何なのか。
節子を看取って以来、ずっとそのことを考えていますが、何もわかりません。
そもそも「死」という概念がおかしいのではないかという気さえしだしています。

大きな全生命系にとって、個人の死は私の毛髪が1本ぱらっと抜け落ちるのとそうかわらないのかもしれません。
そう遠くない先に、私もまた同じように抜け落ちてしまうのに、どうしてこうも空恐ろしいのか、不思議です。
死に対する恐ろしさは全くないのですが、いまここに「あること」が恐ろしいのです。

「差異と隔たり」に、
私は私の生命を所有する、というよりも、むしろ生命こそが私を所有している。
というような記述が出てきます。
手塚治虫の「火の鳥」は、まさにこういう発想に貫かれているように思いますが、そう考えるととても納得できることが多いです。

私が愛しているのは、生命を所有していた節子なのか、身体を所有していた節子なのか、どちらなのでしょうか。
私は節子の生命も身体も、共に深く愛していたことは間違いなく、それは不二なものだと思いますが、もう少し考えたい問題です。
この問題を考えて行くと、なんだか節子に会えるような気がしてならないからです。

今日はちょっと心の深遠を書いてしまいました。

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■「人の距離が近くなるほど言えなくなる」

情報に関する記事に関して、こんなコメントをもらいました。
現場で見事な活動を長年されている方からです。
一部だけですので、真意は十分に伝わらないかもしれませんが、引用させてもらいます

。「情報構造が大きく変わってきている」のでしょうか?
本当に、「情報力が一番大きくなるのは現場」なのでしょうか?
そう思って、やってきたのです。
でも、現場は、国や自治体の無策や詐欺行為に翻弄されて、あまりにも“疲れ果てさせられている”ような気がします。
それが現実だと私も思います。
その疲労感に対して、元気を与えるコメントができないのが残念です。
でも、それにも関わらず、この方はめげずに活動を進めています。
前に進むしかない、たぶん方策はないのです。

同じ方から、以前、もらっていた話も紹介させてもらいます。
現場の疲労観がさらにわかってもらえると思います。
この方は、ある市の介護関係の委員会の委もされています。会

議の都度に、自分の声が、段々大きくなっていくのがわかります。
…でも、あんまりなんです。
霞ヶ関の、雲しか見えない部屋で議論している「介護」から、面つき合わせて相対している私達とでは、かなり「言葉」が異なります。
だって、「銭が無いからゴメンな!」という言葉は、人の距離が近くなるほど言えなくなるのですから。
「あぁ、そうね! 見捨てられん! じゃぁ、ボランティアでやらんね!」と、
平然として言える感覚は、少なくとも現場にはありません。
「人の距離が近くなるほど言えなくなる」
現場に足を踏み入れた人でなければ、実感できないことなのかもしれません。
私たちにいま必要なのは、「人の距離」をなくしていくことなのかもしれません。

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2008/02/17

■節子への挽歌168:「城山を考える会」の横田さん

節子
谷和原村の「城山を考える会」の横田さんを覚えていますか。

横田さんががんばって実現したイベントに、節子と一緒にでかけたのはもう2年以上前ですね。
大根やそば粉のお土産をもらってきました。
その横田さんから、最近の活動を記録したビデオテープが届きました。
そこに「奥さんの体調はどうですか」と書いてありました。
横田さんは、いつもイベントがあると、
また奥さんと一緒に出かけてきてくださいと、誘ってくれていましたが、
残念ながら最初のイベント以降、参加は実現できませんでした。
まだ横田さんには節子のことを伝えていなかったことに気づきました。

横田さんの活動は、私が理想とするまちづくり活動のひとつです。
一人からはじめて少しずつ広がっていく。
無理をせずに、楽しみながら、その過程を苦労しながら楽しんでいくスタイルです。
活動報告をきちんと続けてくれている横田さんの人柄が、きっと仲間を増やしているのでしょう。

節子が元気だったら、横田さんたちの活動に私たちもきっと入り込めたと思うのですが、
その結節点になったであろう節子がいなくなったのは、とても残念です。
青森の三沢市の花いっぱい活動もそうですが、
いつか節子と一緒に行こうと思っていたところがたくさんあるのに、実現できませんでした。
私が各地のまちづくり活動にささやかに関わってきた意味がなくなってしまったような気がしています。

横田さんが送ってくれたテープを2人で一緒に見られないのがとても辛いです。

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■子どもを育てる前に、自分を育てたほうがいい

文部科学省が発表した学習指導要領の改訂版が議論をよんでいます。
中途半端なせいか、教育基本法を変えたことに対する賛成派も反対派も、いずれもあまり良い評価を与えていないようです。

教育問題に関していつも思うのは、いま必要なのは、子どもの教育ではなく、大人自らの生き方の見直しではないかということです。
子どもは詰まるところ親の生き方から自由ではありません。
もし「愛国心」や「道徳心」をもつ人間に育てたいのであれば、親がそうした生き方をすれば良いだけの話です。社会への視野を広げたいのであれば、先ずは自らがそうしたらいいだけの話です。いじめられたりいじめたりすることから自由にさせたいのであれば、先ずは親がそうした生き方を貫けばいいのです。

もちろん、それで問題がすべて解決するわけではないですが、その出発点をおろそかにして、他人事に教育問題を語るべきではないでしょう。
自分の生き方が、次の世代の生き方につながり、それが結局、自分に戻ってくる。
そのことを毎日実感しています。
そうしたことにもっと早く気づいていたら、私の生き方ももっと違ったものになっていたかもしれません。

すべてが自分から始まっていることを、私たちはもっと自覚したほうがよいように思います。

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2008/02/16

■とれすぎ野菜格安作戦不発で思うこと

情報に関する記事ばかり書いていて、時評的なことを余り無かったので、今日はもう一つ書きます。
今朝の朝日新聞に、「とれすぎ野菜格安作戦不発」という記事が出ていました。
とれすぎて値崩れした野菜を廃棄せずに食品加工会社などに格安で販売する制度が今年度から始まったが、結局大半は買い手が付かず不発に終わったという記事です。
こんなことは現在の工業生産の仕組みを少しでも分かっている人なら最初からわかっていたことです。
「豊作が不幸をもたらす」という構造は、そもそもが経済の仕組みに起因していますから、こうした制度は混乱要素でしかありません。一見、何らかの効果が出ているように見えて、問題はおそらく悪化するだけでしょう。
ではどうしたらいいか。
答えは簡単なように思います。
視野を広げて、経済の枠を超えればいいのではないかと思います。
具体的にいえば、食糧が不足しているところに無償供与するということです。
ODAなども、資金供与ではなく現物供与に重点を移すべきではないかと思いますが、現物のほうがおかしな問題が置きにくいはずです。もちろん手間は大変で、コストもかかります、各論で考えればそうだとしても全体的に見れば無駄は無くなるように思います。
無償供与先は、海外でなくてもいいでしょう。国内の生活保護世帯や福祉施設への無償供与はできないものでしょうか。
つまり、狭義の経済の仕組みで解決するのではなく、政治や福祉の視点で考えるということです。

昨今の社会は、金銭ばかりで考えられていますが、金銭そのものには何の価値もないはずなのに、実体として価値のある野菜が、紙でしかない金銭に負けて廃棄されることに、おかしさを感じます。
野菜とお金とどちらが大切かという問題に対して、お金のほうだと考える私たちの発想の根幹が間違っているように思えてなりません。

発想を広げ、変えていく。
現在の社会問題の多くの解決には、そうした枠組みの見直しが必要な気がします。

これは何も、こうした大きな問題だけの話ではありません。
身近な問題解決に際しても、私たちは思考の枠組みや社会常識に囚われれ過ぎている気がします。
友人知人と話していて、いつもそう感じます。
もっと発想を自由にしたほうが、個人も社会も元気になるように思います。

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■現場から沸き上がる生きた情報活動への期待

しつこく情報の話です。
もうあきたといわれそうですが、書くほうもあきましたが、今回は意地でも最後まで書くことにしました。

日本の話ですが、民主党は、なぜ国民大衆に呼びかけないのでしょか。
小泉元首相のようなやり方が、国民大衆に呼びかける唯一の方法ではありません。
もう少し知的に誠実に、そしてなによりもフェアに、呼びかけることはできるはずです。
それは国民の現場に入ってくることです。
現場に入っていくことで、生き生きした現場の情報に立脚した情報の創出ができるはずです。
その情報が自己成長力を持ち出せば政治状況は一変できるかもしれません。

政治家が、政治家の狭い世界でいくら対立していても、事態は動き出しません。
もし本当の信念があるのであれば、政治家は国民大衆の中に入ってこなくてはいけません。
いまの政党は、与野党を問わず、国民の現場を見ていないばかりか、現場への呼びかけに無関心のような気がします。
なぜなのか、そこに日本の政治の本質があるような気もします。

あれ?
これが意地でも書きたかったことだったのかな、ちょっと違うような気がします。
4日前に書き出した時には、もっと違ったことを書きたいと思っていたような気がしますが、書いているうちにそれが何だったかわからなくなってしまいました。
横道にそれてばかりいたせいかもしれません。
困ったものです。
ただ何となく「情報社会」の本質が、あまり議論されていないのが、ずっと気になっています。
また書きたいことを思い出したら、今度こそ、1回で書くようにします。

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■節子への挽歌167:重荷を背負いあうのが夫婦

『ヒデとロザンナ』のロザンナさんの次男が大麻所持で逮捕されました。
その謝罪会見のテレビをたまたま見たのですが、次の言葉にひきつけられました。

私はヒデ(亡き夫です)にも怒りを感じています。
彼は今も私たちと一緒にいると思っていますが、なぜ彼は止めてくれなかったのか、私が来世で会った時に、問い正したいです。
とまあ、こういうような発言をされました。
ヒデとロザンナ夫妻の哀しさに心が痛みました。
しかし、その言葉に、2人はいまも「重荷を背負い合って生きている」ことを感じました。

