■節子への挽歌155:鬼は内、福も内
昨日は節分でした。
私にとって節分は2月4日と頭に刻みこまれています。
2月4日は節子の誕生日、そして節子は「節分」に生まれたので、節子と命名されたと思いこんでいるのです。
前に私たちの「結婚通知状」のことを少し書いたことがありますが、その結婚通知状に節分と節子の話を書いた記憶があります。
その通知状が見つからないのですが、たしか
結婚する節子は、節分の豆に追い出された鬼の涙のようにやさしい人です
というようなことを書いたような気がします。
これだけ読むと、何か節子が悲劇の人のようになりますが、
そうではなく、私の理想の女性像を無理やり重ねてしまったのです。
私は、鬼を追いやる風習に強い違和感がありました。
排除の発想が私には許せなかったのです。
鬼を追いやる側ではなく、追いやられる鬼の側になりたいと子供の頃からずっと思っていました。
そうした気持ちが、きっと「節分生まれの節子」に重なっていたのです。
節分に生まれたのであれば、やってきた「福」のほうだと考えるのが普通ですが、どうもその頃から私は斜に構える傾向があったようです。
どうも素直ではないですが、当時から私は自分の発想こそが本当の素直さだと確信していました。いまもそうですが。
困ったものです。
節子と結婚した時に、私が提案したことで採用されたことの一つが、節分には、
「鬼は内、福も内」
と言って豆を撒くことでした。
節子はしぶしぶ賛成してくれました。
もっとも節子は、たしか、
「福は内、鬼も内」
が良いと言ったような気がします。
節子はそれを新聞に投稿したことがあります。
節子は投稿が大好きで、いろんなところに投稿していました。
それは、朝日新聞の「ひととき」に掲載されました。
このブログを書くのに、その切抜きを探したのですが、やっと見つかりました。
その記事を読んで、私自身の思い違いに気づかされました。
節子はどうも私の意見に賛成していたわけではないようです。
切抜きをお読みいただければわかると思います。
左の写真をクリックすると大きくなります。
もし読めなかったら、ここをクリックしてください。
私の独善的な押し付けが、他にもいろいろとあったかもしれません。
気づかなかったのは、私だけだったのでしょうか。
節子に謝らなければいけませんね。
節子は、呼びこんでしまった鬼たちに連れて行かれてしまったのでしょうか。
寒い夜に、せっかくあたたかい家を提供していたのに、もしそうならば哀しい話です。
今からでもいいので、返してほしいです。
私と引き換えでもいいですから。
昨日の豆まきの私の掛け声は、「節は内」でした。
しかし今朝も節子には会えませんでした。
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コメント
奥様の投稿記事を読ませていただきました。読んでいるうちに、思わず、クスッと笑ってしまいました。不謹慎で申し訳ありません。でも、佐藤家のユーモラスな会話の様子が目の前に浮かんでくるようでした。さて、「福は内、鬼は外」は、佐藤さんが指摘されているように、確かに自分たちだけ良ければそれでいいと言う風にも受けとめられますね。「福は内」では皆で福の取り合いになってしまうというご意見は、考えさせられます。
来年の節分は、我が家でも掛け声を少し工夫してみようと思いました。
投稿: 鳥羽瀬 | 2008/02/04 23:24
ありがとうございます。
私も久しぶりに妻の投稿記事を読みました。
私の案は、家族にはどうも不満だったようです。
私はみんなが賛成していると思い込んでいました。
ちなみに、今年は家族それぞれが思うままにやりました。
私は「節は内」と言いましたが、あまり大きな声を出せませんでした。
近所に聞こえないように、小さな声になってしまいました。
鳥羽瀬さんがこのブログを読んでくださっているとは気づきませんでした。
私の実体が露呈してしまいましたね。
投稿: 佐藤修 | 2008/02/05 13:21