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2008/02/14

■価値ある情報の所在の変化

昨日のつづきで、情報と権力の話です。

権力の源泉のひとつは「情報」です。
情報格差が、これまでは管理構造を支えてきたように思います。
日本の官僚が権力を持っているのは取り立てて優秀であるからではないでしょう。
情報を独占し、その情報をお金に結びつけたことが権力を確立した理由だったと思います。
現状のままでは、政治家は彼らに対抗できません。
あれほど明白な犯罪的行為を繰り返す社会保険庁や厚生労働省の一部に対してさえ、政治家は無力です。
何かやっているようには見せていますが、事態はほとんど変わっていないように思います。
解雇さえできないほど無力なのです。
結局、今の政治家は官僚に飼われている存在なのかもしれません。
だから誰でも議員になれるのです。

情報を握った人が権力を持つ。
これはなにも行政に限った話ではなく、企業においても学校においてもそうでした。
しかし、いま、その情報構造が大きく変わってきているように思います。
インターネットの普及で情報が共有化されてきたのです。
しかも情報で動かせるお金の状況が変わってきてしまいました。
そのため、組織の管理構造や権力関係が大きく変わりつつあるわけです。
そしてそれが逆にまた情報の独占体制を壊し出しました。
内部告発への壁が低くなったのです。

情報共有化以上に大きな変化は、情報の所在の変化です。
かつては情報は現場ではなく、政策形成の場にありました。
つまりそここそがお金との接点だったからです。
行政でいえば、霞ヶ関の情報がお金の、つまり力の源泉でした。
企業でいえば、役員会議室の情報が権力の起点でした。
ですから自治体は霞ヶ関詣でをし、企業管理者は役員の顔色をうかがっていました。
しかし、そんな時代は10年前に終わりました。
本当に価値ある情報は「現場」にある社会になったのです。
情報の価値の所在が変わっといってもいいでしょう。

大切な情報の所在が現場に移ると、情報力が一番大きくなるのは現場、組織でいえば、第一線の人たちです。
情報社会の到来が叫ばれて久しいですが、現実の組織構造や権力関係は、そうした状況変化に対応できずにいます。
昨今の大企業や行政組織が機能不全を起こしているのは、たぶんそのせいです。
企業の広報活動も根本から見直していく必要があります。

情報は巷に溢れていますが、だからこそ価値ある情報を見極めていくことが大事になって来ています。
そのために、できるだけ多次元で多様な世界との接点が効果的なような気がします。
私自身は、異種多様な世界とのつながりを大切にしているつもりです。
疲れますが、刺激的です。

どうも横道にそれて、書こうと思っていることにたどりつきません。
困ったものです。

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