■議論とは自らが変わるためのもの
ガソリン暫定税率の問題は、議論不在のまま時間切れになりそうです。
議論ができないのは与野党いずれにも責任はあるでしょうが、一番の問題はイニシアティブをとっている政府与党が、議論とは何かを理解していないことなのではないかと思います。
議論とは、考えの違いを出しあって、両者が考えていたよりも、より好ましい結論に達するためのものです。
「より好ましい」の判断基準は、双方にとっての好ましさの総和であるだけでなく、その問題に関わる当事者すべてにとっての好ましさの総和です。
問題の解決策は、立場によって「好ましさ」は変わります。
時に全く反対になることも少なくありません。
ですから、ある人にとっての「最善の策」が、別の人にとっては「最悪の策」になることも少なくありません。
そこにこそ、利害を異にする関係者が集まって議論する意味があるわけです。
ところが今回のさまざまな問題での与党政府の発想は、自らの策が「最善策」であり、他には策などあろうはずがないという姿勢を感じさせることが少なくありません。
その姿勢では議論など始まるわけがありません。
それは議論ではなく、「説得」であり「儀式」でしかありません。
コミュニケーションとは自らが変わることだと私は考えていますが、議論もまた自らが変わるために行うものです。相手を変えるために行うのは議論ではありません。
国会が空転して議論が行われていないのは、野党が議論拒否しているようにも見えますが、最初から議論する姿勢のない政府与党のせいかもしれません。
本来的な意味での議論が行われる場であれば、ねじれ国会は決してマイナスではありません。
むしろ議論が活発化し、最適解への到達はやりやすくなるはずです。
そうならないのは、国会は議論の場ではなかったということかもしれません。
そして国会議員は、議論などには関心がないのかもしれません。
国会中継を見ていると、そう思うことが多いのを最近改めて思い出します。
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