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2008/02/15

■節子への挽歌166:使われることのなかったトレッキングシューズ

下駄箱の中に、まだ使ったことのないトレッキングシューズが2足あります。
節子のと私のです。
節子の手術後、元気になってきたので山歩きに挑戦しようということになり、まずはトレッキングシューズを買おうと私が言い出したのです。
節子は乗り気ではありませんでしたが、わざわざ車で靴の専門店に行って、2人で買ったのが、このシューズです。
千畳敷カールに行く時に、このシューズを履いていこうかといいましたが、ちょっと大げさではないかと言うことになり、いつものシューズで出かけました。
そんなわけで、結局、このシューズは一度も使われることがありませんでした。

節子は、あなたは使いもしない無駄な物を買うことが多いと、良く言っていました。
確かにその傾向はあったかもしれませんが、私にとってはいつも無駄な買い物ではありませんでした。
買った物が無駄になることはよくありましたが、買い物には必ず意味がありました。

特にこのトレッキングシューズはたとえ使われなかったとしても、無駄ではありませんでした。
十分に効用を発揮したと思っています。
私も節子も、それぞれに、元気になって山に行くんだという思いを相手に伝えることができたのです。
いつかこれを履いて山に行くという、私たちの思いの象徴でした。
ですから使われなかったとしても、全く無駄にはなりませんでした。
私たちを元気にさせてくれたのですから。

こうした物がいくつか残っています。
それらは、節子を元気づけ、私たちに希望を与えてくれました。
しかし、いまそれらが私に与えてくれるのは、元気ではなく、悲しさだけです。
でも処分する気にはなれません。使う気にもなれないのです。
節子が戻ってきて使うかもしれないなどという、不条理な思いさえ、時に持ってしまうのです。
未練がましい話なのですが。

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