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2008年3月

2008/03/31

■イラクや宮崎の場所がわからなくても生きていけるか

テレビの番組で教育論議をやっていました。
たまたまその番組を見たら、「イラクや宮崎の場所もわからない子どもが増えているような教育は問題がある」というような発言に対して、「イラクや宮崎の場所がわからなくても生きていける」という反論が行われていました。
入浴する直前だったので、そのやりとりしか見ていないのですが、風呂につかりながら、ちょっと気になりだしました。

たしかに、「イラクや宮崎の場所がわからなくても生きていける」でしょう。
しかし、その人生と、イラクや宮崎の場所を知っている人生とは、明らかに違う生き方なのだろうと思います。
義務教育といわれる小中学校の教育は、その人の生き方を大きく規定していくでしょう。
どちらの生き方を前提に、カリキュラムが組まれるかは将来の社会のあり方を方向づける重大な問題です。
大げさかもしれませんが、この議論には「教育の本質」「子育ての本質」が含意されているような気がします。

「イラクや宮崎の場所がわからなくても生きていける」生き方が、いまや主流になっているようです。
学校がおかしくなりだした原因は、こんなところにあるのかもしれません。

私は、やはり「イラクや宮崎の場所がわからなくては生きていけない」ような生き方をしたいと思っています。
みなさんはどういう生き方を望みますか。

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■節子への挽歌211:ボヘミヤの農夫の疑問「死があるとすれば、生とはいったい何か」

昨日の話に続いてしばらく「生と死」への思いを書きます。

今から600年前に書かれた「ボヘミヤの農夫」という本があります。
読んだことはありませんが、死生観などに言及した本を読んでいると出てくるので、記憶に残っていたのですが、気になってネットで調べてみたら、「死をめぐる自己決定について」という本の存在を知りました。
ちょっと興味がありますが、いまは読むエネルギーがありません。
もう少し元気になったら読んでみようと思います。

ところで、「ボヘミヤの農夫」は、人間が死と裁判して争うという話です。
妻を亡くしたクリスチャンの農夫が、神はなぜこのような死という惨いものを人間に課するのかとして、「死」を殺人罪で告訴するのです。
被告になった「死」は、自分は主であり、人間は主に服従しなければならないと抗弁します。

生が神の創造によるものであるならば、死もまた神自身の創造によるそれ自体意味のあることなのだというわけです。
そこには人間的な「救い」は見出せません。
逆に、次の疑問が生じます。
最初から否定されることが決まっている「生とはいったい何か」
生の終わりが不可避であり、いかなる生も結局無に帰するのであれば、生きること自体が意味のないことではないのか。

手塚治虫の死で私が残念だったのは、「火の鳥」が未完で終わってしまったことです。
宇宙史的な構想のもとに描かれた作品「火の鳥」の物語がどう顛末していくかに大きな関心を持っていたのですが、手塚治虫の死によって、その構想は永遠に消失してしまったのです。
彼の死は、同時に手塚治虫の膨大な知識と構想が無になった瞬間でもあったわけです。
彼が生み出した「構想」は一体なんだったのか。

そういうことを考えると、個人の生や営みなどは些細な挿話でしかないのです。
わずかばかりの挿話にどのような意味があるのか。
しかも、その挿話は必ず「死」に向かっているわけです。
人生において、苦労することの意味は何なのか、

しかし、死を意識してから、その時々を懸命に生きていた節子は、
逆に死を意識しない生を生きていたのかもしれません。
まさに、般若心経がいう「無老死亦無老死盡」の境地だったのかもしれません。
些細な挿話を、誠実に善良に生きること にこそ、生の意味があるのかもしれません。
最近の事件と重ねながら、節子のことを思い出すと、奇妙に納得できることが多くなってきました。

ところで、ボヘミヤの農夫がキリスト教の信仰を捨てたかどうか、
それについて知っている人がいたら教えてくれませんか。

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2008/03/30

■節子への挽歌210:生命の意味は犠牲にある

「荒れ野の40年」という感動的な演説で有名な、ドイツの政治家ワイツゼッカーは、「生命の意味は生活の存続にあると考えがちだが、むしろ生命の意味は犠牲にある」と言っています。

私たちは、自分のために生きているけれども、実は他者のために生きているのだというのです。
節子を見送った今、この言葉が自然に心に入ってきます。
節子は自分のためにではなく、私たちのために生きていたのであり、節子の生は私のためのものだったとさえ思えるのです。
節子が、私たちのために犠牲的な生を送っていたということではありません。
そうではなくて、私たちの喜びこそが節子の生きがいであり、私たちとの関係において、節子は生きる時間を得ていたという意味です。
ここでいう「私たち」とは、広がりのある言葉です。
節子の場合、その核には伴侶だった佐藤修という個人がいて、そのまわりに家族がいて、親戚友人がいて、隣人知人がいて、世界の人々がいて、さらに花や鳥がいて、宇宙があってというように、無限に広がっていくわけです。
しかもそれが、華厳経にあるようなインドラの網のように統合的につながっているわけです。

ワイツゼッカーがいうように、私たちは、他者のために死ぬことによって生き、他者の死によって生きているのです。
他者の生が私たちの食卓を可能にしてくれていますし、私たちの生に何がしかの意味があるとしたら、その意味を享受するのは他者でしかありません。

こう考えていくと、死者を弔い、死者を供養するのは、実は自分を弔い供養することなのかもしれません。
今日、いつものように、節子の墓の前で節子の笑顔を思い出していたら、「生命の意味は犠牲にある」というワイツゼッカーの言葉がなぜか頭に浮かんできました。
節子は私のために生き、去っていったのです。
その節子の生を無駄にしてはいけないと強く思いました。
そのためにも、節子のための私の生をこれからどう生きるべきか、きちんと考えようと思っています。
まだどう考えればいいか、全くわからないのですが、少なくとも善良に誠実に生きたいと思っています。
節子に再会した時に喜んでもらえるように。

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■痛みを分かちあおうとなぜ言わないのか

ガソリン税に関する首相や政府の発言の身勝手さと宮崎県知事などの自立心を感じさせない無責任さ、そし動物の戦争での「こうもり」のようなマスコミの報道姿勢に、大きな怒りと失望を感じています。

なぜ身勝手と思うのか。
自説を理解しようとしない人の考えを理解しようとしない勝手さ。
自説に異論を唱える人の主張は理解しようとしない勝手さ。
時間が無くなってから動き出して間に合わないのは相手のせいだという勝手さ。
突然に基本的な考えを相談もなく変えてしまう勝手さ。
混乱の原因をすべて相手のせいにする勝手さ。

なぜ無責任と思うのか。
国家の交付金に依存して、主体的な自治行政を放棄していることに気づかぬ無責任さ。
そのくせ国家全体の視野を考えずに自分の県だけの利益しか考えていない無責任さ。
どうしたらいいかを考えずにともかく予算獲得に走るだけの無責任さ。
足元の自治行政ではなく、テレビや宣伝にあまりにも時間を費やしている無責任さ。
道路行政の遅れの原因を国家政府のせいにする無責任さ。

まあ、主観的判断ですから、異論も多いでしょう。
このブログも同じではないかと言われそうですが、
このブログの「身勝手さ」や「無責任さ」と、責任と権限のある人の「身勝手さ」や「無責任さ」とは全く意味あいが違うのです。
政府与党と野党民主党とも全く違います。
その非対称性を無視しては、論理は成り立ちません。

民主党の小沢さんがいうように、改革には混乱や損失はつきものなのです。
小泉元首相も「痛みを分かち合おう」といいました。
彼が国民に押し付けた「痛み」は、その結果としての成果を「分かち合う」スタイルではありませんでしたが(その結果、格差社会は進行しました)、今回の改革はそれに比べれば成果を分かち合える度合いは大きいはずです。

改革には混乱も不公平な影響もつきものです。
だとしたら、その不公平さの回復に努めることにこそ、知恵を出し合うべきです。
対立から言い合っているだけでは何も生まれません。
意見の違いを超えて、不公平になることを最小限にするようにしながら、混乱を克服していくことが望まれます。

そうした状況に向かって進み出せるのは、野党ではなく政府与党です。
与野党の対立は、決して対等な構造における対立ではないことも忘れてはいけません。
マスコミもまた主体性を持って、この事態に建設的に立ち向かう必要があると思います。
勢いがついた側や国民の人気取りの視点で報道しているような気がしてなりませんし、さらにどちら側にもいつでもつけるように玉虫色の報道をし続けているのはやめたほうがいいように思います。
報道は「中立的」にはなれないのですから。

結局、だれも「改革」など望んでいないのかもしれません

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2008/03/29

■節子への挽歌209:見ることのなかった湯島の梅

湯島のオフィスの近くの湯島天神の梅もそろそろ散り出していると思いますが、今年はとうとう見に行くことはありませんでした。
梅が咲き出してからは、とても行く勇気が出なかったのです。
節子と一緒に毎年立ち寄って、甘酒を飲んだり、猿芝居を見たり、たくさんの思い出があるからです。
節子を思い出すために行ったらどうかという考えもあるでしょうが、私はどうもそう考えられません。それこそ足がすくみ、不安感が胸を襲うのです。
だらしないねと笑われそうですが、それが正直な気持ちなのです。

一緒に行ったことのあるところに行きたいという気持ちはあるのです。
ただ行けないだけの話です。
行けば、きっと大丈夫なのでしょう。
でも行く気にはなかなかなれません。
いろいろなところに私を排除する結界ができているような気がします。
いえ、私が自らの周りに結界をつくっているのかもしれません。
最近、ちょっと防衛的になっている自分に気づいて寂しくなることがあります。
ベクトルを変えないといけないと思ってはいるのですが、まだ自信がでてきません。

来年はきっと湯島の梅を見られるでしょう。

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■善良で誠実な人生に訪れる不条理な事件

先日の岡山駅での不幸な事件で、被害者、加害者双方の父親がテレビで語っていた様子がずっと頭に残っています。
事件そのものは、とても不幸な悲劇ですが、お2人の発言が救いになるとともに、同時にそれが悲しさを増幅させます。
加害者の父親は、苦労をしながら息子を育ててきたのだと思いますが、事件を知った時の衝撃はいかばかりだったでしょうか。
しかも前日に土浦の若者の無差別殺人事件を見ながら、こんなことはしてはいけない、と息子と話し合っていたというのも、とても哀しい話です。
どうしていいかわからないと、とつとつと口から出てくる言葉に、真実を感じます。
なぜこんな善良に生きている人に、こんな不条理な事件が起きるのか、やりきれない感じがします。

被害者の父親は、本当は腹の中は煮えくり返っているといいながらも、加害者には社会に役立つ生き方をしてほしいと語りました。
善良な人柄だけではなく、その生き方の誠実さが伝わってきます。
突然に遭遇した事件によって、人生は一変してしまったでしょう。

一変してしまって、しかもなお、強靭に善良さと誠実さを維持している人も少なくないでしょう。
いや、むしろほとんどの人がそうかもしれません。
不条理な事件を体験した人たちの、その後の生き方の報道に接すると、ほとんどの場合、その後もまた善良で誠実な生き方をされているのがよくわかります。
痛みを知ることで、それまで以上に善良で誠実な生き方を大切にすることのほうが多いのかもしれません。
人はみんな基本的には善良で誠実なのでしょう。

にもかかわらず、こうした不条理な事件が起きつづけるのはなぜでしょうか。
加害者は、なぜそうした行動を取るのか。
おそらく加害者を取り巻く環境、人間関係、心身的な状況などが、そうさせると考えるべきでしょう。
そう考えれば、加害者もまた被害者というべきかもしれません。

戦場で戦う兵士たちは、多くの場合、自分自身としては敵軍を殺傷したいなどとは思っていなかったはずですが、それが自らの役割だと動機づけられ、それが「愛国心」だと意識づけられるのです。
それによって戦場では合法的な加害者と被害者が殺傷しあうわけです。
戦場と日常の社会では状況は違いますが、連続的なつながりをもっています。
昨今のように競争を扇動する社会では、そのつながりは決して細くはありません。
そうした意識で事件を見ていくと、本当の加害者は実は私たちみんななのかもしれません。

私たち自身の生き方が、問われていることを痛感します。

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2008/03/28

■節子への挽歌208:サイモントン療法を教えてくれた濱口さん

節子
私たちにサイモントン療法を教えてくれた濱口さんが訪ねてきてくれました。

ホームページで知り合った濱口さんからサイモントン療法を教えてもらったのは昨年の6月でした。
残念ながらワークショップには参加できませんでしたが、CDを使っての瞑想を毎日はじめました。
単純な私は、そのCDのナレーションに元気付けられましたが、今から思えば節子は複雑な気持ちだったかもしれません。

「あなたは物事を簡単に考えすぎる」と、私はいつも節子に指摘されていました。
たしかに私は物事を軽く考える傾向があり、失敗も少なくありません。
そのために、どれだけ節子には苦労をかけたことでしょうか。

節子の病気に関しても、どこかで「簡単に考えていた」のかもしれません。
「節子は治る、絶対に治す」と、私は心底考えていたのですから。
「絶対に」などとはありえない言葉ですが、当時、私は本当にそう確信していました。
私のことをよく知っている節子は、その私に合わせて、もしかしたら思考停止していたのかもしれません。
そして、私にすべてを委ねていたことは間違いありません。
しかし私は節子を治してやれませんでした。
不甲斐ないパートナーでした。

話がそれてしまいましたが、サイモントン療法は私たちに元気を与えてくれました。
それに会ったこともない人からも応援されていることで、私たちはみんなに支えられているのだと勇気づけられました。
メールのやりとりだけでしたが、人の心は伝わるものです。
節子の訃報を知った時も、橋口さんはすぐに手紙をくれました。
ばたばたしていて、返事を書いたかどうかも定かではないですが、心のこもった手紙のことはしっかりと覚えています。
内容は覚えていませんが、濱口さんの心のあたたかさは心に深く残りました。

その濱口さんが東京に来るとメールをくれました。
初めての対面です。
なんと25歳の好青年、想像とは全く違っていました。

節子の様子をいろいろと訊いてくれました。
久しぶりに話をさせてもらいました。
生前に訪ねればよかった、とポツンとつぶやいてくれました。
涙が出そうになるほどうれしかったです。
奥さんはきっと幸せにしていると思いますよ、と言ってくれました。
その言葉がとても素直に心に入りました。

初対面にも関わらず、実に気持ちのいい時間を過ごせました。
橋口さんに何かお返しできるといいのですが。

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■家族の惨劇や不幸な無差別殺人事件は社会の実相の現れ

不幸な事件が続いています。
若者の無差別殺人事件は、いずれもこの社会から逃げたいというのが動機だと報道されています。
いずれの場合もその直接の契機は家族関係ですが、家族内での惨劇も少なくありません。
今朝も文京区で衝撃的な事件がありました。

家族はさまざまな問題を内包した、閉じられた空間である上に、人間関係も固定した逃げ場のない社会ですから、歯車が狂い出すと大変です。
でも、一線を越えることなど思いもせずに、みんなが支えあいながら問題解決に取り組んできたわけです。
ところが、その「一線」が崩れ出してきているようです。

問題は家族にあるのでしょうか。
社会の原点は家族にありますが、家族はまた社会に立脚しています。
人の生活は決して限られた空間に閉じ込められるものではありませんから、家族と地域社会は再帰的な関係にあります。
そのつながりが最近はどんどん断ち切れているのでしょう。
断ち切れさせる言説もすくなくありません。

しかし、人は一人では生きていけません。
支え合うことによって、生きていくように生命は設計されています。
つながりが切れた存在は、工場の作業ロボットや商品の消費ロボットとしては最強かもしれませんが、生きる上では脆い存在です。

最近の不幸な家族の惨劇や家族外に向けられた無差別殺人や無節操な犯罪は、こうした「つながりが切れてしまった社会」の実相の現われではないかと思います。
そして、そうしたことが「可能」であるという心理状況を醸成しているのが、事件を克明に繰り返し報道するマスコミではないかと思います。
マスコミには、もっと明るい話題、希望を育てるような話題を報道してほしいものです。

暗い社会の実相を隠蔽しろということではありません。
社会には多様な事件がたくさんあります。
どの話題を選ぶかで、社会の見え方は全く変わってきます。
そしてマスコミがどの事件を中心に編集するかで、社会のイメージは全く変わります。
イメージが変われば、実体も変わるものです。
イメージと実体は、これもまた再帰的な関係にあり、相互に干渉しあっています。
社会の実相を構築するのもまたマスコミなのです。

