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2008/03/26

■国家は暴力だけでなく窃盗や詐欺や脅迫も無罪化できるのか

道路特定財源が違法な目的に使われ、年金財源が浪費され私物化されているということが次々と明らかになってきていますが、これほど極端ではないとしても、こうした事例はおそらくほかにも少なくないはずです。
なぜそう思えるかといえば、何か問題が起きて少し第三者が調べると、こうした事例がどんどん出てくるからです。
おそらく当事者の周辺では、みんなが知っていることなのでしょう。
それが「犯罪」と思われずに、「特権」とされているのが、実状なのかもしれません。

テレビで、キャスターのみなさんが「許しがたい」といくら怒ってみても、誰も裁けずにいるのも不思議な話です。
組織としての自浄活動も余り出てこないのも不思議です。
そればかりか、今もなお、同じようなことが行われているのでしょう。

近代国家は「暴力」を自らの「特権」として独占したわけですが(戦争の名目で殺人さえ容認されましたし、死刑もまた合法化されました)、それだけでなく、窃盗も詐欺も恐喝も、およそあらゆる「犯罪」もまた、近代国家は自らの特権として位置づけたことに、最近やっと気づきました。
一昨日の袴田事件や先日の横浜事件に対する最高裁の対応を見ていると、司法もまたそういう構造の一翼を担っているのがよくわかります。

暴力などが国家の特権とされたのは、いわゆる社会契約の考え方に裏付けられているのでしょうが、どうもその社会契約行為そのものが、政府による「詐欺行為」によって、実は成立していないのかもしれないのです。
公約遵守意識すらない人や嘘を奨励する人が首相になっている状況を考えると、そう考えたくもなります。

騙されてもなお誠実に生きている人たちを、テレビで見る機会も増えているように思うのですが、日本が二極化しているのはどうも収入や資産だけではないような気がします。

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