私も、今も節子が私と共にあると思っています。
時に辛いことを節子に話しかけます。
いるんだったら反応してほしいと思いますが、節子は返事をしてくれません。
しかし、現世の重荷をもう節子からは解放してやりたいという思いもあります。
もし私に重荷があるとすれば(実際にあるのですが)、それは私一人で背負っていこうと思っていました。
その考えをやめようかと思いだしました。

人には、それぞれそれなりの重荷があります。
そのなかには、一人でしか背負えないと思えるものもあります。
夫婦はまさに、そうした一人でしか背負えない重荷をシェアできる、あるいは少なくとも理解できる存在なのではないかと思います。
重荷を背負いあってきたと確信しているロザンナさんの気持ちがよくわかります。
私たちも、それぞれの重荷を背負いあってきました。
結婚する前後に、お互いにほとんどすべてを相手に開放しました。
節子が一人だけで背負っていた重荷はなかったはずです。
私にもありませんでした。
それが私たちの最大の幸せだったのです。

足立区で起こった父親による家族死傷事件はあまりに痛ましく、今でもあまり理解できない事件ですが、父親が重荷を背負い過ぎたのかもしれません。
重荷を分かち合える人がいる人は幸せです。

生きることのこわさが、最近、やっとわかってきました。
誠実に生きなければいけないと、この歳になって、改めて感じます。
彼岸で節子に会った時に、私が自慢できることは、きっとそれくらいでしょうから。

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2008/02/15

■情報は生きており、自己創出していく

情報について、もう1回書きます。
なかなか書きたいことまでたどりつかないからです。

最近感じていることなのですが、情報は生きているということです。
つまり情報は固定化されることがありません。
当たり前ではないかと言われそうですが、それがあまり意識されていないような気がしています。

情報は表現されたとたんに進化し変化します。
ある人から別の人に伝達されると、間違いなく、その情報の送り手にとっても、受け手にとっても、情報は変化します。
それだけではなく、情報そのものも大きく変化します。
そうして情報は常に変化する、つまり生きているのです。
しかも、情報そのものがパワーを持ち出します。
そして現実を変えながら、自らを変えていきます。
今回のアメリカの民主党の予備選挙は、そのことをはっきりと示しています。
その動きには恐ろしさを感じます。

情報は自己創出力をもっています。
ある閾値を超えると、おそらく情報を管理することは不可能になるでしょう。
もしかしたらヒトラーは、そうした自己成長力を持ち出した情報が生み出した存在だったのかもしれません。
みんなが生み出した幻像だったわけです。
「ヒトラー最後の7日間」の映画は、そのことを感じさせてくれました。
そうでなければ、あれほどの非人間的な行動ができるはずがなかったのではないかと思いたくなります。
また話が長くなってしまいました。
今日はここまでにします。

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■節子への挽歌166:使われることのなかったトレッキングシューズ

下駄箱の中に、まだ使ったことのないトレッキングシューズが2足あります。
節子のと私のです。
節子の手術後、元気になってきたので山歩きに挑戦しようということになり、まずはトレッキングシューズを買おうと私が言い出したのです。
節子は乗り気ではありませんでしたが、わざわざ車で靴の専門店に行って、2人で買ったのが、このシューズです。
千畳敷カールに行く時に、このシューズを履いていこうかといいましたが、ちょっと大げさではないかと言うことになり、いつものシューズで出かけました。
そんなわけで、結局、このシューズは一度も使われることがありませんでした。

節子は、あなたは使いもしない無駄な物を買うことが多いと、良く言っていました。
確かにその傾向はあったかもしれませんが、私にとってはいつも無駄な買い物ではありませんでした。
買った物が無駄になることはよくありましたが、買い物には必ず意味がありました。

特にこのトレッキングシューズはたとえ使われなかったとしても、無駄ではありませんでした。
十分に効用を発揮したと思っています。
私も節子も、それぞれに、元気になって山に行くんだという思いを相手に伝えることができたのです。
いつかこれを履いて山に行くという、私たちの思いの象徴でした。
ですから使われなかったとしても、全く無駄にはなりませんでした。
私たちを元気にさせてくれたのですから。

こうした物がいくつか残っています。
それらは、節子を元気づけ、私たちに希望を与えてくれました。
しかし、いまそれらが私に与えてくれるのは、元気ではなく、悲しさだけです。
でも処分する気にはなれません。使う気にもなれないのです。
節子が戻ってきて使うかもしれないなどという、不条理な思いさえ、時に持ってしまうのです。
未練がましい話なのですが。

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2008/02/14

■価値ある情報の所在の変化

昨日のつづきで、情報と権力の話です。

権力の源泉のひとつは「情報」です。
情報格差が、これまでは管理構造を支えてきたように思います。
日本の官僚が権力を持っているのは取り立てて優秀であるからではないでしょう。
情報を独占し、その情報をお金に結びつけたことが権力を確立した理由だったと思います。
現状のままでは、政治家は彼らに対抗できません。
あれほど明白な犯罪的行為を繰り返す社会保険庁や厚生労働省の一部に対してさえ、政治家は無力です。
何かやっているようには見せていますが、事態はほとんど変わっていないように思います。
解雇さえできないほど無力なのです。
結局、今の政治家は官僚に飼われている存在なのかもしれません。
だから誰でも議員になれるのです。

情報を握った人が権力を持つ。
これはなにも行政に限った話ではなく、企業においても学校においてもそうでした。
しかし、いま、その情報構造が大きく変わってきているように思います。
インターネットの普及で情報が共有化されてきたのです。
しかも情報で動かせるお金の状況が変わってきてしまいました。
そのため、組織の管理構造や権力関係が大きく変わりつつあるわけです。
そしてそれが逆にまた情報の独占体制を壊し出しました。
内部告発への壁が低くなったのです。

情報共有化以上に大きな変化は、情報の所在の変化です。
かつては情報は現場ではなく、政策形成の場にありました。
つまりそここそがお金との接点だったからです。
行政でいえば、霞ヶ関の情報がお金の、つまり力の源泉でした。
企業でいえば、役員会議室の情報が権力の起点でした。
ですから自治体は霞ヶ関詣でをし、企業管理者は役員の顔色をうかがっていました。
しかし、そんな時代は10年前に終わりました。
本当に価値ある情報は「現場」にある社会になったのです。
情報の価値の所在が変わっといってもいいでしょう。

大切な情報の所在が現場に移ると、情報力が一番大きくなるのは現場、組織でいえば、第一線の人たちです。
情報社会の到来が叫ばれて久しいですが、現実の組織構造や権力関係は、そうした状況変化に対応できずにいます。
昨今の大企業や行政組織が機能不全を起こしているのは、たぶんそのせいです。
企業の広報活動も根本から見直していく必要があります。

情報は巷に溢れていますが、だからこそ価値ある情報を見極めていくことが大事になって来ています。
そのために、できるだけ多次元で多様な世界との接点が効果的なような気がします。
私自身は、異種多様な世界とのつながりを大切にしているつもりです。
疲れますが、刺激的です。

どうも横道にそれて、書こうと思っていることにたどりつきません。
困ったものです。

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■節子への挽歌165:貧相な生き方

私の友人知人には、節子の訃報を知らせませんでした。
受け取った人の気持ちを考えると悩ましい問題ですし、
かといって事務的に知らせるのは私の好むところではありません。
知らせないのであれば、それを貫くべきだったのですが、
受け取った年賀状を見ていたら、急にみんなに節子のことを知らせたくなってしまいました。
まだ節子のことを知らない人がこんなにもいるのか、と思ってしまったわけです。
身勝手なものです。
なかには節子を知っている人もいましたし、私の悲しみへの同情を引きたいという邪念もあったかもしれません。
いやな性格としか言いようがありませんが、できるだけ自分の気持ちに素直に生きることが、私のライフスタイルなのです。

ところが、その知らせを受けたNさんから、私の身勝手さを恥じることになるメールが来ました。

まったく承知していませんでした。
人様のことに少しでも関心があれば、時にはブログを開くという行為に及ぶのでしょうが、そんな心のゆとりを欠いた日々を送っているわたしが、とても小さく思えます。
タイトルは「貧相な生き方」でした。
Nさんはとても誠実な方なのを私はよく知っています。
私よりご年配ですが、大学を引かれた後、NPOで活動しながら、
後進のためにと積極的な著作活動にも取り組まれている方です。
「人様のことに少しでも関心」どころか、たくさんの関心を持って実践的に活動されている方です。
時間を惜しんで社会活動をされていますから、私のホームページを訪れる必要などあるはずもありません。
その人に、こんなことを書かせるとは言語道断です。
きっと私の手紙の文面に、ブログを読んでくださいという気持ちが現れていたのでしょう。
「貧相」だったのは、私のほうだったわけです。

このメールで、私が衝撃を受けたのは、自分の生き方がまさに、
「人様のことに少しでも関心があれば、時にはブログを開くという行為に及ぶのでしょうが、そんな心のゆとりを欠いた日々」であることに気づかされたからです。
私自身、ブログを書くことに毎日1時間近い時間をかけていますが、
友人知人のサイトを見る時間はさほどありません。
何と貧相なことでしょう。反省しました。
せめてブログを書く時間と同じくらいの時間は、友人知人のブログを読むことにしようと思いました。
それがブログを書くものの義務かも知れません。
貧相な生き方をしていたら、節子に顔向けができなくなります。
Nさんからのメールで数日、落ち込んでしまっていました。

しかし、それにしても、人のつながりの輪を少し広げすぎてしまいました。
友人がそんなに多いと、付き合いが粗雑になるんじゃないの、と昔、ある友人から言われたことがあります。
節子と違って、私は人との付き合いが粗雑だったかもしれません。
きっと「強欲」だったのですね。
節子は決して粗雑な付き合い方はしていなかったようですね。
改めて感心しています。

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2008/02/13

■統計データのまやかし

話題の「10年間・59兆円の道路計画」は、2002年の交通量の推計値を基に作成されたそうです。
民主党議員の追及(その需要予測を下回る最新データの存在を指摘)に対して冬柴大臣は「(最新のデータは)まだ途中段階のもの。我々は完成した最新のデータで(道路計画を)作っている」と述べたそうです。

