■節子への挽歌175:久しぶりの危うい話
久しぶりの「危うい話」シリーズです。
節子がまだ元気だった頃の、私の体験です。
私がこの世からいなくなった後のこの世を2回ほど歩いた記憶があります。
もしかしたら、夢かもしれないので、書くことをためらっていましたが、記憶が消えないうちに書いておくことにしました。
もう5年ほど前になります。
1回目は東京の湯島。私のオフィス近くの急な階段の上です。
一人の媼(おうな)と2人の童が、道端で遊んでいる風景に出会いました。
その時、なぜか周辺から現実感がなくなり、絵の中の風景のように見えたのです。
その3人の服装は、どうみても私が子どもの頃の時代のものでした。
声は聞こえませんでしたが、童(そういう表現がぴったりでした)たちはしゃがんだお媼(そういう表現がぴったりでした)の周りを回っていたような気がします。
私はそのまま通り過ぎたのですが、なぜかその風景が心に強く残りました。
あまりに昔風でしたし、現実感がなかったからです。
こう書いてしまうと何と言うことはない話なのですが、その時の感覚はとても不思議なものでした。
それから数週間して、ますます記憶が危ういのですが、大阪で同じ3人に出会ったのです。全く同じ服装でした。
しかし、その時は何も気にせずに、そのまま通り過ぎました。
そして数日たってから、そのことが急に思い出されました。
しかし、具体的な場所が思い出せないのです。
新大阪駅の近くだったような気がしますが、確かではありません。
なぜその時におかしいと思わなかったのでしょうか。
同じ服装の3人組が2か所にいるはずがないと、なぜ思わなかったのでしょうか。
そんなことを考えているうちに、突然、あれは私が死んだ後の風景だったという思いが浮かんだのです。
なぜそう思ったのかわかりませんが、そんな気がしたのです。
むしろ前世の風景と思うのが普通でしょうが、私にはなぜか来世で見える風景に思えたのです。
節子に、死んだ後の風景を見たよと話しましたが、またおかしな話をしているくらいにしか受け止めてもらえませんでした。
私自身も、夢だったかもしれないと思い出していましたので、あまり深くは話しませんでした。
考え出すと、さまざまな不安が私の心によぎってくるからです。
しかし、その啓示は、思ってもいなかった形で、私の身に起こってしまいました。
節子が旅立ってしまったのです。
呼ばれていたのは、私だったはずなのに。
またあの3人に会ったら、今度は声を掛けてみようと思っていますが、まだ会えずにいます。
会うべき人には必ず会うものだ、と私はずっと思って生きていますので、もし会うべき人たちであれば、きっといつか会えるでしょう。
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