人への信頼を回復し、つながりを取り戻すために、マスコミが出来ることはたくさんあるはずなのですが。

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2008/03/27

■議論とは自らが変わるためのもの

ガソリン暫定税率の問題は、議論不在のまま時間切れになりそうです。
議論ができないのは与野党いずれにも責任はあるでしょうが、一番の問題はイニシアティブをとっている政府与党が、議論とは何かを理解していないことなのではないかと思います。
議論とは、考えの違いを出しあって、両者が考えていたよりも、より好ましい結論に達するためのものです。
「より好ましい」の判断基準は、双方にとっての好ましさの総和であるだけでなく、その問題に関わる当事者すべてにとっての好ましさの総和です。

問題の解決策は、立場によって「好ましさ」は変わります。
時に全く反対になることも少なくありません。
ですから、ある人にとっての「最善の策」が、別の人にとっては「最悪の策」になることも少なくありません。
そこにこそ、利害を異にする関係者が集まって議論する意味があるわけです。

ところが今回のさまざまな問題での与党政府の発想は、自らの策が「最善策」であり、他には策などあろうはずがないという姿勢を感じさせることが少なくありません。
その姿勢では議論など始まるわけがありません。
それは議論ではなく、「説得」であり「儀式」でしかありません。

コミュニケーションとは自らが変わることだと私は考えていますが、議論もまた自らが変わるために行うものです。相手を変えるために行うのは議論ではありません。
国会が空転して議論が行われていないのは、野党が議論拒否しているようにも見えますが、最初から議論する姿勢のない政府与党のせいかもしれません。

本来的な意味での議論が行われる場であれば、ねじれ国会は決してマイナスではありません。
むしろ議論が活発化し、最適解への到達はやりやすくなるはずです。
そうならないのは、国会は議論の場ではなかったということかもしれません。
そして国会議員は、議論などには関心がないのかもしれません。
国会中継を見ていると、そう思うことが多いのを最近改めて思い出します。

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■節子への挽歌207:駅前花壇の白雪姫も根づいたそうです

節子
我孫子駅前の花壇の花がきれいです。
そう思っていたら、花かご会の山田さんからじゅんにメールが届きました。

駅前花壇のパンジーもこのところの暖かさで大きくひろがってきました。
今日は2週間ぶりの作業日で花がらを摘んだりしてきましたが、
そろそろ雑草が顔を出し始めたので、
これから雑草とりが大変だねとみんなと話しました。
頂いた白雪姫、秋明菊、あじさい どれも根がついたようで芽が出てきていて喜んでいます。  

作業のあと、みんなでお墓参りをさせていただきました。
お墓の前で例のごとくわいわいがやがや話していますから、
お母様もきっと相変わらずねーと笑ってらっしゃるだろうと思いながらも、さみしいですね。
誰もがきっとそう心の中で思っているのでしょうね。

みんなにまた会えてよかったね。
節子は本当にやさしい友だちに恵まれていますね。
うらやましいほどです。

花かご会のみなさんが移植してくれた、あなたが自宅で育てていた花も根づいたようです。
白雪姫はちょっと不安がありましたが、とてもうれしいです。
花かご会のみなさんがきっと心を込めて世話してくださったからです。
駅前に節子の花があることの幸せを感じます。

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2008/03/26

■国家は暴力だけでなく窃盗や詐欺や脅迫も無罪化できるのか

道路特定財源が違法な目的に使われ、年金財源が浪費され私物化されているということが次々と明らかになってきていますが、これほど極端ではないとしても、こうした事例はおそらくほかにも少なくないはずです。
なぜそう思えるかといえば、何か問題が起きて少し第三者が調べると、こうした事例がどんどん出てくるからです。
おそらく当事者の周辺では、みんなが知っていることなのでしょう。
それが「犯罪」と思われずに、「特権」とされているのが、実状なのかもしれません。

テレビで、キャスターのみなさんが「許しがたい」といくら怒ってみても、誰も裁けずにいるのも不思議な話です。
組織としての自浄活動も余り出てこないのも不思議です。
そればかりか、今もなお、同じようなことが行われているのでしょう。

近代国家は「暴力」を自らの「特権」として独占したわけですが(戦争の名目で殺人さえ容認されましたし、死刑もまた合法化されました)、それだけでなく、窃盗も詐欺も恐喝も、およそあらゆる「犯罪」もまた、近代国家は自らの特権として位置づけたことに、最近やっと気づきました。
一昨日の袴田事件や先日の横浜事件に対する最高裁の対応を見ていると、司法もまたそういう構造の一翼を担っているのがよくわかります。

暴力などが国家の特権とされたのは、いわゆる社会契約の考え方に裏付けられているのでしょうが、どうもその社会契約行為そのものが、政府による「詐欺行為」によって、実は成立していないのかもしれないのです。
公約遵守意識すらない人や嘘を奨励する人が首相になっている状況を考えると、そう考えたくもなります。

騙されてもなお誠実に生きている人たちを、テレビで見る機会も増えているように思うのですが、日本が二極化しているのはどうも収入や資産だけではないような気がします。

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■節子への挽歌206:初めての単身赴任

昨日の続きを書きます。
昨日書いた友人からのメールで気づかされたことがあります。
「僕の想念の中では、幾度となくお会いしていて、お話していて、お世話になっている」という文章です。

私にもそういう人が少なからずいます。
あの人ならどう考えるだろうか、あの人はきっと喜んでくれるだろうな、あの人がもう少し前に進めといっている、というような「声」を聴くことがあります。
もう亡くなってしまった方もいますし、全く会う機会がなくなった方もいます。
その一人が節子なのだと、このメールを何回か読み直して気づきました。

彼が、20年も会うことなく、私と想念の中で会っているのであれば、そしてまた彼が私の想念の中で生きつづけているのであれば、節子もまた私の想念の中で生きつづけ、私と会い、話し、私をケアしてくれる存在であり続けられはずです。
私には単身赴任の経験はありませんが、単身赴任と考えればいいわけです。
彼女を抱きしめられない寂しさは残りますし、彼女をケアしてやれない哀しさは残りますが、それもまあほんの暫くの我慢かもしれません。
間違いなく来世では会えるのですから。

嬉しいこと、辛いことがあると、節子の位牌の前で報告し、今でも苦楽を共にしています。時に、なんでおまえはいなくなってしまったの、会いたいよ、と愚痴をこぼすこともありますが、節子の前で口に出すと気持ちが楽になります。
節子はいまや、
「生きていようといまいと価値のある実在」になっているのです。
そのことにやっと気づきました。

SYさん
ありがとう。
早く空を見に湯島に来てください。
もっともあなたの時間感覚は私と同じで、全く物理的な時間ではないので、私の「単身赴任」中には会えないかもしれませんが、まあそれもまたいいでしょう。

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2008/03/25

■新しい公共空間としての喫茶店ルネッサンス

このブログでも案内させていただいた、テーマもゲストもない、参加者がみんなで創りあげるフォーラム(コムケアフォーラム2008)は70人を越える参加者があり、イスが足りなくなってしまうほどの盛況でした。
しかも、参加してくださった方々が、とても居心地が良く、自分の居場所のあるフォーラムだったと言って下さいました。
コムケアセンターのホームページをみていただくとわかりますが、9つのセッションはそれぞれに刺激的で、新しい出会いがたくさん生まれました。
新たな物語も生まれました。

2週間前に決めて動き出した時、本当にやれるのかと心配していた知人は、参加して、こんな形のフォーラムもあるのだと感心してくれました。
そして参加者はみんなともかくよく話していた、まさにこういう場をみんな求めていると思ったそうです。
いま社会から失われているのは、こうした気楽に集まれて話し合える「コモンズ空間」です。

私は15年以上、オフィスを開放したオープンサロンをやっていましたが、そうした全く意味のない空間が社会には不可欠ではないかと思っています。
私がやっている会社の定款には「喫茶店の経営」が事業目的として書かれています。
単にコーヒーを飲める喫茶店ではなく、イギリスやフランスで、近代社会を切り開く拠点になったコーヒーハウスをイメージしていたのです。
少しずつ準備は進めていたつもりですが、5年前に思わぬ人生の変化で、取り組みを中断、昨年、完全に諦めました。

ところが、今回のフォーラムをみんなで考えているうちに、この思いが蘇ってきてしまいました。
そんなこともあって、今回のフォーラムは、最初は喫茶店を借りる計画でした。
それが実現できなかったのは、そうした喫茶店に出会えなかったからです。

今回、このフォーラムを応援してくれた人から、自分たちで喫茶店をやったらどうかと言われました。
お金が無いしと言ったら、それは理由にならないと言われました。
全くその通り、お金を理由にしない生き方を目指しているのに、全くお恥ずかしいことです。

そんなわけで、喫茶店を目指すことにしました。
今回のフォーラムの参加費が約3万円集まったので、それを基金にして喫茶店開店プロジェクトを立ち上げたいとみんなに提案しました。
まだみんなの同意も得られていませんし、3万円で基金とはおこがましい気もします。
しかし最初の一歩は、いつもこんなものでしょう。
もちろん資金の目処はないですが、きっと時代が後押ししてくれるでしょう。

「新しい公共空間としての喫茶店ルネッサンス」プロジェクトのスタートです。
開店の目標は3年後です。
共感してくださる方はぜひ参加しませんか。
お店を提供してくれる方がいたら、教えてください。

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■節子への挽歌205:「同時代をただ生きているだけで価値ある実在」

節子
先日、20年近く会っていない、元若い友人からメールが来ました。
CWSコモンズには書いたのですが、私のホームページを久しぶりに読んで、節子との別れのことも含めて、私の近況を知ってくれたのです。
彼に最後に会ったのは、オゾン戦争について取材に来た時かもしれません。
たぶんオープンサロンには来たことがないので、節子は会ったことがないかもしれませんが、私にはとても心に残る若者でした。
今はもちろんもう若者ではありませんが、たぶん若者の心を残しているはずです。
会いたい気分と会いたくない気分が半々です。

彼はこう書いてきてくれました。
私にとっては過分な「褒め言葉」です。

実際にはずっとお会いしていませんが、僕のほうは、そうでもないのです。
佐藤修さんは、僕が社会に出てからお会いした人たちの中では、最初に会ったときから、人生の先輩として、はじめて人として尊敬できる人だったからです。
以来、遠く離れていたり、ずっとお会いしていなかったりしても、
僕の想念の中では、幾度となくお会いしていて、お話していて、お世話になっているので、
いつでも同時代を生きている、ただ生きているだけで価値ある実在です。
「同時代を生きている、ただ生きているだけで価値ある実在」
よく読んでみると、これは褒め言葉ではないかもしれませんね。
「ただ生きている」ことに価値があるということは、今の時代には価値のある活動をしていない実在という意味でもありますから。
彼のことですから、それくらいのシニカルな含意は十分に込められているはずです。
いやはや。

しかし、実はこれはまさに私が理想としていた生き方なのです。
そして、私が節子に望んだ生き方でもありました。
節子もまた、私に同じことを思っていたはずです。
まさか外部から同じ言葉が送られるとは思ってもいませんでした。

夫婦とは、お互いにただいるだけで価値ある実在なのです。
その関係が、夫婦や家族だけではなく、まわりの人たちとの関係においても、そして無縁の人たちとの関係においても、広げられるならば、それほど幸せなことはないでしょう。
そんな夫婦を目指したいと、私たちはどこかで共有していました。
しかし、その一歩を踏み出す前に、節子は「生きていること」をやめてしまいました。
その衝撃がいかほどのものか、彼にはわかったのかもしれません。
空の青さへの私の思いを分かってくれた人ですから。

私にとって、「ただ生きているだけで価値ある実在」だった節子はもういません。
それどころか、節子以外のそういう人たちが、最近、次々といなくなっています。
その寂しさは大きいです。
でも一人とはいえ、同時代を生きていることを喜んでくれている人が、節子のほかにもいたことはうれしいことです。
祝福された気分になります。
節子、私も少しはだれかの役に立っているのかもしれません。

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2008/03/24

■節子への挽歌204:自分に感謝する生き方

このブログを読んでくださっているAKさんから、先日書いた「笑いと涙の2時間半」の「あれから世界は激変し、く違った世界になってしまったような気がします」を読んで、自分も同じような経験をしたというメールをもらいました。
AKさんは節子のことをとても心配して下さり、節子がとても感謝していた人です。
元気になってAKさんを訪ねることも私たちの目標の一つでした。
AKさんは、数年前に脳出血で身体に障害が残ってしまいました。
いまは職場に復帰されていますが、その時に、世界が変わってしまったのを感じられたようです。
変わってしまった世界で生きていくのは最初はかなりの戸惑いがあります。
周囲の善意が、時に気を滅入らせてしまうこともあります。
AKさんは最後に、「この世に生を受けた以上、どのような境遇に会おうとも、一生懸命生きていかざるを得ないのだという当たり前のことに思いを新たにしています」と書いていました。
そこでついつい余計なことを書いてしまいました。

「一生懸命生きていかざるを得ない」と思うのではなく、「一生懸命生きていくことを楽しむ」のがいいです。
いや、「生きていくことを楽しむ」ことこそが、「一生懸命生きる」ことなのではないかと最近思い出しています。
これは、女房から教えてもらったことです。

AKさんからはすぐにそうですね、とメールが来ました、
思いはたぶん一緒なのです。
節子は、病気になってから「生きる毎日」をとても大切にするようになりました。
「大切」という意味は、「楽しむ」ということでした。
寝る前にいつも、「今日も楽しく過ごせて、ありがとう」と言っていました。
私にではなく、たぶん自分にです。
自分に感謝する生き方。
発病してからの節子の生き方から教えてもらったことはたくさんありますが、このことが一番私に大きな影響を与えたかもしれません。
感謝する「自分」と感謝される「自分」。
そこに「いのち」の本質があるような気がしています。

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■矢祭町の議員日当制に新しい自治の時代の予兆を感じます

昨日、福島県矢祭町の町議会選挙が行われました。
議員報酬の日当制導入で話題になったところです。
日当制には賛否両論がありますが、私はやっと自治の時代が到来したかと感慨深いです。日本の自治文化が壊れたのは、地方議会や自治体行政の仕組みが国家をモデルにし、その参加に「分権的」に組み込まれたからだろうと思います。
このあたりは以前、自治体解体書という報告書を書いたときに少し触れましたし、自治体での講演などではお話させていただいていますが、統治のための国家や都道府県と生活支援のための基礎自治体は、発想のベクトルや構造原理を変える必要があります。
基礎自治体に統治の概念を持ち込んでしまえば、生活は見えなくなってしまうからです。

町議会議員は日当さえも不要ではないかと私は思っています。
もし活動に資金が必要ならば、きちんと予算を組めばいいです。
議会も議員が独占する必要はなく、住民に開かれた議会として、住民も議論に参加できるようにすればいいでしょう。
住民投票などということが特別扱いするようなことも起きないでしょう。
住民みんなの生活に大きな影響を与えるような事柄に関しては、出来るだけ多くの住民の意向を聞くほうがいいことは明らかなことです。

矢祭町の昨日の投票率は88%を越えています。
この高さは、住民たちの自治への実感ではないかと思いますが(矢祭町に言ったことが無いので確信はないですが)、投票率の低い自治体はなぜ投票率が低いかを真剣に考える材料を提供してくれているように思います。

新聞によれば、「報酬が安いと議員は自分の仕事も続け、政治活動に集中できなくなるのでは」という声もあるそうです。
しかし、「政治活動」ってなんでしょうか。
基礎自治体における政治活動は、国会とは全く違うはずです。

ちなみに、政治とお金を切り離すのであれば、議員報酬はゼロにするのがいいと私は思っていますが、これは自治体に限った話ではありません。
私は国会議員も報酬はゼロにすべきだと思っています。
但し、活動費はきちんと予算化する事を前提としてです。
非常識といわれそうですが、常識は時代によって大きく変わります。
小さな常識に囚われていたら、新しい風は起こせません。
もしかしたら、新しい日本は矢祭町から始まったと22世紀には言われているかもしれません。
大仰ないいかたですが、最近の矢祭町の動きにはいつもわくわくするような夢を感じています。

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2008/03/23

■節子への挽歌203:人にはそれぞれ決められた生き方があるのかもしれません

節子
CWSコモンズに書きましたが、先週、北九州市の山下さんが来てくれました。
その時に思ったことを少し書きます。

山下さんはアルピニストでもあります。
山が好きなのです。
激務の合間をぬって、アルプスに時々出かけていました。
でも、いまはなかなか山にも行けないようです。
時間の関係もあるでしょうが、体調の関係もあるのでしょう。
山下さんはまた、ボランティア活動ももっと広げたいと思っていますが、周囲の事情がそれをなかなか許してくれないようです。

そんな話をしていて思ったのは、私は本当に自分の思うような自由な生き方をしているのだろうかということです。
意識的にはそうだと思っていますし、このブログでもそういう生き方をしていると何回か書いた気がします。
でも本当にそうなのだろうか。