これはあまり大きな話題にはなっていないようですが、その意味はとても大きいように思います。
どのデータを使うかによって、実は先行きの見通しは「いかようにも」変えられます。
データでの説明は、さも客観的・科学的に見えますが、まやかしが入りやすい世界でもあります。
しかも、これまでこの種のデータは官僚がほとんどおさえていました。
官僚の力の源泉のひとつが、このデータ独占でした。
彼らは自分に都合のよいようにデータを編集して自説を合理化してきたのです。

近代国家の権力体制を構築する上で、統計学の果たした役割は極めて大きかったことはよく言われます。
統計学は、一見、政治のにおいのしない客観的学問のように考えがちですが、統計学こそ政治学の起点だったといってもいいでしょう。

民主党議員には、恣意的にデータ操作する官僚文化をもっと攻めてほしかったと思います。
そして、その官僚文化に乗って、手玉に取られている政府の議員にも、その事を気づかせてほしかったと思います。

もっともらしいデータが出てきたら、私はまずその言説を疑うようにしています。
多くの場合、そのデータは、逆に読めることも少なくありませんから。

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■節子への挽歌164:小さくて不要になったものを送ってください

昨日、節子の遺品を話題にしましたが、こんなとてもお洒落な体験をしました。
私も見習いたいと思いました。
本人の了解は得ていませんが、私はとても感激したので紹介させてもらいます。

49日が終わってから、YTさんから節子に花を供えてほしいとお花料が届きました。
こんな手紙がついていました。

仰々しい物ではなく、わずかなお花を何度も供えていただければ嬉しいな。私流の我侭ですが、お返しはしないで下さい。頂いても嬉しくありません。いつもそのようにお願いしているのですが、「どうしても」という方には、ご本人が使っておられた、例えば鉛筆の使いさし、或いは栞、その他なんでもよいが小さくて不要になったもの一つ送って下さい。思い出として保管します、と言うことにしています。
この手紙を読んだ時に涙が止まりませんでした。
YTさんは30年以上、いやもっと長く会っていないかもしれません。
私が20代初めに出会った人ですが、まさにYTさんらしい話です。

節子の使っていたものから何を選ぶか。
選ぶのに2か月かかりました。
そしてYTさんにとっては全く役に立たないものを選びました。
その間、私は節子とYTさんのことを時々思い出すことができました。
とてもいい時間をもらったわけです。

そしてYTさんからの花基金が、今もなお節子を囲んでいます。
とても大事に使わせてもらっています。

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2008/02/12

■南大門の全焼崩壊は見えますが、見えないものの崩壊も気になります

ソウルの南大門の全焼崩壊は衝撃的でした。タリバンのバーミヤンの大仏破壊も衝撃的でしたが、こうした人類の遺産が消えてしまうことは、どうしてこんなに衝撃的なのでしょうか。
ソウルの南大門もバーミヤンの大仏も私とはなんのつながりもないはずですが、きっとどこか集合的無意識などといわれるところで、つながっているのかもしれません。
私の場合だけかもしれませんが、こうした歴史的遺産が失われると、私たち人類が営々として積み重ねてきた文化が立ち消えてしまうような、そして未来が変わっていくような、そんなおののきさえ感じます。

しかし、そこでいつも考えるのは、人類が残してきたものは、こうした目に見える建造物だけではなく、目には見えず、もしかしたら誰もが意識さえしていないような「文化」や「知恵」がもっとたくさんあるということです。
そして、そういう文化や知恵や仕組みが、最近、急速に失われているような気がしてなりません。
そうしたことは南大門と違い、消失したことがなかなかわかりにくいばかりでなく、南大門以上に修復が難しいように思います。
消失したことさえ、気づかれないわけですから、修復などという動きはなかなか出てきません。

しかし、歴史上、そうやって滅んでしまった文化や社会は決して少なくないでしょう。
最近の日本の社会を見ていると、なんだかとても大切なものが気づかれないままに失われているような気がして仕方ありません。
50年後の日本が末恐ろしい気もします。

岩国の投票結果、沖縄の不幸な事件、東京足立区の悲惨な事件、それらがすべて、そうしたことと無縁でないような気さえしています。
南大門の全焼崩壊は、決して他人事ではありません。

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■節子への挽歌163:節子の遺品

節子
あなたが使っていた「老眼鏡」をいま私が使っています。
なかなか調子もいいです。

節子の日用品で、私が使えるものがないかなと思っていて、気がついたのが老眼鏡です。
節子は遠近両用のめがねを使っていましたが、私は遠近両用などという発想が潔くないので、好きではありませんでした。
でも、節子が残したもので、日常的に使えるのはこの眼鏡くらいなので、使わせてもらうようにしました。
自宅でしか使っていませんが、このブログの作成の時には、だいたい着用しています。今もそうです。
最初は少し違和感がありましたが、いまはとてもぴったりします。

眼鏡を通して、あなたが見ていた世界が見えてくるかもしれないなどと思ったりして、時々、かけたまま家の中を歩きます。

節子の遺品はどうしたらいいでしょうか。
昔は形見分けといった文化がありましたが、今の時代はそういう考えもけっこう難しいです。もらった人がどうして良いか迷うのではないかという気もするので、難しいものです。それにあなたの遺品は、私にとっては大きな価値がありますが、他の人にとってはどうということもないものばかりです。
ところがです。

北九州市のMMさんが、節子からもらったカップで、節子と毎朝、コーヒータイムを楽しんでいると手紙をくれました。
それにつづいて、滋賀のHKさんが、
「節ちゃんからもらったメガネケースはいつも一緒です」
とメールをくれました。
遺品とは違いますが、むしろこういう形で生前にいろんな人に何かをプレゼントしていくのがいいですね。
もし死後にも思い出してもらいたい人がいたら、その人が使ってくれるだろう物を元気なうちにプレゼントしておくのがいいなと気づきました。

節子
君からもらったものがなにかあるかなあ。

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2008/02/11

■節子への挽歌162:「そうかもう君はいないのか」は誰に話しているのでしょう

城山三郎さんの「そうかもう君はいないのか」が出版されましたが、私も今なお、同じような言葉を口に出すことが少なくありません。
でも城山三郎さんの本は購入する気になれずにいます。
昨年、新聞で記事を読んだ時には、雑誌に掲載されたというのですぐに書店に行きました。
その書店にはその雑誌はもうなくなっており、正直少しホッとしたことを覚えています。
読みたいようで、読みたくない、そんな気分でした。
いまはむしろ読む気力が萎えています。

本を読んでいないので、勝手な推測なのですが、城山さんはきっと亡き奥さんと毎日たくさん話をしていたのだと思います。
そして時折、返事が返ってこないのを訝しく思って、はっと気づくわけです。
「そうかもう君はいないのか」
私には実にリアルです。
その言葉もまた、亡き奥さんへの言葉なのです。

以下は城山さんの話ではなく、私の場合です。
私の場合は、「そうかもう節子はいないのか」と声に出した後で、むしろ節子への話をしだしてしまいます。
「そうかもう君はいないのか、でもちゃんと聴いていてくれるよね」という思いがあるからです。
つまり、「もう節子はいないのか」と言う言葉は、実は節子がいないことを信じていないことの自己確認の言葉なのです。
節子、君はいないけれど、今でも一緒だねということを声に出して確認することで、自分を鼓舞しているわけです。

私がいなくなった後、娘たちは「そうかお父さんはもういないのか」と口に出して言ってくれるでしょうか。
たぶん言ってはくれないでしょう。
それが親子と夫婦の違いではないかと私は思います。
愛情の多寡の問題ではなく、関係の違いです。

同居していない人にとっては、私と違う意味で、愛する人の死は実感できないものだと思います。
私も何人か経験があります。
今でも節子さんから電話がかかってくるような気がしてならない、と何人かの人から言われました。
HKさんは、携帯電話に電話してみようと思うのだが、もしかしたら「この電話は使われていません」と言われそうなのでやめているとメールしてきました。
「もしかしたら」ではなく、間違いなくそうなのですが、その気持ちがよくわかります。

私も含めて、たくさんの人の心の中に、まだ節子がいるのであれば、なくなったのは身体だけなのでしょうか。
とすれば、「そうかもう君はいないのか」という私の言葉に、「ここにいるのにまだ気づかないの」と節子は言っているかもしれませんね。

ところで、城山さんは奥さんに会えたでしょうか。
時々、そのことを考えてしまいます。

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■岩国市民は米軍機を受け入れたのでしょうか

米軍再編計画への対応を争点にした昨日の岩国市の出直し市長選挙は、米軍空母艦載機移転を容認する新市長が当選しました。
76%という高い投票率でした。
思い出したのが、アメリカのネイティブに伝わるという「7代先の掟」です。
彼らは何か重要な問題を決める時に、7代先の人たちにとって良い結果をもたらすかどうかを基準にするといいます。

7代先はともかく、岩国の人たちは自分たちの子どもや孫のことを考えて、この決断を下したのだと思いますので、その結果を部外者である私がとやかく言う資格はありませんが、反対を唱えていた前市長との票数が僅差だったことがとても気になりました。
決断が難しかったことを感じますが、補助金などをちらせながらの政府や経済界の働きかけが容易に想像されますので、それが気になるのです。
移転反対なら新市庁舎建設金の補助金も交付しないという国のやり方には、何が何でも強行採決という政府与党と同じ姿勢を感じます。
「お上」の発想です。
それがどうも気になります。

一昨年、補助金問題が出る前の住民投票の結果は、移転受け入れ反対でした。
それに対して国がやったのは補助金停止でした。
お金で考えを変えさせる文化の広がりには恐ろしさを感じます。
格差社会づくりは、そうしたこととつながっています。

国策に抗うことは、大きなエネルギーを要求されます。
情報量も資金量も全く違うからです。
同じ国策に関わる与党と野党の間でもそうですから、国と自治体の構造でいえば、その格差は明らかです。
自治体は、所詮は国家から「分権」された下部機関でしかありません。

