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2008/03/24

■矢祭町の議員日当制に新しい自治の時代の予兆を感じます

昨日、福島県矢祭町の町議会選挙が行われました。
議員報酬の日当制導入で話題になったところです。
日当制には賛否両論がありますが、私はやっと自治の時代が到来したかと感慨深いです。日本の自治文化が壊れたのは、地方議会や自治体行政の仕組みが国家をモデルにし、その参加に「分権的」に組み込まれたからだろうと思います。
このあたりは以前、自治体解体書という報告書を書いたときに少し触れましたし、自治体での講演などではお話させていただいていますが、統治のための国家や都道府県と生活支援のための基礎自治体は、発想のベクトルや構造原理を変える必要があります。
基礎自治体に統治の概念を持ち込んでしまえば、生活は見えなくなってしまうからです。

町議会議員は日当さえも不要ではないかと私は思っています。
もし活動に資金が必要ならば、きちんと予算を組めばいいです。
議会も議員が独占する必要はなく、住民に開かれた議会として、住民も議論に参加できるようにすればいいでしょう。
住民投票などということが特別扱いするようなことも起きないでしょう。
住民みんなの生活に大きな影響を与えるような事柄に関しては、出来るだけ多くの住民の意向を聞くほうがいいことは明らかなことです。

矢祭町の昨日の投票率は88%を越えています。
この高さは、住民たちの自治への実感ではないかと思いますが(矢祭町に言ったことが無いので確信はないですが)、投票率の低い自治体はなぜ投票率が低いかを真剣に考える材料を提供してくれているように思います。

新聞によれば、「報酬が安いと議員は自分の仕事も続け、政治活動に集中できなくなるのでは」という声もあるそうです。
しかし、「政治活動」ってなんでしょうか。
基礎自治体における政治活動は、国会とは全く違うはずです。

ちなみに、政治とお金を切り離すのであれば、議員報酬はゼロにするのがいいと私は思っていますが、これは自治体に限った話ではありません。
私は国会議員も報酬はゼロにすべきだと思っています。
但し、活動費はきちんと予算化する事を前提としてです。
非常識といわれそうですが、常識は時代によって大きく変わります。
小さな常識に囚われていたら、新しい風は起こせません。
もしかしたら、新しい日本は矢祭町から始まったと22世紀には言われているかもしれません。
大仰ないいかたですが、最近の矢祭町の動きにはいつもわくわくするような夢を感じています。

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