とりわけこの10年の私の生き方は、周囲の人たちとの関係のなかで決まっていたような気がします。
最近、2度ほど生き方を変えようと思ったことがあります。
5年前にはすべての活動を一度白紙に戻そうと思いました。
自由に生きていたはずが、いつの間にかさまざまなつながりのなかで、意図せざる状況になっていたからです。
ほとんどの学会や団体、グループなどから脱会しました。
3年前には経済的な理由もあって、ちゃんと「ビジネス」をしようと考えました。
いずれの時も、節子の病気の関係で、そうはなりませんでした。
しかし、生き方は間違いなく変わりました。
節子のおかげだと感謝しています。
節子はきっと私の生き方の方向性を知っていたのでしょう。
自分では見えないことでも伴侶には見えることはたくさんあります。

コモンズのほうに書きましたが、人には、それぞれ決められた生き方があるのかもしれません。
気づいていないのは自分だけなのかもしれません。
最近、そんな気がしてなりません。

節子の人生は、もしかしたら私と出会う前に決まっていたのかもしれません。
伴侶である私が、なぜそれに気づかなかったのか。
節子を愛し過ぎてしまったからかもしれません。
あまりに自分と一体化してしまっていたのです。
もしかしたら節子はそれに気づいていたかもしれません。
一体化しすぎている私たちの関係を、時々、危惧していました。
そして私にもっと自立しろと言ってくれていました。
しかし、私には「私の生き方」ではなく、「私たちの生き方」しか考えられなかったのです。
最近、ある人から「佐藤さんは人には自立しろと言っているのに、自分は自立していないじゃないか」と指摘されましたが、全くその通りです。

いまさら自立する気は毛頭ありませんが、私の生き方はどう決められているのでしょうか。
節子は知っているのかもしれませんね。

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■価値を創りだすのは感性か利得か

友人と話していて、ゴッホの絵の価値が話題になりました。
私はゴッホの絵はほとんど好きではありませんので、たとえ1万円でも買わないでしょう。
数十億円の値段がつくのを、いつも不思議に思っています。
私にはあまり価値もない退屈な作品でしかありません。

芸術が貨幣換算されるようになったことは、私には不幸なことのように思われます。
それによって作品を見る目が曇らされたような気がします。
感性ではなく、知識で作品を見るようになってしまいました。

価値を与える仕組みは必ずといっていいくらい、権力や支配につながっています。
安物の茶器が、茶道の仕組みの中で高価な値がつけられ、権力の道具にされたように、物の価値は、その物自身によってではなく、外部から与えられるものです。
それが当事者との関係において語られているうちはいいのですが、支配の具にされるとおかしなことになっていきます。

その話で私が思い出したのは、最近テレビでみた、ゴッホの贋作を大量に作成し、安く売っている中国のある村の話です。
買うほうはもちろん贋作と知って買っていくのですが、その贋作でも心を豊かにする人がいるのであれば、それでいいのではないかという気がします。
私自身は「知的所有権」に違和感を持っている人間ですので、贋作にあまり違和感はないのですし、気持ちが豊かになるのであれば、贋作でもいいではないかと思います。
そのたくさんの贋作のなかに、ゴッホが描いた本物の作品があったとして、その中から一番好きなものを選べといわれても、私には本物を選ぶ自信はまったくありません。
もしそうならば、私にはどれでもいいわけです。

感性のなさを指摘されそうですが、感性は極めて個人的なものであり、外部から強制されるものではありません。
「感性がない」などという言葉の意味もよくわかりません。
そんなことをいうと、美意識は磨けないのかと叱られそうですが、もちろん磨けると思いますし、また磨くべきだと思っています。
ただ、「感性がないという感性こそが感性のないことではないか」
という気がするのです。
あれれ、これは、クレタ人はみんな嘘つきだと言ったクレタ人のように、パラドックスですね。

感性は、本当にパラドキシカルな概念です。
論じてはいけません。
ましてや価格をつけてはいけません。

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2008/03/22

■節子への挽歌202:白い鳥によく会うのです

お彼岸に節子の墓参りに来てくださった、さいたま市の伊東さんが、涙ぐみながら、こう話してくれました。

最近よく白い鳥に会うのです。
節子さんは、鳥や花になって戻ってくると言っていたそうなので、もしかしたら節子さんなのかなと思っています。
そういえば、わが家の庭には最近あまり鳥が来ません。
花は咲きだしましたが、鳥はあまり来ないような気がします。
全国の友人たちのところを飛び回っているためなのだと、やっと合点できました。

庭の餌台には大きな鳥や小さな鳥がよく来ました。
果物をよく乗せていたのですが、大きな鳥が来ると小さな鳥は逃げていきます。
同じ種類の鳥でも、強い鳥と弱い鳥がよくわかります。
自然の生命界もまた厳しい競争社会なのかもしれません。
大きな鳥が餌台を占拠すると、節子はいつも追い払っていました。
小さな鳥に餌を食べさせたかったのです。
節子はいたって単純な人でしたから、大きいほうが強いといつも考える人でした。
しかし、大きな鳥が強いとはかぎりません。
それに、鳥よりも大きい節子が鳥を追いやるのは弱いものいじめです。
小賢しい私などは、そう考えるわけですが、単純な節子はいつも小さい鳥の味方でした。

節子はいつも弱いものが好きでした。
だから私のことが好きだったのです。
私の弱さを、節子は良く知っていました。
ですから私は、節子の前では弱い自分を思い切り素直に見せることができました。
節子も同じでした。
私たちは、お互いに自分の弱さを思い切り相手に公開していました。
弱さがつながると強さに転化します。
ですから私たちはきっと強い夫婦でした。
その強さをこれからも維持していけるでしょうか。

節子
鳥になって全国を飛び回っていないで、早くわが家に戻ってきてほしいです。

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■信用できない社会の逃げ場

昨日、発表された朝日新聞の「政治・社会意識基本調査」の結果は非常に興味深いものでした。
政治家や官僚を信用している人が1%(ある程度信用している人を含めても20%)というのは恐ろしい数字だと思いましたが、その一方で、家族への信用度がしっかりと残っていたのにホッとしました。
だが、よく読んでいくと、待てよという気がしないでもありません。

調査では、信用する対象が多いことと生活満足度や心のゆとりが比例関係にあるという結果が出ています。
どちらが原因でどちらが結果なのかは一概には言えません。
信用する人や事、機関が多い人ほど、ゆとりを持って満足度の高い生活を過ごせるとも考えられますが、心にゆとりがあって、生活に満足している人ほど、周りを信用する余裕があるともいえます。

ところが、生活に満足している人が5割を超えているのに、そして幸せだと思っている人が8割近くいるのに、なぜか「今の世の中には信用できない人が多い」という人が64%もいるのです。
正の相関はしていても、水準が違うのです。
雑な推論になりますが、上記の因果関係の方向性は、どうも前者のようです。
つまり、生活に満足しているからと言って信用度が高いわけではなく、信用度が高い人のほうが満足しやすいというだけの話です。
なにやらややこしいので、この推論は自信がありませんが、少なくとも生活に満足しているのに、信用度が低い人が多いことは確かです。
信用できない人の中で暮らすのは辛いことではないかと思うのですが、どうもそれほど辛くはないようです。
この点にこそ、現代の日本社会の本質があるような気がします。
つまり自分たちの世界に閉じこもっていればいいということです。
その延長で、家族への期待が大きくなっているのであれば、あまり楽観はできません。

ソーシャル・キャピタル論の契機にもなった、ボーリングを一人でやるアメリカ人が増えたという話を思い出しました。
家族が社会の逃げ場になっては困ります。
家族の問題を改めて考えていくべき時期に来ているように思います。

それにしても、たくさんのメッセージのある調査結果です。

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2008/03/21

■金融制度の目的と実体経済の安定化

サブプライムに端を発した投機資金が原油や農産品などの市況商品に向かったため、小麦などの値上がりが起こり、私たちの食材まで軒並み値上がりしてきています。
最近、私自身、スーパーに買い物に行きますので、その値動きは実感できます。

それにしても、投機資金が実体経済を動かし、余剰資金を持っている人が蓄えもない人たちの生活を不安定にする経済に大きな違和感を持ちます。
そもそも「お金がお金を稼ぎ出す」という仕組みが、なぜ実体経済とこれほど深くリンクしているのかが私には全く理解できないのです。
経済の知識がないといわれればそれまでですが、金融資本主義などといわれる現状は、どう考えても人間の生活を基本にした経済発想ではないような気がして、学ぶ気にもなりません。

自然に根ざした人間の暮らしは、天候により、また地域により、不安定になったり偏ったりすることは仕方がありません。
その不安定さや偏りを緩和するために、空間や時間を超えて安定さを高めるための手段として「通貨」が登場しました。
もちろん通貨が生まれた契機やその目的は、それだけではありませんが、少なくともその根底には人間の暮らしを安定させ、便利にしようという動機があったと言っても、そう不正確ではないと思います。

ところが、現状の通貨はどうでしょうか。
生活を支えていくために必要な量を桁違いに上回る通貨が世界を飛び回り、私たちの生活を混乱させる状況が生まれてしまっているのです。
そして、手段だった金融システムが逆に人間の暮らしや活動を手段として自己増殖し始めているのです。
金融工学は発達しましたが、その専門家たちさえ金融システムの全体像は把握できなくなり、変調を来たした状況にも右往左往するだけです。
今回のサブプライム騒ぎで、その実態が明らかになったわけです。

金融工学の専門家たちは、要するに自己進化した金融システムに隷属することによって、それが生み出した巨額な資金で養われている奴隷でしかないように思います。
金銭的に「豊かな生活」をしているとしても、人間としての豊かな生活とは全く違うように思います。
もちろんどちらがいいかは、個人の価値観によりますから、なんとも言えませんが、問題は汗して働く実体経済の担い手の生活を圧迫することです。
企業の役割は金儲けだと明言したミルトン・フリードマンのようなマネタリストがノーベル賞をもらう世界は、私には居心地の悪い社会です。

金融制度の目的は、生活の安定性を高めることであるべきだと私は考えています。
そのモデルは、頼母子講や無尽講であり、あるいは小規模な共済の仕組みです。
こうした仕組みは、何も日本に限った話ではありません。
人がつくる社会には、おそらく例外なく存在していたはずです。
お互いに支え合う感性は、おそらくすべての生命体に埋め込められているのではないかと思います。
その感性が育ててきた仕組みは、どこの社会にもあるはずです。

昨日、お会いしたさいたま市在住の人から、いまでも醤油が無くなると隣から借りてくるような近所づきあいがあるとお聞きしました。
それもまた、ある意味での金融システムの原型かもしれません。
大銀行に象徴される昨今の金融システムの役割は40年前に終わったように思います。
にもかかわらずむしろ金融システムは、そのまま突き進み、自己進化して、独自の世界を構築してしまいました。
最近問題になっている新銀行東京は、まさにその古い仕組みの枠から抜け出せずに、見事に金融工学の担い手たちに利用されてしまっただけの話です。
みんなわかっていたのに、新しい仕組みを創出しなかったのです。

講や結いは、誰かが利益を上げるのではなく、みんなが利益をシェアするシステムですので、お金持ちや権力者には興味のない仕組みでしょう。
みんなが一緒になってつくっていかなければならない仕組みを創るのは、本当に大変です。
私もそうしたことに関心があり、ささやかに取り組んできましたが、片手間では出来ないことがよくわかりました。
まずは周辺の仲間内でとも思ったのですが、それさえも難しいです。

実体経済を支援し、生活の安定を保証するはずの金融制度が、生活を壊しかねない昨今の金融システムの状況を変えていくことは出来るのでしょうか。
私の対処策の一つは、お金から出来るだけ離れた暮らし方に向かうことです。
都市部では無理かもしれませんが。

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■節子への挽歌201:挽歌1000回継続宣言

節子
あなたへの挽歌も、もう200回を超えました。
いつまで書くことになるのでしょうか。
一時は「時評編」よりも読者が多かったこともありますが、最近は時評のほうの読者が多く、この挽歌編はノイズになっているかもしれません。
そもそも時評と挽歌という、全く異質の記事が混在している、このブログはきっと読者には違和感があるでしょうね。
例えば、グーグルで「9.11事件の真実」や「カーボンデモクラシー」を検査すると1枚目にこのブログが出てきますが、そこに突然、挽歌が登場するわけですから、検索者は驚きます。
もっとも、それが縁でこの挽歌を読んでくれた人もいます。

前にも書きましたが、生きている個人の情緒的な思いの時評を意識していますので、私の時評は論理的でも客観的でもありません。
そうしたものには私自身全く興味のない人間です。
ゾーエとビオスの絡みあいにこそ、このブログの意味があるので、本当はいずれをも読んでほしいのですが、いずれの記事も長いので、読者はそうそう付きあってもいられないでしょう。
しかし、このスタイルをもう少し続けようと思います。

節子や私を知っている人のなかには、このブログの挽歌編をプリントアウトして読んでくれている人もいます。
プリントアウトも大変だと思うので、総集編をCWSコモンズのほうに掲載しています。
しかし、冗長に書きすぎたため分量が多くなって印刷費用がかかりそうです。
困ったものです。

そういえば、先日、千葉の根本さんが記事を読んでメールしてくれました。
金魚が泣いたら地球が揺れた」という詩の話には「爆笑」したと書いてありました。
この詩はランボーやアポリネールの作品にも勝るとも劣らない私の自信作なのですが、節子に理解されなかったのは当然だと根本さんはいうのです。
いやはや、困ったものです。
今度、その詩を書いておいた詩集を探し出して全文を書くことにします。
そうしたら評価も変わるかもしれません。

根本さんに、この挽歌は少なくとも1000回は続くから付き合うのは大変ですよと返信しました。
根本さんのことですから、まじめに読み続けかねません。

生きる意味はなんだろうという問いにはまだ答は出ませんが、
とりあえず、この挽歌を書き続けることを私の「生きる意味」にすることにしました。
「節子のために生きる」という生き方は変えなくてすみます。
なんだかとても小さな人生になりそうな気がしますが、まあ、それもいいでしょう。

そんなわけで、今回は挽歌1000回継続宣言です。
節子、
したがってまだ3年くらいは、そちらに行けません。
待ち遠しくなったら、節子の方から現世に戻ってきてください。
いつでも歓迎です。

これまでの「妻への挽歌」

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2008/03/20

■節子への挽歌200:今年のお彼岸の中日は雨でした

節子
今日はお彼岸の中日です。
お彼岸に仏様の供養をすると極楽浄土へ行けるそうですので、
いつもは仏の供養ではなく、節子の供養なのですが、今日はきちんとお寺の本堂もお参りしてきました。
節子のお墓は、毎週、お参りしていますので、いつも花がきれいです。

午前中、さいたま市から節子の友人の伊東さんがお墓参りに来てくれました。
節子が伊東さんとどうして知りあったのか知らなかったのですが、吉祥寺時代に知り合ったのですね。
吉祥寺に私たちがいたのは4年ほどでしたが、私はかなり会社の仕事にのめっていた時代です。
ですからあまり記憶が残っていません。
伊東さんのお名前は何回も聞いていましたが、お会いしたのは節子がいなくなってしまってからです。
昨年も一度、献花に来てくださいましたが、
あの時は私自身にまだ余裕がなく、何を話したのかも覚えていません。
今回は少しゆっくりとお話させてもらいました。
お人柄がよくわかりました。
あなたは本当に友だちに愛されていたのですね。

午後は、茨城の谷和原から「城山を考える会」の横田さんと窪田さんが来てくれました。
横田さんは私の呼びかけを受けてくれて、「城山を考える会」を立ち上げてくださった方です。
最初に企画したイベントに、節子と一緒に出かけましたね
あなたは蕎麦がとても気にいって蕎麦粉までもらってきました。
しかし、蕎麦うちはそう簡単ではなく、見栄えも味も全く違うものになってしまったのを覚えています。
節子のことを知って、線香をあげに来てくれたのです。
久しぶりにゆっくりと話をさせてもらいました。
節子が元気だったらまたイベントに一緒に参加できたのに、とても残念です。

一昨日までと違い、今日は寒い雨の日でした。
お彼岸は晴天が多いと言われているのに、どうして今年は寒い上に雨なのでしょうか。
お客様があったにもかかわらず、なんだか寂しい1日でした。
彼岸は「日顔(ひがん)」からきているという説もあるそうです。
太陽信仰にもつながっています。
太陽にお目にかかれないお彼岸は、とても寂しいです。

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■運慶の「大日如来像」には海外で活躍してほしかったです

運慶の「大日如来像」が一昨日、ニューヨークでオークションにかけられました。
一部から海外流出を懸念する声が出ていましたが、結局、三越が落札し、日本に残ることになりました。
写真で見る限り、惚れ惚れするような気品と慈愛の感じられる仏像です。