大阪府の橋下知事は、岩国市の住民投票について、「国の防衛政策に地方自治体が異議を差し挟むべきでない」と批判したそうですが、自治体の知事がこういう発想なのですから、推して知るべしです。
お金万能で育った世代、つまり権力依存世代が社会の中心になって来ているのです。
しかし、住民投票を否定して自治は成り立つはずがないと私には思えます。

今回の選挙は、岩国市民だけの話しではなく、私たちみんなの話かもしれません。
日本の社会の構造と方向が象徴されているような気がしてなりません。
何もしなかったことを悔いています。

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2008/02/10

■フェアショッピング

原油高騰で生活用品がじわじわと値上げしているようです。
私も最近は時々買い物に行くのですが、確かに値上げ傾向を感じます。
デフレからインフレへと経済の基調が変わろうとしているのでしょうか。
しかし私にとって不思議なのは、日によって商品の価格がかなり違うことです。

我が家の近くに、ライフというスーパーがあります。
そのお店はポイント制度があるのですが、日曜日はそのポイントが3倍になります。
土曜日はお菓子類が1割引きになり、水曜日には冷凍食品が4割引きになります。
曜日に限らずに、日によって特売品があります。
たとえば昨日はいつもは200円近くする白砂糖が99円でしたし、めったに安くならないヤクルトが1割以上安かったです。
こうしたことは多くのお店でやっているのですが、なぜ日によって同じ物が安くなるのか、それが私には昔から納得できません。
顧客サービスであるとともに、顧客を集め拡売する狙いをもった販促方法だということでしょうが、どこかに違和感があります。
それに4割引でも売れる商品の価格設定には不信感さえ持ちます。

日によって値段が違う、割引率が違う。
この販促戦略は今のような経済環境のなかで効果的なのか、という問題ではなく、そういう価格設定の考え方に問題はないのか、という話です。
答えは明確で、お店にも顧客にもメリットがあり、現在の経済の枠組みの中では、問題はないでしょう。
しつこいですが、にもかかわらず、私には納得できないのです。
豊作になったから野菜の価格が低下するというのも納得できませんし、不作だから高くなるというのも少し違和感があります。
阪神が優勝したから大特売といったものは、まあお祭り的な蕩尽行為ですから賛成できるのですが、その場合もむしろ高く売るべきではないかという気もします。
お祭りには物の値段は高くなるのが普通です。
価格を安くして販売を増やすというところに、私はなぜか抵抗があるのです。

それと全く違った価格戦略をとっているショップがあります。
100円ショップです。
そこに並んでいる商品は、いつでも100円です。
日によって変動することもありませんし、割引されることもまずありません。
それ以上に、コストとも関係なく、みんな100円なのです。

長々と書いてきましたが、特売とか割引制度というのは損をしたり得をしたりすることがあるので、フェアではないと思うのです。

むしろお金のある人には高く売り、お金のない人には安く売るというのであれば、納得できます。
めちゃくちゃな議論のように思われるかもしれませんが、消費税の設定の仕方でそうしたことは組み込めるでしょう。

何を言いたいのかわかってもらえないかもしれませんが、要は今の価格設定の考え方を変えたらどうだろうかと言うことです。
100円ショップの成功には、そのヒントの一つがあると思います。
ブランド商品の価格設定もヒントになるでしょう。
経済は新しい局面に入りだしています。
安ければ良いわけでもなく、安くすれば良いわけでもありません。

しかし現実に買い物に行くと、割引されているとついつい買ってしまいます。
頭では違和感をもちながらも、実際には私もまたそう動いてしまうのです。
特売品は、それを必要とする人に残しておくべきだと思うのですが、買ってしまうのです。
自分のいやしさがいやになりますが、自然とそうなってしまいます。
フェアショッピングは難しいものです。

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■節子への挽歌161:「あんないい人生はなかった」と思えるか

コムケア活動を通して知り合った大阪のNさんが、もしよかったらと言って星野道夫さんの「旅する木」を薦めてくれました。
Nさんも、数年前に夫を見送っています。
いまは高齢社のためにとても誠実な活動をされています。

星野さんはアラスカを中心に活動していた写真家で、10年ほど前にクマに襲われて生命を落とした人です。
星野さんの友人の池澤夏樹さんが「解説」を書いています。
書かれた時期は、星野さんが亡くなってから3年目でした。

最近ぼくは星野の死を悼む気持ちがなくなった。彼がいてくれたらと思うことは少なくないが、しかしそれは生きているものの勝手な願いでしかない。本当は彼のために彼の死を悼む資格はぼくたちにはないのではないか。彼の死を、彼に成り代わって勝手に嘆いてはいけない。
(中略)
3年近くを振り返ってみて、あんないい人生はなかった、とぼくは思えるようになった。
節子のことを、「あんないい人生はなかった」と私が思える日がくるでしょうか。
そうあってほしいと心から思いますが、今はとてもそういう気分にはなれません。
「彼の死を、彼に成り代わって勝手に嘆いてはいけない」という言葉にも共感するのですが、節子に関しては、私にだけはその資格があると思いたいです。

この本はエッセイ集なのですが、そのひとつに「歳月」という文章があります。
繰り返し読みました。
そこに、星野さんの幼馴染の親友が谷川岳で遭難して亡くなった時の話が出てきます。
そこにこんな話が出てきます。

遭難現場でTの母親と会った。変わり果てたTを見つめ、涙さえ見せなかった。そればかりか、「あの子のぶんまで生きてほしい」と、優しき微笑みながら言った。

見事な母親です。私とは全く正反対のような気もしますが、もしかしたら私と同じかもしれないとも思いました。私も、もしかしたらそうしたかもしれないという気もするのです。事実、節子がいなくなってからの数日は、実感がでてこないために、私自身もちょっと冷めた言動をしてしまったこともあります。
そういう体験があればこそ、このシーンがとても心に突き刺さるのです。

親友の死、息子の死。
いずれも「愛する者」の死にまつわる話です。
しかし、どうも私にはいずれもピンときません。
やはり伴侶の死は、親友や親、さらには子どもとも異質な気がします。
でもいつか、節子は少し早く旅立ったけれど、「あんないい人生はなかった」と思える日が来てほしいものです。

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2008/02/09

■日本相撲協会の対応と「組織」の効用

時津風部屋の力士急死事件は、知れば知るほど驚きが増しますが、相撲界に通じている人のテレビでの話を聞くと、こうした事件は以前にも起きていた可能性が高いようです。
過去の事件を調査することも話題になってきているようですが、どう広がっていくのか、いささかの不安を感じてしまいます。
もし今回のような事件が、これまでもあったとすれば、相撲業界と暴力団はどこが違うのかわからなくなりかねません。

組織内での暴力行為は、これまでの多くの組織原理に内在する必然的な結果ではないかと思います。
最近、さまざまな暴力問題が顕在化しつつあります。
家庭内のDV、企業内のセクハラやパワハラ、あるいはメンタルヘルス問題や過労死など、これまで組織内で隠蔽されていた暴力行為(構造的暴力や精神的暴力も含めて)が社会問題化されてきているのは、情報社会といわれる社会変化のひとつの結果だと思います。
もっとも情報社会は次の段階に進むと情報管理の時代に入り、オーウェルやザミャーチンの描いた社会の到来になります。
このささやかなブログを通しても、そうした社会の傾向を私自身生々しく実感できます。
管理社会を推進していくのは庶民であることもよく分かります。
この問題はとても興味深い問題です。

最近の食品偽装の問題も、ある意味では組織内暴力行為の一つの現れです。
最近の組織の多くは「人を活かす」のではなく、「人を壊す」場になってしまっています。
主役は「人」ではなく、「組織」や「制度」で、人はそれらに使われています。

私は、組織を「一人では実現できないことを複数の人が集まって実現する仕組み」と考えています。
問題は、組織に関わる複数の人たちの関係です。
その人たちが、「集まった」のか「集められた」のかの違いと言ってもいいかもしれません。
最近の人々は、組織を「一人では実現できないことを複数の人を集めて実現する仕組み」と考えているような気がします。
もちろんそれも「組織」の一つのあり方です。
この300年の世界は、そうやってつくられた組織が主流になってきた歴史だったかもしれません。

いずれの組織にするかが、本当の意味でのコーポレート・ガバナンス問題だと思いますが、昨今のコーポレート・ガバナンス論は「集めた人たちの組織」が問題にされています。

話が広がりすぎていますが、組織には「実態を見えるようにする効用」と「実態を見えないようにする効用」があります。
これまでの組織は、後者の効用の上に組織を成り立たせていました。
しかしこれからは前者の効用を活かしていくことが大切でしょう。
そこから発想すれば、新しい組織原理が生まれ、企業不祥事がなくなるばかりか、組織は生き生きしてくるでしょう。
そうなっては困る人たちが、組織原理を変えないようにがんばっています。
その動きに一番加担しているのは、「集められた人たち」かもしれません。
そこにこそ「集められた意味」があるのです。

日本相撲協会の対応は社会の常識には合っていないように思えますが、実は近代の組織の常識には合っているのかもしれません。
この事件を契機に、私たちが属している組織のあり方に関しても、また組織との付き合い方に関しても、ちょっと考えてみるのもいいかもしれません。
生き方が変えられるかもしれません。

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■節子への挽歌160:結婚とは、愛する人を送るためのものかもしれません

節子
またNHK「ちりとてちん」の話です。

病床の師匠に、主人公が、大好きだった祖父を亡くした時のことを思い出して、もう二度とあんな思いをしたくない、大事な人が大好きな人が遠くへ行ってしまうのは嫌だと泣きながら話します。
師匠がいいます。
それがいやならお前が先に死ぬしかない、そうしたら俺が悲しい思いをすることになる、おれにそんな思いをさせたいのか。
表現はかなり違いますが、まあそういうことです。

