■餃子中毒事件から何を学ぶか
餃子中毒事件は私たちの食のあり方、あるいは生き方に大きな問い直しを求めているように思います。
単なる冷凍食品の安全性の問題と捉えるべきではありません。
食は生命の基本ですが、それを私たち日本人は海外に委ねてしまったということです。
動物園で飼育係から餌をもらって生きている動物と同じ状況と言うべきでしょう。
私たちにはその認識が全くないのが問題ではないかと思います。
第二次世界戦争が始まった時に、上野動物園の動物たちは、餌の中に毒物を入れられて「始末」されたという話を読んだ記憶があります。
記憶違いかもしれませんが、なんだか現在の私たちと似ているような気もします。
もちろん今回は毒物を入れられたわけではありませんが、そうしたことが警告されているような気がしてしまいました。
いま手づくりの食事を食べている人はどのくらいいるのでしょうか。
食材まで含めれば、ほとんどの人は顔も知らない人たちの作ったものに依存しています。
それを不安に思う人はあまりいません。
それが当然だとみんな思っているのです。
しかし、つい100年ほど前まではそんなことはありませんでした。
自分たちで作った食材を使って自分たちで料理しようというつもりもありません。
わが家は極力そうしてきましたが、そうするかどうかは考え方の問題です。
しかし、せめて今のように食材や食品を経済の論理に任せて、無節操に国外に求めるのは考え直すべきではないかと思います。
私たちの暮らしの安全と言う意味もありますが、それ以上に、たとえば移送に伴う環境負荷の増大、生産地の食糧事情への悪影響などの問題も大きいと思います。
念のために言えば、中国産が危険だと言うわけではありません。
食材を過度に海外に依存すべきではないと言う話です。
食料自給率が時々問題になりますが、それは私たちの生活の自立度であり、国家の自律性の問題でもあります。
この事件から私たちは何を学ぶのか。
問題の発端は私たち自身にあることを自覚すべきではないかと思います。
食生活のあり方を見直すことから、それは簡単に始められるのですから。
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コメント
日本の食生活を見直したいなら、まず土地について考えなければいけないとおもいます。
投稿: くらめ | 2008/02/05 04:52
同感です。
私は土地に関しては、私有ではなく、「総有」という考え方がいいと思います。
これに関してもホームページのほうに何回か書いた記憶がありますが、どこに書いたか見つかりません。
要は、土地はみんなの財産でもあるという発想で考えるべきだと思います。
ちなみにある人から自給は可能かというコメントをもらいましたが、
農業生産性の向上を考えれば、十分可能なはずです。
それに日本の人口は減少していくでしょうから、20年計画くらいで考えるべき問題だと思います。
投稿: 佐藤修 | 2008/02/05 13:24
その発想は、どうすれば実現できるのでしょうか?
正直に言って、全くの机上の空論としか思えないのですが…。
投稿: くらめ | 2008/02/07 12:43
くらめさん
ありがとうございます。
ご指摘の発想は、
「土地はみんなの財産でもあるという発想」
のことですね。
ご指摘の通り、机上論ですが、これは考え方です。
その考えで少しずつ皆が取り組めば
空論にはならないと思います。
そして少しずつですが、その方向に動き出していると私は思っています。
景観条例や公園管理、環境保全などで感じます。
自分の土地だからと言って、今や勝手にしていいわけではないという考えは広がっているような気がします。
大切なのは考え方と自分の生き方だと思います。
社会が変わるのは、まあ100年くらいのタイムスパンで考えないといけないと思いますが、その考え方を先ずは自分でできるところから実践するという生き方を私は大事にしています。
どんな大きな変化も、最初は誰かの小さな一歩です。
そう考えるとできることはいろいろとあるように思います。
客観的には「空論」でも、私にとっては「実論」なのです。
満足のいく回答ではないと思いますが、
私にとっては、「できるかどうか」ではなく、「やるかどうか」が関心事なのです。
変えられるのは自分の言動だけですので。
自己満足的な回答ですみません。
投稿: 佐藤修 | 2008/02/08 11:03
開き直っている人には何を言っても大して意味がないと言うことはわかっているのですが、ひとつだけ言わせてください。
出来もしない願望を振り撒いて他人にいたずらに希望を抱かせる事は、罪です。
少なくとも僕は、そう思います。
投稿: くらめ | 2008/02/08 12:31
ありがとうございます。
>出来もしない願望を振り撒いて他人にいたずらに希望を抱かせる事は、罪です
私は、「できると確信している願望を自分で実践している」のですが、その点だけは、私にも言わせてください。
土地の所有形態が今のようになったのは、たかだかあ数百年で、しかも一部ではないかと思っていますから、私自身は今もなお、本当は「総有」思想はかなり根強く残っていると思っています。
生き方や考え方は、いろいろあることはいいことだと思っています。
投稿: 佐藤修 | 2008/02/09 15:47