私は、こんな気品のある仏像が日本にとどまったことを残念に思います。
海外、とりわけアメリカの人たちに、この仏像を見てほしいと思いました。
仏の慈悲で世界が変わるかもしれないからです。

日本の仏教界はもっと世界に働きかけるべきではないかと思います。
仏教徒の私としては、人類の未来に向けて、仏教はもっと大きな役割を果たせるように思いますが、そうはなっていません。
一神教の経典宗教と違い、仏教は昨今のような「時間軸が短くなってしまった世界」では本領が発揮できないのかもしれません。
その上、ミャンマーでもチベットでも、追いやられた僧侶の暴力行為すら生まれてきています。
とても残念な状況ですが、仏教界のリーダーが動き出しているようには見えません。
しかし、たとえばこの仏像を見ていると、心和み、これまでの生き方を自問したくなる人も出てくるでしょう。
これはイコンや西洋の宗教画からは生まれてこない感情ではないかと思います。

国家の貴重な文化財の海外流出に反対する考えがあります。
今回も署名運動まであったようです。
たしかにかつてあったような収奪による流出は許されるべきではありません。
しかし、貴重な文化財だからといって、国家が独占するのもおかしな話です。
ましてや公開もされずにただ独占するだけでは意味がありません。
むしろ多くの人たちに見てもらうことをこそ目指すべきだと思います。
文化財まで私有することには、たとえそれが個人の私有でなく、国家の「私有」であっても、私には違和感があります。

私は日本の仏像が大好きです。
その前に座ると心が和み、世界や歴史とのつながりを実感できるからです。
ですから公開されていない仏像は公開してほしいですし、世界にもどんどん出していってほしいと思います。

今回、三越が落札したことが残念です。
仏たちには、もっと大きな世界で活躍してほしいと思っています。

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2008/03/19

■節子への挽歌199:カトマンズのチューリップ

節子
ネパールの田中雅子さんからうれしいメールが届きました。

Tulip1

昨年お宅にうかがった折にいただいた球根のチューリップが咲きました。
カトマンズも冬は結構冷え込むので、日本の球根でも大丈夫かなあと心配していましたが、2月末になって急に芽を出したと思ったら、まだ背丈が15センチほどなのに花が咲きました。
朝、慌ててとった写真なので、あとでよく見たら、花と葉っぱに砂がついていました。
水をやってから撮ればよかったのに、すみません。
ちょっとユーモラスなチューリップです。
そういえば、最初に出会った頃の節子は、このチューリップのように、まるまると太ったかわいい感じでしたね。
この微笑ましいチューリップを見て、思わず昔の節子を思い出しました。
節子の一部はチューリップの球根に乗って、ネパールにも届いているのでしょうか。
とてもうれしいです。

続けて田中さんはこう書いています。

カトマンズはこの時期、梅、ジャスミン、木蓮などが咲いています。
あと1ケ月もすると街路樹ジャガランタが薄紫の花をつけます。
ジャガランタという樹を知りませんでしたので、早速、ネットで調べてみました。
見事な樹花です。
節子は、このジャガランタの花が見られるかもしれませんね。

わが家のチューリップはまだ芽が出たところです。
寒いカトマンズのほうが早く開花したのが不思議です。

田中さんは、私のホームページに「カトマンズ便り」を定期的に掲載してくださっています。
とても興味深い記事が多いです。
お読みいただければうれしいです。

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■チベット擾乱と国家の本質

チベット自治区におけるデモ弾圧事件は中国政府の鎮圧報道にも関わらず広がりを見せているようです。
こうした事件の報道に触れるたびに、社会契約説の虚構を感じるとともに、近代国家の暴力的な本質を実感します。
中国はいまだ専制国家的な要素を色濃く持っている非民主国家だから近代国家とはいえないという議論も成り立つかもしれませんが、そうではなくて近代国家なるが故の暴力性と考えるべきでしょう。

何回か書いたように、近代国家を支えているのは暴力の独占です。
その暴力には言説や情報の暴力も含まれます。
それを支えているのが治安部隊とマスコミと法曹界、それに学校教育システムかもしれません。
暴力を独占するそれらの権力支援体制やそこで活動する人たちは、同時に、寄生しているその体制を覆し反転させ、民主社会を構築していく原動力にもなりえるようになってきたのが、おそらく現在の情報社会状況です。
ネグリの「マルチチュード」は、そうしたことを整理してくれているように思いますが、残念ながらまだ機は熟してはいません。
それは生物としての人類の成熟度に関係しているような気がします。
イルカは個体の意識が全体につながっているというような話を読んだことがありますが、人類はまだそこまでの進化はしていないようです。

カントは、人間には善意志という「内なる良心の声」が備わっていると言っていますが、それをつなげる方向ではなく、分断する方向で、人類は歴史を進めてきています。
チベットの人たちの声を聴く善意志を切り捨てることで、近代国家は支えられているわけです。
近代国家は「自治」からではなく「支配」から構想されていますから、それは当然の帰結かもしれません。

しかし、チベットに限りませんが、デモを過剰暴力行為で鎮圧する治安部隊を構成している人たちが、なぜあれほどの凶暴性を発揮できるのかは不思議です。
それは私が学生時代に体験したデモでの機動隊の行動に感じたことですが、その暴力性は当時の比ではありません。
無防備な個人に発砲するのですから、まともな人間のやれることではないはずですが、それができる仕組みが育っているというわけです。
近代国家の恐ろしさを感じます。

今回の中国の報道はまた、国家は真実を隠蔽し事実解釈を独占する装置だということも見えてきます。
そこではまた責任概念が消滅しますから、所属する人たちの主体性や人間性もまた消滅するわけです。

中国と北朝鮮の同質性は垣間見えますが、おそらくその本質において、日本もまたそう変わらないのではないかと思います。
そう思って最近の政治や裁判、あるいは経済や教育をみるとまた違った見え方がするような気がします。
組織に依存している人の、なんと多いことか。
自治を求める動きをもっと大切にする世界になってほしいと思います。

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2008/03/18

■節子への挽歌198:ミラボー橋

節子
本を整理していたら、アポリネール詩集が出てきました。
懐かしい本です。

シュールレアリスムという言葉(概念)の発案者、アポリネールは実にドラマティックな人生を送った詩人です。
モナリザ盗難事件の犯人に間違えられた事件が象徴しているように、彼のまわりにはきっと異常な空気が漂っていたのでしょう。
アポリネールの詩も、その生き方も、私にはなじみにくいものがあったのですが、それゆえにどこかで憧れを感じていました。

「ミラボー橋の下をセーヌは流れる」で始まるシャンソンの名曲「ミラボー橋」は彼の作品の一つです。
その一部を引用させてもらいます。

愛は流れ行く水のように去っていく
愛は人生は遅すぎるかのように
そして望みは無理であるかのように去っていく

夜が来て、鐘が鳴り
日々は去り、我は一人。

日々が去り、週が去って行くのに
時は去らず
愛は戻らない
ミラボー橋の下をセーヌは流れる

詩の全体は、たとえばここをクリックしてください。

この時、アポリネールは恋人だった画家のマリー・ローランサンと別れた直後でした。
別れた後も、アポリネールはローランサンを忘れることができず、終生、彼女を慕い続けたそうです。
スペイン風邪のために38歳の若さで死んだアポリネールの枕元には、ローランサンが描いた「アポリネールと友人達」が架けられていたといいます。

この数十年、思い出しもしませんでしたが、堀口大學の訳の詩集が出てきたので、何気なく目を通していたら、あとがきに堀口大學の追悼詩がありました。
その一部引用させてもらいます。

・・・・
それから1年たった
今日は1919年11月9日だ
そしてなおもなつかしく私はお前を思い出す
お前を思うことは有難い
お前は涸れることのない詩の泉だ

お前は芽を出す種子だ
お前が死んでから1年たった
今日は1日お前を思い
お前の詩集「カリグラム」を読んで暮らそう

節子がいなくなってからまだ1年はたっていませんが、
今日は1日節子を思い、無為に過ごそうと思います。

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■有識者への信頼感

日銀総裁人事に関する新聞の論調には驚きを感じています。
論者の「権威」や「キャリア」への信仰の強さがこれほどにも強いのかと思います。

私は時々、企業の経営幹部の研修プログラムの相談を受けることがあります。
教育問題に関する提言活動の相談を受けたこともあります。
たいていの場合、講師は大企業の経営(体験)者や経営学の先生、あるいは経営コンサルタントです。
いまの企業状況や経済状況、あるいは社会状況をよしとするのであれば、それでいいでしょう。
しかし現状に問題を感じ、それを変革していきたいというのであれば、そうした人選は間違いです。
いまの状況をつくってきた経営者の話を聞くことは「反面教師」の意味はあるかもしれませんが、とても有益とは思えません。
そもそも「有識者」や「権威」は、現在の社会を前提にして成り立ちます。
ですから社会の変革期や変革のテーマに関しては、評価は反転するはずなのです。
しかしそうはならないのが現実です。

たとえば第二次世界大戦で敗れた日本社会の価値体系は反転しました。
しかし、戦後においても、学校の教師や政治家や裁判官は、戦前と同じ人たちが相変わらず主流を占めていたようです。
テクノクラートや専門家には価値観が不要といわれますが、価値観から自由な人間などいるはずがありません。
かくして社会はなかなか変わらないわけです。

社会のエスタブリッシュメントに依存している生き方が一番楽な生き方です。
昨今の日本は、そうした生き方が広がりすぎています。
エスタブリッシュメントとは無縁に、自分の人生を生きている人にはめったに出会えません。
退屈な時代です。

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2008/03/17

■節子への挽歌197:高知の宅老所から文旦が届きました

節子
この頃、いろいろな人からまた手紙や電話が来ます。
その都度、節子に報告していますが、ちゃんと聞いてくれていますか。
聞き届けたら、何か確認の合図をしてもらえるとうれしいです。
一番簡単なのはろうそくの火を大きくゆらしてくれることです。
がんばって試みてください。

高知県の四万十市のNPO、高知介護の会の豊永美恵さんから文旦が届きました。
豊永さんとはコムケア活動で5年ほど前に知り合いました。
その地域に残っている幡多昔むかし祭りを復活させたいという思いを、ささやかに支援させてもらったのです。
お祭り当日、私も参加させてもらいました。
そこで宅老所「えびす」の高齢者の方々がつくった豆腐料理や伝統食のさわち料理をご馳走になりました。
まちづくりやコミュニティケアに対する考え方が大きく変わることになる体験をさせてもらったのです。

節子に話したら、手づくりケーキを贈ろうということになりました。
当時はまだ元気だった節子は張り切ってパウンドケーキなどを作り、送ったのです。
当時、その宅老所の事務局長だった豊永さんが、みんなとても喜んでくれたと電話をくれました。

幡多昔むかし祭りは今では地域行事として定着しました。
毎年、その季節になると豊永さんから、今年こそ奥さんと一緒に来てくださいと電話か手紙が届きました。
四国に行ったことがなかった節子は行きたいといっていましたが、私の時間が取れずにいつも実現しませんでした。
そしてそのうちに、節子が病気になってしまったのです。
後悔先に立たずです。

昨年、また豊永さんから手紙がきました。
節子のことを伝えました。
この数か月、こうした悲しい手紙を何通書いたでしょうか。
書くたびに、その手紙を受け取った人の困惑を考えて躊躇するのですが、結局はいつも送ってしまいます。
相手には迷惑だろうと思いながらも、節子のことを知ってほしいと思ってしまうわけです。
昨日もある人から、「その後、奥さんはいかがですか」とメールがきました。
まだまだ節子のことを知らない人が少なくないのです。
その人は、節子もよく知っていて、「明るいし、いつも気配りがある人ね」といっていた人です。
先週、北九州市から来てくださった山下さんもその一人です。
節子は本当にみんなの心の中に、少しでしょうが、思いを残しているようです。
伴侶の私としては、とてもうれしいです。

いつか元気が出てきたら、四万十市の宅老所「えびす」も訪ねたいと思う一方で、果たして一人で訪ねられるだろうかと不安です。
コムケア活動やまちづくり活動に取り組んできたおかげで、全国各地に友人知人がいますが、70歳になったら節子と2人で全国行脚をしたいと思っていました。
だからそれまではあまり行かないでいようと思っていたのです。
それが裏目になってしまいました。

節子
宅老所「えびす」の元気なおばあさんたちとそちらで会っているかもしれませんね。
コムケアの佐藤修の妻だといえば、喜んでくれる人もいるかもしれません。
目印は、ともかく元気で明るいおばあさんたちです。
いや、まだそちらには誰も行っていないかもしれませんね。
失言してしまいました。はい。

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■守るものと攻めるものの立場

最近の政治状況とそれに関するさまざまな論評を聞いていて感ずるのは、「守るものの強さ」と「攻めるものの弱さ」です。
状況を変えることの難しさがよくわかります。
たとえば、日銀総裁人事に関しても、民主党は政権奪取のための「政局」にしてしまっていると批判されていますが、それがなぜ駄目なのか。
守る側にとっては、政局化は困るでしょうが、攻める側は政局は数少ない手段の一つです。
事象を評価する基準の多くは、どうも「守る側」にあるようです。
かつては逆のような気がしていましたが、社会が変質してしまったのでしょうか。

政策はさまざまな施策の全体像に関わっており、総裁人事もそれだけで考えればいいわけではありませんが、ニュースになれば、みんなそれだけで考えてしまいます。
ガソリン暫定税の一般財源化に関して、賛成だが時間が必要だと自民党の石原さんはテレビの討論会で「時間軸」を強調していましたが、これもまた守る側の論理です。
時間軸を長くするほど、守る側には好都合ですが、攻める側は時間が勝負です。
さらに個別問題で考えるのも守る側には有利です。

「変化に対する抵抗意識」は、人間の本性のひとつです。
「守る側」にとっては、当然、変化は忌避したいことですが、国民はどうでしょうか。
おそらくわが国の場合、ほとんどの国民が自らを「守る側」に位置づけているでしょう。
ささやかな平安を守りたいと思うのは、これまた人間の本性の一つだからです。
「ゆでがえる現象」というのがありますが、日本はまさに「国民総ゆでがえる」なのかもしれません。

そうでない国もあります。
チベットでは暴動が広がっています。
「暴動」という言葉が、すでに「守る側」の用語ですが、世界はそれを違和感なく受け入れています。
自分の生活に関わりの少ない地域での事件に関しては、みんな「守る側」の視点で考えがちなのも現実かもしれません。
攻める側が厳しい目で見られる現実の中で、改革をどう進めていくか。
そうしたところへの深慮が、いまの民主党にはかけているような気がします。
それは民主党の議員もまた、大きな意味では「守る側」にいるからかもしれません。

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2008/03/16

■節子への挽歌196:土いじりが大好きだった節子

節子が「開墾」した宅地農園の手入れがなかなか出来ずにいましたが、先週、むすめたちと耕し直し、畝をつくっておきました。
娘がジャガイモも植えました。
荒れ放題だった空地の畑もとてもきれいになりました。

昨年の今日は、節子と一緒にこの畑の手入れをしていたのですね。
私のホームページに記事が書かれています(2007年3月15日)。

午前中は、久しぶりに女房と近くの農園に行って、畑に石灰をまいたり、雑草を取ったりしてきました。
女房はあまり体調がよくないのですが、よくないからこそ散歩に行くことが大切です。
土が好きな女房は、畑に行くと元気をもらえるのです。
距離にして200メートルもないくらいのところなのですが、女房はゆっくり歩くので、それでも結構かかるのです。
その頃は、節子はすでに辛かったのでしょうね。
本当に辛そうでしたが、歩くことに愚痴はこぼしませんでした。
あなたとゆっくり歩いた身体の記憶はいまもはっきりと残っています。

家から少し離れた所にある電信柱の下の土の部分にまで、節子は花を植えて、いつも水をやりにいっていました。
今は娘が節子の代わりに水やりや花の手入れをしています。
私はそんなとこまでやらなくてもいいのにと思っていましたが、体調が悪くなっても節子は時々水やりに行っていました。
花が好きだったのですね。
元気だったら、我孫子のまちを花でいっぱいにしてくれたかもしれません。

土いじりが大好きだった節子は、この空地の畑も好きでした。
節子がやりたかったことの一つは、この畑でつくった野菜で、近所の人たちとカレーパーティをすることでした。
あなたはそういうことが大好きでした。
とても残念なのですが、そのパーティは実現しませんでした。
節子がいない今、私にはやる自信がありません。
近所の子供たちに畑のジャガイモ掘りを誘うことくらいはできそうですが、子供たちを楽しませる自信がありません。
節子は子供たちと付き合うのがうまかったですね。
けっこう厳しくもありましたが。

