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2008/02/12

■南大門の全焼崩壊は見えますが、見えないものの崩壊も気になります

ソウルの南大門の全焼崩壊は衝撃的でした。タリバンのバーミヤンの大仏破壊も衝撃的でしたが、こうした人類の遺産が消えてしまうことは、どうしてこんなに衝撃的なのでしょうか。
ソウルの南大門もバーミヤンの大仏も私とはなんのつながりもないはずですが、きっとどこか集合的無意識などといわれるところで、つながっているのかもしれません。
私の場合だけかもしれませんが、こうした歴史的遺産が失われると、私たち人類が営々として積み重ねてきた文化が立ち消えてしまうような、そして未来が変わっていくような、そんなおののきさえ感じます。

しかし、そこでいつも考えるのは、人類が残してきたものは、こうした目に見える建造物だけではなく、目には見えず、もしかしたら誰もが意識さえしていないような「文化」や「知恵」がもっとたくさんあるということです。
そして、そういう文化や知恵や仕組みが、最近、急速に失われているような気がしてなりません。
そうしたことは南大門と違い、消失したことがなかなかわかりにくいばかりでなく、南大門以上に修復が難しいように思います。
消失したことさえ、気づかれないわけですから、修復などという動きはなかなか出てきません。

しかし、歴史上、そうやって滅んでしまった文化や社会は決して少なくないでしょう。
最近の日本の社会を見ていると、なんだかとても大切なものが気づかれないままに失われているような気がして仕方ありません。
50年後の日本が末恐ろしい気もします。

岩国の投票結果、沖縄の不幸な事件、東京足立区の悲惨な事件、それらがすべて、そうしたことと無縁でないような気さえしています。
南大門の全焼崩壊は、決して他人事ではありません。

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