■杉本栄子さんのご冥福を祈ります
新聞の訃報欄で、水俣の杉本栄子さんの訃報を知りました。
ちょうどテレビで原田正純さんの番組がさかんに予告されていたので、杉本さんのことを思い出していたところでした。
と言っても、私自身は杉本さんとは一度だけしかお会いしたことはありません。
お会いしたと言うよりも、ちょっとお話をしただけですが。
杉本さんの漁の船に乗せてもらえるチャンスがあったのですが、寝坊してしまい、チャンスを失してしまったのです。
きれいな水俣湾のきれいな漁場の前にある杉本さんの作業場で美味しいシラスをわけてもらいました。
とても美味しいシラスでした。
水俣病には大きな関心を持っていましたが、私の知識は新聞や雑誌での情報だけでした。
しかし、10年ほど前でしょうか、水俣を案内してもらえる機会に恵まれました。
案内してくれたのは水俣市の吉本哲郎さんです。
吉本さん(当時は水俣市の環境課長でしたでしょうか)の家に泊めてもらい、案内してもらいました。
それまで頭だけで考えていた環境問題は、吹っ飛んでしまいました。
吉本さんの見事な案内で、それまでの私の無機質な「知識」に生命を与えられたような気がしました。
その時の旅のおかげで、私の価値観や生き方は少しずつ変わりだしました。
吉本さんのおかげです。吉本さんにはとても感謝しています。
私にとっては、杉本さんは水俣病の物語のシンボリックな存在の一人でしたが、直接お会いした杉本さんは、まさに生活文化を感じさせる「土の人」でした。
実に生き生きしていました。
「これがあの杉本さんか」という感激よりも、これこそが現場なのだと言う感じでした。
事実は情報の中にではなく、現場にある、ということを、その時に教えられました。
私が水俣病に関してほんのちょっとだけライブに理解できるようになったのは、その時の旅のおかげです。
杉本さんは、水俣病第1次訴訟の原告になり、ご自身も患者認定されました。
水俣病資料館の語り部もされていました。
いつもメルマガを送ってくれる水俣病センター相思社の遠藤さんから、次のようなメールが届きました。
どれほど多くの人が、栄子さんの話を聞いて元気になり、生きる力を授かったか。かみしめたい言葉です。
大げさな表現ではなく計り知れません。
栄子さんは多くの言葉を残してくれました。
「やっぱ悔しさとかいじめられたこつも、言わんばならんこつもあっとやもんなー。
市民の人たちや全国の人たちが、私たちの話しば聞いたっちゃ、
私たちの話が分かってもらえるのは苦労した人、壁にぶち当たっている人たちやもんな。
そん人たちは『アーこげんした生き方もあっとかいな』と、理解せられるばってんな。
何を求めてここまで私たちに会いに来てくれらっとか。
帰ってから、どげん使おうっちしとらっとやろかっち。
じゃばってん、聞きにくる人はですね、聞きにくる人は求めて来とらっとですから、聞かっとですよ」。
私たちはこれからは生きた栄子さんの言葉を聞くことはできませんが、遺されたその言葉を自分自身に活かしていくことが、栄子さんが私たちに残した課題だと思います。
水俣の教訓から学ぶことは本当にたくさんあります。
杉本さん
ありがとうございました。
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