■節子への挽歌208:サイモントン療法を教えてくれた濱口さん
節子
私たちにサイモントン療法を教えてくれた濱口さんが訪ねてきてくれました。
ホームページで知り合った濱口さんからサイモントン療法を教えてもらったのは昨年の6月でした。
残念ながらワークショップには参加できませんでしたが、CDを使っての瞑想を毎日はじめました。
単純な私は、そのCDのナレーションに元気付けられましたが、今から思えば節子は複雑な気持ちだったかもしれません。
「あなたは物事を簡単に考えすぎる」と、私はいつも節子に指摘されていました。
たしかに私は物事を軽く考える傾向があり、失敗も少なくありません。
そのために、どれだけ節子には苦労をかけたことでしょうか。
節子の病気に関しても、どこかで「簡単に考えていた」のかもしれません。
「節子は治る、絶対に治す」と、私は心底考えていたのですから。
「絶対に」などとはありえない言葉ですが、当時、私は本当にそう確信していました。
私のことをよく知っている節子は、その私に合わせて、もしかしたら思考停止していたのかもしれません。
そして、私にすべてを委ねていたことは間違いありません。
しかし私は節子を治してやれませんでした。
不甲斐ないパートナーでした。
話がそれてしまいましたが、サイモントン療法は私たちに元気を与えてくれました。
それに会ったこともない人からも応援されていることで、私たちはみんなに支えられているのだと勇気づけられました。
メールのやりとりだけでしたが、人の心は伝わるものです。
節子の訃報を知った時も、橋口さんはすぐに手紙をくれました。
ばたばたしていて、返事を書いたかどうかも定かではないですが、心のこもった手紙のことはしっかりと覚えています。
内容は覚えていませんが、濱口さんの心のあたたかさは心に深く残りました。
その濱口さんが東京に来るとメールをくれました。
初めての対面です。
なんと25歳の好青年、想像とは全く違っていました。
節子の様子をいろいろと訊いてくれました。
久しぶりに話をさせてもらいました。
生前に訪ねればよかった、とポツンとつぶやいてくれました。
涙が出そうになるほどうれしかったです。
奥さんはきっと幸せにしていると思いますよ、と言ってくれました。
その言葉がとても素直に心に入りました。
初対面にも関わらず、実に気持ちのいい時間を過ごせました。
橋口さんに何かお返しできるといいのですが。
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