小さな畑でとれる野菜を近所に配る文化は、娘たちが引き継いでいます。
一昨日も畑に残っていた大根とみかんを交換してきました。
そのみかんをまた、ちょうど来客があったのでおすそ分けできました。
その文化のおかげで、わらしべ長者のように、わが家はいつも豊かです。
お金がなくても豊かになれる生き方は、節子と一緒に創りあげた生き方でした。
でも、節子がいなくなったいま、その豊かさもなぜか寂しいです。
お金がなくても豊かにはなれますが、節子がいなければ豊かにはなれません。
私の持っているすべてと引き換えに、節子を戻してもらえるのであれば、すべてを投げ出したいです。

畑の整備をしながら、なんで節子はここにいないのだろうと寂しくて仕方ありませんでした。
でも畑はだいぶきれいになりました。
節子には合格点をもらえると思います。

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■新銀行東京の不幸

都議会での新銀行東京に関する知事と野党議員のやりとりを聞いていて感ずるのは、どうしてこうしたことが何回も繰り返されるのかということです。
400億円投入したら新銀行は復活するかどうかの議論はほとんど見えてきませんし、それ以前になぜこうした事態になったのかが解明されているようにも思いません。
当事者には設立する前から見えていたのではないかという気もしますが、そうした現実の実態把握がなければ評価もできず、計画などたてられるはずもありません。
それにしても、小銀行にはあれほど厳しい金融庁は、どう考えているのでしょうか。

私も零細企業の経営者ですが、中小企業へのてこ入れの制度がいろいろ出来た頃、知人から「今は借りどくだよ」といわれたことがあります。
2000万円くらい借りても返さなくてもいい仕組みなのだというのです。
借りたまま会社を倒産させたり、返せない理由を説明したり、会社を変えてしまうのだそうです。
そんなことがあるはずもないと思っていましたが、新銀行東京ではまさにそういう事例がいろいろとあるようです。
以前聞いた話もまんざら嘘ではなかったかもしれません。

新しい制度が出来た時には、そういうおかしなことも起こるのかもしれません。
いや、そういうことを起こしたいが故に、新しい金融制度や助成制度をつくる人がいるのかもしれません。
そんな気さえしてなりません。
どさくさに紛れて、利益を得た人もいるでしょう。
まじめに汗する人が報われる社会の仕組みをつくるのは難しいのでしょうか。

管理中心ではなく、現場中心であれば、400億円のお金を活かしていく仕組みはつくれるはずです。
いまの「銀行制度」とはたぶん発想を変えないといけないはずです。
スペインのモンドラゴンのような、「協同」の原理が見直されてもいいのではないかと思います。
制度のパラダイムを変えなければ、400億円は活きてこないように思いますが、そうした発想は現体制からはなかなか出てこないでしょう。
発想における革命が必要な時代かもしれません。

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2008/03/15

■「自らの間違いを認めない」文化の震源地

「横浜事件」の再審で、最高裁は14日、有罪か無罪かに踏み込まないまま、裁判手続きを打ち切る「免訴」判決を確定させました。
要するに、裁判所が犯した罪を認めなかったということです。
自らを裁かない裁判所の本質を露呈させた判決でした。

この国では、検察も裁判所も、また弁護士も裁かれることはないのかもしれません。
裁かれることのない権威が、人を裁く構造とは、神権国家の構造です。
法曹界は「司法改革」に取り組んでいますが、基本にある裁判のパラダイムは全く変わっていません。
改革とは程遠い話です。
横浜事件で不条理で、正義に反する判決を下した裁判官が、戦後もその立場を失わなかった国ですから、ドイツとは全く違います。
その国で、そうした人たちが進める司法改革がどういうものであるかは明らかです。
裁判員制度も、その枠の中から出てきたものでしかないと思いたくもなります。

今回の判決は、要するに「自らの間違いを認めない」ということです。
この姿勢が、いまの日本の統治構造の根底にあります。
「行政の無謬」神話は決して過去のものではないのです。
いま問題になっている新銀行東京の都議会の議論を聞いていれば、それが露骨に感じられます。
「裁判の無謬」もまた強く残っています。

自らの間違いを認められない人間が、人を裁けるはずはありません。
裁判だけではなく、おそらく政治も同じでしょう。
後任日銀総裁の件に象徴されるように、自らは無謬だとしている福田政権の姿勢は、あまりにも露骨ですが、あまりとがめられずにいます。
国民に、政府無謬信仰があるのかもしれません。
産業界は、最近、ようやく自らの間違いを認めることの意味を理解しました。
しかし、日本の政治も司法も、まだその段階にいたっていないようです。

横浜事件の最高裁判決は、そのことの現れのような気がしてなりません。
遺族の方たちの無念さを思います。
裁判官のみなさんは、そのことを恥ずかしく思わないのでしょうか。

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■195:戻ってこないのは節子だけ

節子
鶯(うぐいす)の鳴き声で、目が覚めました。

今年初めての鶯でした。
家の周りには幸いにまだ緑があるので、鳥のさえずりや鶯の鳴き声が心を和ませてくれます。
節子も鶯が好きでした。
今年は右の耳で聞いたとか左の耳で聴いたとか、いつも言っていました。
確か左耳だと幸せがくるのだそうですが、私はいつもどっちの耳で聴いたか識別できませんでした。
今年は残念ながら右でした。
でもまあ左耳でも聴きましたから、「よし」としましょう。

節子は、そういうことを大切にしていました。
その鶯が、今年も庭に戻ってきました。
戻ってこないのは、節子だけです。

庭の花もどんどん咲き出しました。
主を失って、少し元気をなくしていたような気がしていましたが、花は季節と共によみがえってくるのです。
よみがえってこないのは、節子だけです。

草木も元気に芽吹いてきました。
昨年枯れたパピルスも新しい芽を出しました。
花かご会のみなさんが植えてくださった、駅前花壇の「しらゆきひめ」も芽が出ていました。
季節がくれば、隠れていた草木のいのちは再び姿を現すのです。
姿を現さないのは、節子だけです。

どうして節子は戻ってこないのでしょうか。
不思議でなりません。

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2008/03/14

■節子への挽歌194:「思い立ったらすぐやるのがいい」

節子
北九州市の山下さんが来てくれました。
山下さんとの思い出はたくさんあります。
仕事でお付き合いが始まったのに、なぜか節子も一緒にお付き合いするようになりました。
2人で北九州市にうかがった時には、ご自身で市内をいろいろと案内してくれました。
北九州市の収入役になってからも、それまでと全く同じように、東京に来るといつもオフィスに寄ってくれました。
当時はオフィスに通っていた節子も何回かお会いしましたね。

山下さんは情熱的な行政マンでした。
私が一時期、各地の自治体の仕事をさせてもらっていたのは、そうした思いの強い人との出会いがいろいろとあったからです。
しかし、市町村合併の動きのように、地方分権の名目のなかで進む地方管理体制の強化によって、そうした思いのある人との出会いは少なくなってしまいました。

山下さんにお会いするのは久しぶりです。
山下さんご自身、体調を崩されてしまったとお聞きしていましたので、心配だったのですが、お元気そうで、相変わらず難題を背負って活躍されているようです。

伴侶を失った人と会って、話をするのはけっこう気の重いことなのでしょうね。
以前の私にはできなかったことかもしれません。
にもかかわらず、久しぶりの上京でご多用の中をわざわざ立ち寄ってくださったのです。

いつか山下夫妻を箱根に招待しようと話していたのに、それも実現できませんでした。
積み残した計画がたくさんありますね。
節子との共通の知人に会うと、積み残した計画のことを思い出すことが多いです。
思い立ったらすぐやるのがいい、と節子はいつも言っていましたが、全くその通りです。
いつできなくなるかわからないのですから。
やれなくなってから気づいても仕方がありません。
あなたにも謝らなければなりません。

4月に九州に行こうかなと考え出しました。
節子がいなくなってから、まだ一度も遠出していないのです。

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■円の価値が高まると日本企業は業績悪化という構造

円の対ドルレートが、一時的とは言え、ついに100円を切りました。
その円高が企業業績に打撃を与えることが懸念されています。
この論理が、昔から私には理解できずにいました。
円高が日本の経済力の高まりを意味するのであれば、企業の活動はやりやすくなるはずではないか。
個人で考えれば、円高になれば海外旅行はやりやすくなり、輸入品は安く買えますから、歓迎です。
円高になって個人生活が直接に損失を受けることはないように思います。

企業の場合はどうでしょうか。
輸入は企業でもメリットのはずです。
同じ価格のものへの円の支払いは少なくなります。
しかし、輸出の場合は円貨建てであれ、外貨建てであれ、結局は海外での価格は上昇させざるをえないので販売量の減少が起こります。
ですから輸出企業の業績にはマイナスだというわけです。

為替レートの変化の影響は、その国の経済構造によって変わってくるということです。
そこで私が気になるのは、円高という国民にとっては嬉しいことが、企業にはマイナスになるような経済構造でいいのだろうかということです。

ジェイン・ジェイコブスは「経済の本質」のなかで、
「輸出とは、その地域の最終生産物であり、地域のエネルギーの放出である」と述べています。
放出されるエネルギーが「過剰なエネルギー」であれば、地域の健康を維持するために好ましい活動であり、マクロ的に言えば、そもそもそこから利益を得る必要はありません。
もしそのエネルギーが「なけなしのエネルギー」をやむをえずに(不足資源を獲得するための資金稼ぎのために)行うものであれば、獲得しやすくなった分だけ売れなくなることは好ましいことです。
円高になったのであれば、輸出が減ることはむしろ肯定的に考えても良いように思います。

個人で考えて見ましょう。
同じ時間でできる仕事の報酬が上昇したら、仕事の量を減らすのが、理にかなった働き方だと思います。
ところが、そうした働き方を選ぶ人はほとんどいないでしょう。
そこにこそ、この50年の私たちの働き方、あるいは産業や経済の仕組みの問題があるように思います。

なにやらややこしい議論をしてしまいましたが、要は円高になって困るような企業活動のあり方には、どこか問題があるのではないかというのが、今日の問題提起です。
経済のことをあまり知らない素人の議論なのでしょうが、30年以上前からずっと思い続けてきたことを、今日は未消化のまま書いてしまいました。

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2008/03/13

■産業のジレンマの克服

島根県にある木次乳業の配達用トラックには「赤ちゃんには母乳を」と大きく書かれています。
岩波新書の「地域の力」で、そのことを知りました。
牛乳を生産販売している会社が「赤ちゃんには母乳を」と言っているのに感心しましたが、すぐに、そんな当然のことにも感心する自分のおかしさに気付きました。
赤ちゃんには母乳を、というのは素直に考えれば当然のことであり、なんら感心するべき言葉ではありません。
しかし、その本の著者も、その標語に感心したのでしょう。その話を本のトップにもってきています。
そうしたことが起こるほど私たちの発想は「産業」社会の洗脳を受けているのです。

滋賀県の包装資材メーカーの新江州という会社の会長は、「環境に負荷を与える包装材は減らすべきだ」と言っています。
その著書「循環型社会入門」には、これからの企業は「環境負荷削減の為に毎年生産高を減らす」ことが必要だと書いています。
書いているだけではありません。
循環型社会システム研究所までつくって、実際に環境問題に取り組んでいます。

近代産業の発展の基盤は、20世紀中ごろから「消費の拡大」に変質してしまった気がします。
おそらくその段階で、経済パラダイムが変わってしまったのです。
にもかかわらず経済学や経営学はあいかわらずの発想で、経済や経営そのものを目的化してしまってきています。
そのため、「産業のジレンマ」が確立してしまったように思います。
つまり、「問題解決のための産業」が、自らの発展のために問題領域を無限に拡大させてしまう構造の確立です。
企業経営も同じです。
なんのために企業を経営しているのか、あるいは企業で働いているのか、分からなくなってきているような状況が感じられます。

そうした状況の中で、木次乳業や新江州のような企業が増えているのかもしれません。
最近、そうした企業の話を聞くことが増えてきました。
その一方で、しかし、大企業は相変わらずの方向を進んでいるように思います。
大きくなりすぎたがゆえに、複雑なつながりが育ってきてしまったために、簡単には舵をきれないのでしょうか。
なにやら先日のイージス艦と漁船との衝突事故を思い出します。

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■節子への挽歌193:笑いと涙の2時間半

節子
昨年の今日は、近くのホールにあなたと一緒にポニージャックスのコンサートを聴きに行きました。
私たち世代にあった楽しいコンサートで、会場と一緒に歌う「歌声喫茶」的なプログラムもあり、節子も私も一緒に歌いました。
節子は声はいいのですが、歌になるとある音域の声が出にくいため、声が時にかすれてしまうのですが、
その時はなぜかすべての声がきれいに出ていました。
節子も、最近、出にくかった音域がきれいに出るようになったと喜んでいましたね。

そのコンサートは、当時のホームページにも書いたように「笑いと涙の2時間半」でした。
私たちはとても楽しみました。
笑いは最高に免疫力と確信していた私たちは、できるだけ笑うことにつとめました。
あのコンサートが1年前だったことが信じられません。

あれから世界は激変し、全く違った世界になってしまったような気がします。
私たちにはまさにそうなのですが、しかし、私たち以外の人たちにとっては、ましてや自然界にとっては、世界はそれまでと全く同じように流れています。
そのことが、最初の頃、わたしにはとても理解できませんでした。
ですから周りの人たちにも、私たちと同じように世界の変化を感じてほしいとさえ期待してしまうという勘違いをしてしまいました。
何とまあ自己中心的な考え方でしょうか。
でもまあ、人間はそんな利己的な存在なのです。

節子
あの時は、あなたはとてもよく笑いました。
結婚前に京都で一緒に行ったコンサートにまけないくらい、楽しさを共有しました。
久しぶりに手をつなぎながらの2時間でした。
でもあの大笑いし、目を輝かしてくれる節子には会えないと思うとさびしいです。

節子とはいろいろなコンサートや演奏会に行きましたが、
1年前のこのコンサートのことが一番強く思い出されます。

節子
そちらでもコンサートはありますか。

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2008/03/12

■NPOの枠を超えたNPOフォーラムへのお誘い

今日は3月23日に開催するNPO関係のフォーラムのお誘いです。
私が取り組んでいるコムケア活動では毎年フォーラムを開催していますが、
いつもそれまでにないような新機軸に挑戦しています。
以前も一度、ご紹介したことのあるコムケアフォーラムです。
これまでも、バザール型やインキュベーション型などいろいろとやってきましたが、
今回はテーマのないフォーラムを、2週間先に開催することにしました。
今回の新機軸は、2週間で創りあげていくスタイルです。

会場は友人が協力して提供してくれましたが、内容は参加者が育てていくというスタイルです。
参加してくれる人がどのくらいいるかわかりませんが、参加者が自由にセッションを企画し、運営するわけです。
こんな無責任なフォーラムはないと、友人たちは全く呆れていますが、
それでも実行委員会のメンバーだけでも10人を超えました。
開催の案内は先ほど、メーリングリストなどで流し出しましたが、内容はまだつまっていないものです。
こうしたやり方は、私の基本的なスタイルですが、これほど日数もなく準備もしないフォーラムは初めてです。
さてどのくらい集まるでしょうか。
スリルがあります。

フォーラムの案内を下記します。
詳しくはコムケアセンターのホームページをご覧下さい。
たぶん毎日変わっていくと思いますが。

もしお時間とご関心があれば、遊びに来てください。
ちなみに、これから全国各地で、コムケアフォーラムを開催していく予定です。
パートナーを探しています。

<コムケアフォーラム2008のお誘い>

誰もが誇りを持って気持ちよく暮らせる社会に向けて、さまざまな活動に取り組む人を応援しているコムケアセンターでは、今年のテーマを「人のつながり」と決め、そのキックオフイベントとして、さまざまな出会いを生み出すフォーラムを開催いたします。

いくつかのテーマにそった「話し合いの場」やミニセッションが用意されていますが、参加された方が自由に情報発信したり、話し合えたりできるような場も用意しています。
このフォーラムから始まる、誰でもが参加できる新しいプロジェクトも発表される予定です。

フォーラムというと「テーマ」が設定されているのがふつうですが、このフォーラムはまさに古代ローマの広場での話し合いのように、集まった人が自由にテーマを選んで話し合い、思いを同じくする人との出会いを生み出すような、テーマのない広場型フォーラムです。
何が起こるかわかりませんし、何も起こらないかもしれません。

多様な人が参加してくれるほど、広場は豊かになります。
NPOやボランティアに取り組んでいる人、
企業の人や社会起業家を目指す人、
学生や研究者など、誰でも参加歓迎です。
何が起こるかわかりませんが、同じ思いを持った人同士の出会いを支援するコンシェルジェもいますので、新しい出会いと新しい物語が生まれるかもしれません。

