■「私たちの子どもたちの世代は、私たちよりも幸せになるでしょうか」
先週、茨城NPOフォーラム2008でお話をさせてもらいました。
冒頭、いつも繰り返している質問をさせてもらいました。
「私たちの子どもたちの世代は、私たちよりも幸せになるでしょうか」
100人近い方が参加されていましたが、ほとんど手は上がりませんでした。
いつも体験することですが、年々、手の上がり方が少なくなってきています。
寂しいことです。
社会はあまり良い方向には向いていないのかもしれません。
「軍縮問題資料」3月号の対談で、辻井喬さんと澤地久枝さんがこんな会話をしています。
澤地 亡くなった鶴見和子さんにしても、希望を捨てちゃいけない、と言っておられたけれども、「もう日本はダメよ。私は死ぬからいいけど」っておっしゃってましたよ。社会の劣化の基本にあるのは、コモンズの喪失ではないかと思っています。
辻井 それを言うのは我慢して、我慢して・・・待て待て、それを言ってしまったらおしまいよ、と。責任はこっちにもあるんだから、と言って、何とか留まることにしているんですけど。
澤地 はい、私もやはりお役目だから、話すのが好きでもないし得手でもないけれど行って話をしますね。絶望を語るわけにはいかないから、何とかやっぱりみんなで一緒にやって行きましょう、って話をする。でもたいていその夜は落ち込みます。
それが、私が共創型のまちづくりに取り組んだり、共創型支えあいの輪づくりに取り組んだりしている理由なのですが、この20年、むしろ社会の劣化、コモンズの崩壊はさらに進行しているような気がして、滅入ることが少なくありません。
たしかに現場では、新しいコモンズの動きはありますが、それと社会全体とのつながりがなかなか生まれないのです。
現場の地道な活動が、いつか社会を大きく変えていくしかないのかもしれません。
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