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2008/02/10

■節子への挽歌161:「あんないい人生はなかった」と思えるか

コムケア活動を通して知り合った大阪のNさんが、もしよかったらと言って星野道夫さんの「旅する木」を薦めてくれました。
Nさんも、数年前に夫を見送っています。
いまは高齢社のためにとても誠実な活動をされています。

星野さんはアラスカを中心に活動していた写真家で、10年ほど前にクマに襲われて生命を落とした人です。
星野さんの友人の池澤夏樹さんが「解説」を書いています。
書かれた時期は、星野さんが亡くなってから3年目でした。

最近ぼくは星野の死を悼む気持ちがなくなった。彼がいてくれたらと思うことは少なくないが、しかしそれは生きているものの勝手な願いでしかない。本当は彼のために彼の死を悼む資格はぼくたちにはないのではないか。彼の死を、彼に成り代わって勝手に嘆いてはいけない。
(中略)
3年近くを振り返ってみて、あんないい人生はなかった、とぼくは思えるようになった。
節子のことを、「あんないい人生はなかった」と私が思える日がくるでしょうか。
そうあってほしいと心から思いますが、今はとてもそういう気分にはなれません。
「彼の死を、彼に成り代わって勝手に嘆いてはいけない」という言葉にも共感するのですが、節子に関しては、私にだけはその資格があると思いたいです。

この本はエッセイ集なのですが、そのひとつに「歳月」という文章があります。
繰り返し読みました。
そこに、星野さんの幼馴染の親友が谷川岳で遭難して亡くなった時の話が出てきます。
そこにこんな話が出てきます。

遭難現場でTの母親と会った。変わり果てたTを見つめ、涙さえ見せなかった。そればかりか、「あの子のぶんまで生きてほしい」と、優しき微笑みながら言った。

見事な母親です。私とは全く正反対のような気もしますが、もしかしたら私と同じかもしれないとも思いました。私も、もしかしたらそうしたかもしれないという気もするのです。事実、節子がいなくなってからの数日は、実感がでてこないために、私自身もちょっと冷めた言動をしてしまったこともあります。
そういう体験があればこそ、このシーンがとても心に突き刺さるのです。

親友の死、息子の死。
いずれも「愛する者」の死にまつわる話です。
しかし、どうも私にはいずれもピンときません。
やはり伴侶の死は、親友や親、さらには子どもとも異質な気がします。
でもいつか、節子は少し早く旅立ったけれど、「あんないい人生はなかった」と思える日が来てほしいものです。

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