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2008/02/16

■現場から沸き上がる生きた情報活動への期待

しつこく情報の話です。
もうあきたといわれそうですが、書くほうもあきましたが、今回は意地でも最後まで書くことにしました。

日本の話ですが、民主党は、なぜ国民大衆に呼びかけないのでしょか。
小泉元首相のようなやり方が、国民大衆に呼びかける唯一の方法ではありません。
もう少し知的に誠実に、そしてなによりもフェアに、呼びかけることはできるはずです。
それは国民の現場に入ってくることです。
現場に入っていくことで、生き生きした現場の情報に立脚した情報の創出ができるはずです。
その情報が自己成長力を持ち出せば政治状況は一変できるかもしれません。

政治家が、政治家の狭い世界でいくら対立していても、事態は動き出しません。
もし本当の信念があるのであれば、政治家は国民大衆の中に入ってこなくてはいけません。
いまの政党は、与野党を問わず、国民の現場を見ていないばかりか、現場への呼びかけに無関心のような気がします。
なぜなのか、そこに日本の政治の本質があるような気もします。

あれ?
これが意地でも書きたかったことだったのかな、ちょっと違うような気がします。
4日前に書き出した時には、もっと違ったことを書きたいと思っていたような気がしますが、書いているうちにそれが何だったかわからなくなってしまいました。
横道にそれてばかりいたせいかもしれません。
困ったものです。
ただ何となく「情報社会」の本質が、あまり議論されていないのが、ずっと気になっています。
また書きたいことを思い出したら、今度こそ、1回で書くようにします。

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