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2008/02/14

■節子への挽歌165:貧相な生き方

私の友人知人には、節子の訃報を知らせませんでした。
受け取った人の気持ちを考えると悩ましい問題ですし、
かといって事務的に知らせるのは私の好むところではありません。
知らせないのであれば、それを貫くべきだったのですが、
受け取った年賀状を見ていたら、急にみんなに節子のことを知らせたくなってしまいました。
まだ節子のことを知らない人がこんなにもいるのか、と思ってしまったわけです。
身勝手なものです。
なかには節子を知っている人もいましたし、私の悲しみへの同情を引きたいという邪念もあったかもしれません。
いやな性格としか言いようがありませんが、できるだけ自分の気持ちに素直に生きることが、私のライフスタイルなのです。

ところが、その知らせを受けたNさんから、私の身勝手さを恥じることになるメールが来ました。

まったく承知していませんでした。
人様のことに少しでも関心があれば、時にはブログを開くという行為に及ぶのでしょうが、そんな心のゆとりを欠いた日々を送っているわたしが、とても小さく思えます。
タイトルは「貧相な生き方」でした。
Nさんはとても誠実な方なのを私はよく知っています。
私よりご年配ですが、大学を引かれた後、NPOで活動しながら、
後進のためにと積極的な著作活動にも取り組まれている方です。
「人様のことに少しでも関心」どころか、たくさんの関心を持って実践的に活動されている方です。
時間を惜しんで社会活動をされていますから、私のホームページを訪れる必要などあるはずもありません。
その人に、こんなことを書かせるとは言語道断です。
きっと私の手紙の文面に、ブログを読んでくださいという気持ちが現れていたのでしょう。
「貧相」だったのは、私のほうだったわけです。

このメールで、私が衝撃を受けたのは、自分の生き方がまさに、
「人様のことに少しでも関心があれば、時にはブログを開くという行為に及ぶのでしょうが、そんな心のゆとりを欠いた日々」であることに気づかされたからです。
私自身、ブログを書くことに毎日1時間近い時間をかけていますが、
友人知人のサイトを見る時間はさほどありません。
何と貧相なことでしょう。反省しました。
せめてブログを書く時間と同じくらいの時間は、友人知人のブログを読むことにしようと思いました。
それがブログを書くものの義務かも知れません。
貧相な生き方をしていたら、節子に顔向けができなくなります。
Nさんからのメールで数日、落ち込んでしまっていました。

しかし、それにしても、人のつながりの輪を少し広げすぎてしまいました。
友人がそんなに多いと、付き合いが粗雑になるんじゃないの、と昔、ある友人から言われたことがあります。
節子と違って、私は人との付き合いが粗雑だったかもしれません。
きっと「強欲」だったのですね。
節子は決して粗雑な付き合い方はしていなかったようですね。
改めて感心しています。

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