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2008/03/03

■政権交替が遠のいてしまった気がします

民主党の勢いがなくなってしまいました。
政権交替も政治改革も遠のいた気がしてなりません。
あれだけ盛り上がっていたのに、民主党の勢いは今や影が薄くなりました。
アメリカのオバマ旋風と違って、失速したというべきでしょう。
民主とは完全に戦略を間違っているように思います。
国民に目を向けず、国民を信頼していなかったことの結果です。

国民国家においては、政治の勢いは国民が創りだします。
もちろんそれを先導し、時には扇動するのは政治家ですが、ある段階で主導権は国民が持ち出します。
最近のアメリカの大統領選も、かつてのヒットラー旋風も、そうだったように思います。
おかしな言い方ですが、主権者である国民を制したほうが選挙に勝って、権力を獲得するわけです。
民主主義体制における選挙は、主権を奪取する仕組みです。
ですから、民主主義的な国民国家と神権主義的な専制国家とは、構造は同じなのかもしれません。
ロシアの今回の大統領選挙は、そのことを示唆してくれます。
教育や文化などの、さまざまなお膳立ても、似ているようにも思います。

そうした中での「変革」に、どのような意味があるのか、最近はわからなくなってきてしまいましたが、しかし昨今の閉塞状況を打破するには、やはり「変革」への期待はあります。
変革の方向性は重要ですが、少なくとも現状よりはよくなる可能性はあるからです。

いかなる状況においても、変革は勢いがなければ実現しません。
その勢いが昨年の後半には感じられました。
しかし、その勢いが今の政治状況には感じられません。
そして自民党も民主党も、結局は同じなのだということが見えてきたのです。
政権交替は、「政策の変化」ではなく、単に「権力所在の変化」でしかないのではないかとさえ、思われるほどです。

論理的には、大連立を契機にして、政治再編が行われるのが、現在の日本の政治状況には効果的です。
「変革」幻想に乗せられたマスコミと多くの国民は、それを拒否しましたが、権力志向によって組織化されている二大政党を、改めて価値志向によって再編成しようということは、それなりに意味があります。

しかし、「変革」を求めるのであれば、非自民・非民主に期待しなければならないでしょう。
その意識がない「変革」は、権力交替であって、政策交替にはならないからです。

日本が二大政党の状況から抜け出るのはいつのことでしょうか。
民主主義と二大政党体制は、全く相容れないことのように思うのですが、どうして二大政党体制願望が大勢になっているのか理解できません。
私の民主主義理解が普通ではないのでしょうか。

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