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2008/02/01

■節子への挽歌152:節子がいなくなってから変わったこと

節子
まだあなたがいなくなったことの意味を理解できないまま、おろおろしています。
宮沢賢治の「雨にもまけず」に、「おろおろ」という言葉が出てきますが、
その言葉が最近の私にはぴったりだなと思っています。
外からはまあそれなりにしっかりしてきたと見えるかもしれませんが、
心情的にはまだ「おろおろ」しつづけています。
多分、娘たちはそれに気付いています。彼らはだませません。

ところで、節子がいなくなってから私にはいくつかの変化がありました。
今日はそのいくつかを報告します。

まず変わったのは、本を読むようになりました。
それもこれまでのように粗雑な読み方ではなく、時にはノートをとるほどしっかりと読んでいます。
読む本は、最近ちょっと気にいっているネグりなどの新刊もありますが、昔読んだ本の再読が多いです。
フロムやイリイチ、あるいは倫理学や正義論、自由論などの本です。
昔、あなたに得意になって講義?したことを思い出します。
しかし、今度は前に読んだ時とは違い、実感的に読めるような気がしています。
いつも、節子のこととのつながりを念頭に読んでいます。

なぜ読書時間が増えたか、それは節子との会話時間がなくなったことを埋めるためです。
ですから昔と違って、自宅で読書をしています。
あなたの写真の前で、です。

夜の就寝時間が早まったのも変化の一つです。
10時にベッドに入り、報道ステーションを見ます。
それが終わってから1時間ほど読書をします。それが最近の基本です。
節子がいた頃は、いつも遅かったのに不思議です。
隣に節子がいないのに、なぜか早くベッドに入りたくなるのです。
そういえば、帰宅時間も早くなりました。
節子がいないのだから、早く帰っても仕方がないということにはならないのです。
反対なのです。
変な話ですが、今まで以上に、節子が待っているから早く帰ろうという気分になるのです。
自分でもなぜか分かりません。

パソコンに向かう時間は一時は減りましたが、また増えだしています。
ブログとホームページのために、1日、1時間近くは使っているかもしれません。
節子は私がパソコンに向かうのが好きではありませんでしたが、
挽歌を書いている時は節子と話しているようなものなので許してくれるでしょうね。

食事の好き嫌いは言わなくなってきています。
娘たちが誠意を持ってつくってくれるものを、感謝しながら毎日食べています。
あなたには思い切りわがままでした。ごめんなさい。

他にも変わったことはいくつかあります。
しかし、節子への愛は、今も全く変わっていません。
昔も今も、節子を愛しています。
あなたも変わっていないといいのですが。

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