■カーボン・デモクラシー
先日のクローズアップ現代で「カーボン・デモクラシー」が取り上げられていました。
一挙には難しいでしょうが、環境問題を考える時に根底に置くべき理念だと思います。
カーボン・デモクラシーという表現には違和感がありますが、要は「世界中すべての人が排出する二酸化炭素の量を平等にすべきだ」という考えです。
ロンドンでは、このような考え方のもとにさまざまな規制が始まっているといいますし、すでに大きな成果を挙げた事例も紹介されていました。
こうした取り組みにおいては、分散型エネルギーの推進が効果的で、ロンドン市内に発電所を作り、地域での自給を賄おうとする計画もあるそうです。
以前、東京に原子力発電所を創ろうという運動があったことを思い出しました。
分散型エネルギーの主張は1980年代にかなり盛んだったように記憶しています。
きっかけはエイモリー・ロビンスの「ソフトエネルギーパス」でした。
シューマッハの「スモール イズ ビューティフル」も話題になっていた頃で、エネルギーにおいても小規模水力発電とかバイオマスが議論されていました。
私も当時、エネルギー問題の研究会をやったりしていましたが、その時に思いついたひとつが、歩行者の多いところで人々が地面を踏む力で発電できないかということでした。
最近、その実験が東京駅で行われるというニュースを聞いて思い出しました。
ソフトエネルギーパス発想ではエネルギー分散も大きなテーマでした。
それは同時に、廃棄物処理に関しても同じで、分散処理が議論されていました。
ともかく当時は、規模の経済ではなく、規模の不経済が議論されだしていたのです。
エネルギーや廃棄物問題だけではありません。
まちづくりにおいても「地域主義」が叫ばれ、地産地消や身土不二が話題になり、コミュニティへの関心が高まっていたように思います。
時代は大きく変わると私は思いました。
しかし、そうはなりませんでした。
バブル経済の進行が、人々の意識を反転させ、大規模経済が力を取り戻してしまったのです。
私は会社を辞めましたが、頭はともかく、身体的にはなかなか価値観を変えることができませんでした。
会社を辞めたのに(私は企業社会からの離脱を宣言したのですが)、実はその社会から離脱はできなかったのです。
そして気がついたら、経済はますます金銭効率主義になり、社会は管理化してきています。
幸いに私の場合は、ライフステージのおかげで、わがままに過ごせましたが、それは単に社会から脱落してしまっただけのことだったのです。
結局はお釈迦様の手から飛び出せなかった孫悟空の思い上がりの話を思い出します。
中国の野菜よりは地元の野菜を食べるようにしたいものです。
フードマイレージを考えれば、一見安価のようですが、結局は高い野菜を食べているのです。
自分でできることは自分で処理する。
そんな「百姓的生き方」を目指すように心がけたいと思います。
中国産餃子毒物混入事件は私たちの生き方への警告かもしれません。
禍転じて福としたいものです。
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