節子を送った時、私も何回か師匠と同じことを考えました。
これほどの悲しさや辛さを節子に与えることがなくてよかったと思ったのです。
私がいなくなって、節子ひとりだったら、果たして耐えられたかどうか、私が節子に依存していたように、実は節子もまた私に依存していたからです。
節子はしっかりしている部分ととても頼りない部分がありました。
私たちは本当に似たもの夫婦だったのです。

しかし、ちりとてちんの場合と私たちの場合は、事情が全く違うのです。
師匠は死ぬのには順番があるといいますが、私たちはその順番が違っていたのです。
私は節子より4歳年上です。
私が先に逝くのが順番なのです。
その順番が守られなかったことが、ともかく悲しくて辛いのです。
ですから、もし私が先に逝っても、多分節子は私ほどの辛さは体験しなかったでしょう。
最近はそう考えるようになりました。
事実、節子は、私を見送れないことが一番の心残りだと話したこともあります。

ですから、ますます節子が不憫でなりません。
そして私自身もまた不憫でなりません。
別れを悲しんでくれる人がいないのですから。
娘は悲しんでくれるでしょうし、友人も悲しんでくれるでしょう。
しかし残念ながらそれは伴侶の悲しみとはたぶん全く違うでしょう。
私自身、同居していた両親を見送りましたが、悲しみの質が違うのです。
死を悼む気持ちは、それぞれ別々で、比較などすべきではないことはわかっていますが、伴侶の死は極めて異質なのです。
それも自分より若い伴侶の場合、恐ろしいほどに辛いものです。
まだ結婚されていない方は、ぜひとも年上の人と結婚することをお勧めします。
結婚とは、愛する人を送るためのものかもしれない、そんな気さえ、最近しています。

ドラマの中で、師匠は、「お前より先に俺が死ぬのが道理。消えていく命を愛おしむ気持ちが、だんだん今生きている自分の命を愛おしむ気持ちに変わっていく。そうしたら、今よりもっともっと一生懸命に生きられる。もっと笑って生きられる」と主人公に言います。
この言葉は、残念ながらいまの私には全く共感できずにいます。
しかし、自分以外の人たちの命を愛おしむ気持ちは強くなってきています。
私の命は、他者の命によって支えられていることを強く実感し出しています。

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2008/02/08

■私の生き方

バタイユという変わり者の思想家が、ある本でこう書いているそうです。
「私は、悪意のある人にはほとんど語りかけておらず、そうではない人たちに私のことを見抜いてくれるように求めているのである。友愛の目さえ持っていれば、かなり遠くまで見ることができる。私は説教師の本を書いているのではない」

何だかトゲのある文章ですが、とても共感できます。
私は本を読むときに、自分が共感できるところだけを理解しているような気がします。
本は自分の中にある思いを具現化したり気付かせたりするだけのものなのかもしれません。
集合的無意識の世界で、人の知識や情報はすべてつながっているとしたら、そう考えてもおかしくはありません。

このブログの内容はかなり独断的であるばかりか、論理的にも破綻していることが多いと思います。
ですから、論理的な説明や、現実的な可能性を問われると応えられないのです。
時々、メールや電話をいただきますし、ブログへのコメントももらいますが、しっかりした質問に答えられないこともあります。
困ったものです。

昨日、こんなコメントをもらいました。
そこにも簡単に答えましたが、とても重要な問題なので、あえてここでも書かせてもらうことにしました。

>その発想は、どうすれば実現できるのでしょうか?
>正直に言って、全くの机上の空論としか思えないのですが…。

ご指摘のように、このブログで書いてあることのほとんどが机上論なのです。
ただあえていえば、そのほとんどが私の生活にはつながっているのです。
ですから私には「空論」ではなく、「実論」なのです。
そして、その発想を実現するのは「自分サイズ」で考えると簡単なことなのです。
「やればいい」のですから。
一挙にはできないとしても、その方向に向かって一歩踏み出せばいいのです。

「空論」と思う人には、それは確かに「空論」です。
しかし「空論」であろうとやってみようかと思う人も、いるかもしれません。
そうして歴史は変わってきた、と私は思っています。
歴史は変えるものではなく、変わるものかもしれません。

私の好きな西部劇に「荒野の7人」という映画がありますが、そのなかでスティーブ・マックィーン扮するヴィンが、こんな話をします。
裸でサボテンに抱きついた男がいる。なんでそんなことをしたのかと訊いたら、その時はそれが良いことだと思ったんだ、と答えた。
大学生の頃から、このせりふが好きでした。

良いと思ったことに向かって少しずつ生活を変えていくことは誰にでもできるはずです。「少しずつ」というところがみそですが。
それがみんなに広がるかどうかは分かりませんが、100匹目のサルという話もあります。
10年では実現不可能でも、100年では実現できるかもしれません。

要は、できるかどうかではなく、やるかどうか、です。
それも、「やらなければいけないかどうか」のではなく、「やりたいかどうか」です。
それが私の生き方でした。そして今もそれをできるだけ大事にしています。

開き直ったようで、すみません。

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■節子への挽歌159:「それらはすべて瑣末なことですよ」

節子
あなたも会ったことのあるYTさんも就職してもう2年がたちます。
最近連絡が無かったのですが、会いにきました。相談事があるというのです。
最近、元気がないようですね、とメールに書かれていました。
湯島で久しぶりに彼に会っていたら、突然の訪問客がありました。

ドアをあけるとこれまた久しぶりにTさんでした。
花を持ってきてくれたのです。
私もずっと気になっていたので話したかったのですが、YTさんの相談にのっていたため、花を受け取ることしかできませんでした。
しかし、その時のTさんの顔の表情が心に残りました。
帰宅すると、Tさんからメールが届いていました。
私信ですが、勝手に掲載させてもらいます。一部、変更していますが。

大変ご無沙汰いたしました。
今日は、近くにきたのでとりあえずお伺いしてみよう。
お留守なら明日でもとご連絡すればいいことだからと思い電話もかけず勝手にお伺いしてしまいました。

人生相談にのっていただいたのは、もう5、6年以上前のちょうど同じ頃だったなあと思い出しながら、久しぶりの湯島の急な坂を上がりました。
「それらはすべて瑣末なことですよ」というお言葉が今も強く印象に残っております。

数日前に偶然ホームページを見て、奥様の件を知りました。
佐藤さんの悲しみ、辛さ、空虚感と共に、変わることない奥様への強い想いや永遠に変わることのない愛情がひしひしと伝わって参りました。

かみさんにそのことを話しました。
共に若くないのでお互いに身体を大事にして、長生きをしよう・・・そんな話しになりました。
普段はケンカばかりしている仲の悪い?夫婦ですが、「おまえをもっと大事にしないといけないな・・・」などと普段は思っていても恥ずかしくて言いにくい言葉が何故か自然と出てまいりました。

一月の末に母の三回忌を終えて、父も母も仏壇の仲からいつも我々家族を見守ってくれている、素直にそういう気持ちに最近やっとなれたところです。
人の一生の儚さを母や父が教えてくれました。

佐藤さんに何かできることはないものかと考えましたが、ブログを読むほどに無力感におそわれました。

奥様が好きだったお花を持ってお伺いしよう、元気な姿を見せにいけば少しでも気分転換になってもらえるのではと。
そう勝手に思って本日は唐突にお伺いした次第です。
近くまでゆきましたら、またおじゃまさせていただきます。

何回も読みました。
Tさんは私を元気にしようとわざわざ来てくださったのです。
久しく会ってもいないのに、来てくださった思いがうれしくて、ついつい無断でブログにまで書いてしまいました。

出会いの場を創ってくれる節子に感謝しなければいけません。
ふと思い出したことがあります。
父の死の時、具体的には思い出せないのですが、人は死ぬことによって出会いの回復や新しい出会いを家族に残していくものだと感じたことがあります。
そのことを何かに書いた記憶があります。探してみようと言う気になりました。

ところで、Tさんのメールを見て、はっと気づきました。
もしかしたら、若いYTさんも私を元気付けに来たのでしょうか。

私は、新しい「結い」が社会に育つと良いなと思っています。
昨夜もそういう場づくりをしませんかという集まりをしてきたところです。
でも、そういう「結い」はもともと存在しているのです。
支えあっているのは自然界だけでもなく、人間界も同じなのだと、昨夜はすごく幸せな気持ちになれました。

Tさん
ありがとうございました。
私がいま思い煩っていることの多くは、「瑣末なこと」なのでしょうね。
忘れていた大事なことを思い出させてもらえたような気がします。
でももうしばらくは、その「瑣末なこと」から抜け出られそうもないのですが。
またゆっくりと遊びに来てください。

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2008/02/07

■節子への挽歌158:2つの元気さ

今日は2つの元気の話です。

先週、広島のOさんから電話があり、元気そうな声で安心したと言われました。
このブログを読んでくださっている方は、私が全く元気を失っているように思われるかもしれませんが、そんなことはありません。
元気がないのは事実ですが、元気なのも事実なのです。
私に会った人は、なんだブログに書いているのは創作か、と思うほどに元気に見えるかもしれません。
もちろん創作ではなく、むしろ現実よりも少しだけ明るく書いているつもりです。

しかし、誰かと会ったり、電話したりしている時には、以前の私とそう変わらない私になります。
表情や声ではなく、気分が、です。

人には「変わる自分」と「変わらない自分」があります。
節子との別れで、そのことを改めて実感しています。
時評のほうで一度書きましたが、それは「ゾーエ」と「ビオス」の2つの私がいるからです
ゾーエとは「個人としての生の自分」、ビオスは「社会の一員としての自分」と言ってもいいでしょう。
もちろんそれらはつながっていますが。

ここから話がややこしくなるのですが、私の場合は、ゾーエにおいては元気を失い、ビオスにおいては元気なのです。
平たく言えば、人との付き合いにおいては元気になれるのですが、その根源における意識においては、気を削がれているわけです。
にもかかわらず、実は変わったのはビオスとしての自分であり、変わらないのはゾーエとしての自分なのです。
もっとややこしく言えば、気が削がれてしまったゾーエとしての自分が、無意識の世界において、此岸を超えて、すべてにつながりだしたという意味で、新たなる気を得ているのに対して、社会との接点にいるビオスの私は社会とうまく同調できずに気が出てこない面もあるのです。
節子とのつながりが強いのは、いうまでもなくゾーエの世界だからです。

でも、それと元気とは少し違っています。
唯識論の世界の話になってしまいそうなのでやめますが、要するに、私は元気であって元気でないわけですが、いずれにおいても違う意味で実は元気なのです。
ますますややこしくなってしまったでしょうか。

人はみんな2つの「元気」を持っている、それに気づいたのは最近です。
私はこれまで、さまざまな人の「元気」と付き合ってきましたが、その後にあるもう一つの「元気」への気遣いが足りなかったかもしれません。

いなくなった節子は、まだまだいろいろなことを気づかせてくれます。

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■アメリカの大統領選挙への関心の高さはマスコミだけ?

