■節子への挽歌167:重荷を背負いあうのが夫婦
『ヒデとロザンナ』のロザンナさんの次男が大麻所持で逮捕されました。
その謝罪会見のテレビをたまたま見たのですが、次の言葉にひきつけられました。
私はヒデ(亡き夫です)にも怒りを感じています。とまあ、こういうような発言をされました。
彼は今も私たちと一緒にいると思っていますが、なぜ彼は止めてくれなかったのか、私が来世で会った時に、問い正したいです。
ヒデとロザンナ夫妻の哀しさに心が痛みました。
しかし、その言葉に、2人はいまも「重荷を背負い合って生きている」ことを感じました。
私も、今も節子が私と共にあると思っています。
時に辛いことを節子に話しかけます。
いるんだったら反応してほしいと思いますが、節子は返事をしてくれません。
しかし、現世の重荷をもう節子からは解放してやりたいという思いもあります。
もし私に重荷があるとすれば(実際にあるのですが)、それは私一人で背負っていこうと思っていました。
その考えをやめようかと思いだしました。
人には、それぞれそれなりの重荷があります。
そのなかには、一人でしか背負えないと思えるものもあります。
夫婦はまさに、そうした一人でしか背負えない重荷をシェアできる、あるいは少なくとも理解できる存在なのではないかと思います。
重荷を背負いあってきたと確信しているロザンナさんの気持ちがよくわかります。
私たちも、それぞれの重荷を背負いあってきました。
結婚する前後に、お互いにほとんどすべてを相手に開放しました。
節子が一人だけで背負っていた重荷はなかったはずです。
私にもありませんでした。
それが私たちの最大の幸せだったのです。
足立区で起こった父親による家族死傷事件はあまりに痛ましく、今でもあまり理解できない事件ですが、父親が重荷を背負い過ぎたのかもしれません。
重荷を分かち合える人がいる人は幸せです。
生きることのこわさが、最近、やっとわかってきました。
誠実に生きなければいけないと、この歳になって、改めて感じます。
彼岸で節子に会った時に、私が自慢できることは、きっとそれくらいでしょうから。
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