■節子への挽歌196:土いじりが大好きだった節子
節子が「開墾」した宅地農園の手入れがなかなか出来ずにいましたが、先週、むすめたちと耕し直し、畝をつくっておきました。
娘がジャガイモも植えました。
荒れ放題だった空地の畑もとてもきれいになりました。
昨年の今日は、節子と一緒にこの畑の手入れをしていたのですね。
私のホームページに記事が書かれています(2007年3月15日)。
午前中は、久しぶりに女房と近くの農園に行って、畑に石灰をまいたり、雑草を取ったりしてきました。その頃は、節子はすでに辛かったのでしょうね。
女房はあまり体調がよくないのですが、よくないからこそ散歩に行くことが大切です。
土が好きな女房は、畑に行くと元気をもらえるのです。
距離にして200メートルもないくらいのところなのですが、女房はゆっくり歩くので、それでも結構かかるのです。
本当に辛そうでしたが、歩くことに愚痴はこぼしませんでした。
あなたとゆっくり歩いた身体の記憶はいまもはっきりと残っています。
家から少し離れた所にある電信柱の下の土の部分にまで、節子は花を植えて、いつも水をやりにいっていました。
今は娘が節子の代わりに水やりや花の手入れをしています。
私はそんなとこまでやらなくてもいいのにと思っていましたが、体調が悪くなっても節子は時々水やりに行っていました。
花が好きだったのですね。
元気だったら、我孫子のまちを花でいっぱいにしてくれたかもしれません。
土いじりが大好きだった節子は、この空地の畑も好きでした。
節子がやりたかったことの一つは、この畑でつくった野菜で、近所の人たちとカレーパーティをすることでした。
あなたはそういうことが大好きでした。
とても残念なのですが、そのパーティは実現しませんでした。
節子がいない今、私にはやる自信がありません。
近所の子供たちに畑のジャガイモ掘りを誘うことくらいはできそうですが、子供たちを楽しませる自信がありません。
節子は子供たちと付き合うのがうまかったですね。
けっこう厳しくもありましたが。
小さな畑でとれる野菜を近所に配る文化は、娘たちが引き継いでいます。
一昨日も畑に残っていた大根とみかんを交換してきました。
そのみかんをまた、ちょうど来客があったのでおすそ分けできました。
その文化のおかげで、わらしべ長者のように、わが家はいつも豊かです。
お金がなくても豊かになれる生き方は、節子と一緒に創りあげた生き方でした。
でも、節子がいなくなったいま、その豊かさもなぜか寂しいです。
お金がなくても豊かにはなれますが、節子がいなければ豊かにはなれません。
私の持っているすべてと引き換えに、節子を戻してもらえるのであれば、すべてを投げ出したいです。
畑の整備をしながら、なんで節子はここにいないのだろうと寂しくて仕方ありませんでした。
でも畑はだいぶきれいになりました。
節子には合格点をもらえると思います。
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