この数日のテレビの報道番組は、中国産餃子の話とアメリカ大統領の予備選挙でもちきりです。
ガソリン税も道路問題も、年金の話も、その陰に隠れてしまった感じがします。

餃子の話は、あまり進展はなく、毎日同じようなニュースです。
切り口を変える局が一つくらいはあってもよさそうですが、どこも同じです。

アメリカの予備選挙は、私自身はよくわかりません。
しかしアメリカの大統領選よりも、日本の首相の問題をもう少し取り上げてほしいと思っています。
毎日の首相の記者会見はあまりにもひどすぎると思うのですが、テレビではほとんど問題にされていません。
絵にならないからでしょうか。

それにしても連日のアメリカ大統領選の報道は、国民の関心とずれているような気がします。
民意とずれているのは、政治家だけではありません。
マスコミこそがずれているのかもしれません。
それが政治家の民意離れにつながっているようにも思います。
国民の関心は、アメリカではなく、日本国内にあるように思いますが、そう思うのは私だけでしょうか。

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2008/02/06

■節子への挽歌157:節子、あなたに供えるのを忘れてしまったよ

これは昨日の「事件」です。

夢で久しぶりに節子とお寿司屋さんに入りました。
行ったことのないお店でしたが、節子が入ろうと言ったのです。
ところがお店に入ったら混んでいて、空席が無いのです。
というよりも、どの座席にも荷物が置いてあって、誰かが席をとっているのです。
それで座席を探しているうちに、目が覚めてしまいました。
おかげで、私たちはお寿司を食べられなかったわけです。

節子はお寿司が特に好きだったわけではありませんが、わが家ではそれぞれの誕生日はみんなで創りながら食べる手巻寿司パーティが定番でした。
だからお寿司にはそれなりの思い出があるのです。
もっとも節子は病気になってからは、あまり食べることができず、お店に行ってもせいぜい2~3巻が限度でした。
ですから、きっとまた食べたいと思っているという気がしました。
そこで昨日はお寿司にしようと娘たちに提案しました。

雪で日曜日にお墓に行けなかったので、お墓参りをし、その帰りにスーパーでお寿司パックを買ってきました。
最近ちょっと貧乏なので、出前を節約してしまったわけです。
そして、みんなでお寿司を食べました。
問題はそこからです。

食べ終わってから、気が付いたのです。
あれ、節子にお供えしなかったね。
私が言い出したことなのに、節子に供えることを完全に忘れてしまったのです。
いつもは必ず残るのですが、今回は少な目に買ってきたせいか、みんな食べきってしまいました。
それで節子はまたもや食べられない結果になってしまいました。
私は食べられましたが。

私たちが食べているところを、節子はきっと笑いながら見ていたでしょうね。
その節子の笑い顔が目に浮かびます。
まぁ、わが家ではこうした事件はよくあったことなのです。
いつも責任は私にありましたが。

代わりに供えるものもないので、私が節子に謝ることで許してもらうことになりました。
薄情な家族ですが、まあこういう家族を育てたのは節子なので、自業自得というべきでしょう。はい。

今度はどんな夢を見るか、いささか気になりましたが、幸いに昨夜は節子の夢を見ませんでした。
もしかしたら他の人とお寿司を食べに行っていたのかもしれません。
そうだとすると、ちょっと不安ではありますね。
だんだん節子に嫌われそうで心配です。

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■食事時間は生存のための必要時間でしょうか

一昨日、餃子事件に関連して食について書きましたが、思い出したことを書きます。

ある会で「人間が自由に使える時間をどう使うべきか」という議論がありました。
生存のために必要な睡眠と食事時間を外すと1日15時間、とある人が説明し出したら、異議が出されました。
食事は必要時間ではないのではないか。
みなさんはどう思われますか。

食は栄養補給の意味もありますが、それ以外の意味がたくさんあります。
家族一緒に食べる食事は家族をつなげる場でしたし、友人との会食は心を開いたふれあいの場でした。
子どもにとっては、それはまさに「教育」や「マナーを学ぶ場」でもありました。

しかし最近は、家族が一緒に食事をするのではなく、食べるものも時間も別々という家庭も少なくないようです。
子どもたちのお弁当も、いまやコンビニ弁当というような話も聞きますし、今回の報道でも冷凍庫にお弁当用の冷凍食品があふれている風景がしばしば流れていました。
なんだかとても心配になってしまいます。
餃子に農薬が混入されたことよりも,こうした食の実態こそが問題なのではないかと思うほどです。
みんな食の効用を忘れてしまっているのではないでしょうか。

もっと食を楽しむ余裕をもてないものか。
テレビで、餃子はまた手づくりにしますと答えていた人がいましたが、調理も含めて食は私たちにとって生存のための時間ではなく、生活文化そのもののような気がします。
食のあり方のなかに、私たちの文化の本質が秘められているような気がします。
今回の事件は、そうしたことを私たちに問題提起してくれたように思います。

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2008/02/05

■ネット社会の恐ろしさ

昨日、このブログへのアクセスが急増しました。
このブログは毎日200~300のアクセスなのですが、1000件を超えるアクセスがあったのです。
不審に思って調べてみたら、ニフティの「旬の話題ブログ」に選ばれて、ニフティのトップページで紹介されていることがわかりました。
紹介されたのは、挽歌編の「誰かに褒められたいからがんばれる」でした。
いささか不満ですが、それにしてもこうしたところに取り上げられるとこんなにもアクセスが増えるものなのですね。

不満と書きましたが、2つの意味でちょっと残念でした。
まずはよりによってなぜこの記事が得たばれたかです。
挽歌編はそもそも読者相手ではなく、自分に向けた鎮魂歌であり、私たち夫婦を知っている人にだけ読んでもらえればと思っています。
どうせ選んでくれるのであれば、時評編から選んでほしかったです。
ほとんどは独善的で意味不明かもしれませんが、時には我ながらよく書けたと思う記事もあります。
まぁ最近は不発が多いですが、それでも今回取り上げられた記事よりは読んでほしい記事はたくさんあります。
でもそれらはきっと面白くないのでしょうね。

2つ目の不満は、「いちげんさん」には私のブログは向いていないですから、真意を受け止めてもらえないだろうという気がすることです。
いちげんさんでなくとも、真意は伝えられていないかもしれませんが、まあ何回か訪ねてきてくれていれば、私の癖が分かってもらえるような気がします。
もっと簡単に言えば、本当は「いちげんさん おことわり」と言いたいところなのです。

このブログの時評版は中途半端です。
最近、私もいろいろなブログを読ませてもらい出したのですが、実にしっかりしたブログがたくさんあるのに驚いています。
私の時評などは所詮は思いつきでしかありませんから読んでもらうほどのこともないという気になります。
しかし、このブログの良さは、ゾーエとビオスの両方が見えていることと実際にいつでも会いますと素顔を見せていることだと思っています。
ですからいいかえれば、あんまりたくさんの人に一元さんとして立ち寄ってほしくないわけです。

1年ほど前に、一度同じようにアクセスが急増したことがありますが、その時もきっとどこかで紹介されたのですね。
しかし、そのアクセスは2日で元に戻りましたから、定着した人はほとんどいなかったわけです。私にとっては、全く意味のない事件だったわけです。

ネット社会の恐ろしさを少し実感した気分です。
ともかく「振れが大きい」社会なのでしょう。
その振れに振り回されている人も、きっといるのでしょうね。
ネット社会では、これまでとちがって非連続な状況になれていかないと駄目なのかもしれません。
私には向いていません。
困ったものです。

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■節子への挽歌156:2つの世界に生きる2人の私がいます

節子がいなくなってから4か月もたったのに、まだ節子の不在が心身で理解できずにいます。頭では理解しているのですが。
この状況はなかなかわかってもらえないでしょう。
自分でも理解しがたいですから。

2つの世界に生きる私がいるのかもしれません。
節子のいない世界を生きる自分と節子がいる世界にとどまっている自分です。

後者の世界の私にとっては、時間が止まっています。
今も節子のベッドが置かれていた部屋でこれを書いていますが、顔をあげるとベッドの上で私に笑いかけている節子の笑顔が見えるのです。
もちろんベッドさえも今は無いのですが。
節子のいない世界には進みたくないという思いが、私をとどめているのでしょうか。

その一方で、時間は私の思いなどとは関係なく進んでいます。
笑われそうですが、節子がいないのにどうして世界はこれまでと同じように進んでいくのだろうかという馬鹿げた思いを持つことも少なくありません。
しかし、当然のことながら私の周りの世界の時間は今までと同じように進み、私の周りでもさまざまな事象が起こっています。
そうした節子がいない世界においても、実は私は節子の死をまだ受け入れられずにいるのです。
周囲の変化や時間の経過についていけずにいるわけです。
私の世界の中心だった節子がいない世界などあろうはずがないという気がどうしてもしてしまうのです。
身勝手なことで恥ずかしいですが。
しかし、そうした時間が動いている世界の中で生きていかないといけないという現実は否定できません。
その世界に完全に身を任せれば、楽な生き方ができるのかもしれません。
しかしそれは、節子への裏切りであるばかりでなく、節子の世界にとどまっている自分を抹殺することになります。
そんなことはできるはずがありません。

