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2008/03/04

■節子への挽歌184:長崎からの手紙

節子
長崎県のNMさんから手紙が来ました。
あなたと同じ病気で、それも若い時だったので、いろいろと大変だったでしょうが、それを乗り越えて活躍しています。
本当によかったです。
NMさんはもう退職され、いまは第二の人生をいろいろと考えているようです。
最近はなかなか会う機会もなくなっていましたが、節子と一緒に長崎に行った時に、仲間を集めてくれて、しっぽく料理をご馳走してくれました。
節子も私も、はじめてのしっぽく料理で、その作法をしりませんでしたが、とてもおいしくて、またそこから見下ろす夜景がとてもきれいで、節子は時々、その話をしていたのを思い出します。

その時はたしかハウステンボスに泊まりました。
そこではSHさんが案内してくれたような気がします。
SHさんの元気さと明るさは、節子の記憶にもずっとのこっていましたね。

私は過去のことはあまり覚えていられない人間なので、記憶が定かではないのですが、
いろいろな人にお世話になったような気がします。
私たちは本当にいい人に囲まれていましたね。
感謝しなければいけません。

NMさんはこのブログも、友人に頼んでプリントしてもらい読んでくれたそうです。
ブログもいまや180回を越えてしまったので、読むのも大変です。
それに私の文章は冗長ですから、申し訳ない気がします。
プリントしてくれたのはMSさんですが、MSさんからもメールをもらっています。
みんな節子のことを思い出してくれているのです。

NMさんはこう書いてきてくれました。

「こんなに強い絆、愛とはと思い、時間が普通の人に比べてもっとかかると思いました」
こうした言葉は他の人からももらったことがありますが、たぶんNMさんが私の立場になったら同じことになると思います。
みんなまだ伴侶との絆の意味が見えていないだけです。
もちろんすべての人がそうだとはいえませんが、「普通の人」であれば、そして「普通の夫婦」であれば、きっと私たちと同じです。
思いを私のようにだらだらとブログで書き続けるかどうかは全く別の話です。
そうではなくて、夫婦や家族の絆の話です。
それがあまりに当然すぎるために、なかなか見えてこないのかもしれません。
しかし、40年も一緒に共に生きてきた夫婦の絆はとても太く強いはずです。
NMさんも、手紙の中で、
「わが家の関係を再認識いたしました」と書いていますが、もし伴侶と共に生きている読者の方がいたら、ぜひ夫婦の絆を改めて意識してほしいと思います。
それに気づけば、きっと大きな力が沸いてくるはずです。
それが社会を変えていくと、私は信じています。

余計なことを書いてしまいました。
社会の基本は「絆」だと私は思っています。

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