■節子への挽歌154:「誰かに褒められたいからがんばれる」
NHK朝のドラマの「ちりとてちん」は、節子と一緒に見たかったドラマです。
前に一度書きましたが、心に響くことが多いのです。
先週はちょっと悲しい展開でしたが、私の心に特に残ったのはこんな言葉です。
主人公が師事している落語の師匠が、がんばって伝統工芸師の資格を取った職人やがんばって落語を続けてきた弟子などについて、「愛する人に褒めてもらいたかったからがんばれたのだ」というようなことを話すのです。
実はそれはまたその落語家自身のことでもあるのですが。
「愛する人に褒めてもらいたかったからがんばれた」
私もそうでした。
こんなことをいうと笑われそうですが、私にとっては節子に評価されることが、すべての行動の原動力でした。
節子に自慢したいがために、いろいろなことをやりました。
全く評価されなかったこともありますが、それもまた私には「ひとつの評価」だったのです。
世界中の人からの評価(そんな経験は全くありませんが)よりも、私には節子ひとりからの評価が大切でした。
これは私だけのことではないように思います。
どんな価値のあることを達成しても、身近な誰かに評価されなければ、虚しいのではないか。
そんな気がします。
偉業を達成した人が、まずは親に報告したい、というように、愛する人から褒められたいというのは、誰にも共通した気持ちではないでしょうか。
自分の活動を評価してくれる「愛する人」がいるかどうか。
それによって、人の行動は変わります。
たとえば、ヒトラーにもしもっと早い時気に愛する人が現れていたら、歴史は変わっていたでしょう。
では、愛する人がいなくなったらどうなるのか。
「ちりとてちん」の落語の師匠は、ひぐらしの鳴き声が、「カナカナ」ではなく「コワイコワイ」と聞こえるというのです。
彼は数年前に愛する妻を亡くしています。
「コワイコワイ」、生きるのがこわい、ということです。
私もそうです。
生きることの辛さ、怖さ、それをいま感じています。
来週の「ちりとてちん」は、生きるのがこわい、という師匠の話から始まります。
ちょっと見るのが辛そうです。
今日は節子の4回目の月命日です。
昨夜からの雪が積もっています。
外は真っ白です。
| 固定リンク
「妻への挽歌01」カテゴリの記事
- ■第1回リンカーンクラブ研究会報告(2021.09.06)
- 節子への挽歌1~4(2007.09.06)
- ■節子への挽歌200:今年のお彼岸の中日は雨でした(2008.03.20)
- ■節子への挽歌199:カトマンズのチューリップ(2008.03.19)
- ■節子への挽歌198:ミラボー橋(2008.03.18)
コメント