節子の世界に置いてきてしまった自分と新しい状況に付きあわなければいけない自分。
「時間が癒してくれる」どころか、実際には時間が2つの私を引き裂いてしまっているのです。
時間はどうして前にしか進まないのでしょうか。

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2008/02/04

■餃子中毒事件から何を学ぶか

餃子中毒事件は私たちの食のあり方、あるいは生き方に大きな問い直しを求めているように思います。
単なる冷凍食品の安全性の問題と捉えるべきではありません。

食は生命の基本ですが、それを私たち日本人は海外に委ねてしまったということです。
動物園で飼育係から餌をもらって生きている動物と同じ状況と言うべきでしょう。
私たちにはその認識が全くないのが問題ではないかと思います。
第二次世界戦争が始まった時に、上野動物園の動物たちは、餌の中に毒物を入れられて「始末」されたという話を読んだ記憶があります。
記憶違いかもしれませんが、なんだか現在の私たちと似ているような気もします。
もちろん今回は毒物を入れられたわけではありませんが、そうしたことが警告されているような気がしてしまいました。

いま手づくりの食事を食べている人はどのくらいいるのでしょうか。
食材まで含めれば、ほとんどの人は顔も知らない人たちの作ったものに依存しています。
それを不安に思う人はあまりいません。
それが当然だとみんな思っているのです。
しかし、つい100年ほど前まではそんなことはありませんでした。

自分たちで作った食材を使って自分たちで料理しようというつもりもありません。
わが家は極力そうしてきましたが、そうするかどうかは考え方の問題です。
しかし、せめて今のように食材や食品を経済の論理に任せて、無節操に国外に求めるのは考え直すべきではないかと思います。
私たちの暮らしの安全と言う意味もありますが、それ以上に、たとえば移送に伴う環境負荷の増大、生産地の食糧事情への悪影響などの問題も大きいと思います。

念のために言えば、中国産が危険だと言うわけではありません。
食材を過度に海外に依存すべきではないと言う話です。
食料自給率が時々問題になりますが、それは私たちの生活の自立度であり、国家の自律性の問題でもあります。

この事件から私たちは何を学ぶのか。
問題の発端は私たち自身にあることを自覚すべきではないかと思います。
食生活のあり方を見直すことから、それは簡単に始められるのですから。

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■節子への挽歌155:鬼は内、福も内

昨日は節分でした。
私にとって節分は2月4日と頭に刻みこまれています。
2月4日は節子の誕生日、そして節子は「節分」に生まれたので、節子と命名されたと思いこんでいるのです。

前に私たちの「結婚通知状」のことを少し書いたことがありますが、その結婚通知状に節分と節子の話を書いた記憶があります。
その通知状が見つからないのですが、たしか
結婚する節子は、節分の豆に追い出された鬼の涙のようにやさしい人です
というようなことを書いたような気がします。
これだけ読むと、何か節子が悲劇の人のようになりますが、
そうではなく、私の理想の女性像を無理やり重ねてしまったのです。

私は、鬼を追いやる風習に強い違和感がありました。
排除の発想が私には許せなかったのです。
鬼を追いやる側ではなく、追いやられる鬼の側になりたいと子供の頃からずっと思っていました。
そうした気持ちが、きっと「節分生まれの節子」に重なっていたのです。
節分に生まれたのであれば、やってきた「福」のほうだと考えるのが普通ですが、どうもその頃から私は斜に構える傾向があったようです。
どうも素直ではないですが、当時から私は自分の発想こそが本当の素直さだと確信していました。いまもそうですが。
困ったものです。

節子と結婚した時に、私が提案したことで採用されたことの一つが、節分には、
「鬼は内、福も内」
と言って豆を撒くことでした。
節子はしぶしぶ賛成してくれました。
もっとも節子は、たしか、
「福は内、鬼も内」
が良いと言ったような気がします。
節子はそれを新聞に投稿したことがあります。
節子は投稿が大好きで、いろんなところに投稿していました。
それは、朝日新聞の「ひととき」に掲載されました。
このブログを書くのに、その切抜きを探したのですが、やっと見つかりました。
Setubun

その記事を読んで、私自身の思い違いに気づかされました。
節子はどうも私の意見に賛成していたわけではないようです。
切抜きをお読みいただければわかると思います。
左の写真をクリックすると大きくなります。
もし読めなかったら、ここをクリックしてください。

私の独善的な押し付けが、他にもいろいろとあったかもしれません。
気づかなかったのは、私だけだったのでしょうか。
節子に謝らなければいけませんね。

節子は、呼びこんでしまった鬼たちに連れて行かれてしまったのでしょうか。
寒い夜に、せっかくあたたかい家を提供していたのに、もしそうならば哀しい話です。
今からでもいいので、返してほしいです。
私と引き換えでもいいですから。

昨日の豆まきの私の掛け声は、「節は内」でした。
しかし今朝も節子には会えませんでした。

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2008/02/03

■節子への挽歌154:「誰かに褒められたいからがんばれる」

NHK朝のドラマの「ちりとてちん」は、節子と一緒に見たかったドラマです。
前に一度書きましたが、心に響くことが多いのです。

先週はちょっと悲しい展開でしたが、私の心に特に残ったのはこんな言葉です。
主人公が師事している落語の師匠が、がんばって伝統工芸師の資格を取った職人やがんばって落語を続けてきた弟子などについて、「愛する人に褒めてもらいたかったからがんばれたのだ」というようなことを話すのです。
実はそれはまたその落語家自身のことでもあるのですが。

「愛する人に褒めてもらいたかったからがんばれた」
私もそうでした。
こんなことをいうと笑われそうですが、私にとっては節子に評価されることが、すべての行動の原動力でした。
節子に自慢したいがために、いろいろなことをやりました。
全く評価されなかったこともありますが、それもまた私には「ひとつの評価」だったのです。
世界中の人からの評価(そんな経験は全くありませんが)よりも、私には節子ひとりからの評価が大切でした。

これは私だけのことではないように思います。
どんな価値のあることを達成しても、身近な誰かに評価されなければ、虚しいのではないか。
そんな気がします。
偉業を達成した人が、まずは親に報告したい、というように、愛する人から褒められたいというのは、誰にも共通した気持ちではないでしょうか。

自分の活動を評価してくれる「愛する人」がいるかどうか。
それによって、人の行動は変わります。
たとえば、ヒトラーにもしもっと早い時気に愛する人が現れていたら、歴史は変わっていたでしょう。

では、愛する人がいなくなったらどうなるのか。
「ちりとてちん」の落語の師匠は、ひぐらしの鳴き声が、「カナカナ」ではなく「コワイコワイ」と聞こえるというのです。
彼は数年前に愛する妻を亡くしています。
「コワイコワイ」、生きるのがこわい、ということです。
私もそうです。
生きることの辛さ、怖さ、それをいま感じています。

来週の「ちりとてちん」は、生きるのがこわい、という師匠の話から始まります。
ちょっと見るのが辛そうです。

今日は節子の4回目の月命日です。
昨夜からの雪が積もっています。
外は真っ白です。

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■科学技術信仰の高まりへの懸念

環境問題は科学技術の発展によって解決すると考えている人が増えているようです。
昨日発表された内閣府の「科学技術と社会に関する世論調査」によると、6割以上の人が「社会の新たな問題は科学技術で解決される」と考えています。
4年前の調査に比べてなんと3割近い上昇だそうです。
科学技術信仰がまた戻ってきているようです。
30年前を思い出します。

イリイチは、地域に根差した自律的な生活(ヴァナキュラーな生活)とそれを可能にする暮らしの基盤(サブシステンス)を近代市場経済が壊してきたと言っていますが、科学技術は近代市場経済のパートナーでした。
ですから、近代西欧科学技術は産業のジレンマと同じ構造を持っています。
科学技術の発展が新たなる課題を生み出しつづけるというジレンマです。
しかも、その課題は次第に人間のリズムとは無縁なものになり、人間のための科学技術がいつの間にか、科学技術のための人間という倒錯した関係を生み出していきます。
最近の日本はすでにそうした状況に入っているように思います。

私は、「社会の新たな問題は科学技術で解決される」などとは思っていません。
むしろ、「科学技術は社会の新たな問題を生みだす」と思っています。
もちろん、ある意味での解決は、科学技術がしてくれるでしょうが、それ以上の課題を生み出してしまうことの方が問題です。
ですから、イリイチが言うように、私たちは、ヴァナキュラーな生活、つまり大地に根ざした生活を取り戻すことが大切だと考えています。
そうした生活を通して、私たちの暮らしの基盤が再構築していけるかどうかが課題です。

だからと言って、科学技術を否定するつもりは全くありません。
その効用は決して小さくはないからです。
問題は誰が科学技術の主人になるか、つまりテクノロジー・ガバナンスです。
それによって、近代西欧科学技術とは違った科学技術が主流になるかもしれません。
科学技術はなにも現在の形だけではないはずです。
今のような生活者から見えなくなってしまった科学技術は無限に暴走しかねません。

そんな関心から、暮らしと技術を考えるサロンというのをやっています。
関心のある方がいたら、ご連絡ください。
次回は「原発問題」を考えてみる予定です。

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2008/02/02

■日教組集会をつぶした無法者グランドプリンスホテル新高輪

信じられない話ですが、日教組が主催する教育研究全国集会の全体集会が、会場が使えなくなったために、中止になりました。
この事件は、とても大きな意味を持っていると思いますが、マスコミはあまり大きな意味を感じていないようです。
「会場をいったん引き受けていた東京のグランドプリンスホテル新高輪が、右翼団体の街宣活動によって他の客や周辺の地域に迷惑をかけるといって、断った」(朝日新聞社説)結果ですが、
これには報道されているように経緯があります。
日教組は昨年5月にホテルと会場の契約をし、7月には会場費の半額を払ったそうです。
しかし11月になって、ホテル側は上記の理由で日教組に解約を通知しました。
東京地裁と東京高裁が日教組の訴えを認め、会場を使わせるよう命じたにもかかわらず、ホテルはそれを無視し、同じ会場を他の企業に貸してしまったのです。

