■節子への挽歌163:節子の遺品
節子
あなたが使っていた「老眼鏡」をいま私が使っています。
なかなか調子もいいです。
節子の日用品で、私が使えるものがないかなと思っていて、気がついたのが老眼鏡です。
節子は遠近両用のめがねを使っていましたが、私は遠近両用などという発想が潔くないので、好きではありませんでした。
でも、節子が残したもので、日常的に使えるのはこの眼鏡くらいなので、使わせてもらうようにしました。
自宅でしか使っていませんが、このブログの作成の時には、だいたい着用しています。今もそうです。
最初は少し違和感がありましたが、いまはとてもぴったりします。
眼鏡を通して、あなたが見ていた世界が見えてくるかもしれないなどと思ったりして、時々、かけたまま家の中を歩きます。
節子の遺品はどうしたらいいでしょうか。
昔は形見分けといった文化がありましたが、今の時代はそういう考えもけっこう難しいです。もらった人がどうして良いか迷うのではないかという気もするので、難しいものです。それにあなたの遺品は、私にとっては大きな価値がありますが、他の人にとってはどうということもないものばかりです。
ところがです。
北九州市のMMさんが、節子からもらったカップで、節子と毎朝、コーヒータイムを楽しんでいると手紙をくれました。
それにつづいて、滋賀のHKさんが、
「節ちゃんからもらったメガネケースはいつも一緒です」
とメールをくれました。
遺品とは違いますが、むしろこういう形で生前にいろんな人に何かをプレゼントしていくのがいいですね。
もし死後にも思い出してもらいたい人がいたら、その人が使ってくれるだろう物を元気なうちにプレゼントしておくのがいいなと気づきました。
節子
君からもらったものがなにかあるかなあ。
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