場所は、東京のど真ん中の日比谷のオフィスビルのなかにある「相創の場」です。
ここは、「多様な人々が集い、相互に刺激し合い、相互に協力し、ビジネス、社会活動を創出する場」として昨年オープンしたところです。
その場所を体験するだけでも刺激を受けるかもしれません。

急なお誘いですが、ぜひご参加ください。
会場でお会いできるのを楽しみにしています。

■日時
2008年3月23日(日曜日)午後1時~5時
■会場
「相創の場」日比谷オフィス

■主なプログラム(スタイルやプログラムはホームページを見てください)
いま予定されているプログラムは下記の通りです。
それぞれのプログラムは基本的に30分、60分単位です。
・企業のCSRって何でしょう(ワークショップ)
・ケアプランから考えるライフデザイン(ワークショップ)
・最近の若者の悩みを知ってますか?(世代間トークセッション)
・アートとまちづくりミニ報告会
・スタンピング平和展(ワークショップ)
・NPOのコミュニケーション問題を解決するSNS
・「きっさろん」(喫茶店サロン)へのお誘い
■参加費
500円
■実行事務局(照会先)
コムケアフォーラム2008実行委員会

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■節子への挽歌192:ケアの本質は「共に生きる」こと

節子
コムケア活動をまた再開することにしました。
コムケア活動は、だれもが気持ちよく暮らせる社会に向けて活動している人たちを、ささやかに応援しながら、人のつながりを育てていこうという活動です。

コムケア活動は、私にとっての平和活動でもありました。
人のつながりが広がれば、争いなど起こるはずがないからです。
まあ、これは間違った認識かもしれないと最近思うことも増えていますが、でもきっとそうだと自分に言い聞かせています。

これまでも全くやめていたわけではありませんが、どうも気力がもう一つだったのです。
それにこの活動は、節子がいればこそ、あれほどのめりこめたのです。
4年目ころ、あまりにのめりこんでしまい、私自身、仕事が出来なくなり、時々、夜も眠れなくなった様子を見て、少し休んだらとも言ってくれましたが、私にはやめるにやめられなくなってしまっていました。
それを支えてくれたのが節子でした。
体調が悪いにも関わらず、コムケアのイベントには参加してくれました。
家族もみんなで手伝ってくれました。
それが私には大きな支えになっていました。
そんなわけで、あなたがいなくなった後、コムケアをどうしようか迷っていました。

そして再開することにしました。
メーリングリストにその旨、宣言したら、いろんな方からエールをもらいました。
エールだけではなく、各地でもコムケアフォーラムをやってくれるというのです。

コムケアはコミュニティケアの略ですが、私には深い意味があります。
重荷を背負いあう関係づくりという思いです。
他者と「共に生きる」生き方の回復です。
節子がいなくなって、「共に生きる」生き方の大切さを実感しています。
ケアの本質は、そこにあるように思います。
しかし、他者と「共に生きる」ことは難しいです。
節子と、それができたのは、とても特別のことのような気がしてきました。
あなたは、やはり私にとって特別の存在だったような気がします。

節子と40年、共に生きられたことを感謝しています。
ありがとう。
また来世でも、共に生きられることを願っています。

ところで、3月23日にコムケアフォーラム2008を東京で開催します。
誰でも歓迎です。
よかったらご参加ください。
案内は私のブログにあります。


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2008/03/11

■節子への挽歌191:なぜ追悼文をかきたくなるのか

またOSさんの手紙の話です。

OSさんは「追悼文集」をつくったと書いていました。
私の知人たちの中に、同じように先立たれた妻の追悼文集を創った人は何人かいます。
私も文集ではないですが、こうやって毎日書き続けています。

なぜこうやって思い出を書き残したくなるのでしょうか。
自分がその立場になるまでは、私はそれが理解できませんでした。
しかし、自分がその立場になると、何らかのかたちで妻のことを書き残しておきたいという気持ちが自然と起こってきました。
告別式の日に、前日までみんなの前で挨拶などは絶対にするまいと思っていました。
節子とのことは誰かに話してもわかってもらえるはずがないし、話せばきれいごとになるか、あるいは事務的な紋切り型になるかしかないから、私の性には合わないと思っていたのです。
ところが告別式の前夜、節子の顔を見ているうちに、彼女がみんなにも話してほしいと言っているような気がしてきたのです。
そして、前にも書いたように、話し出したらつかえることもなく、言葉がすらすらと出てきたのです。書き残すことさえできたのです。
どう考えても、節子が私に語らせたとしか思えません。

追悼文もそうかもしれません。
この世との接点をなくした妻が、書かせているのかもしれません。
節子は日記が好きでしたので、自分が書けなくなったので、代わりに私に書かせているのかもしれません。
そしてたまたま私は書くことに全く抵抗のない人間だったのです。
これ
もそう仕向けられていたことなのかもしれません。

このブログもそうですが、追悼文は第三者にはほとんど無意味のものです。
例えばこのブログですが、毎日のように読んでくれている人が(きっと)いますが、その方は(きっと)節子か私の友人です。
しかし友人だからといって、読んで意味があるかは疑問です。
でももしかしたら、節子とちょっとだけ触れ合えるのかもしれません。
節子のことを知らない読者からもメールをもらいますが、もしかしたらその人たちはどこかで節子と接点がある人かもしれません。
どこか、と言う意味は、今生ではなく前世もしくは来世という意味です。
輪廻転生を信ずる者としては、これからもこのブログを書いていこうと思っています。
そしてお会いしたことのない読者がもしいたら、いつかお会いできるのを楽しみにしています。
お会いするのは来世かもしれませんが、

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■自治体の裏金も表金にしたら輝き出すのではないでしょうか

大阪市の巨額な裏金が問題になっています。
この数年、中央官庁や自治体の裏金が問題になっていますが、おそらくこれは「個人の犯罪」というよりは、「組織の文化」というべきものがほとんどのような気がします。
議会の了承を得て、正規の予算として使途する資金の他に、首長や業務責任者が独自の判断で使える予算を持つことは、流動的な現実への柔軟な対応として意味のあることではないかと思います。
問題は、その存在を「見えないようにしておく」ということです。
私もそうした事例はいくつか垣間見ていますが、それが悪いとはあまり思っていませんでした。
今にして思えば、その感覚が問題なのでしょう。
首長が自由に決済できる資金こそ、公開にすべきです。

市町村合併を前に、そうした「隠れ資金」を使いきろうとしていた状況も、いくつかの自治体で見聞しています。
その時はさすがにおかしいと思いましたが、深くは考えませんでした。
市町村合併で生じたさまざまな無駄に比べれば、小さなことだと思っていましたので。

しかし、ここまで巨額な「隠された資金」があるとなると、これは組織の病理につながる問題です。
結局は自らを滅ぼすことになりかねません。
私もNPOに対する資金助成プログラムの事務局長をやっていましたし、各地のまちづくり活動にも関わっていましたが、「お金」が入ってきたために駄目になってしまう活動や組織は少なくありません。
ですから私が事務局をやっていたプログラムでは、わずかなお金の助成で、しかもお金の使い方の相談にも乗るというスタイルを大切にしていました。
そのおかげで、そこで培われた「つながり」は、いまも続いています。

お金は使い方によって、両刃の剣のように作用します。
それに、ある額を超えると個人では対抗できなくなりかねません。
大阪市の裏金は個人の管理能力を超えています。
ですからきっと最近の関係者のほとんどは、「被害者」になっていたのかもしれません。
多くの組織にもきっと似たような状況があるように思いますが、そうした資金の存在を公開していくことで組織は元気を回復するはずです。

「裏金」は、たぶん「裏」にあるから問題なのであって、「表」に出せば、生き生きと良い効果を発揮するのではないかという気もしています。

「裏金」を活かす仕組みが必要です。
組織の中ではかなり知れ渡っていることが多いと思いますので、「裏金」を「表金」にする仕組みをみんなで考えたら、きっといい解決策が出てくるはずです。

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2008/03/10

■節子への挽歌190:「がん患者学」の柳原和子さんと会いましたか

節子
ちょっと残念なニュースです。
数日前にも時評のほうにも書いたのですが、「がん患者学」の著者の柳原和子さんが亡くなりました。

彼女からは、テレビを通してですが、たくさんの元気をもらいました。
節子が再発してからは、自分のことと重ねながら、その辛さをわかってやるように私にメールをくれましたが、そのなまなましさに、節子には伝えられませんでした。
著作での明晰な文章やテレビでの前向きな発言と、その弱々しい乱れた文章との格差におどろいたものですが、それは節子にも言えたのかもしれません。
あなたは決して弱音をはかなかった、そのすごさには本当に頭が下がります。
どこかで達観したのでしょうね。
そのことに気づいたのは、あなたを送った後でした。
毎日付き合っていたせいか、そうした変化に気づかなかった自分を恥ずかしく思います。

柳原さんからのメールを少しこのブログにも書いておこうかと思ったのですが、やめることにしました。
節子が読んだものは書く必要がありませんし、節子が読んでいないものは書き残すには辛すぎるからです。
読み直しだしたのですが、とても読み続けられなかったのが本当の理由なのですが。

訃報が届くたびに、あなたのことと重ねてしまいます。
節子との別れがあって以来、訃報の意味が一変しました。
その人の周りにあるさまざまな物語を、少しだけ思い巡らす気持ちが生まれました。
これまで私自身、多くの訃報を事実としてしか悲しんでいなかったような気がします。

彼岸で、節子が柳原さんに出会えているといいのですが。
私も此岸では柳原さんに会えませんでしたが、節子の方が先に彼女に会えそうですね。
もし会ったら、修は柳原さんとの約束を果たせないことを気にしていましたと伝えてください。
訃報を知ってからもう数日立ちますが、朝、あなたに祈るたびになぜか彼女の笑顔があなたと一緒に見えるのです。

ところで、此岸での訃報は彼岸のあなたにとっては朗報なのかもしれませんね。
そのあたりがややこしくて、最近少し混乱しています。

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2008/03/09

■日銀新総裁は人事の問題ではなく政策の問題

日銀新総裁の後任人事が問題になり、そのおかげで国会が空転しています。
その現象だけをみていると民主党が悪者になっていくように思います。
審議拒否も、国民から見れば責任放棄であり、サボタージュに感じられます。
高級取りの国会議員が何もせずに国会で暇を持て余している状況を見ると、税金の無駄遣いだと思うのが普通です。批判は、民主党に向かいます。

そもそも私たち国民は、日銀新総裁の人事でなぜこんなに対立するのかと思いがちです。
所詮はテクノクラートであり、見識がある人がなればいいではないか、それに武藤さんは副総裁として今もやっているのだから不都合はないだろうと思うわけです。
あれだけ問題になった福井総裁だって結局は辞めさせられなかったわけですし、いまさら何だという気もします。

日銀新総裁とは何なのか。そしてなぜ武藤さんではだめなのか。
野党はそれに関して私たちに分かりやすい言葉で説明していません。
鳩山幹事長は「「財政と金融がつながってしまっているところに、この国の大きな問題が潜んでいる」と言いますが、財政と金融いずれにも詳しいのであれば、むしろ良いことなのではないかと思う人もいるでしょう。
過去の超低金利政策への批判から反対する人も多いですが、もう少していねいに説明してもらわないとその意味がわかりません。
拒否している理由がていねいに説明されないために、「政局」的反対ではないかと思う人も少なくないでしょう。
こういうところに、最近の日本の政治状況の本質があるような気がします。
ガソリン税も道路建設も、みんな説明不足ですので、そこに込められた大きな意味がなかなかわからないのです。

この数年の日本の経済運営が、昨今の格差社会を引き起こし、経済活力を低下させてしまったことは否定できないでしょうが、その責任の多くが日銀にあったとすれば、今こそ大きな政策転換が求められます。
もしそうならば、武藤さんは不適切ですが、では誰ならよいのか、です。

つまりこれは、人事の問題ではなく政策の問題なのです。
しかしなぜか人事の問題でしか語られません。
なぜでしょうか。
もしかしたら民主党も実はこれまでの財政政策や金融政策を認めているのかもしれません。
そういえば、福井さん問題ではあれほど世論が高まったのに追求は中途半端でした。

政策の時代は終わり、政争の時代になってしまったのでしょうか。
しかし、日銀総裁に誰を選ぶかはとても重要な問題です。
もっとたくさんの人たちの中から政策を出し合って決めていく仕組みが必要なのではないかと思います。
それにしても、民主党はなぜ国民に向かって話しかけてこないのでしょうか。
その姿勢をとっているかぎり、政権は取れないように思います。
いえ、取るべきではないように思います。

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■節子への挽歌189:「これからどう生きようか」と考え続ける生活

昨日の続きです。
一晩、間をおいたので今日は冷静に書けそうです。

OSさんは、「精一杯のことをしたようにも思いますが、それで償いができたとは思いません」と書いています。
私も全く同じ思いを持っています、
どんなにみんなによくやったねと言われようと、どこかに悔いと罪悪感が残る、それがおそらく愛する妻を見送った者の心境ではないかと思います。
ウツ状況になる人もいるようです。
私もその可能性はゼロではありませんでした。
娘たちが元気付けてくれたとはいうものの、
節子の友人たちや私の友人たちが心配してケアしてくれたにもかかわらず、
時に落ち込み、時に不安感にさいなまれ、時に「もうどうでもいいか」と思いたくなるのです。
人が嫌いになり、失望し、希望を失い、生きる意味を見失ってしまうのです。
いつもは「生きる意味」など考えたこともないのに、突然、生きる意味がない人生をどうやってこれから生き続けられるのだろうかなどと考えてしまうのです。
それを表現すれば、元気を出さないと奥さんが悲しむよなどといわれるので、ことさら元気を装ったりするわけです。
そして、そんな自分がまたいやになっていく。
そんな気持ちを一番理解してくれるはずの妻はいないのですから、解決しようのない問題なのです。
伴侶とは、理屈を超えて支え合っていた存在なのだと思い知らされる毎日です。

OSさんは10年たってもまだ、「これからどう生きようかと毎日考えています」といいます、
素直に心には入ってきます。
あるはずもない「これから」をどう生きようかと考えることの答はあるはずもない、と思いながら、私も毎日、そう考え続けています。

節子は発病以来。「いまをどう生きようか」と考える生活に変えました。
それから節子の考え方や言動が変わってきたように思います。
その生きる姿勢から、私はたくさんのことを教えてもらいました。
しかし、残念ながら、「これからどう生きるか」については、節子は教えてくれませんでした。
いろいろと示唆は与えてくれていましたが、2人とも別々に生きることなど想像もできなかったのです。

今、節子は彼岸でどんな生き方をしているのでしょうか。
どうしてもまだ、彼岸で「生きている」節子を思ってしまいます。

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2008/03/08

■「いま何時?」

フーテンの寅さんを演じた渥美清さんは物の所有から自由な人だったと何かで読んだことがありますが、腕時計も嫌いだったそうです。
こんな言葉が残っているそうです。

「時間も他人に聞いてすむ生き方をしたい。
おい、いま、何時だと、そういう生き方でいきたい」
渥美さんに比べると私はまだまだ物欲が強いのですが、この時間に対する感覚だけは少し似ています。
腕時計はこの40年したことがありませんし(一時、時間とは全く無縁な理由で半年ほど時々はめていましたが)、今でも「いま何時?」と周りの人にたずねる生き方をしています。
そのせいで迷惑をかけることもありますから、ほめられた話ではないのですが、自分としては全くといっていいほど不便は感じません。
これに関しては以前一度書きました

その時は、腕時計を外すと時間から解放されるというようなことを書きましたが、今から考えるとそう思うことこそが時間に拘束されていたのだと思います。
渥美さんのことを読んだ時に、そのことに気づきました。

時計を外した効用は、「いま何時?」と質問できることです。
質問できることが効用だというのもおかしな話ですが、要は自己完結していない弱みを持てるということです。
そのことによって、周辺との関係性を変えるこができるということです。

携帯電話にしろiPodにしろ、個人はますます自己完結的な方向に進んでいるように思います。
言い換えれば周囲との関係性を断ち切る生き方を目指しているようです。
誰かとのつながりを求めているような面もありますが、自らを隠したままの一方的な関係を目指していることが多いように思います。

ネット社会でのつながりは一方的なものも多いです。
しかし自らの正体を見せずにつくられた関係はほとんど意味がないような気がします。
そうした虚構の関係性の中で、さまざまな「人間関係もどき」が「コミュニティもどき」を構築していきます。
時にそれが「機能性」を発揮し、社会的パワーになることもあります。
ネットを通した署名運動は、そのひとつです。
しかし、そうした虚構のコミュニティや機能主義的コミュニティは、私自身どうもなじめません。

