■節子への挽歌159:「それらはすべて瑣末なことですよ」
節子
あなたも会ったことのあるYTさんも就職してもう2年がたちます。
最近連絡が無かったのですが、会いにきました。相談事があるというのです。
最近、元気がないようですね、とメールに書かれていました。
湯島で久しぶりに彼に会っていたら、突然の訪問客がありました。
ドアをあけるとこれまた久しぶりにTさんでした。
花を持ってきてくれたのです。
私もずっと気になっていたので話したかったのですが、YTさんの相談にのっていたため、花を受け取ることしかできませんでした。
しかし、その時のTさんの顔の表情が心に残りました。
帰宅すると、Tさんからメールが届いていました。
私信ですが、勝手に掲載させてもらいます。一部、変更していますが。
大変ご無沙汰いたしました。何回も読みました。
今日は、近くにきたのでとりあえずお伺いしてみよう。
お留守なら明日でもとご連絡すればいいことだからと思い電話もかけず勝手にお伺いしてしまいました。人生相談にのっていただいたのは、もう5、6年以上前のちょうど同じ頃だったなあと思い出しながら、久しぶりの湯島の急な坂を上がりました。
「それらはすべて瑣末なことですよ」というお言葉が今も強く印象に残っております。数日前に偶然ホームページを見て、奥様の件を知りました。
佐藤さんの悲しみ、辛さ、空虚感と共に、変わることない奥様への強い想いや永遠に変わることのない愛情がひしひしと伝わって参りました。かみさんにそのことを話しました。
共に若くないのでお互いに身体を大事にして、長生きをしよう・・・そんな話しになりました。
普段はケンカばかりしている仲の悪い?夫婦ですが、「おまえをもっと大事にしないといけないな・・・」などと普段は思っていても恥ずかしくて言いにくい言葉が何故か自然と出てまいりました。一月の末に母の三回忌を終えて、父も母も仏壇の仲からいつも我々家族を見守ってくれている、素直にそういう気持ちに最近やっとなれたところです。
人の一生の儚さを母や父が教えてくれました。佐藤さんに何かできることはないものかと考えましたが、ブログを読むほどに無力感におそわれました。
奥様が好きだったお花を持ってお伺いしよう、元気な姿を見せにいけば少しでも気分転換になってもらえるのではと。
そう勝手に思って本日は唐突にお伺いした次第です。
近くまでゆきましたら、またおじゃまさせていただきます。
Tさんは私を元気にしようとわざわざ来てくださったのです。
久しく会ってもいないのに、来てくださった思いがうれしくて、ついつい無断でブログにまで書いてしまいました。
出会いの場を創ってくれる節子に感謝しなければいけません。
ふと思い出したことがあります。
父の死の時、具体的には思い出せないのですが、人は死ぬことによって出会いの回復や新しい出会いを家族に残していくものだと感じたことがあります。
そのことを何かに書いた記憶があります。探してみようと言う気になりました。
ところで、Tさんのメールを見て、はっと気づきました。
もしかしたら、若いYTさんも私を元気付けに来たのでしょうか。
私は、新しい「結い」が社会に育つと良いなと思っています。
昨夜もそういう場づくりをしませんかという集まりをしてきたところです。
でも、そういう「結い」はもともと存在しているのです。
支えあっているのは自然界だけでもなく、人間界も同じなのだと、昨夜はすごく幸せな気持ちになれました。
Tさん
ありがとうございました。
私がいま思い煩っていることの多くは、「瑣末なこと」なのでしょうね。
忘れていた大事なことを思い出させてもらえたような気がします。
でももうしばらくは、その「瑣末なこと」から抜け出られそうもないのですが。
またゆっくりと遊びに来てください。
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