繰り返しますが、信じられない話です。
偽装問題どころの話ではなく、もっと重大な犯罪です。
契約が無視され、裁判所の命令も無視されました。
経済のルールも政治のルールも無視されたのです。
これはもう立派な犯罪です。しかも極めて悪質だと思います。
もし犯罪として扱われないのであるとしたら、日本はもはや法治国家ではないということになります。

経済のルールを無視されて、財界はなぜ動き出さないのでしょうか。
教師たちの集まりを妨害されて、文部科学省はなぜ動かないのでしょう。
言論や表現の自由が侵されそうなのに、なぜマスコミはもっと早くから取り上げなかったのでしょうか。
右翼の示威行動に警察が無力なのは、なぜでしょうか。

問題はそれだけではありません。
この集会は、各地の教師が集まり、教育にかかわる様々な問題を話し合う場です。
教育が重要だと言っている人たちは、どう考えているのでしょうか。
日教組の集まりは、教育とは無縁だと考えているのでしょうか。

日教組は「教育の敵」という見方があります。
そう見つつも、学校を彼らに預けている文部科学省も卑劣ですが、
そう見られつつも文部科学省に従属している日教組も愚劣です。
その両者の対立が、政治や財界に利用されてきたわけですが、
そんななかで学校教育が問題を起こし続けるのは当然のことです。

日教組に対して、あまり良くないイメージを持っている人も少なくないでしょうが、
ほとんどの人は日教組の実態など知るはずもないでしょう。
そうしたイメージを構築してきたのは、マスコミかもしれません。
このあたりのことを書き出すとまたきりがありませんが、
ともかく今回のグランドプリンスホテル新高輪の行動は許されるべきではありません。
契約は勝手に破棄していい、裁判の命令には従わなくてもいい、というのであれば、社会の秩序は維持できません。

私ができるのは西武系のホテルを利用しないことぐらいでしょうか。
最近はホテルを利用する機会が少ないので、あんまり意味がないですが。

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■節子への挽歌153:生き急ぐ生き方への反省

節子
あなたのことを思い出すたびに、今も胸が痛みます。
愛する人に会えない心の痛みは消えることがありません。

今日は、節子が書いた「1日の旅 おもしろや 萩の原」の額をみながら、
コタツで越路吹雪と和田あき子を聞いていました。
今朝はとても早く目が覚めてしまったので、とても眠いのです。
越路吹雪のシャンソンの歌詞をこんなにゆっくり聴いたのは久しぶりです。
とても心に沁みてきます。

昨日、節子がいなくなってから変わったことを書きましたが、一番大きな変化に今気づきました。
眠気がとんで、目が覚めました。
変わったのは「生き方」です。
生き急ぐ生き方をやめたことです。
こんなにボーっとして自宅で越路吹雪を聴いたことが、この30年、あったでしょうか。
節子の体調が悪くなって、ベッドで横になっている時でさえ、お互いに何かしていたような気がします。
少なくとも、話をしていましたね。
話すことなど必要なく、ただ黙って2人一緒に越路吹雪を聴けばよかったのに、
昔の家族のビデオを見たり、節子の足を揉んだり、いつも何かをしていたような気がします。
大切なのは、何もせずに、ただ並んでいることだったのだ、といま気づきました。

何かをしないといけないという強迫観念が、私たちにはきっとあったのでしょうね。
何もしないことの大切さを、私は頭ではわかっていたし、そうしようと心がけてきたはずなのに、
一番大切な節子との最後の数か月、それを忘れてしまい、「治す」ことばかり考えていたような気がします。
それは私が一番避けたがっていた「明日のために生きる」生き方だったかもしれません。
節子は、明日よりも今日、と言っていました。
私もそれに賛成したはずなのに、実際には、今日よりも明日を考えていたのかもしれません。

その根底には、私の生き急いでいる生き方があったのでしょうね。
今やっとそれに気づきました。
最近、どうも身体が動かないのですが、
それは私の身体がそうした生き方から抜け出ようとしているからかもしれません。

明日のために生きるのではなく、今をしっかりと生きること。
節子がそのことを私に気づかせてくれたのでしょうか。

シュバイツァーは、産業社会の中で、人々は自由を失い「過剰努力」をしていると指摘したそうですが、
その意味が少しわかったような気がします。

節子、もう生き急ぐのはやめます。
ゆっくりと、あなたのように、毎日をしっかり生きるようにします。
ありがとう、節子。

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2008/02/01

■節子への挽歌152:節子がいなくなってから変わったこと

節子
まだあなたがいなくなったことの意味を理解できないまま、おろおろしています。
宮沢賢治の「雨にもまけず」に、「おろおろ」という言葉が出てきますが、
その言葉が最近の私にはぴったりだなと思っています。
外からはまあそれなりにしっかりしてきたと見えるかもしれませんが、
心情的にはまだ「おろおろ」しつづけています。
多分、娘たちはそれに気付いています。彼らはだませません。

ところで、節子がいなくなってから私にはいくつかの変化がありました。
今日はそのいくつかを報告します。

まず変わったのは、本を読むようになりました。
それもこれまでのように粗雑な読み方ではなく、時にはノートをとるほどしっかりと読んでいます。
読む本は、最近ちょっと気にいっているネグりなどの新刊もありますが、昔読んだ本の再読が多いです。
フロムやイリイチ、あるいは倫理学や正義論、自由論などの本です。
昔、あなたに得意になって講義?したことを思い出します。
しかし、今度は前に読んだ時とは違い、実感的に読めるような気がしています。
いつも、節子のこととのつながりを念頭に読んでいます。

なぜ読書時間が増えたか、それは節子との会話時間がなくなったことを埋めるためです。
ですから昔と違って、自宅で読書をしています。
あなたの写真の前で、です。

夜の就寝時間が早まったのも変化の一つです。
10時にベッドに入り、報道ステーションを見ます。
それが終わってから1時間ほど読書をします。それが最近の基本です。
節子がいた頃は、いつも遅かったのに不思議です。
隣に節子がいないのに、なぜか早くベッドに入りたくなるのです。
そういえば、帰宅時間も早くなりました。
節子がいないのだから、早く帰っても仕方がないということにはならないのです。
反対なのです。
変な話ですが、今まで以上に、節子が待っているから早く帰ろうという気分になるのです。
自分でもなぜか分かりません。

パソコンに向かう時間は一時は減りましたが、また増えだしています。
ブログとホームページのために、1日、1時間近くは使っているかもしれません。
節子は私がパソコンに向かうのが好きではありませんでしたが、
挽歌を書いている時は節子と話しているようなものなので許してくれるでしょうね。

食事の好き嫌いは言わなくなってきています。
娘たちが誠意を持ってつくってくれるものを、感謝しながら毎日食べています。
あなたには思い切りわがままでした。ごめんなさい。

他にも変わったことはいくつかあります。
しかし、節子への愛は、今も全く変わっていません。
昔も今も、節子を愛しています。
あなたも変わっていないといいのですが。

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■カーボン・デモクラシー

先日のクローズアップ現代で「カーボン・デモクラシー」が取り上げられていました。
一挙には難しいでしょうが、環境問題を考える時に根底に置くべき理念だと思います。

カーボン・デモクラシーという表現には違和感がありますが、要は「世界中すべての人が排出する二酸化炭素の量を平等にすべきだ」という考えです。
ロンドンでは、このような考え方のもとにさまざまな規制が始まっているといいますし、すでに大きな成果を挙げた事例も紹介されていました。
こうした取り組みにおいては、分散型エネルギーの推進が効果的で、ロンドン市内に発電所を作り、地域での自給を賄おうとする計画もあるそうです。
以前、東京に原子力発電所を創ろうという運動があったことを思い出しました。

分散型エネルギーの主張は1980年代にかなり盛んだったように記憶しています。
きっかけはエイモリー・ロビンスの「ソフトエネルギーパス」でした。
シューマッハの「スモール イズ ビューティフル」も話題になっていた頃で、エネルギーにおいても小規模水力発電とかバイオマスが議論されていました。
私も当時、エネルギー問題の研究会をやったりしていましたが、その時に思いついたひとつが、歩行者の多いところで人々が地面を踏む力で発電できないかということでした。
最近、その実験が東京駅で行われるというニュースを聞いて思い出しました。
ソフトエネルギーパス発想ではエネルギー分散も大きなテーマでした。
それは同時に、廃棄物処理に関しても同じで、分散処理が議論されていました。
ともかく当時は、規模の経済ではなく、規模の不経済が議論されだしていたのです。

エネルギーや廃棄物問題だけではありません。
まちづくりにおいても「地域主義」が叫ばれ、地産地消や身土不二が話題になり、コミュニティへの関心が高まっていたように思います。
時代は大きく変わると私は思いました。

しかし、そうはなりませんでした。
バブル経済の進行が、人々の意識を反転させ、大規模経済が力を取り戻してしまったのです。
私は会社を辞めましたが、頭はともかく、身体的にはなかなか価値観を変えることができませんでした。
会社を辞めたのに(私は企業社会からの離脱を宣言したのですが)、実はその社会から離脱はできなかったのです。
そして気がついたら、経済はますます金銭効率主義になり、社会は管理化してきています。
幸いに私の場合は、ライフステージのおかげで、わがままに過ごせましたが、それは単に社会から脱落してしまっただけのことだったのです。
結局はお釈迦様の手から飛び出せなかった孫悟空の思い上がりの話を思い出します。

中国の野菜よりは地元の野菜を食べるようにしたいものです。
フードマイレージを考えれば、一見安価のようですが、結局は高い野菜を食べているのです。
自分でできることは自分で処理する。
そんな「百姓的生き方」を目指すように心がけたいと思います。
中国産餃子毒物混入事件は私たちの生き方への警告かもしれません。
禍転じて福としたいものです。

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