話が飛躍してしまいましたが、「いま何時?」と周りの人に聞いていた、渥美さんの生き方は、私たちが失ってしまいつつある何かを示唆しているような気がします。

ちなみに、街中で知らない人に「いま何時ですか」と訊ねるのは、意外と楽しいものです。

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■節子への挽歌188:残された者の償い

節子
私の大学時代の友人のOSさんから手紙をもらいました。
彼は私が信頼する数少ない弁護士の一人です。
考えはもちろん違うと思いますが、誠実さがにじみ出ている人です。
大学卒業以来、久しく会っていませんでしたが、4年ほど前に再会しました、

その時の印象が、実は何ともいえないものでした。
一言でいえば、明るさと誠実さの奥に孤独な陰を感じたのです。
それは私自身が持っている陰が、素直な彼の心に反射しているのかもしれないと、その時は思いました。

彼のことは節子に話したことがありませんでした。
大学時代、私も彼とはほとんど付きあいがありませんでした。
しかしはっきりとその存在が心に残っている人でした。
彼の純粋さや誠実さは、話をしなくてもきっとまわりにオーラを放っていたのでしょう。

後日、彼から1冊の本が送られてきました。
私に関心のあるテーマの本でした。
彼のすさまじいほどの仕事振りが伝わってきました。
敬意を感じました。

そのOSさんから手紙が来たのです。
最近、彼から依頼のあったハンセン病関係の署名活動にささやかに協力した礼状でした。
しかし、そこに書かれていた内容は思ってもいないことでした。
涙が止まりませんでした。

私は丁度10年前に妻をガンでなくしました。
闘病生活は4年近いもので、大変な試練でした。
私は貴兄と違って、よい夫ではありませんでした。
発病と知ったときから精一杯のことをしたようにも思いますが、それで償いができたとは思いませんでした。
罪ほろぼしのつもりで、追悼文集をつくり、親しい方々に送らせていただきました。
そのときから私の人生観はかなり変わったように思っています。
今は一人暮らしです。
これからどう生きようかと毎日考えています。
どうも自分のことを書いてしまってすみません。
あの時の陰はやはり彼からのメッセージだったのだと思いました。
そしてその闘病時代に彼は社会的な使命を果たすための激務を果たしていたことを知りました。
「大変な試練」「償いができたとは思いません」
その言葉の意味を痛いほど感じました。
涙が止まらない理由がわかってもらえるでしょうか。
また涙が出てきてしまいました。
すみません。
この続きは、明日書きます。

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2008/03/07

■三浦再逮捕と一事不再理の原則

日本の裁判で無罪になった「ロス疑惑」の三浦さんがサイパンで逮捕された事件が話題になっています。
私には大きな興味がありますが、それは今のマスコミで騒がれているような意味ではなく、「一事不再理の原則」に関係して、です。
「一事不再理の原則」は今の時代に合わないルールだと思っていますし、国際的に考えれば論理的に納得できないルールです。
いまの司法、とりわけ刑法分野の司法の問題の本質が、そこに現れているように思います。

日本国憲法39条(「何人も、・・・既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない」)が、いわゆる「一事不再理の原則」の根拠です。
また、同条には「同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない」とも定められています。
この一事不再理の原則は、多くの国家で採用されている刑事裁判の大原則です。
「市民的及び政治的権利に関する国際規約」でも、「何人も、それぞれの国の法律及び刑事手続に従って既に確定的に有罪又は無罪の判決を受けた行為について再び裁判され又は処罰されることはない。」(14条7項)と定められています。
ある事件の犯人と疑われた人が、それ以後、ずっと逮捕の恐怖にさらされるという非人道的な事態が起きないようにするための制度だといわれています。
問題は、今回のように、事件が発生した国と判決が出された国が違うように、こうした原則が国境を越えた場合にどうなるかです。
グローバリゼーションのなかで、国境の壁はどんどんなくなり、一事不再理の原則は国境を越えていくという見方が多いかもしれませんし、いまでもすでに一事不再理の原則は国境を越えているという人も多いでしょう。
しかし、私には大きな違和感があります。

まず国境を越えるということに関していえば、たとえば国家による法体系が違うなかで、一事不再理の原則だけが国境を超えるということは論理的に整合しないはずです。
しかし、私にとってもっと大きな関心は、刑法体系のパラダイムです。
これは刑法に限ったことではなく、憲法についてもいえることだと思いますが、そのことが特に象徴的に出てくるのが刑法です。

国家の暴力に対して国民を守る、これが現在の刑法の「建前としての」パラダイムだと思います。
ですから被害者よりも加害者の人権が重視されがちだったのです。
一事不再理の原則もまた、そうした文脈の中で考えられるべきですし、時効制度もそうだと思います。
罰則の決め方も多くの場合、「○○以内」というように上限が極められています。

極端な言い方になりますが、そうした発想の根底には、「冤罪」の発生が予想されています。
実証することはできませんが、「冤罪」が予想されるシステムのもとでは、冤罪は発生しやすくなるはずです。
人が予想し想像したことは必ず実現するのが人の世ですから、いまの司法体系の中では冤罪は生まれるべくして生まれると、私は思っています。

一事不再理の原則の根底にある人権的な考えには異論はありません。
しかし、裁判も間違いのあることですから「不再理」を原則にすべきではないと思うのです。
もっと柔軟な発想が必要です。
最近の横浜事件の話と不再理原則は全く別の話かもしれませんが、私にはどこかで通底しているように思います。
光市母子殺害事件の弁護士団の動きに対して、法曹界の中からはほとんど何の動きも出なかったことも、そこに通じているような気がします。
裁判員制度への問題提起がやっと始まったようですが、司法のパラダイムの見直しこそ必要ではないかと思います。

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■節子への挽歌187:「死は、人間にとって最高に善いものかもしれない」

節子
死の体験はどうでしたか。
自らの死は体験できな以上、存在しないという論理がありますが、
実際に体験した節子からぜひ話を聞きたいと思います。
でも、聞けるようになった時は私自身も体験しているわけですから、あまり意味がありませんね。

死とはなんなのでしょうか。
ソクラテスは毒を飲んで死ぬ前に、集まった仲間たちにこう言ったそうです。

「さあ、私たちが行く時が来た。私は死ぬために、君たちは生きるために。
しかし、どちらが幸せかは、私たちの誰にも隠されている。ただ神を除いて」
と。節子は、どちらが幸せかの答がわかっているのですね。
節子の方が幸せであることを祈りたいです。
それは私にとっても幸せを保証してくれるわけですから。

節子がいなくなってから、死の対する考え方がだいぶ変わりました。
というよりも、これまで死については全くと言っていいほど真剣に考えたことがないことに気づいたのです。
ほとんどの人がきっとそうでしょうね。

プラトンの「ソクラテスの弁明」には、こんなソクラテスの言葉もでてきます。 

「死を恐れるということは、智慧がないのにあると思っていることにほかなない。なぜなら、それは、知らないことを知っていると思うことだからだ。死を知っている人はいない。ひょっとすると、死は、人間にとって、すべて善いもののうちの最大のものであるかもしれないのだが、彼らは、それを恐れている。それが最大の災禍であることをよく知っているかのように。しかし、これこそ、知らないのに知っていると思っている、無知というものにほかならないのではないだろうか」
「死は、人間にとって、すべて善いもののうちの最大のもの」
そうであれば、こんなに嬉しいことはありません。
すべての人にとって、それが保証されているのですから。

しかし、善いものであろうと、災禍であろうと、節子と一緒に体験できなかったことがとても悔しいです。

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2008/03/06

■節子への挽歌186:強い人同士の夫婦と弱い人同士の夫婦

昨日の記事の続きを書きます。
長くなったので、2回に分けることにしました。今日は後編です。

KYさんが、私たち夫婦と佐藤夫婦とはどこが違うのかしら、と言いました。
ご主人が、「おれにはあんな挨拶は出来ない」といったのだそうです。
私は即座に、「強い者たち同士の夫婦」と「弱い者たち同士の夫婦」の違いだと思います、と答えました。
そんな言葉が出てくるとは、私自身思ってもいませんでしたが、自分の思ってもみなかった言葉が口から出ることはよくあることです。
最近、気のせいかそういうことが増えています。
ですから、その言葉は、私に向けての言葉でもあったわけです。

このブログを読んでくださっている方はもう感じているでしょうが、私は「弱い人間」です。
一人では生きていけずに、誰かが寄り添ってくれていないと倒れてしまいそうなのです。そして、節子もまたそういう人だったことは、私が保証します。
本当に頼りない弱い人でした。私よりは強かったですが。
しかも、いずれも自立しようとか依存を止めようとか全く思わなかったのです。
夫婦間においては、自尊心や自立心が全くなかったのです。困ったものです。

しかし、弱い者同士が一つになるとなぜか強くなるのです。
弱さをさらけだすことで、強くなれるのです。
KYご夫妻は、それぞれがしっかりした活動に取り組み、社会的な存在感もあります。
それにそれぞれが自立し、自分の世界をお持ちです。
理想的な夫婦と言っていいでしょう。
わが家とはかなり違います。

詩(のような言動)は弱さから生まれます。
決して強さからは生まれません。
詩は強い人には戯言でしかありません。
もしそうでないとすれば、強い人の弱い面に訴求しているのです。
言い換えれば、その時がくれば、その人からも詩が生まれます。

弱いと強いとはコインの裏表です。
どちらが体験されるかは分かりませんが、KYさんご夫妻も、きっと私の立場になったら、詩のようだと思う人がでてくるような、作品を共創するはずです。
その時にきっと、私の今の心境と言動を理解してくれるでしょう。

人は、強さと弱さを持っています。
そのどちらの面を表面に出して生きているかどうかによって、生き方は変わってきます。
伴侶の死に直面してもなお、強い生き方が出来る人もいるでしょうか。
そんな人はいるはずもない、と今の私には思えてなりません。

お互いに弱さを見せることで夫婦の絆は強まるように思います。
だれにでもお勧めというわけではありませんが、弱さを共有してしまうとすごく快適になるような気がします。


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■柳原和子さんへの追悼

ノンフィクション作家の柳原和子さんの訃報を新聞で読みました。
予想はしていたものの、悲しい知らせでした。
杉本さんに続いての、私の価値観に影響を与えてくれた人の訃報です。

杉本さんの場合と同じく、柳原さんと面識があるわけではありません。
メールでの交流がわずかにあっただけの関係です。
私が柳原さんを知ったのは、彼女の「がん患者学」が契機です。
患者学という言葉に興味を持って購入しましたが、読み進むうちに辛すぎて、途中で放棄していました。
妻が胃がん宣告を受ける前の話です。
妻が胃がんになり、思い出して再読しようとしましたが、ますます駄目でした。

そんな時、NHKのテレビで「がんキャンペーン」が始まりました。
妻と一緒に見ました。
そこで「元気そうな」柳原さんを見ました。
翌週も柳原さんが出ていました。
柳原さんの表情が少し曇っているような気がしました。
そのことをホームページに書きました
そうしたら1週間くらいたった頃、柳原さんからメールが届きました
私のホームページの記事が彼女の目に入ったのです。

そのメールに書かれていたのは、テレビや本の柳原さんとは違って、悩み迷う患者そのものでした。
文章も作家の文章ではありませんでした。
すごく親近感を持ちました。
それ以来、時々ですが、メールのやり取りが始まりました。
柳原さんには中傷のメールも届いていたようです。
ネットで自分をさらけ出すと、本当に中傷的なメールが届きます。
暗い世の中になりました。

柳原さんの孤独さの深さも、ちょっとだけ垣間見た気もしました。
でも彼女は、私の妻のことも心配してくれましたし、妻ががんになった夫たちの支えあう仕組みをつくったらともいってきてくださいました。
病気に直面している人特有のやさしさが伝わってきました。
それに、柳原さんの「生きる意欲」に、私たちはとても元気付けられました。

ところが昨年の春頃からメールがなくなりました。
私たちも良いニュースを送れないため、メールしなくなりました。
ですからずっと気になっていましたが、調べる勇気が出てきませんでした。
そして昨日の訃報。

患者運動が広がるきっかけをつくった柳原さんの名前は、ずっと残るでしょう。
柳原さん
ありがとうございました。
柳原さんとの約束は守れそうもありませんが、許してくれますよね。

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2008/03/05

■節子への挽歌185:詩を聴いているようでした

節子
久しぶりにKYさんに会いました。

節子の葬儀の時にはご夫妻で来てくださいました。
あなたは気づいていましたか。
あの時はたくさんの人が来てくださったので、気がつかなかったかもしれませんね。

節子が再発する直前、KYさんのお宅にお邪魔して、ご主人が家庭菜園で収穫した新鮮で美味しい野菜をつかった料理をいただきました。
節子とご主人の話が野菜作り談義がとても盛り上がっていたのを思い出します。
農園も見せてもらい、お土産ももらってきました。
次はわが家でお返しをしたかったのに、実現できませんでした。

KYさんのご主人は、佐藤さんの(告別式の)挨拶は、まるで詩を聞いているようだった、と言っていたそうです。

「まるで詩を聞いているようだ」
実は、あの時、私もすごく不思議な気分だったのです。
話し出したら涙できっと話せなくなるから、挨拶は一言にしようと前日まで決めていました。
みんなもそれがいいと言っていました。
ところが、その日の朝、節子からきちんと話をしてね、といわれたような気がしたのです。
そして、献花台の話も思い付いたのです。
挨拶に立ち上がった時、こみ上げてくる思いで一瞬声が出なくなったのですが、その後、本当に不思議なのですが、流れるように口から言葉が出てきたのです。
そして予想以上に長く話してしまいました。
節子がそうさせてくれたとしか思えません。

もっと不思議なことがあります。
話したことを翌日、書きとめようと思いました。
そうしたら話したことがそのまま思い出せるのです。
そしてホームページにもほぼ再現できたと思っています。

私はこの種の挨拶がとても不得手な人間です。
それに世間的な付き合いの言葉をあまり知らないのです。
挨拶が必要な時には、いつも節子に相談していました。
節子はいつもひやひやしていたはずです。
終わると、いつも「よかったわよ」と言い、その後で必ず「でもあそこはこういうとよかった」と一言付け足すのです。

今回の挨拶はどうだったでしょうか。
節子の感想が聞けなかったのが、とても残念です。

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■中国の軍備増強と職場のいじめの蔓延

中国の軍事予算が20年連続で二桁の伸びをしているそうです。
そして日本よりも国防予算は大きくなったそうです。
ここが重要な点だと、私は思います。
つまり最近までは、日本の方が大きかったわけです。

テレビでは、中国の軍備増強が周辺国家に脅威を与えていると報道していましたが、脅威を感ずるのは誰なのでしょうか。
私自身は、軍備の銃先は他国にではなく、自国民に向けられていると思っていますので、中国の軍備には全く脅威など感じません。
むしろ自国、つまり日本の軍備強化にこそ脅威を感じます。

おかしな話ですが、一番脅威を感じているのは、軍備増強している当事者かもしれません。
いつ攻められるかもしれないから軍事力を増強しようという意識が、根底にはあるはずです。
守るだけではなく、攻めるために軍備増強するのではないかと思いがちですが、なぜ攻めるのかといえば、おそらく「こわい」から攻めることが多いでしょう。
つまり結局は守るためなのです。
攻撃は防衛の手段でしかありません。
ですから、戦争はいつも自衛戦争なのです。
自衛のための侵略戦争なのです。

攻撃的な人は、多くの場合、どこかに弱さを持っています。
悪いことをしている人は常におびえていますし、自信のない人は虚栄をはりがちです。
強い人は攻撃的になどなる必要はありません。
こうした個人事情は、国家においてもたぶん成り立ちます。

ところで、中国の軍備増強を報ずるニュースの後、NHKのクローズアップ現代では、職場に蔓延する同僚間のいじめを取り上げていました。
それをみていて、その2つは結局同じ問題なのだと気づきました。
世界平和と個人同士のいじめ。
それらは全く同じ問題だと考えると見方が変わってきます。
いじめもまた、その矛先は決して相手にではなく、自らに向けられているのです。
そして、そうなる原因は、個人にあるのではなく、仕組みにあるのです。

国家の仕組みも、最近の私たちの生き方も、どこか間違っているのではないか、
最近、そう思うことが本当に多くなりました。
直せるところから少しずつ直していきたいと思いますが、生き方の仕組みを変えるのは簡単ではありません。

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2008/03/04

■日本の公務員は多すぎないでしょうか

日本の現在の人口は約12800万人です。
そのうち、公務員と言われる人の数は、2年ほど前の数字ですが、400万人です。
400万人の人の給与は、基本的に12800万人の税金から支払われています。
公務員の給与は、最近は民間平均よりも高いと言われていますが、ある調査では年収で600万円とも800万円とも言われます。
公務員を除く12400万人が400万人の公務員を雇用していると考えると、約31人の国民(乳幼児を含めて)で一人の公務員を雇っていることになります。
年収700万円とすれば、一人22万円の負担になります。
かなりいい加減な数字ではありますが、3人家族であれば、60万円以上を負担していることになります。
どこかに間違いがあるかもしれませんが、私自身はこうした状況が前から気になっていました。
公務員が多すぎると思うのです。

公務員が国民のために仕事をしているのであれば問題はありません。
しかし昨今、明らかになっているように、必ずしもそうではないようです。
国民年金のお金がホテルなどに転用されたのは、おそらく仕事が暇だったからでしょう。
パーキンソンの法則ではないですが、人がいれば必ず仕事は発生します。
仕事があったから公務員が増えたのではなく、公務員が増えたから仕事が増えたのです。
そこには、国民のための仕事という意識は希薄だったはずです。
その証拠は、最近、山ほど出てきています。
彼らの仕事観は、民間とは全く違います。
公務員個々人が悪いというわけではありません。
仕組みが悪いのです。

財源がないなどという前に、そうした基本構造を再検討したほうがよいように思います。
財源がなければ公務員を半減すればいいだけの話です。
民間企業はそうしてきています。
もちろん半減要因には議員も入ります。
今の国会議員であれば、10分の1でも十分でしょう。

もちろん一挙にはできないでしょうが、10年かければできるでしょう。
そうした発想が、いま必要なのではないかと思います。
念のためにいえば、だから民営化が必要なのだということにはなりません。
それは全く別の話です。

以前、フォスタープランの里親をやらせてもらっていたことがあります。
ところが、里親の拠出金の大半は、その活動のスタッフの費用になることがわかって驚いたことがあります。
そうならないための仕組みを考えるべき時期に来ています。
IT技術は、そうしたことのために、大きな威力を発揮できそうに思います。

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■節子への挽歌184:長崎からの手紙

節子
長崎県のNMさんから手紙が来ました。
あなたと同じ病気で、それも若い時だったので、いろいろと大変だったでしょうが、それを乗り越えて活躍しています。
本当によかったです。
NMさんはもう退職され、いまは第二の人生をいろいろと考えているようです。
最近はなかなか会う機会もなくなっていましたが、節子と一緒に長崎に行った時に、仲間を集めてくれて、しっぽく料理をご馳走してくれました。
節子も私も、はじめてのしっぽく料理で、その作法をしりませんでしたが、とてもおいしくて、またそこから見下ろす夜景がとてもきれいで、節子は時々、その話をしていたのを思い出します。

その時はたしかハウステンボスに泊まりました。
そこではSHさんが案内してくれたような気がします。
SHさんの元気さと明るさは、節子の記憶にもずっとのこっていましたね。

私は過去のことはあまり覚えていられない人間なので、記憶が定かではないのですが、
いろいろな人にお世話になったような気がします。
私たちは本当にいい人に囲まれていましたね。
感謝しなければいけません。

NMさんはこのブログも、友人に頼んでプリントしてもらい読んでくれたそうです。
ブログもいまや180回を越えてしまったので、読むのも大変です。
それに私の文章は冗長ですから、申し訳ない気がします。
プリントしてくれたのはMSさんですが、MSさんからもメールをもらっています。
みんな節子のことを思い出してくれているのです。

NMさんはこう書いてきてくれました。

「こんなに強い絆、愛とはと思い、時間が普通の人に比べてもっとかかると思いました」
こうした言葉は他の人からももらったことがありますが、たぶんNMさんが私の立場になったら同じことになると思います。
みんなまだ伴侶との絆の意味が見えていないだけです。
もちろんすべての人がそうだとはいえませんが、「普通の人」であれば、そして「普通の夫婦」であれば、きっと私たちと同じです。
思いを私のようにだらだらとブログで書き続けるかどうかは全く別の話です。
そうではなくて、夫婦や家族の絆の話です。
それがあまりに当然すぎるために、なかなか見えてこないのかもしれません。
しかし、40年も一緒に共に生きてきた夫婦の絆はとても太く強いはずです。
NMさんも、手紙の中で、
「わが家の関係を再認識いたしました」と書いていますが、もし伴侶と共に生きている読者の方がいたら、ぜひ夫婦の絆を改めて意識してほしいと思います。
それに気づけば、きっと大きな力が沸いてくるはずです。
それが社会を変えていくと、私は信じています。

余計なことを書いてしまいました。
社会の基本は「絆」だと私は思っています。

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2008/03/03

■節子への挽歌183:喜びの中にある悲しみ、悲しみの中にある喜び

むすめたちが、玄関とリビングに小さな雛人形を飾ってくれています。
節子がいなくなっても、その時々の季節を象徴する飾り立てをする文化は継承されています。
オフィスだけはちょっとさぼっていますので、季節感覚がなくなっていますが。

節子が行ってしまってから、今日で半年です。
まだ半年と言うべきでしょうか。
これほどの長さが、まだどれほど続くのか。ちょっとゾッとします。

この半年、悲しみは癒えたかといえば、全く癒えることはありません。
深まったわけではありませんが、心身にしっかりと定着してしまった感じです。
その悲しみが、私の心身の一部になってしまっています。
そのせいか、喜びが感じられなくなってしまったような気がします。
これはちょっと寂しいことです。

今もなお、写真の節子が呼びかけてくれるのではないかと思うことがあります。
誰もいないはずの階下で音がしたり、玄関に近づく足音を聞いたりして、あなたの姿を探すこともあります。
いつもあなたはいません。

それにしても節子がいないだけで、どうしてこんなにも世界の風景は変わってしまうのでしょうか。
なぜだろう、とよく考えるのですが、わかりません。
それ以上に、なぜこんなにも時間がありあまっているのかと思うことが多くなりました。
最近は10時に就寝し、何となくぼんやりと過ごしていることが多いのです。
節子がいた時に、どうしてこういう時間がつくれなかったのでしょうか。
いつもお互いに何かやっていましたね。

いまもやらなければならないことは少なくありません。
仕事も始めましたので、実は時間は足りないほどなのです。
でもやる気が起きない。
時間が無いのに、時間が余っている、そんな毎日です。
不安だけが高まっています。
困ったものです。

半年が過ごせたのなら、1年も大丈夫でしょう。
1年大丈夫なら、10年は大丈夫でしょう。
人はそうやって悲しみと共生していくのでしょう。
そして、きっといつか、その悲しみの裏にある喜びに気づくのでしょう。

節子との生活では、喜びの中にある悲しみと付きあってきたような気がします。
しかし、これからはどうも悲しみの中にある喜びと付きあうようにしないといけません。
人生観を大きく変えないといけません。

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■政権交替が遠のいてしまった気がします

民主党の勢いがなくなってしまいました。
政権交替も政治改革も遠のいた気がしてなりません。
あれだけ盛り上がっていたのに、民主党の勢いは今や影が薄くなりました。
アメリカのオバマ旋風と違って、失速したというべきでしょう。
民主とは完全に戦略を間違っているように思います。
国民に目を向けず、国民を信頼していなかったことの結果です。

国民国家においては、政治の勢いは国民が創りだします。
もちろんそれを先導し、時には扇動するのは政治家ですが、ある段階で主導権は国民が持ち出します。
最近のアメリカの大統領選も、かつてのヒットラー旋風も、そうだったように思います。
おかしな言い方ですが、主権者である国民を制したほうが選挙に勝って、権力を獲得するわけです。
民主主義体制における選挙は、主権を奪取する仕組みです。
ですから、民主主義的な国民国家と神権主義的な専制国家とは、構造は同じなのかもしれません。
ロシアの今回の大統領選挙は、そのことを示唆してくれます。
教育や文化などの、さまざまなお膳立ても、似ているようにも思います。

そうした中での「変革」に、どのような意味があるのか、最近はわからなくなってきてしまいましたが、しかし昨今の閉塞状況を打破するには、やはり「変革」への期待はあります。
変革の方向性は重要ですが、少なくとも現状よりはよくなる可能性はあるからです。

いかなる状況においても、変革は勢いがなければ実現しません。
その勢いが昨年の後半には感じられました。
しかし、その勢いが今の政治状況には感じられません。
そして自民党も民主党も、結局は同じなのだということが見えてきたのです。
政権交替は、「政策の変化」ではなく、単に「権力所在の変化」でしかないのではないかとさえ、思われるほどです。

論理的には、大連立を契機にして、政治再編が行われるのが、現在の日本の政治状況には効果的です。
「変革」幻想に乗せられたマスコミと多くの国民は、それを拒否しましたが、権力志向によって組織化されている二大政党を、改めて価値志向によって再編成しようということは、それなりに意味があります。

しかし、「変革」を求めるのであれば、非自民・非民主に期待しなければならないでしょう。
その意識がない「変革」は、権力交替であって、政策交替にはならないからです。

日本が二大政党の状況から抜け出るのはいつのことでしょうか。
民主主義と二大政党体制は、全く相容れないことのように思うのですが、どうして二大政党体制願望が大勢になっているのか理解できません。
私の民主主義理解が普通ではないのでしょうか。

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2008/03/02

■道路が必要なのか、道路工事が必要なのか

道路整備の問題はいろいろと議論が盛り上がりながらも、結局、衆議院ではこれまでの延長で決まってしまいました。
本当に不思議ですが、自民党独裁の体制の中では仕方がないのかもしれません。
それにしてもいろいろと問題が出てきても、結局は多数決の論理で決められてしまう状況は変えられないものなのでしょうか。

道路整備に関して、自治体がいろいろと要望を出していますが、これまでの道路建設の実態を調べれば、無駄な道路工事はたくさん出てくるはずです。
その実態は断片的には報道されますが、全体像が見えてきません。
政治のやることは、その全体像を可視化することだと思いますが、与野党いずれもそれをやりませんし、研究者や有識者もそれに取り組みません。
なぜでしょうか。
全体像が見えないままに議論できるのでしょうか。

ところで、道路建設が必要だといっている人たちの思いの真意には、「道路が必要」と「建設工事の仕事が必要」という2種類があるように思います。
その両者を峻別していく必要があるはずです。
後者の面からの必要論も少なくないと思いますが、工事仕事の面から言えば、極端に聞こえるかもしれませんが、無駄な道路をつくるほど工事量は増えるという構造があります。
現に工事途中で建設が中止された場合、例えば建設途中の橋の撤去解体という新たな仕事も発生するからです。
仕事が欲しいのであれば、無駄な道路ほど効果があるのです。
つまり「仕事」がほしい人にとっては「無駄な道路」ほど「必要」なのです。

これまでも何回も書いてきたように、近代産業は、無駄こそが需要の源泉というジレンマを内包しているのです。
そんなことはやるはずがないと思いたいですが、例えば河川をコンクリートで囲い込む護岸事業を進め、それが行き渡ったら今度は自然に戻そうという動きに変えるように、造っては壊し、壊しては造るのが税金を使って事業をする人たちの事業観なのです。
税金とはちょっと違いますが、社会保険庁の事業観はその象徴です。
巨額なお金でつくった立派な施設が安く処分されても、だれも責任を取らせられず、またとらないのです。

こうした発想の根底には、ニューディール政策的な失業対策事業発想があるように思います。
道路などつくらずに、お金を仕事のない人に支給したほうが効果的だと思いますが、それを正当化する論理がまだ構築されていないだけの話ではないかと思います。
仕事をつくることが福祉につながる、社会の活性化につながる、などといった貧しい時代の経済発想の呪縛から解放されるべき時期に来ています。
おそらくいまは、貧しさの意味合いも大きく変わってきているのです。

道路工事がほしいなら、単に仕事がほしいと言えばいいだけです。
さらに仕事よりもお金がほしいといえばいいだけです。
そんな気がしてなりません。
それに、地域活性化とは仕事を増やすことなどでは断じてありません。

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■節子への挽歌182:河津桜が咲き出しました

庭の桜が咲き出しました。
節子と一緒に河津に行った時に買ってきた桜です。
もう3年前になります。
あの時のあなたは、私よりも元気でした。
節子は治ると確信できていたころでした。
むしろ私を気遣ってくれていた節子のことを思うとまた心が痛みます。

今年は昨年よりも開花が半月ほど遅れました。
節子がいないせいでしょうか。
数日前から急にあたたかくなり、庭の花々も咲き出しました。
娘がとてもよく手入れをしてくれています。
庭で手入れをしている娘を見ると、その横に節子がいるような気がします。
あたたかな陽だまりのなかに、いつも節子がいましたから。

各地で桜が咲き出しますが、桜には節子の思い出が重なりすぎていますので、
今年は見に行けないかもしれません。
そんなことでどうするのか、といわれそうですが、
節子のいない春は、私には違う世界の春でしかありません。

今年の桜は、私にとっては、この河津桜1本になりそうです。

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2008/03/01

■節子への挽歌181:足がすくむ思い

前から約束していた、ある集まりに参加しました。
池袋とは知っていましたが、どこでやるのかあまりきちんと理解していませんでした。
これが私の生き方で、直前にならないと頭が動き出さないのです。
節子は、私のそうした生き方をいつも心配していました。
そして注意を促してくれる存在でした。
でも今は、そうした注意をしてくれる人はいません。
子供じゃあるまいし、それくらい自分で責任を持てと起こられそうですが、
そうした面では、私は思い切り節子に依存していたのです。
困ったものです。
自立できていなかったわけですが、それが私たちの生き方でもありました。

朝、会場の場所を確認しました。
池袋のメトロポリタンホテルでした。いやな気がしました。
池袋駅を降りた途端に足がすくみました。
このホテルの地下に、帯津良一さんのクリニックがあるのです。
そこに節子と一緒に通ったことを思い出しました。
その時、すでに節子は再発し、かなり病状は悪化していましたが、帯津さんに会って元気をもらいました。
それだけではありません。
池袋の思い出はそれだけではありません。
同じホテルで、官足法の岡山さんにお会いしたのです。
帯津さんも岡山さんも、節子にはとても良い出会いでした。
しかし、その時の節子の辛さと祈りを知っている私には、
足がすくむほどの、何ともいえない胸の不安感が襲ってくるのです。
こういう体験を何度したことでしょうか。
節子との深い思い出のあるところに近づくと、節子の思いがどっと出てきてしまうのです。

約束していた集まりでは、無事、役割を果たしましたが、辛い体験でした。
予め場所などをきちんと確認する生き方でなくてよかったです。
もし事前に知っていたら生けなかったかもしれませんから。

節子
辛い思い出がありすぎます。
そうしたことを、弱音もはかずに乗り越えていた節子のことを思い出すたびに、
あなたの見事さに気づかされます。
私にもできるでしょうか。

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■「無駄」という概念は昔からあったのでしょうか

■「無駄」という概念は昔からあったのでしょうか(2008年3月1日)
ある組織の事業構造の構造化に取り組んでいます。
あまりにも多岐にわたり、数も多いため、事業全体が見えなくなっているので、可視化しようと考えたのです。
予算がないため、私がエクセルデータを使って手作業で始めたのですが、途中でいやになってきました。
そこで友人に応援を頼んだのです。
そうしたら彼は即座に、私が2日かけてやってきたことを、それよりも正確に集計してくれたのです。
その方法を教えてもらい、後は私でもやれるようになりました。
知識がないと、とんでもなく無駄なことをしているのだと改めて知りました。

しかし、最近、「無駄」が発生するのは、人と人との世界、それも人がつくった「知識」の世界だけなのではないかという気がしてきました。
自然と付き合う時にも、知識不足で無駄が生じることはあるかもしれませんが、その時の「無駄」は、別の意味での「効用」を持っているのではないかという気がするのです。
自然との付き合いは、常に1回性のものです。
そしてその付き合いのプロセスに意味があります。
きっと毎回新しい発見があることでしょう。
ところが、エクセルデータの解析などというのは、結果にこそ意味があるわけです。

そう考えていくと、「過程を大事にする生き方」と「結果を大事にする生き方」がありそうです。
そして現代人は、どうも「結果を大事にする生き方」になってしまっているが故に、「無駄」という概念が発生したのではないか。

まただんだんわけがわからなくなってきました。
今日は、自然との付き合いには「無駄」という概念がないのではないか、「無駄」という概念は、「廃棄物」と同じく、近代が生み出した概念ではないか、ということを書くつもりだったのですが、いつものようにその「過程」で終わってしまいました。

今とても気になっていることなのですが、まだうまくまとまっていません。
すみません。
この項は「つづく」です。

それにしても最近の国会の「無駄」さ加減には呆れています。
無駄使いしているのは官僚だけではありませんね。

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